フィールドワーク
「おおー。確かに人の気配が全然しない」
マンションを出てから10分ほど。1回目の外出は全力疾走に近い事もしていたが現在は彼女の歩調に合わせて穏やかに歩いている。何せ好奇心引かれるままにフラフラしたり止まったりしてるものだから移動距離で見れば時間に反比例しているようなものだ。
「風や鳥の囀りはあるのに、鳥そのものを見かけないし雲も動いてない。空はまるで壁画みたいにのっぺりとしてるのに太陽光はきちんと機能している。これってどういうことだと思う?」
「夢らしくデタラメな設定されてるとか、か?」
「ありそう。そうしたら設定してるのは私達かな。二人で作った世界と言っても過言じゃないし」
あ、そうだ。としゃがみ込んで何かを探すような仕草をしていた彼女は立ち上がり言う。
「そろそろお互いに警戒も解けてきたことだし、名前で呼び合わない? それとも愛称がいいかな? 私のことは佳苗でもいいし、カナちゃんでもいいよ?」
「名字は選択肢に無いのか?」
「別に今更距離とった呼び方する必要ないでしょー? どうせここには二人しかいないんだもの。世間体も関係なければ、順序立てて親密度あげて『おや、あいつら呼び方変わったな』みたいな事しなきゃいけないわけでもなし」
「その理屈はわからん」
凡人の俺には学者の脳内でどういう論理が広がっているのか見当もつかん。しかしコイツもコイツでそれなりに警戒心を持ってはいたんだな。それを吹き飛ばしたのは俺の奇行のせいだと考えると良かったのか悪かったのか。
「私はどう呼ぼうかなー。望月望だから……ボゲッポ?」
「それ中学生時代のあだ名。ポケ○ンみたいであんまり好きじゃない」
「うーん、じゃぁ望君、でどう?」
「…………まぁ、いいんじゃないか」
女耐性無いところに君付けで呼ばれると割とドキッとするな。言ったら墓穴掘りそうだし黙っとこ。悟らせないためにこっちもちょっと強気に出てみる。
「こっちも佳苗って呼ばせてもらう。それでおあいこな」
「うひひ、いいぞよいいぞよ。くるしゅうない」
「何様なんだそりゃ」
優れた学者様かと思えば時折こうして崩した態度になるのは何なのだろうか。
「話戻すけど、あの太陽本物だと思う?」
「俺達の夢が宇宙まるごと作り出せるっていうんならすげー話だな」
「おお、その偽物だとわかりきってるような返答。イエスだね」
「実際違うんだろう? 俺には理屈はわかりやしないが」
直感的になんかこう、そうじゃないんだろうなと思う部分はある。言語を介して説明できないのは苦しいが。
「そだね。多分あの太陽、というか空は観測出来る見た目そのままが投影されてるだけって感じかな。あるいは私達が朝はこういうもの、っていう認知が持つ幻かもしれない」
「あれが絵みたいなものだってか。じゃぁ温度とか影はどうなるんだ?」
「同じだと思うよ。太陽光で熱を持つ、じゃなくて見える太陽と感じる温度は機能が分離してるんだね。もしかしたら温度だけは冷たくギラギラ照る太陽が存在する光景なんてのも設定できるかもしれない。私達が今見ているものは実際にある空間じゃなくて、交差した主観がもたらしたイメージ像だ。温度も大体このくらいという認識が、触覚なんかも自身の経験則から生み出されている幻。この風景は結婚してるこの世界の私達が観測していたものが主体にはなっているのだろう」
そういえば昔聞いたことがあるな。夢が現実を完全に再現できて当人がそう認識しているならそれは夢では無くまぎれもない現実だと。
「解離性障害の話? それともゲームか何かの引用?」
「多分ゲームだと思う。何のゲームだったかまでは覚えてないけど、印象に残ってたのを思い出した」
「そかそか。胡蝶の夢を題材にした作品は数多いからね。夢と現実のどちらが真実なのか。少なくとも私達にとっては今見ているこの夢もまた真実なのだと思うよ。実際やっていることはプライベートルーム作って個チャやってるようなものだから、能力の無駄遣いというか、違う方向性を発見してしまった結果テレパシーみたいなものになってるけど」
「身も蓋もないな」
更に自分たちで制御できているわけでもないからその凄さがイマイチ実感できない。今はクローズドサークルに閉じ込められてるだけだもんな俺達。
「あ、この辺は遠目から見たことあるかも。ほら、向こうに玉中大学が見えるでしょ。あそこにあるのが私の所属する脳科学研。そかそか、私の職場環境に近いところを選んでくれたんだね。ふーん」
「なんだそのニヤついた目。もしかしたら佳苗が選んだのかもしれないだろ」
「そうかなぁ。私ってその辺りはズボラなところあるから、私率85%が適当なとこ選んで住んじゃってるのよね。それで貧乏くじ引いてることも何度かあったりして」
「適当なヤツ多すぎだろ……」
異能とスペックにステータスを全振りしてるんじゃないかと思わせる佳苗に抱きかけていた憧憬が消えそうだ。天は二物を与えず。美しい科学者というイメージはそのうち残念美人に移行するかもしれない。そんな事を考えながら更に移動すると一度通り過ぎた一戸建ての多い住宅街に出る。変わらず静かなままで全ての生活音が消え去っている。
「うーん、明るいホラーってのもなかなか斬新だよね」
「今から人が出てきてもホラーだがな」
他愛のない話をしながら更に先へ。再びスーパーが見えてくると佳苗は良いこと思いついたとばかりに店内に駆け込んだ。
「ここで何する気だ?」
「ん? 夢の中だし現実に影響しないなら店内のものを持ち出すのも自由でしょ。だから食べたことのないものを色々持ち出そうかなーと」
「良識を咎めて人がやらなかったことを堂々とするな」
「今は完全にこれが夢だってわかってるからいいじゃん。さっきまではそうじゃなかったんでしょ?」
「まぁそうだが……」
佳苗はひょいひょいとスーパーのかごに商品を突っ込み始める。食品、飲料、惣菜、スイーツとあれこれ入れているがそんなに食べられるのか?
「適当に摘んで後はポイかな。エコノミスト大激怒案件だけど、夢から覚めたらどうせ全部泡沫に消えるんだろうし反社会的行為が出来るのは今だけ! みたいな」
「嫌なキャッチセールだ……。この夢も悪徳を積むために作られたものじゃないだろうに」
「実験の前では些細なことだよ」
実験? 食物を使って何をするのだろう。窃盗行為(偽)をボーッと眺めていると「ほら、望君も選んで選んで」と背中を押されたので渋々と必要なものを考える。よく考えれば夢の中で飲食が必要なのか? 朝食は本当に腹が減っていたかどうかもよくわからないまま食べていたからな……。朝食を食べたときも心が安らいだので精神の安定のためには必要なのかもしれないが 。
「よし、こんなものでいいかな。それじゃ次は透明な壁があった場所まで案内してくれる?」
「ああ、こっちだ。……歩き詰めだから車を出したほうがよかったかもしれないな」
「そう言えば持ち出した鍵束に車の鍵もついてたね。でも壁に突撃しても嫌だしそれは今度にしよっか」
「今度、か……」
互いの視線が謎の異空間で交差する奇跡みたいな現象が果たして2度も起こりうるのだろうか。この時間はとても貴重なものだと理解した瞬間に目覚めるのが惜しく思える。脱出したいと思ったりやっぱり勿体ないと思ったり、実に現金なやつだな俺は。
目の前をふわふわした歩調で進む佳苗は商品を入れたスーパーのかごを手に持ったまま店の外に出た。これもよくニュースになる悪徳であるが咎めるものがいないから無法のままに行っている。ほんとこいつ現状に馴染んでるなと感心するというか、図太いというか。
車の一台も通らない車道を歩行者天国よろしく歩きながら盗んだ(?)ジュースを飲み始める。俺はよくあるスポーツ飲料、佳苗は……もっちりフルーツゼリー味というよくわからない飲み物を飲んでいた。フルーツとゼリー逆じゃないか?
「うん、やっぱり」
「何がやっぱりなんだ?」
「このジュース、現実で飲んだことがないの。商品名が意味不明すぎて飲んだ私率0%という脅威の飲み物。だからこれの味は知らなかったんだけど、今こうして飲んでみると体験したこと無い味がする」
「具体的はどんな?」
「うーん、味の薄いゼリー? しかもやたら粘着質であんまり美味しくないというか。フルーツっぽさはあまりないかな。大事なのは味の批評じゃなくてね、未知の体験ができてるってことなんだよ望君。夢っていうのはおそよ経験則に基づくものだからこの世界もそういった記憶から再現されてる可能性があった。例えば足で踏むこの砂利の音も人生で聞いてきたものが合成された錯覚で実際の音とは違うものかもしれないと思ってた。でもこうしてジュースを飲んでみたら全く知らない味がする。結婚した私達の見ているものがベースになったからって、当然全ての食品の味なんかを把握しているわけじゃない」
これも、あれも、と言いながら一口ずつ色んなものを口に含んでいる。どれも買ったことのない商品で未知の味だったらしく、やっぱり知らないなぁ。と首を傾げつつも納得した矛盾の表情だ。正しい回答が出ないことこそが正しいとでも言いたげである。
「もぐもぐ、少なくとも……もぐ……この世界が記憶をベースにしているわけではないのは確定的に明らか」
「食べながら喋るな、行儀悪いだろ。それとネットスラングを使うと途端に頭悪そうに見えるからやめとけ、勿体ない」
「ごくん……勿体? まぁ固いこと言わずに。とにかくね、この世界は主観を重要視していると考えられるの。この主観ってのはなかなか曲者で単純に目に見えたもの、見た範囲のものだけじゃない。人間の持つセンサー全てで得られたものは記憶されずにスルーされた情報だって含まれる。光はその中で最たるものだね、1秒で地球を7周半するという光速。それに含まれる情報量は莫大で、認識できずとも地球全土の情報を受け取っていると言ってもいいかもしれない。この世界もそれによって作られてるなら自分の見知らないもので構築されているのもおかしくはないかな」
「よくわからんがここは記憶ではなく情報の世界、ってか」
「そう! 実はブラックホールに吸いこまれたものは平面化された情報になるって言われてるの。情報もまた一種のエネルギーなのだから、この世界を構築するのは情報そのもので私達がアクセスしているのはーー」
「おい……おい? 参ったな、返事しなくなっちまった」
思考が炸裂しているのかブツブツと呟きながら自分の世界に没入していった。どこかぼんやりと遠い目を見ながらフラフラと歩く佳苗にどう対応して良いのかわからず、軌道修正を図りつつ道なりに歩いている。しかし何だ、修正のたびにセクハラと言われない程度に肩に触れて向きを変えているが、この肉感や体温も三次元的な物質じゃなくて情報のみで構成されているっていうのは驚きだな。さながら情報世界に存在する情報体ってとこか。
壁際まで時間はあるわけだし、お喋りな女も黙してしまったので少し話をまとめてみよう。
俺たちは互いに睡眠時に、夢を介することで情報交換をしている。佳苗は同時間軸の並行世界の自分たちと。俺は見たいと思った自分のありえたかもしれない理想像を。違うのは佳苗は完全同期に対して、俺のはダウンロードのみの一方通行、情報の受け入れのみ……いや、実際はただの夢だと思っていたけど指定した並行世界を見られるというならわずかながらアップロード、というよりピンを発してるというべきか。でなければ無秩序に情報が流入することになる。
そして俺が結婚生活をした幸せな自分を見たいと願った結果、その相手が並木佳苗で異能の持ち主であったためにお互いの視線が交錯。情報空間(?)で不慮の事故だか悪魔合体みたいなものが起きて活動可能な世界が生まれてしまった。
ベースとなった身体は結婚生活をしている俺たち。ここは情報世界で現実ではないので身体を乗っ取ったなどという心配は不要。元の二人には何の影響も無いということだな。
次にこの世界について。先述したとおり情報によって構築されたこの空間は三次元的な物質によって構成されたものではない。空気を吸っても実際に酸素があるわけではなく、文字通り「空気を吸った」という結果だけが情報として算出される、という表現に難しい状態になっている。目に見える全てが現実と同様だが、物理学的に見ると全てが錯覚の類となるらしい。なのでこれは夢でも自身の記憶に則って作られているわけではないので未知の情報も拾うことが出来る、と。知らない味のジュースも、佳苗の肩周りの柔らかさもだ。特徴的なのは二人で作り出した世界なので他に観測手段を持つ生命体がいないことだ。植物なども範疇に入るはずなのだが、違和感を抱かない程度にオブジェクトとして残ってるだけで生命ではない可能性が高いのかもしれない。まぁ人気がない時点で違和感バリバリなのだが、夢なんてそんなもんだろう。都合がいいのが夢の取り柄だろうし。逆に人間がいたらそれはそれで怖いかもしれない。主観を持たない人間って要するに虚無かNPCみたいに大した反応がないって事だと思う。
後は、これは夢だからいずれ覚める。それが現実時間と同期していて、その俺が自然と目覚めたらそうなるのか。非同期でログアウトするような形で指定したら目覚めるのか。それは最後の検証になるだろう。
他のわからない、考えもつかない点は科学者の彼女が考えてくれるだろう。そうぶん投げる事で考察をまとめる。なんだかんだ壁際に着いたからな。俺も意外と長いこと考えに耽っていたらしい。前後を見失う佳苗ほどではないが。
「おーい、止まれ。そのまま進むとぶつかるぞ」
「ーーん? おっと、ここか。ちなみに私の肩の感触はどうだった?」
「お前、意識あるならそう言えよ」
「いやいや、考え事してる最中は全然。後から思い出してるだけだから。で、どう?」
「どうも何も、いい肩してんなと思ったが」
「それじゃまるで野球選手みたいじゃん。じゃなくてこう、あるでしょ?」
「女らしい小さくて可愛らしい肩でした、とでも言えばいいのか? むしろセクハラとかそういうのに過敏になるべきでは?」
「役得だったでしょ? まぁこう見えても結婚した私はそれなりにいるわけでして、男心もそれなりにわかるわけですよ。勿論変な人には触られたくないし、結婚した私達という事実も踏まえればまぁこれくらいは許容範囲かなと」
「……さっきも言ったけど、それは俺であって俺じゃない。今回のは見る前にこんな風になったけど、どんな性格してたのかだって多分違うんだから俺が好意を持たれるのは筋が違う」
そう、仮に結婚した俺達という事実があろうとも俺自身は交わらない。こうして二人で行動してるがそんな単純な理由で許容されていいわけがない。
「うーん、そうかなぁ。別に他のあなたを見たことあるわけじゃないけど、根幹は一緒な気がするんだよね。じゃないとそもそも夢で繋がれすらしないはずだし」
ま、それはまた後でいいか。と佳苗は歩を進める。
「もう少し先?」
「多分あと2mくらいだったはずだ。詳しくは覚えてないが」
おーけーおーけーと適当に返事をしながら手のひらを前に出して慎重に前へ。そのうち妙な感触のする透明の壁に接触するはずだ。
しかしその考えに反して、佳苗は2mを超えて更に5m、10mと移動しても結局壁に触れることはなかった。