16.最後の仕上げ
「だ、旦那様……!
かの国の援助を頼みに旗を揚げるとは、本気でございますか……!?」
「当然であろう! もはや他に道は無い!
……それとも貴様、これまでの恩も忘れ、儂に牢獄にも等しい僻地で干涸らびていけと申すつもりか!?」
「め、滅相もございません! で、ですが……!」
夜も更け、人目を忍ぶように〈麗紫商会〉を訪れたバシリア。
その、床を踏み抜かんばかりに怒気の籠もった足取りに縋るように、ナローティが付き従う。
「ならば、つべこべ言わずに儂に従え!
案ぜずとも、そうすればこれまで以上に儲けさせて――」
しわがれ声を張り上げ、目的の物があるナローティの私室に荒々しく踏み入ったバシリアは、そこで異常に気が付き、思わず立ち尽くす。
……部屋には、先客がいた。
開かれた窓の側で、壁に背を預けて立つ、黒装束の青年――レオだった。
「――久しぶりだな、ロクトール」
それは、窓から吹き込んだ夜風そのもののようだった。
静かで、確かな存在感を持つ、その冷ややかな声に撫でられて……バシリアたちは侵入者だと騒ぐのも忘れ、視線を釘付けにされる。
「どうした? 殺した人間のことなど覚えていないか?
……つれないな、この間会ったばかりでもあるのに」
「! まさ、か……レオノシス殿下――か?」
「……は!? で、殿下――ですと?
ま、まさか、そんな……!」
「亡霊でも見たような顔だな。
……生憎と、まだ生身なんだが」
薄闇を纏い、レオは唇の端を吊り上げる。
彼の言う通り、ナローティは顔面蒼白になっていたが……バシリアは何か思い当たるような節があるのか、さほど驚きはしなかった。
――どころか、さも愉快そうに笑い出す。
「なるほど、あのパーティーの折は、姫様ばかりに注意がいってしまったが……そうか、殿下であったか。
――ならば、納得もいくというもの」
「ほう……納得?」
「殿下は、幼少の頃よりご器用でございましたからな。
その上、稀代の錠前師ラフォードの教えを受けていたとも聞きます。
差し詰め、陛下に頼まれてここへ来られたのでしょうが……無駄足でしたな」
ちらりと、部屋の奥に鎮座しているあの鉄箱を意味ありげに見やり……バシリアは愉しげに両手を挙げた。
「驚異的な記憶力をもつ姫様が、あの鉄箱の披露の場にやって来たこと――それが何を意味するか分からぬ、このロクトールと思われたか?
殿下の――いえ、陛下のお探しの物なら、既にその箱から他の場所に移させましたぞ?」
朝の鬱憤を晴らすかのように、意趣返しとばかり勝ち誇った様子で語るバシリア。
しかし――レオはそれを微風とも感じていないらしく、表情一つ変えなかった。
「ああ……密約の誓書のことか? お前と、ゾンネ・パラスとの」
一言一言、相手の様子を窺いながら……ゆっくりとレオは言葉を紡ぐ。
そうして、そこまで言われても未だ得意げな様子を崩さないバシリアを――唐突に、彼は笑った。
「あはははっ!
本当に僕が、そんな物を探しているとでも?」
「……なに?」
「8年前。お前たちの手の者に捕まった後、一方的に死んだことにされて、王族から排除されたこの僕が……。
そのせいで、地を這い、泥を啜るような人生を歩まされてきた、この僕が。
本気で、子を子とも思わないその惨い仕打ちを忘れて……国に、そしてあの両親に協力するような真似をする――などと、思っているのか?」
冷め切った口調でそう言って、レオはなおも嗤った。
自分か、親か、バシリアたちか、それともそのすべてか――誰をとも名指しせず、ただただ昏く冷たく嘲笑った。
その冷気に当てられたように、バシリアからは急速に熱が引いていく。
そしてそんな彼が、質問を投げかけて自らを取り戻そうとするのを遮るように――レオは絶妙のタイミングで、懐から何かを取り出した。
月の光を受けて銀色に輝くそれを見て……バシリアは、文字通りに絶句する。
「僕が本当に求めていたのはこいつだよ。
これが何かは……言うまでもないよな?」
「ま、まさか――!
貴様が、それを……すり替えて……っ!」
レオの手の中の首飾りに視線を釘付けにしたまま、バシリアは喘ぎ喘ぎ、やっとそれだけを口にする。
……だがレオはそれに対し、フンと鼻で嗤うだけだった。
「さて、さすがに思考が止まってしまったようだから、僕から教えてやろうか。
――ロクトール。
もう、お前が密約の誓書を持ち出したところで、神聖帝国はお前を支援することは無いんだよ――決して」
「! な――何だと……!?」
「だって、そうだろう? 今、帝国が何より欲しがっているものは、こうして僕の手にあるわけだからな。
それに、死んだことにされているとはいえ、僕が継承権を持つ正式な王子であることに変わりはないんだ――帝国の支援を得れば、改めて王位に就くことも不可能じゃない。
そして帝国としても、そんな僕がいれば、このソフラムに介入するのも容易くなる――つまり」
レオは、首飾りを掲げながら……ニヤリと口元を歪ませた。
「ロクトール――お前は用済みなんだよ。
この首飾り一つ手に入れられないほどに無能で、そのくせ、色々な駆け引きをもって交渉に当たる、お前のような扱いにくい人間は。
そう……僕のように、お前より王位に近い場所にいる上に、国も親も恨み、すべてを帝国に売り渡すことにも躊躇しない――。
そんな、向こうからすれば扱いやすいことこの上ない人間がいれば……。
お前なんて必要ないどころか、邪魔なだけなのさ」
「ば、馬鹿な……そんな……!」
「おや? あの帝国が、何の役にも立たない小者を相手に、何の得にもならないのに、馬鹿正直に何十年も前に交わした密約を守ってくれるとでも?
それがいかに儚い望みかは、ロクトール、お前自身の行いに照らし合わせれば分かるだろう?
……まさか、自分だけは例外だなんて、そんなおめでたい考えは持ってないよな?」
愕然とするバシリアの顔は、まさに蒼白そのものだった。
だが、そこに残された僅かな血の気すら奪い取ろうとするように――レオはなおも告げる。
「実のところ、僕がこうしてここに来た理由は、帝国から、用済みになったお前たちの処理を一任されたからなんだが……」
言いながら、レオはバシリアたち2人の表情を確かめる。
そして――恐れ戦くその様子に満足したように、ニヤリと笑った。
「その表情――それを見て気が変わった。
僕の人生を狂わせたお前らだ、当然死を以て償わせるつもりでいたが……それじゃ手緩い。
そう……今、お前たちの胸にあるその絶望感。
それを抱えたまま、あらゆる権力から遠ざけられた僻地で――囚人のように、残りの余生を無為に虚しく過ごしてもらおうかな」
「お……お待ち下さい殿下! わ、私は、決して望んで……!」
せめて自分だけでも、と思ってのことか――。
立ち尽くすバシリアを押しのけんばかりに前に出、慌てて助けを乞おうとするナローティ。
レオはしかし、まるで耳を貸す様子もなく窓に向かって踵を返し――その途中、ふと、思い出したように肩越しに振り返った。
そして……
「――ああ、そうそう。
僕はお前たちを生かしてやることにしたが……帝国の他の人間がどうするかまでは、知ったことじゃない。
そして、お前たちは余計なことまで知る邪魔な存在だ――さっさと消してしまいたいと願う輩はさぞ多いだろう。
――忠告しておくが、帝国の暗殺者は、実に優秀で……かつ、執拗だぞ?
これからは、いつ、どこにいても……常に何者かの凶刃が狙っていることを、しっかりと覚えておくんだな」
2人を、更なる絶望に突き落とす言葉を残して――軽やかに窓から飛び出し、夜の闇へとその姿を消す。
力無く両膝を突いたバシリアにも、尻餅をついたナローティにも。
その跡を追う気力など、あるはずもなかった――。




