フィールドワーク2
「どういうことだ。何も、無い?」
進んでも接触が無い事に不思議がる佳苗がこちらを見て、動揺したように返してしまう。
「う、嘘はついてない! 確かにここにあったんだ。摩擦は無いけど、触れた感触だけがあるような変な壁が!」
「だいじょーぶー! 疑ってないから落ち着いてー!」
二人きりのこの世界で疑われたら何かが壊れてしまいそうな気がして動転してしまった。「あ、あぁ」と吃った返事をして言われたとおり落ち着くための深呼吸をする。スーハースーハー……よし。
「壁がない、つまり無くなったっていうことだよね。それじゃあ考えてみよう、果たしてその壁とは何だったのか」
戻ってきた佳苗の目には一点の曇もなく、嘘を疑うより何故というプロセスの方が気になっているようだ。つくづく探究心の塊であるが、それが俺にとっては救いにもなった。
「その壁はマンションを中心にして円周状になっている、だったっけ?」
「ああ、多分四分の一周くらいしか確かめてないがそうだと思う」
「それが故に唯一無人でない、私が原因ではないかと考えて戻ってきた」
「そうなる」
ん〜、と腕組をしながら考えている。彼女はどのように回答を出すのだろうか。
「仮説1。ゲームのフラグ的に考えて、私とあなたが接触したからその壁は消えた。この場合条件を与えられるのは私、望、あるいは第三者かそれに相応する環境そのもの。何せ夢を利用してるわけだから、環境の変質そのものは驚くことじゃない」
そうだな、夢の中では一度扉をくぐって別の部屋に移動すると前の部屋が様変わりしているなどよくある話だ。
「仮説2。時間経過による自然消滅。この場合は消えたことそのものはどうでもいい扱いになる。でも物事に理由を求めてしまうのは人間の悪癖だからね、あえてそれに倣うなら私はこの仮設は消極的否定。ましてこの夢は二人で作ったものだから、どちらかを原因に据えるのが一番納得がいく。そのうえで私はその壁が存在していたことを知らない。とすると、君の方に何かありそうな気はしてるんだけど、思い当たりそうなことはない?」
「いや、わからない。……無人の街を見て無意識に戻りたいと思った結果そうなったとかあるかもしれないけど、俺にだってこんな夢は初めてだし、操作出来るなんて思ってもない」
「ま、そうだろうね。でも引っかかるのは、何で円周状だってさっと判断できたのかってこと。君は不思議なことにほぼ断定しているけど、証明は完全でなければ考察に値しないのはわかるよね? 望君の移動範囲が弧を描いているのはわかったけど、未確認の部分がどんな形をしているかまでは普通はわからないはずだ」
なら、君はどこでそれを知ることが出来たのか。そう問われて答えに窮する。
「あぁ、いや、たしかにそうだな……。慌てていて視野が狭くなっていたかもしれないけど、俺は何でそう決めつけてたんだ……?」
「この世界は情報のエネルギー、ないし粒子で構成されている可能性が高い。それは私達の異能がそれを扱うものであるからして妥当な判断よ。なら私達の知覚がどのように作用、反作用しているかはこれから検証しなくちゃね。何でも起こりうるなら、いちいち犯人探しするのは無意味だし、探検を続けましょ」
「そうだな。ありがとう、佳苗は頼りになるな」
「…………」
「どうした?」
急に黙り込んでじーっとこちらを見る。なにか変なことでも言っただろうか?
「いやさ、私ばっか喋ってて、結論勝手にポンポン出してウザいとか思ってない?」
「はあ? 何でだ、むしろ感謝しかないよ。俺にはわからないことをきちんと言語化してくれるんだから」
「あぁ、そういう風に受け取られるのかぁ」
いやね、と佳苗は落ち込んだような表情で続ける。
「私ってさ、並行世界の私達と同期できる分並大抵の知識量じゃないでしょ? 自分が勉強した経験が無くても、他の私が勉強始めたりすると途端に知識が増えていく。だからどんな人よりも物を識ってると思われるわけ。それで議論なんかしてるとね、だいたい専門家と呼ばれる人より識ってることがあって知識マウントでぶん殴る形になっちゃうわけ。勿論私毎に専門家を名乗れるくらいの存在がいるんだけど、別の私から知識を入れてきた私は他人から見れば「専門家でもないくせに」っていうのが文句の文頭にだいたいついちゃってさ。上から目線でぶん殴ってくる女第一位とか言われちゃったり……」
そういう事か。こいつは自身の能力が仇になって息苦しさを覚える環境に身をおいている。それが世界の数だけ存在するわけだからストレスも半端ないものになって自分を卑下してしまう要因になってるわけだ。素直に褒められたら受け入れづらいのだろう。でも俺がこいつにする対応は変わらない。
「それでも、俺は感謝するよ。それに、慣れてるんだよこういうの」
「……」
「俺の見る夢は皆成功してる俺なんだ。そいつらは俺に出来ないことを何だって出来て、羨ましいと思う反面、いつだって何も出来ない自分が劣っているように感じていた。だけど輝いてる自分を見るのはやめられなくて、そのうち慣れてきたんだ。出来るやつを見るの。だから別に佳苗がどう自分を卑下していようと、俺が何か思うことはないよ」
「……そっか 」
その後もボソボソと何かを呟いていたように見えたが、聞き取ることはできなかった。佳苗はその後歩く途中で立ち直り、元通りのテンションで観察を始めている。街の様相は住宅街から商店や各種飲食チェーンなどが並ぶビル街に移り変わる。相変わらず無人のままで寂れた田舎の商店街みたいではあるが、元々は活気のある場所らしい綺麗さが残っているのが違和感になっていた。人に使われない場所は急速に朽ちていくもので、100年使われていた古民家も人がいなくなった途端数年もすれば木材は剥げ落ちてホコリが重積して見るも無惨な光景になってしまう。人が死ねば建物も無機物でありながら死んだと表現できる有様になる。
「お、ファミレスだ。気になることがあるから入ってみよ」
「まだ何か食うのか? 夢の中なら太らないかもしれないが」
「人を食いしん坊みたいに言わないでくれるかなぁ。ちがくて、今度はちょっとした興味」
「……仰せのままに」
よくある24時間営業のファミレスに入るとテーブルの上には食べかけの食事が残されている。腐ったりしないだろうか。
「この空間がいつ頃の時間を切り取られて作られたかわからないけど、大体午前7時から8時前後だと思ってるんだよね。そうすると、それまでに活動していた人や物の状態はどうなっているのだろう?」
「車が走っている状態で切り取られて無人になったら……そりゃそこら中で事故が起きて……ないな。運動量の情報は切り取られてないのか?」
「そうそう、他にも無人になるなら、着ていた衣服がそこら中に落ちていないといけないでしょ? でもそれもなし」
足は店内の聖域、キッチンへと運ばれる。そこで見たのは不思議な光景だった。
「お、見てみて。コンロに火が着いたままフライパンが置いてある。普通なら火事だよこれ。でも火はまるで固形物みたいに形を保ってる。火が着いていたって情報だけは保存されてるけど、機能はしてないね」
「あれ? でもあんた、家で朝飯作ってたんだろ? 卵焼いたなら普通に火を使ってるんだよな?」
「だね。これも観測していたり、認識したものがきちんと機能したように見えるってことじゃないかな。多分この火も、私達が何かしらアクションすれば動き出すと思う。ほら」
コンロのダイヤルを切ると火が消えた。再び撚ると火が灯り、あるべき形に回帰したようにごうごうと強火が音をたてている。カチリと回して切る、もうこれが不自然な状態に置かれることはないだろう。
「うーん、夢だからって納得するのは簡単だけど都合が良すぎるなぁ」
「切り取られた瞬間が全てを保存していたら、そこら中で事故や火災が発生していてもおかしくはないのか」
「見てきた限りではそれもなし。これも要検証かな〜」
見るものは見た、と佳苗はスタスタと店を出た。
そうして街を歩き続けた。人の喧騒が無く静寂に包まれた中を佳苗はくるくると飛ぶように見回っている。自動ドアに近づいて動きを観察し、道端に落ちている物を拾っては叩き、時々食事を取り未知の味を堪能する。一見すると普通の行動にも見えるが、夢の中での挙動がどのように行われるかが気になるのだろう。当たり前にあるものを観察する不思議な行動になっている。
「結論から言えば、大半は自然な挙動なんだよね。でも時々それに矛盾しているものがある」
「例えば?」
「さっきの火もそうなんだけど、物理的な運動が止まってたり、止まらずに動き続けているものもある。火や車は止まってたけど、それは動き続けていたら危ないと何となしに私達が思うもので、危険性のなさそうな……ボールや坂道の途中にあったはずの車椅子は下まで滑り落ちてた。全ての時間が完全に停止された状態で切り取られたわけじゃない。それ以外の安全なものは当たり前のように動き続けている。この矛盾、というか止めるものの判断基準はどこにあるのか、誰がそれをしているのか」
「一貫性がない」
「そそ。となると、やっぱりこの空間を基準を持って支配している存在がいる。私か、望君、あるいは全く関係ない第三者。最後は確率としては低いね。私も自分の能力は『私達』と同期をすることだけ。いじる事には向いてない」
「最後に俺が残る、か。だけど夢を見る以外に脳のない俺にそんな事ができるだろうか」
「そこは要検証、だね。……ただ、次もこうして同じ夢を見ることが出来れば、だけど」
あぁ、あまり考えないようにしていたが。
やはりこの夢は奇跡のようなつながりなのかもしれないのか。
「誰かと結婚する夢を考えて、見たことは幾度もある。だけどここは二度あるかもわからないような夢なのか」
「そうだね。見知らぬ二人の視線がたまたま合っただけの奇跡。異能持つ二人じゃなければ出来なかった場所。だからとても興味がある場所で研究もしたいし、また見たいとも思ってるけどそれは難しい」
だからね、と彼女は続ける。
「私達。ああいや、私と君、結婚しない?」
「…………は?」
突然すぎる。発想が飛躍しすぎてないか?
「そうでもないよ? それに夢のベースになった私達は結婚してたんだから、出来ないわけじゃないでしょ」
「いや、それはさっきも言ったろ? 夢に見る俺は生きてきた過程が俺とは違う。到達した性格や好みだってそうだ。だから俺が君と結婚できるとは……ふご」
否定の言葉を告げようとしていた口にハンバーガーを押し付けられた。
「いくら何でも卑下し過ぎ。他の自分が出来ていることは自分は出来ないって? そんな事ないでしょ。出来るか出来ないかは努力次第。やってみるまで、やりきるまで結果はわからないことばかりよ。それに、既に結婚してた私達と、ここにいる私達はスタート地点が違うだけで、絶対に無理なわけじゃない。おわかり?」
「むぐ……だからって、どうして結婚なんだ。研究したいだけなら友達になるだけでも十分だろう」
「そうかもね。でも隣り合って寝られるような状態なら、新しい発見があるかもしれないし。関係を築けているなら後腐れするようなことはないでしょう? それに、結婚は私の幸福という面でも十分に利益がある」
「利益だ?」
科学者らしく随分と打算的な考えで口にする。だからこそ嘘や虚飾が混じってないように思える。
「私はさ、未来を向けば向くほど様々な行動で分岐した『私達』が増えるの。まぁ細かい違いは無視してもいい範囲なんだけど。そうするとね、やっぱり幸せな『私』がいたり、それなりに不幸な『私』もいる。記憶が同期するせいで他の『私』を羨む『私』もいたりしてさ、そうなると全部の『私達』が出来るだけ幸せであってほしい。現実的じゃないけどさ、幸せな私率100%を目指したいと思うわけですよ」
「幸せな自分……」
随分と壮大な夢だ。ただ幸せなだけの夢を見ることばかり考えてる俺とは真逆の考え方だ。佳苗は全ての自分を幸福にすることで総体としての自分の幸せも叶えようとしている。少しばかり眩しい生き方だ。
「そのうえで、望君は私の異能を知っていて似た力を持っている。二人でなら、また新しい道を見つけることができるかもしれない。そう考えたら、悪いものじゃないでしょ」
「確かに……」
眩しいが、彼女の探究心豊かで前向きなあり方は惰性に流されている俺からすればいつも見ていたいと思えるものでもある。
「それじゃあ、はいコレ」
「電話番号か」
携帯電話の080から始まるナンバーが書かれたメモを押し付けられた。
「夢から情報を持ち出すには記憶するしか無いから、ちゃんと覚えてね。それで、起きたら電話をかけて。7時頃にはもう起きてるから、次は現実で話して、ちゃんと顔を合わせましょ?」
「ああ、それは確かに、夢のような話だな」
こんな奇跡みたいな出会い方をする女性ともなれば、俺みたいなしょうもない人間といえど高揚くらいはするものだ。まるでアニメや漫画みたいな導入に心踊らないヤツはいないだろう。目を凝らして電話番号を見る。1字の間違えもないように、しっかりと脳裏に記憶した。
「あ、もうすぐ目が覚めそう。なんとなくわかるんだねこういうの、なかなか親切設計じゃないか」
「そうだな。……起きたらちゃんと、電話するよ。朝には時間が無いかもしれないけど、夜にでもまた話そう」
「うん。……それじゃあまた、現実で」
「ああ、またな」
そうして、ふわりと浮くように、別れを惜しむ間もなく視界が溶けるように俺たちの夢は消えていった。
ノンレム睡眠時のような夢を見ない暗い感覚に、少しずつ朝の光が差し込んでくる。
「…………夢、か?」
現実はいつもの狭いアパートの寂しい空間だった。あまり片付いてない男の部屋が寂しさを際立たせる。
「そうだ、電話しないと」
起きぬけに即座にスマホを手に取った。
番号は、よし。大丈夫だ、覚えてる。時間も7時を10分ほど越えたところ。佳苗はもう起きているだろう。震える指先で番号をタップしていく。緊張もありながら、俺はそこそこ浮かれていた。人生で初めて出来るかもしれない彼女、しかもあまり感情的にならずに理解力の高そうな女性。その分惰性に流されていた俺にとっては厳しい人柄をしていそうだが、前向きに押してくれそうな人だと思うなら良い点だと思える。これからを思えば期待しか無い。
「よし、押すぞ……!」
覚悟を持って通話をタップして、耳元に当てる。少しばかりのコール音の後、
「あ、もしもし俺……!」
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません。恐れ入りますが、番号をお確かめになっておかけください』
…………は?
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません。恐れ入りますが、番号をお確かめになっておかけください』
繰り返される音声ガイダンス。何度聞いても変わることがないそれ。衝撃で砕け散った心は暫くの間立ち直ること無く、会社に遅刻するという形で表れることとなった。
とりあえず落とせるところまで落としたのであとは登っていくだけですねー