異能
※作中内の科学説明は基本的にエセ科学ですので実際の物理・量子で使えるとは考えないでください。
「夢……? いや、まてまて。あんたもやってみろよ、頬がいてぇじゃねえか。さっき食べたものだって味がしたし、匂いもあった」
「五感は認知機能の問題だから誤魔化そうと思えば幾らでも誤魔化せるものだよ。そういうことじゃなくてね、ここそのものが夢で作られた異空間そのものってこと」
それじゃあまず私の話をしようか、と前置きして彼女は続けた。
「私はね、眠って夢を見る時に並行世界の無限に存在する自分と記憶を同期することが出来るの。あ、今こいつ何フィクションみたいな事言ってんだって顔してる。残念ながら現実ですのでそういうものだと思って諦めてくださーい。でね、今こうして結婚生活をしてる私? はその記憶の中に無いわけで。ついでに夢の中の自分が動けるということも無い。だったら一緒にいた君が何かした、と思うのが普通でしょ」
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普通じゃない。随分と饒舌にしゃべる、脳科学研といったか。頭が良いから早口になるんだろうけどもう少しテンポを下げてくれても構わないぞ。
「そしたら起き抜けで逃げ出すからびっくりだよ。とりあえず当たり前の日常を演出して様子見しようとしたのに全部パー」
「図太いんだな。知らない男が隣に寝てたら動揺くらいするだろ」
「なーに、結婚してる私の記憶もそ、それなりにあるんだわ。だから起きた時に目の前に君の顔があっても、あこういうパターンの自分もいるのね、なるほどなるほどってソッコー理解したよ。まぁ、それはそれとして自分の能力的に別の自分に成り代わるってのはおかしいし、この私と記憶も同期されてないからその過程、夢の中だと判断したわけだ」
なんで今どもった?
「……あんたって無限にいるわけだろ? だったらあんたは自分がどの自分かって認識はあるのか……ってうぉ!? 突然テーブルを叩くなっ」
「君! どうして今そんな質問が口から出てきたの!? 学術的興味!? 比較的差異を私がきちんと認識してるかどうかなんて普通のサラリーマンが問うことかな!? 現状の確認より興味を優先するのは学者的思考の持ち主だよねっ! うぉぉ、楽しくなってきた! どうしてそんな事を考えたのか聞いても!?」
やばい、変なスイッチを押してしまったらしい。勢いよくテーブルを乗り出した彼女は俺にガッと顔を寄せて鼻息荒く問い詰めてきた。
「いやその。無限にいるって割には語りが一人称っぽく聞こえたから、ふとどのあんたが主体なのか気になって」
「なるほどなるほど、なかなかいい着眼点の持ち主だね。では説明させていただこう!」
「あ、そういうのはあとで」
「説、明! たしかに私は無限に連なる私と記憶を同期できるけど、いくら無限といっても人間一人が一日に出来る行動に幅をもたせるのは限度がある。だからそういった細かい差異は誤差として収束した記憶でまとめられるわけ。はるか昔に分岐して全く違う状況におかれる自分も割合で言えばそれなりにいるけども、夢を見る時に主体となるのはそれらの記憶を総合した私。いわば肉体に依存しないクラウドサーバーみたいな総体が、今ここで話している私で、現実で起きる前にクラウドの私が共有される、といえるかな。だから今の私はすべての私であり、どの私でもない。だからこそ、この結婚生活らしき記憶が同期されずに実体として活動できる私が存在してるのは不可解というわけだ」
お、おう。危険な女でないことはわかったけど一周回って変な女だったわ。どう扱えばいいかわからん。とはいえ懸念事項は無くなったと見ていいかもしれない。
「ま、より詳しい説明はまたするとして今度は君の番。一体君は何をしたの?」
「何をしたも何も、こんな不可解な状況におかれるような異能なんて無いぞ」
「だったらこう考えてみそ? 寝る前に何を考えてたか、とか」
「寝る前……」
確か、結婚生活を夢で見たいと思ったくらいだが。
「それじゃん」
「待ってくれ。俺は自分が見たいと思った自分の夢を見られるだけで、こんなバーチャルリアリティみたいな空間を作れるような能力なんて無い」
「ん? 何でバーチャルリアリティ?」
「……外に全く人がいなかったんだよ。生活感はあるのにどこも蛻の殻で……それに全部は確かめてないが、このマンションを中心に街一体を覆う透明の壁みたいなものがあって先に進めなかったんだ。だからここに戻ってくるしかなかったんだが、表現としては的確だと思う」
「ふーん……。そういうこと」
逸れた視線が何を見ているのかよくわからないが、きっと俺には考えも及ばなそうな思考が巡っているのだろう。頭良さそうだもんなこいつ。実際良いのか。
「こっちも質問なんだけど、見たい自分の夢ってどんなのを見てるの?」
「主に成功者としての自分、だな。サッカー選手だったり、音楽家だったり、宇宙飛行士になったりとか色々」
「その夢は活躍してる瞬間だけ?」
「いや、ある程度は子供の頃から活躍してる頃までの歴史をダイジェスト感覚で見てる。もっと状況を絞れば短い時間で見ることもできるけど」
「例えば?」
「その、中学生の時に好きだった女子と恋仲になった自分はどうなるのか、とか。って何言わせんだよ」
「自分から言ったんじゃん。そんな夢見るくらいなら告白すればよかったんじゃないの?」
「思春期故の臆病さがあったんだよ。それに、夢に見た自分がどうにも地続きの自分じゃない気がして」
「地続きじゃない?」
「成功者としての夢を見ることは出来るけど、それは今の俺が努力したから成れる未来ってわけじゃないんだ。生まれはほぼ一緒だと思うけど、親の仕事が違うとか、住んでる環境が違うとか。あるいはほぼ同じ俺でも過去の行動がてんで違うのか自身の性格も違ったりする。だから真似しようとしても出来なかった」
子供の頃、大人になったら何になりたい? という質問を受けたことがある。おそらくは大抵の人が経験したことがあるだろう。実際それで、様々な自分を想像した。今だと動画配信者が人気らしいが、幼少の俺はラーメン屋みたいな庶民的な夢から、さっきも言った大成した自分だと語っていた。そんな自分を想像してドキドキしながら夢見についたら、まさにそんな夢を見られたので親にはよくこんな夢を見たよー! と笑って語ったものだ。
その夢の異常性に気づき始めたのは、小学4年生頃だったか。ものの理解力が増すにつれ自分が想像して見た夢は今の自分が成し得ない状況下でしか成功していないものだったと。サッカー選手になるためにはジュニアクラブの近くに住んでいる自分、音楽家になるには母親が音楽を勉強していた、などといった環境設定に大きく左右されるものだったのだ。
そして俺は、自分では決して手が届かない星を見上げているだけなのだと知って愕然とした。どこまでいっても所詮夢は夢でしか無い。必要な環境下にいない自分は現実に出来ないのだと、半ば諦めを覚えたくらいだ。自分で何かを叶えようとしない消極的な性格になったのはこの頃だろう。
それでも、優れた自分を見るのは辞められなくて。自分では出来ないからこそそれで自己満足に浸る馬鹿な男になってしまった。それが恋愛の諦めにもつながったのだが。
「その恋仲になれた自分はどんな自分だったの?」
「運動も良く出来て、明るい性格をしてたよ。俺自身は特に運動もしてなかったし、地味なほうだったからこれは現実の俺じゃないと思った。まぁ、そういう夢しか見れないっていうのは昔からわかってたんだが」
「つまりそういう自分じゃないとその目当ての女の子は振り向かないから、そういう夢しか見れなかった?」
「知らねえよ。ていうかお願いだから人の恥ずかしい過去を掘り下げないでくれませんかね」
「いやいや、大事なことだから」
ウソつけ、顔がにやけてるぞ。そんなに人の恥ずかしい話が好きかよ。
「じゃあ次の質問。その夢は自分の知らない知識も出てくるの?」
「大体はそう、だな。専門知識が関わる夢はわからないことばかりだった」
「夢って一般的には記憶の整理とか行われてて知らないことはそう見ないって言うけど、そういう普通の夢の感覚はわかる?」
「まぁ、何が見たいと思わなければ支離滅裂な夢を見ることはあるよ」
「ふーん、なるほどねえ……ポクポクポクポク」
木魚でも叩いてるような独り言を呟いて数秒、仮説完了! とパチンと両手を叩いた。
「うん、やっぱり結論から言うと君の見る夢は能力の一種だよ。私とよく似た、でも違う夢の見方をしてる」
「夢の、見方?」
「そ。私の場合は全ての並行世界の私との同期。でもそれは突拍子もないほど環境が違う私がいるんじゃなくて、生まれた瞬間から分岐した可能性の範疇にいる自分との交信が出来る事。だから別の私が勉強したことや経験したことも全て『私達』の経験値として扱われる」
「でもさっきあんた、無限の自分って言ったよな。だったら突拍子もない自分がいてもおかしくないんじゃないのか?」
「違う違う。どんなに分岐したところで私自身の個体値は決まってるもの。だからどの私がどれだけ努力してスポーツをやったとしても大した成果は出ないんだ。日本人の女として生まれ持ったスペックしか無い私がいきなりブラジル人並の身体能力になったりするわけじゃない。知識はいくらでも蒐集できるしトライアンドエラーの数は人一倍こなせるけど限度はある。んー、漫画とかで例えるなら多重影分身とか、量子電導脳とかああいう感じ」
ああ、なるほど? 後者の方はよくわからんが。
「え、往年の名作を知らないと申すか。まぁギャルゲーなんだけど、そういうのには興味なかった?」
「あまり。むしろソッチのほうこそなんでそんな詳しいんだ?」
「いやー、まぁそれはそういう方面に特化して詳しくなった私もいるといいますか。沢山私がいるなら知識の蒐集も分野毎に分散したほうが効率がいいし? それに2000年初頭のギャルゲー業界ってある種ベンチャーだったから先鋭的なアイデアがいっぱいで科学的にも検証の余地ありといいますか」
「言い訳がオタクくさいな。素直にギャルゲーが好きだったで良くないのか」
「うぐっ……それを言ってドン引きされた私率32.5%なのであまり言いたくないんよ」
「3分の1の自分が否定されたってどんだけだよ」
だいぶ濃い人生を送ってそうだなこいつ。というより全方面にカルピスの原液並に濃いせいでちょっとでも薄いところのある人間には何かしらの形でドン引き食らってるってこと? なんか初めは誘拐犯みたいな危険人物を想像してたのにだんだん残念美人に見えてきたぞ。
「は、話を続けるね。で、対象的に君の方は自身の環境設定をいじることでありとあらゆる可能性を夢見れるものなんだと思う。つまりその夢はフィクションじゃなくて、たしかに存在する並行世界を見てるんだと思うよ」
「それが普通の夢との差異ってことか」
「そう。知らないことは夢に見ることは出来ない。稀に予知夢なんかで全く知らない光景や風景を見る人もいるけど、自分の未来を見ることが出来ない君はそれとは違う。そして君自身は同一だけどほぼ別人扱いだから記憶の共有は出来ない。夢を見るときも三人称みたいに見る感じ?」
「そうだな。空中に浮いて風景を見ているようだったり、映画のように見たりと色々だが……」
「うんうん、つまりこういうことだね」
立ち上がった彼女はガラガラとホワイトボードを引いてきてペンを取った。なんでリビングにホワイトボードがあるんですかね?
「まぁ私なら設置するね。それは置いといて、これは私と君の能力の違い。私は横にずらっと並んだ点を一直線に結ぶ横線の力。つまり並行ではなく平行。君は死角があるものの正しく並行、縦線を見る力。この違いは現在時間に依存するかどうか。私の場合は同じ時間の自分にしかアクセス出来ないけど、君の場合は現在過去未来を見ることが出来るってところかな」
「……そうなのか。未だに信じられんが俺のこれはれっきとした能力なんだな」
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いやはや、現実にそんなものが存在すること自体が驚きだが、そのうえでこの現代社会において全く役に立たない異能とは恐れ入る。
「で、その能力が現状にどう関係するんだ?」
「私達の能力には共通点があって、それは必ず夢を介してるってことだね。夢を見るというのは自分の主観がその方向に向いてるってことなんだ。普通の夢は脳内の虚像かもしれないけど、私達は夢を通じて全く違う方向に視線をやっている。いわば主観が作用しているってことで、それは観測をしている事と同義だ。じゃぁ互いの主観がぶつかりあったなら、どうなる?」
「……互いが互いを見つける?」
「そう、肉体を凌駕した超越感覚が未知の空間でぶつかりあった! 互いを観測しあってしまったせいで私達はこの異空間を作り上げてしまったの! もっと細かく言うと私は普通に自分達と同期しようとしてたんだけど、結婚生活をしてる私達の視点の近さ故にこの光景を見ようとしたあなたの主観が割り込みをかけてバッティングしたの! まぁ……ちょっとばかりこれについては不可解な部分はあるけど大まかにはそういう感じ」
「そう聞くと悪いことをしてしまったようだな」
「まさか! 奇跡だよ奇跡! 私と似て非なる能力を持ってる人がいたなんて! 是非脳科学研にお招きしたいくらいだ。最近では見た夢をアウトプットする方法もあるから実験に参加してみない?」
謹んでお断りします。なんだか危険な香りがする。そう言うと彼女は残念と舌をペロッと出した。そんな可愛い顔されても困る。
「でも互いに見合った結果がどうして異空間を作り上げることになるんだ?」
「んーー、それについては私も不明瞭な部分があるからざっくりとした仮説になるけどいい?」
「納得できるなら何でもいいさ」
「うい。そんじゃ説明すると、本来私達が夢で見るものってのは肉体感覚では認識できないモヤみたいなものなんだよ。並行世界ってのはまぁSFの題材としては語られるけど割と漠然としてて、あるものとは仮定出来てもフィクションとして想像してるものと全く同じかどうかってのはわからないんだ」
「というと?」
「二重スリット実験って知ってる? 中二病を超えて高校大学生、あるいは大人なオタクが大好きな量子実験なんだけど。知らない? んーーーー、じゃぁ簡単に説明するけど、板に縦線の2つのスリットがあります。その向こう側に写真乾板を置いて、スリットに向けて電子ビームを打ちました。電子ビームは板の真ん中に発射してるから、これが銃弾のように真っ直ぐ飛ぶものならいくらスリットがあいてたところでその間に飛んだ電子ビームは写真乾板に着弾痕を残さない。ところが電子ビームは2つに分かれてスリットの向こう側に着弾しました」
「はぁ?」
何を言ってるんだこいつは。分裂でもするのか?
「ううん。分裂したものじゃなくて、電子ビームは正真正銘一つで、別れた弾痕はどちらも同じものなの。まぁこれは量子と波動の実験としてよく使われるんだけど、並行世界の例えとしても使われることが多いね。つまり打ってから数秒後の未来は可能性分岐してる事を表すから、電子ビームも別れてるように見えるんだけど。別れてる瞬間をビデオ撮影しようとしたら、弾痕は一つになっちゃったの」
「ますますわけがわからん。それが俺たちの能力にどう繋がるんだ?」
「撮影に使ったカメラもまた観測者、ってこと。人間の目に見えない小さな粒は観測されない限り可能性のモヤに包まれてるけど、誰かが観測すると実体を表して状態が固定されてしまう。そしてこの世にはありとあらゆる観測者が存在してて、その主なのは私達生命体。現在この瞬間を生命体が観測し合うことで私達はある意味現実の可能性を収束、固定させている存在といってもいい。今回はこれが夢にも作用した」
あぁつまり?
「本来は主観一つ分しかないところに別の主観、客観視が混じったことで状態が強固になってぶつかりあった途中に変な空間が出来てしまいました★ って感じだと思う」
「わけがわからんな……」
「でしょ。私にもよくわかんない。何せ可能性を収束するってことはそれ以外を排除するってことだからね。観測外のものは本当に並行世界として存在しているのか、空間と表現したこの場所は本当に空間なのか、私達は一体何を通して並行世界を観測しているのか、だからどれだけ正しそうな事を言ってもこれは仮説以外の何物でもない。自分たちを納得させるための落とし所を見つける作業に過ぎないの」
「ああ、あんたにわからないなら俺にもわからないが、たしかに納得はした。でも、夢のある話だとは思うよ」
ここが夢だけにってか。アホなこと言ってる自覚はあるし不謹慎だが、こんな状況で未知を楽しいと思えてしまうのは一人じゃないからかもしれない。
「でしょ!? やっぱり君実は科学者向きの性格してるんじゃないの? 今からでも勉強しない?」
「はは、さすがに生活に響くから遠慮するよ」
そう言うと何故かキョトンとした顔を向けられた。
「やっと笑った。ずっとしかめっ面してたから心配してたけど良かったよ。少しは安心できたんじゃない?」
「どうやってここから出るのかわからないのは変わってないから、安心というよりは余裕が生まれたってくらいだ。でも、ありがとう」
「ふへへ、どういたしましてー」
ほんと、彼女がいなかったらどうなってたか。いや最初は逃げ出したし、むしろいたせいでこういう衝突事故みたいなことになってるわけだが。本末転倒すぎるからこれは心のうちにしまっておくとしよう。
「この夢が難しい内容の上に出来上がってるのはわかったけど、結局どうすれば脱出できるんだ?」
「そりゃ夢なんだから起きれば覚めるでしょ」
雑だな!? 言われてみればたしかにそのとおりなんだが釈然としない。
「あるいは眠ればいいかもね。私達にとっての現実は今ここだから、オンゲーからログアウトするようにこの主観を切れば元の世界に戻れる。ふふ、結婚してるんだし一緒のベッドで寝る?」
「バカ言うな。そりゃこの世界の俺たちはそうなのかもしれないけど」
冗談を言う彼女の左手の薬指にも結婚指輪らしきものが嵌っている。この並行世界では幸せな生活をしているかもしれない両者だが、今ここにいるのは初対面の二人だ。同衾とか、慣れたように言うが俺には難しい。
「そういえばこれも聞いておきたい。今再現されているのは並行世界の俺たちの状況なんだよな? で、ここは夢だから身体を乗っ取ったりしてるわけでもないし、ここで何しても本人に影響はない」
「そうだね。その点においてここは自由だと思う。あ、そうだ」
素晴らしいことを思いついたかのように彼女は言う。
「どうせなら外、探検してみようよ! もしこれが現実時間にリンクしてるならあと数時間は起きないかもしれないし。よーし面白いものを一杯発見してみよー!」
この勢いに乗せられて俺は再び外へ出ることになった。あんな楽しそうに腕を引かれては否とは言い難く、未知を目の前に探究心を唆らせる彼女の顔は美しかった。