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夢のヘミスフィア  作者: カニぐま
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夢の中の出会い

「くそっ、畜生! 意味わかんねぇよ!」


 考えていた日付より更に2ヶ月も経っているという事実が心を折りに来る。その間の時間は!? 仕事はどうなった、生活費の支払いは!? 俺は寝ていたのか、それともあの瞬間からこれまでの記憶を失ったとか!?


 もう嫌だ、泣きそうだ。逃げ出した疲れと状況の不鮮明さが圧をかけてくる。これ絶対ストレスで白髪増えるやつだよ……俺が何したっていうんだ。もし考えていた通りの状況で社会的な信頼や保障が無くなっていたとしたら人間としてはマジで詰みだ。ホームレスまっ逆さかもしれない。それは嫌だ。何故か街も無人だし一人だけ異空間にでも置き去りにされた気分だ。


 それでも、それでも足を動かした。結局はあの女から逃げなければという思いが行動をシンプルにさせた。変わらず家を見つけるごとにインターホンを鳴らす。繰り返していけばいつかは誰か出てきてくれるだろうと信じて。


 しかし無情にも、その願いは虚しく断たれる。

 何度押しても、どこにも、誰もいない。通り掛かる人も、ゴミ出しに出る人も、車の音もしない。ただ環境音だけがさやさやと耳を打っている。孤独とはこんなに苦しいものだったろうか。いつも家に一人でいても大した感情は湧かなかったのに。それでも、顔は下げても前には進んだ。それ以外に方法がなかった。だけど、


「いてっ……何だ、壁? ……え、は? いや、おい、ちょっと待てよ。どういうことだよ……」


 歩き続けた先に果てがあった。それは透明な壁で目に見えず、触れることでようやく認識できるものだ。視線の先に道路は続いているのに、どうしてもこの先に進めない。


「おい、おいおいおいおい!? 本当に異空間だっていうのかよ!? ざっけんなよ現実はファンタジーじゃないんだぞくそっ!」


 認めない、認めたくないと壁に手を添えながら走った。どこかに穴があると信じて恥も外聞も無視して、壁に添うなら他人の家の塀もお構いなしに跨ぎ侵入して走り抜けた。だがどこまでいっても壁は終わらない。一体何件の家を通り過ぎたのかわからないほどに。


 しかし収穫はあった。この壁は円形状になっており真っ直ぐに走っているつもりでも少しずつ蛇行していた。恐らく円の4分の1くらいは移動したと思う。その途上で視界に常に入っていた自分が飛び出したマンションがまるで中心点のようだと直感的に理解した。ファンタジーやSF的なメタ思考でいうと自分が目覚めた場所こそが基点、みたいな。それこそ俺を逃さないためにあるような結界じゃないか。いつ俺は主人公になったというんだ。


「結局、あそこに戻らなきゃならないのかよ……」


 人肌恋しいというわけではないが、最早万策尽きたが故にこの異常事態でも会話できる誰かを求めていた。ここはあまりにも寂しすぎる。俺以外の誰かがいたのはあの場所……もしくはあの部屋にいた女だけが今コミュニケーションを取れる唯一の存在なのかもしれない。暫定自分を浚い、異空間に閉じ込める能力を使うという女を頼らなければならないと考えるほどに追い詰められている。これが相手の策略だったら完敗だ。思考を閉ざして盲目になる以外道がないのだから。


「少しでもまともな女で話し合いで解決できたらいいんだが」


 解決できたところでこの過ぎ去った時間をどうすればいいのかという問題もあるが……。進路をマンションに向けて移動中スーパーも見つけたが、やはり開いてはいるものの営業しておらず蛻の殻だった。客も店員もいないので適当に食べ物を持っていこうかと考えたが、異空間とはいえ凡人すぎる良識が働いて何も持ち出さなかった。臆病なだけかもしれない、笑ってくれ。


 復路は逃げ出したときよりも短い時間でマンションにたどり着いた。出た前と後で何かが変わってるという事もない静かなエントランスがある。これからこの異常の元凶に会うと考えると身がすくむ。だが臆してもいられなくなった、もう引き返す理由もない。深呼吸を2度ほどし足を進めてみる、のだが……オートロックに阻まれてしまった。なんというか、気合を入れたにしてはあまりに情けなさすぎないか。顔が熱くなりそうだ。


「ここで入力すればいいんだよな……」


 鍵は持たずに出てきたからパスワードを入れるしかないのだが、そのパスワードを知らない。大体の場合はアスタリスクの後に数字4桁とか聞いたことがある。適当に入力してみた、勿論反応なし。その時、俺がいた部屋に人がいたのなら他の階にも誰かいるのではないかと思いついた。マンションだけには人がいるのではないかという淡い思いつきだ。試しにと101、102……と部屋番号に該当しそうな数字をいくつも押して呼び出しをかけてみる。……当然の如く反応はない。ある種わかりきっていた結論なので気落ちはない。結局いるのはあの女だけということになる。


「9階の……部屋番いくつだったか……。3つか4つドアを通り過ぎた記憶はあるが」


 順に打っていけばヒットするだろう。打ち続ければ906でブツリと通話のつながった音がした。


『……はい、並木です』


 緊張する……相手は俺のことをどんな風に見ているのだろうか。逃げたのに自分から戻ってきたバカなやつとあざ笑っているのだろうか。


「さっき出ていった男の……望月です。出戻りしてきて何だって思うかもしれないけど、その、周りに誰も頼れそうな人がいなくって」


 そんな事を元凶に言ってどうすんだよと馬鹿な自分を叱咤するが、これ以上説明しようがない。


「ここに戻ってきたんだけど……鍵がないんだ。その、ロックを解除してほしいんだがお願いできないだろうか……」


 多分ここ数年で見たこと無いレベルで恥かいてる気がする。気狂いに酔ったままお前が犯人なんだろとか、俺を元の場所に戻せよとか叫び倒せばまだ楽だったのかもしれない。人前に出ると途端に対応が小市民化してしまうあたり自分の凡庸さが恨めしくなる。


『……え。自分から出てって入る方法知らないとか……ぷっ、ふふ』


 そうだよな、笑うよな。逃げた獲物が出戻ってきたらそりゃ笑うよ。

 だけど、女の笑い方は舌舐めずりして下卑たようなものではなく。


『ふ、ふふっ。あっはっはははは。ちょ、ちょっと、お腹いたいんだけどっ。あはははは!』


 思いもよらぬところからぶちかまされたギャグへのリアクションみたいな、陽気な女の笑い方だった。

 あーははひーひーとさんざん笑い倒してくれた後、開閉ボタンを押したのか自動ドアが開いた。


『はい、開けたよ。私も聞きたいことがあったから、戻ってきてくれて良かった』


 それだけ言って通話は切れた。聞きたいことってなんだ。むしろ俺のほうが聞きたいことだらけなんだが。それに誘拐犯にしてはどうにも反応がおかしい。


「あの女は、犯人じゃない?」


 実は彼女も被害者だった、とか? いやそれだったとしても疑問に残る対応の仕方だ。一体どうなってるんだ?

 あれこれと考えているうちに乗ったエレベーターは9階へとたどり着いた。906……ここだな。緊張でつばを飲み込みながらドアを開ける。玄関には誰もいないが、出ていったときと同じくリビングに気配がある。靴を脱いでそのドアを開けるとーー。


「うーん、やっぱり電源入ってるけど受信しないな。電波が飛んでなかったりするのかな」


 液晶テレビの頭をバンバン手のひらで叩くという頭の悪そうな行動をしてる女がいた。


「…………」

「あ、いらっしゃーい。それともおかえり? のほうが合ってるのかな。どっちがいい?」

「何で叩いてるんだ?」

「あら、スルー? 叩けば直るってのは割とテンプレじゃない」

「それは昭和の親世代の常識だろう……。少なくとも令和の今の家電には通用しない」

「む、そっかー。直ってくれれば儲けもんだったのにな」


 随分のんきな対応をする。それに見た目も誘拐をするような何かに狂った感じはしない。黒のブラウスにストレッチジーンズを履いた普通の女だ。さっきと違ってエプロンは脱いだらしく、身体のラインがよく見えてちょっとエロい。


「はい、そこ座って。起きてすぐ出てったから何も食べてないでしょ? 簡単に作っておいたからちゃちゃっと食べちゃって」

「……毒は入ってないだろうな」

「どうしてそんな反応になるのかわからないけどあんたは私を何だと思ってるんだ」


 実に心外だ、と唇を尖らせてプンスコしている。本当にこいつは違うのか? それとも俺がチョロいだけで簡単に絆されそうになっているだけか? とりあえず言われたとおりテーブルに座る。卓上にはスクランブルエッグとウィンナー、クロワッサンが2個といかにも洋風な朝食が鎮座している。


「はいコーヒー。ミルクと砂糖はいる?」

「あ、あぁ……いや、ブラックでいい」

「うい、どーぞ」


 甲高い切削音を立てたエスプレッソメーカーから抽出されたコーヒーを出された。一口含んでみるとコクが深く、スイーツみたいな甘みがある。コーヒー豆ってこんな甘いのがあるのかと驚いた。それを皮切りに朝食に手をつけ始めた。料理人の腕前が出るのはスクランブルエッグくらいしか無いだろうが、どれも美味く普通に食事が取れることに感動して涙が出る。


「うぅ……」

「え、そんな泣くほど美味かった? 参ったな、料理で泣く男の慰め方なんて2.2%の私しか知らね」

「そういうんじゃねえよ、じゃねえけど、涙が出ちまったんだ。仕方ねえだろ」


 涙を拭きながら言いつつ手早く口に含み、コーヒーで流して食事を終える。よくわからない発言を聞いた気がしたが、まずは。


「ごちそうさま、美味かった」

「お粗末さまでした。片付けるからチョット待っててね」


 女は攫っていった食器をさっと流して食洗機へと入れた。やたらと手慣れている動作で淀みがない。それだけすると彼女は対面に座って話をする体勢をとった。


「それじゃあ改めまして。私は並木佳苗、脳科学研で研究員やってます。あなたは?」

「望月望、ただのリーマンだ」


 初手で凄まじい身分格差を感じる。


「単刀直入に聞くが……お前が俺を攫ったのか?」

「おっと、これは思ったより現状を理解しておられない。むしろ私はあなたが巻き込んできたと思ったのだけど」


 そう言われお互いに首をかしげた。おい、なんでリアクションが同じなんだよ。


「現状ってのは、この異空間じみた場所に閉じ込められてる事を言うのか?」

「あ、それはわかってるんだ。ていうかそんな風になってるんだね」

「さっき外を走り回ってきたからな……あんたは何か知ってるのか?」

「あー、うん」


 肯定するとコイツはピンと指を立て、


「端的に言うと……これ、夢なんだよね」


 と、冗談みたいな本当の話を始めた。

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