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梟の王子と鳩の王女  作者: 八刀皿 日音
Ⅰ章 央都の夜に、梟は黒い雪のごとく舞う
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 4.〈シロガネヤ〉の晩餐


 外の片付けを済ませたマールが、小さな居間に戻ると……。

 晩餐のテーブルには既に、簡素なスープと、ロウガの手土産の燻製肉を挟んだパン――という夕食が3人分、並べられていた。


「悪ぃレオ、俺の酒――」


 当然のように席に着いていたロウガが要求するより早く、レオが「ほら」と酒瓶を放って寄越す。


「この間お前が置いていったニガヨモギ酒(ベルモット)だ。

 ……人の家に堂々と自分用の酒をキープするな、まったく」


「そうは言ってもな……お前に合わせると、弱いか甘いかしかねえからなあ。

 ――ふむ。やっぱり今度、火酒のもっと強いヤツでも持ち込んでおくか」


 無骨な酒杯に無造作に酒を注ぎながらのロウガの楽しそうな発言に、レオは自分の席に着きながら首を振った。


「勝手に料理に使われても文句を言わないならな」


「……ち、わーったよ。

 嬢ちゃんが興味本位に呑んで目ェ回しても困るし、我慢するか」


「わ、わたし、勝手にお酒呑んだりしませんよ!?」


 男たちのやり取りを尻目に、そっと席に着いたつもりだったマールは……唐突に話を向けられて、慌てて手と首をぶんぶん振る。


「そうかい? 王侯貴族ってのは、幼い頃から酒宴や何やで呑み慣れてて、どいつも相当な酒豪ってイメージがあるんだがなあ」


 茶目っ気のある笑顔を浮かべながら、ロウガは杯を傾ける。

 ……出奔したマールはもちろんのこと、レオも当然ながら世間に対して出自は伏せているので、兄妹の生い立ちを知るのは、彼のようなごく近しい存在だけだ。


「僕を見ていれば、それがただの偏見だとすぐに分かりそうなものだが」


 眉をしかめつつレオが手にする杯に満たすのは、水差しから注いだただの冷水だ。


「まあ、お前はほれ、一種の落伍者だからな?」

「……くそったれめ」


 ふん、と鼻を鳴らしてレオは、燻製肉を挟んだパンをぞんざいに噛み千切った。


 空腹を堪え、兄を尊重すべく彼が食べ出すのを待っていたマールも、その動作を合図に、手を伸ばして大皿からパンを掴み取る。

 ――細かい行儀作法を取り払った食事というのも、さすがに今では慣れたものだった。


「それでロウガ。さっきの店先の騒ぎは何だったんだ?」


「ああ? なに、お前の店で盗みをやる馬鹿がいたもんでな。

 〈蒼龍団(ウチ)〉の縄張り(シマ)で勝手をやるってのがどういうことか、身体に教え込んでやってただけさ」


「……ふん、盗賊が盗人に説教かよ。良い冗談だ」


「言うねえ。俺としては、もっとキッチリ落とし前付けときたかったぐらいなんだが。

 ――しっかし……せっかくの肉なのにニガヨモギ酒じゃイマイチ合わねえなあ。

 やっぱり、赤葡萄酒(ワイン)の良いのぐらいは置いとくべきかねえ」


 兄とロウガのやり取りを見守りながら、木の実を囓るリスのように、しばらくは黙々と小さな口でパンを頬張っていたマールだが……。

 やがて、2人の会話が一段落したのを見計らい、ふと上目がちに向かいに座る兄に視線を向けて、口を開いた。


「そう言えば、兄様……。

 今も、ロウガさんが落伍者、なんて仰いましたけど……。

 8年前、亡くなられたという話が出てから、今まで……一体どうなさっていたのか、まだ教えて下さらないんですか?」


「――なんだレオ、お前、まだ嬢ちゃんに話してやってなかったのか?」


 囓った肉とパンを流し込むように豪快に酒杯を呷っていたロウガが、ちらりとレオの顔を窺う。

 ……当のレオは、眼帯の上あたりをこつこつと指で叩いていた。


 マールはともかく、それなりに付き合いの長いロウガは、彼のその仕草が、いまいち機嫌の良くない証拠だと知っている。


「どうして……市井(しせい)に紛れ、その……盗賊まで――」

「マール。お前はまだ、親父たちのことを敬愛している。そうだよな?」


 言いにくそうなマールの言葉を遮って、レオは厳しい声で質問を投げかける。


「……はい、もちろんです。

 今回、兄様のお誘いを受けて出奔したのも、その――お父様とお母様に悪い感情を持ったからではなくて、あくまでわたしの我が儘……ですから」


「これまでずっと何不自由のない生活をさせてくれたから?

 そしてそれは、惜しみなく愛情を注いでくれていたから?

 だから、敬愛を以て返す、と?

 ――もっともそのわりに、向こうは、お前の失踪に気付いていながら……身を案じて公表して大々的に捜索するどころか、何事も無かったようにすべてを伏せているみたいだけどな」


「それは、きっと、何かお考えがあって……」


 必死に両親を弁護しようとするマールを、悪感情を隠すこともなくレオは鼻で嗤う。


「そうだな、考えているだろうよ――末席とはいえ王女が失踪して体面が悪いとか、政略結婚の道具が1つ減ったとか……。

 あるいは、こうなったらいつぞやのようにしばらく黙っておいて、いずれ機を見て死んだことにでもするのが一番簡単だとか――そんな、くそったれなことをな」


「……兄様……」


「ともかく、お前が親父たちを擁護する立場でいる以上、僕が話すことはない。

 ……そもそも、わざわざ話してやることでもないしな」


 この話はこれで終わりだ、と言わんばかりに、レオは手にしていた杯を乱暴にテーブルに叩き置いた。


 しかし、「ごめんなさい」と小さくなって謝るマールの姿に、自分がつい熱くなりすぎてしまっていたことに気付いたのか――。

 気を鎮めるように新たに注いだ水を喉の奥に流し込み、一息吐いてから……先よりは幾分険の取れた声を妹にかける。


「僕のことなんて気にするヒマがあるなら、自分のこれからを心配しろ。

 何の考えも無しに、このままここで僕の世話になり続けるつもりなら――適当な男との縁談でも見繕って、追い出すからな」


「ふむ……嬢ちゃんは器量好しの看板娘ってことで、最近〈酒盗亭(ウチの店)〉の酔っぱらいどもにも結構な人気だからなあ。もう数年すりゃとびきりイイ女になる、ってよ。

 ――だがレオよお、お前……この間、妹を嫁にくれって申し出、バッサリ切り捨ててなかったか?」


 杯を高く掲げ、楽しげに口を挟むロウガに、レオは冷ややかな視線を向ける。


「当たり前だ。博打(バクチ)打ちなんかと姻戚になってたまるか。

 僕にまで借金の皺寄せが来たりしたら良い迷惑だろうが」


「……だとよ、聞いたか嬢ちゃん?

 こんな下町住まいの男なんざ、その博打打ちと五十歩百歩の連中がほとんどだ。

 お前が嫁に出されるまでは、まだまだ時間がかかりそうだな?」


「……はい」


 大口を開けて笑うロウガに釣られて、やや沈みがちだったマールも微笑む。

 その様子に、まったく、とひとりごちてレオは、パンの残りを頬張り、スープで強引に喉の奥へ流し込んでいた。


「それで――ロウガ。いい加減、今晩やって来たワケを話したらどうだ?

 まさか、手土産がてらメシを食うだけだったってこともないだろう?」


「ん? まあ、それが主だった理由だったりもするんだが――」


 レオに話の水を向けられたロウガは、相変わらずの陽気な調子で答えるが――しかしその表情は裏腹に引き締まり、真剣味を増していく。


「オヤジ殿からの言伝(ことづて)だ。

 先日の〈仕事〉のことで、お前も交えて直に話したいことがある、今夜店に来て欲しい――ってな」


「……マスターが? ヘマをしたつもりは無いんだが……」


「ああ、そうじゃない。〈仕事〉そのものは完璧だった。

 ただ、あのとき金庫で手に入れた帳簿、あれの内容に気になるところがあってな」


「……分かった。そっちが店を閉める頃合いでいいな?」


「おう、頼む」


 2人の〈仕事〉について、どんな口を差し挟む余地もないマールは、2人のやり取りを見守りつつ、ただただ黙って食事を続けていたが……。

 やおら一つの事を思い出し、「あ!」と声を上げた。


「そうだ兄様! さっきロウガさんより前にサヴィナさんも来て、兄様に頼みたいことがある、って言伝を受けたんですけど……」


「サヴィナが?

 何だ、娼館の裏口の錠前でも壊れたのか?」


「それが……伝えれば分かる、って。

 えっと……『秘密の場所に鍵を掛ける困ったお客さんが出た』そうなんですけど……」


 マールが、首を傾げながらサヴィナに言われた通りの文言を口にすると――。


 レオは、彼女が初めて見るほどあからさまに顔をしかめ……対してロウガは、手を打って椅子から転げ落ちそうなぐらいの大笑いを始めた。


「……くそったれ……。

 それで? 鍵を掛けられたのはサヴィナ本人か?」


「あ、いいえ、わたしのことじゃないから、って……」


 魂まで抜けそうなほどの盛大なため息をつくレオに、マールはさらなる困惑を顔に浮かべる。


「そうか。――まったく、それにしてもどこの変態だ、くそったれめ……!

 そんな連中は、片っ端から出入り禁止にでもしろってんだよ……!」


「ま、そうもいかねえわな。得てして、そういう特殊な趣味嗜好を持った連中の方が金払いがいいんだからなあ。くっくっく……!」


「他人事だと思いやがって……」


「何だよ? 鍵開けついでにタダで間近に拝めるんだから、役得ってモンだろ?」


「冗談じゃない。そのついでがてら、料金は身体で払う――とか言い出しやがって、金にならないかも知れないんだよ、このテの仕事は!……ったく、くそったれ……!」


 レオは大きく天井を仰ぐ。


「はっはっは! サヴィナの頼みとあっちゃ、無視するわけにもいかねえしなあ!

 ま、報酬については……ウチの縄張りのことでもあるしな、何なら俺から娼館の女将(マダム)に掛け合ってやるよ。

 ともかく、そういうことなら――取り敢えずこっちの用事は、その仕事が済んでからでいいぜ」


「ああ……頼む」


「……あの〜……それで結局、どういうお仕事なんですか?」


 片や項垂れる兄に、片や笑い続けるその友人という対照的な構図を見ながら、マールはおずおずと手を挙げた。

 兄のレオが、それに反応して顔を上げ、ぼそりと呟く。


「……お前……貞操帯、って知ってるか?」


「え? ていそうたい、ですか?……って――えっ、あの!?

 あ――じゃあ、まま、まさか!!」


 きょとんと考えるのも僅か――すぐに答えに思い至ったのか、顔を真っ赤にしたマールは自身の慌てぶりをそのままぶつけるように、テーブルを意味なくバシバシ叩く。


「そのまさかだ。

 ――おい、いい加減止めろ、テーブル壊す気か!」


 レオの一言にぴたりとその動きを止めるも、俯くマールの紅潮は治まらない。


「え、えっと、ってことは……つまり――!」


 動けない分、色々と妄想逞しくしているらしいマールの姿に、レオはまた大きなため息をつき……追い払うように手を振った。


「あー、もういい、余計なことは考えるな!

 このことはさっさと忘れてしまえ、いいな!?」

「は、はいぃ!!」


 返事こそ威勢がいいものの、まるで従う気配もなく目を泳がせるマール。

 そしてその様子に頬を引きつらせるレオ。


 そんな兄妹の姿がツボにはまったのか――ロウガはまた、手を打って大きく笑い始めた。




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