並行世界-その内の狭い話
図解はそのうち付ける予定です
「それじゃあようやく私の能力の話〜」
今までの話はそれを語るまでのプロローグでしか無かった。その長さたるや彼女がぐびぐびと飲むお茶の量で察することが出来るだろう。図解も無ければさながら頭上の蝶を眺めているようなアホ面を晒していたかもしれない。
「並行世界の自分の記憶を同期できるという話だったよな。それ以外に何かあるのか?」
「まぁね。折角なんだからもっと細かいところまで話そうと思って」
さてさて、と再びホワイトボードにペンを走らせる。先程書いた並行世界の分岐図の一本に付け足したのは大きめの吹き出し。
「並行世界の自分と同期できる、っていってもそれなりに限界はあってね。私が生まれた時点の主流の歴史の中でしか分岐できないの」
吹き出しの中に太めの線を書き、その中に歴史の樹形図と同じものを書き始める。
「だから他の歴史がどんなものかは私も知らない。で、赤ちゃんから幼児までは分岐がほとんど生まれてない。それは当然だよね、ベッドの中だったり親の見守れる範囲でしか行動できないんだから。その頃は特に何も問題なかったけど、自由に行動できる小学生くらいから私に異常が出始めた」
「さっきはどっちの手をあげるかでささいな分岐は収束されるって言ったけど、それがどっちの道に入るかとか、誰と遊ぶかとか、私の中では一日の差異は大きく映った。それが記憶が同期されることによって、その日主観上の自分が何をしていたのかわからなくなる記憶の齟齬が起きてたの。つまり分別がつかなかったのね。今は主観は記憶、並行世界の自分は記録と実感が無かったもので分別できてるから大丈夫だけど……当時は記憶障害や妄想癖を疑われたわね」
それはまた大変な話だ。まるでどこにも正しさが無い中で生きるのはさぞ地獄だったろう。
「それでも並行世界中の記録を集められる分、頭の出来は良くなった。だから自分には何か普通の人間とは違う異常があるのだと気づいて、調べ始めたのは小学4年生くらいの頃だったかしら」
「それがキッカケで研究者に?」
「まぁね、自分だけで調べるには限界があったし」
ホワイトボードはゴリゴリと全て消され、新たに6本の線が書き出される。
「細かい選択肢を含めるとこんなふうに綺麗な樹形図にはならずにもっとゴチャついてるんだけど、人生の自由選択が出来るようになってからおおまかに分かれたのは6つのルート」
1つ目、脳科学研に属している専攻派
2つ目、属していながらそれぞれの趣味に没頭している分学派
3つ目、脳科学研に属さずそれぞれに別の専攻を持っている流派
4つ目、学問に関わらずに一般企業で働いているビジネスウーマン派
5つ目、それらと全く違う我が道を行く独自路線派
6つ目、田舎で畑仕事を始めたか、親のスネをかじりながら株式等で生きている自活自営派
大部分は1つ目を選んでいるため主流はこのルートになる。5つ目と6つ目はかなりマイナーなルートで割合は低いらしい。
「低いんだけど……結婚できてるのはほとんど5と6なんだよねえ……。1つ目は知識マウント女として有名で近づく男がおらず、2と3もほぼ同様。4はバリキャリすぎて余裕が持てない悲しき女。ついでにマウントしてるのはここでも変わらず……。はぁ……ほんと私って不器用」
人生を振り返って煤けたように真っ白になっている。なんて悲しすぎる性を持った女なのだろうか。
「結婚するための努力はするんだろう? 俺がその足しになるかはわからんが」
「なるなる、きっとなる」
気を取り直して再びホワイトボードに向き直る。
「それじゃあここからが問題点。私があなたの存在する世界にちゃんといるかどうか考えよう。電話が繋がらなかったのは私がその番号では無いから、が一番の可能性。そもそも歴史の違う並行世界に住んでいるなら他のあなたを『私達』が観測することは不可能だから、接触を取ることは出来ると思う。そのうえで他のあなたを確認できたルートは消去する」
すっすとホワイトボード上の樹形図に線を引いていく。1から6まで存在するルートを更に細分化して、◯◯だった望君、と職業を修飾して書き込んでいく。
「…………?」
「どうしたの?」
「いや、なんでも」
視覚化されたことで更に違和感が増した。俺は一体何が気になっているのだろう。言語化できずに喉の奥から出てこない感覚がもどかしい。
「主流の1〜3が存在するかどうかは、ネットで私の名前で論文を検索してみて。多分何かしら出しているはずだから。前者もそうだけど、4〜6はメセッター、もしくはウィズコードにDMを送ってくれれば反応すると思う」
「わかった」
「でもなぁ、これで私がいない可能性って正直死んでるくらいしか思いつかないんだよなぁ……」
「死んだらその事はわからないのか?」
「うーん、まぁ」
スリッパでパタパタと音を鳴らしながらその場でぐるぐる回る。何らかの悩みでもあるのだろうか。
「例えばね、その日の気分で右に行った私と、左に行った私がいたとする。それってどっちが本当の私?」
「……今までの話からするとそれはどっちも本当の君だろう? 今更問う話でもないじゃないか」
「そうだけど、一般的な視点で見ると並行世界の自分なんて観測手段が無いからどちらかしか選べないわけですよ。さぁ選んでみて?」
「……じゃあ左で」
「残念、左の私は死んでしまいました」
「それどっちを選んでも死んでたやつだろ」
不条理な二択じゃないか。じゃあ選ばなかった方は生き残れたのに偽物なのか?
「ふと思ったことがあるんだ。並行世界という考えがメジャーになってから、一体どれが本物の私なんだろうって。少なくともそれは総体である私じゃないんだけど」
「総体って言うんだから全員のトップじゃないのか?」
「ううん、だって私は生きてるわけじゃない。ただの記憶の集まりでしかないもの。この空間が無ければ動けすらしない。この夢はイレギュラーだったけど、肉体を持って動けるようになったという事に関しては実はかなり感謝してるの。それもお互いにこの夢を見た時間限定なんだけどね」
佳苗はテーブル越しにぐっと身体を伸ばしてじっとこちらを覗き込んだ。優しげに潤んだ瞳を俺を赤面させるに十分で、つい顔をそらしてしまう。
「そ、そう言われてもな。特段何かしたってわけじゃ……それより続きを話してくれないか」
「ふふ、はぁい。それじゃあ問題なんだけど、人は死んだら天国に行くって言うでしょう? 科学的に解明されてないからそれを信じるわけじゃないんだけど、並行する自分がいるならどこかの私が死んでも私という存在は完全に老衰で全ての私が死に絶えるまで、どこかの私は生きてるわけ。そうすると生きてる私と天国にいる私で矛盾が発生する。さて、困りました。結局死んだ私とは何だったのでしょう、と」
「天国も並行世界があるとか?」
「そうだったら面白いんだけど、私の考えだと死んだ私は生きてる方に主観が合流するんじゃないかと思ってるんだよね。人間に魂があるのだとしたら、三次元より上の次元から紐のようなものを並行世界中に伸ばしてて、死んだら切れて他と合流するみたいな」
「だったらここは天国ってことになってしまうな」
「あはは、私が魂ってこと?まぁ並行世界の自分を観測できるという点では上位かもしれないけど、私は生きてる『私達』の記憶をやり取りする通信ハブでしかないと思ってるから、魂というよりは記憶の塊でしかないと思ってるんだけどね」
「だったら、ここで話してる君は集積された記憶による再現体になるな……。もしも集積された記憶だけの存在なら、それはAIと同じで感情的なリアクションなんて取らないんじゃないか。でも俺は君からちゃんと人間味を感じてる。なら、本物の並木佳苗でいいんじゃないか?」
「――――」
それってつまり、逆説的に魂があるってことにならないか? うん、論理の帰結としてはそれで正しいはずだ。何気なくそう言っただけなのに、佳苗は目を見開いたまましばらく固まっていた。何だ? 変なことでも言ってしまっただろうか。ふりふりと眼の前で手を振ると反射的に反応した猫のような勢いでパシッと両手で掴まれてしまった。
「え、何?」
「……ありがとう、なんか、そう言われると救われる」
ギュッと握られたまま彼女はテーブルに頭をうつ伏せていた。この時の俺にはわからなかったが、彼女は自己、あるいは自我というアイデンティティの問題に悩まされていたらしい。それはこうして身体を持って活動できるようになったからこその答えの出ない自問自答を繰り返していたのだろう。身体が無ければ本当に記憶処理装置としての役目しか無く、並行世界に跨った生死の矛盾が総体とイコールになるとは思っていなかったのだと。
「……うん、ちょっと元気出た」
「それは何より」
「でもちょっとだけ反論。君の言ってることはあまりに感覚的かつ哲学的な話。だからこれは要検証案件にします」
「はいはい、存分に考えてみてくれ。それで結局のところどういう話だったっけ」
「あ、うん。横道にそれちゃったね。結果で言うなら、死んだ私は睡眠によって同期が出来なくなるからそもそも死んだ事自体がわからないの。どこかで途切れても生き残ってる私がいればそこからまた分岐を始めるから、感覚的には死んだ私は時間の流れに埋もれてしまう感じかな」
「なるほど?」
死亡する時点でそのルートは選ばれなかったってことになるのか。セーブポイントは睡眠時にしかないから。
それで本物か偽物かって話になる……なるのか? よくわからないが、砂時計の理論で見るに明確に分岐ルートがナンバー付されてるわけでなくあやふやだから、死んだ佳苗はその流れに呑まれて認識できない。それが本物に合流してるように錯覚してるってことだろうか。死んだ結果として単純にその選択肢を選ばなかった、という無になってしまう?
「そんな感じかなぁ」
なんかふにゃふにゃだなこいつ。手はずっと握られたままというか、むしろ指圧が強くなってニギニギされているというか。思考が雑になっている気がする。悪ノリして俺も残っていた片手を使って彼女の手の甲を指先でスルリと撫でた。
「うヒャン!? す、ストップ、それは無しで!」
「自分からやっといてよく言う」
「ウォッホンエェッホン!! さ、続きいこー」
「ごまかすなこら」
ん、まぁとても温かく柔らかかったというバカみたいな感想しか出ないが得した気分なので良し。
「と、とにかく死んじゃったらわかんないってこと! それでいい!?」
「話を難しくするのは科学者の癖なのか?」
「お、面白くない?」
「いや。ちゃんと聞いてるよ。それに君の声は耳触りがいいからずっと聞いてられると思う」
「ほっほほほっほっほっほ」
突然壊れた機械みたいになったな……。顔を真赤にしてオーバーヒートした佳苗は暫くの間使い物にならなくなった。