11.脱出
「……よう、どうだった?」
マールを背負い、サヴィナを抱き上げた状態ながら、軽々と通路をひた走っていたロウガは……後から追い付いてきたレオに、足を止めることなく尋ねる。
「上々だ。カマをかけてやったら良い反応をしてくれた」
「へえ? そいつはまた」
いかにも面白そうに、ロウガは喉の奥で笑った。
「ま、少なくともこれでヤツら、誰が侵入してきたかって見解で混乱はするわけだ」
「……何の話をしてるんだか知らないけど、それは置いておいて――」
ロウガに掴まったまま、その頬を軽くぴしゃんと叩いて――不満げにサヴィナは口を尖らせる。
「ちょーっと来るのが遅いんじゃない、2人とも?
マールちゃんが身を挺して時間稼いでくれなかったら、わたし、無償労働するところだったんだけど?」
「そいつぁ悪かったな。
これでも目一杯急いだんだが……ご覧の通り、逃げ道の確保に少々時間を取られちまってな」
言って、ロウガは顎で通路のあちこちを示す。
……よくよく見れば、隅の暗がりや柱の陰に、気を失って倒れる人影がちらほらとあった。
「……ま、何にしても2人とも無事で何よりだ。
嬢ちゃんも、良く頑張ったな」
「わ、わたしは、その、当然のことをしただけ、ですけど……。
それにしてもお二人とも、サヴィナさんが、自分がいれば居場所が分かるって言っていた通り……どうして、あの広間にわたしたちがいるって分かったんですか?」
背中から首を伸ばして問いかけるマールにロウガは、何で分からないんだ、とばかりに一瞬怪訝な顔をしたが……すぐに納得したらしく頷いた。
「なるほど、まあ、しばらく一緒に過ごしたら慣れもするか。
――香だよ」
「……お香? あっ――!」
「そう、そういうこと。
マールちゃんの鼻はすっかり慣れちゃってたみたいだけど……ほら、わたしみたいな仕事の人間は、職場自体もそうだけど、服にもお香を焚きしめたりしてるから。仕事用の服でなくても、その残り香が結構染みついてたりするのよね。
ましてやこんな、女っ気の無い神殿の敷地内とかになっちゃうと、娼婦御用達の甘いお香の香りだなんて、目立って仕方ないってわけ」
「それでも、あれだけ正確に匂いをたどるのはさすがに僕じゃ無理だ。
こいつの犬じみた鼻があってこそ、だな」
「……褒められた気がしねえんだが」
「気がしないだけだろ。ちゃんと褒めた」
一方的に言い放ち――レオは、走る速度を上げてロウガたちを追い抜き前に出る。
彼らを遮るように、前方に両開きの扉が立ちはだかっていたからだ。
速度を落とすことなく、滑り込んで鍵穴に取り付くと……レオはロウガが追い付いてくるまでのものの数秒の間に、鍵を開けて立ち上がる。
そして、ロウガと頷き合うと、扉を一気に大きく開け放った。
「――なっ……!?」
扉の外で警護していたらしい傭兵2人が、いきなり内側から開かれた扉に驚いて振り返るが――そのときには何もかもが遅かった。
1人は、女性2人を受け持ったままのロウガの飛び踵落としを頭に受け――。
そしてもう1人は、レオの腹部への肘打ちからの裏拳、首投げという流れるような連携攻撃を浴び、揃って助けを呼ぶ間もなく倒れる。
「……っと、さすがに騒がしくなってきやがったな」
背後、出てきたばかりの居住棟の奥をちらりと振り返って、ロウガは唇を舐める。
彼の言う通り、2人の不意を突いての襲撃による混乱からようやく立て直したのだろう――深夜の静寂を千々に乱して、通路の向こうからは怒号と足音が沸き立ち始めていた。
「これからどうするんですか?
気付かれたなら、まず真っ先に、1つしかない正門は封鎖されるでしょうし……」
「分かってる。だから、あれを使う」
マールのもっともな疑問に答え、レオが素早く指し示したのは――彼らがいる場所からすぐ側に建つ、厩舎だった。
「……え? 馬?」
続けての疑問は聞き流し、レオは、マールたちを降ろしたロウガと2人厩舎に入ると……すぐさま、それぞれが毛並みの良い立派な体躯の馬に乗って戻ってきた。
「よし、サヴィナ、お前はこっちだ。
――嬢ちゃんは兄貴の方な」
「はいはい、こっちね。
……あ、ロウガ、言っておくけど、どさくさ紛れに変な所触ったら、ちゃんと後で料金請求するからね?」
「おうよ。何なら、前払いしておくか?」
言って、ロウガはサヴィナを抱え上げ、前に乗せて後ろから手綱を握る。
マールも、一瞬躊躇ったあと、レオによって同じように前に乗せられていた。
「あ、あの、兄様!
実はわたし、兄様に言っておかなきゃいけないことが……!」
レオの腕の中で身を固くしていたマールが、唐突にそう言って顔を上げる。
「何だ、こんなときに」
「ずっと黙っていてごめんなさい……!
あのわたし、本当は、兄様の妹じゃなくて――!」
「! お前――知っていたのか。そうか……」
今のうちに、と意を決して打ち明けたマールの予想に反し……。
レオの反応は、一瞬驚きこそしたものの、静かなものだった。
「知っていた、ということは、兄様も……」
「知ってる――というか、知った。ほんの数時間前のことだが」
隠していたこと――捉えようによっては、騙していたともとれるその事実に、どんな対応をされるだろうと、覚悟はしていても身を固くするマール。
だがレオは怒るでも呆れるでもなく、いともあっさりとそれを受け流した。
「……で、だったら何なんだ?
嫁入り前の娘が、血の繋がった家族でもない男と相乗りなんざとんでもない、嫌だ降ろせ、とでも?」
「そ、そそそんなことないです! ないですけど……」
「なら気にするな。隠していた理由も今なら分からないでもないしな。
……大体、血の繋がりがどうだろうが、お前は僕の妹だろう」
事も無げに言って、レオはマールの返事も待たずに馬の腹を蹴った。
……馬はいななき、一方向を目指して走り始める。
「――はい」
振り落とされないよう姿勢を低くしてレオの腕にしがみつきながら、マールは小さく頷く。
そんな風にあっさりと言ってもらえることが、嬉しいような……どことなく、寂しくもあるような。
そんなどうにも落ち着かない、しかし不快ではない奇妙な感情が、胸の奥でぐるぐると回る。
しかし――それをゆっくりと噛みしめる余裕はなかった。
力強く地を蹴り、徐々に速度を増す馬が、手綱に導かれるその先が……。
そのまま空へと続いているかのような、断崖だったからだ。
「に、兄様っ!? そっち――崖! 崖ですっ!」
「そうだな。だが、ここを逆落としで突っ切るのが一番央都に近い。
〈聖柱祭〉が始まるまでもう時間が無いんだ、我慢しろ」
「が、我慢って、そういう問題じゃ……!」
「黙ってろ、舌を噛むぞ!」
歴戦の傭兵を相手にしても出ることのなかった、マールの黄色い悲鳴――。
馬のいななきに代わり、それをたなびかせて。
レオの操る馬は、木柵を跳び越え……絶壁かと見紛うばかりの急斜面へと、その身を躍らせるのだった。




