9.その姫君の剣は
ここが城砦だった頃には、兵士たちの訓練場として使われていた場所なのだろう――。
牢を出たマールたちが連れて来られたのは、小さな礼拝堂ぐらいの大きさはあるが、窓は見当たらず、装飾といえば剣や盾のような武具を模したものばかりという、無骨な広間だった。
現在はどういう用途の場所なのか、すぐ理解出来るようなものは特になかったが……見るからに昔のままの装飾などが残してあるあたり、案外同じように使われているのかも知れないとマールは思う。
神殿が独自に武装することは禁じられているが、神官が嗜みとして武術を磨くことまでは取り締まられてはいないからだ。
果たして――その予想が正しいことを裏付けるように。
部屋の隅に積まれた木箱の辺りでごそごそとやっていた傭兵は……金属製ながら刃のついていない訓練用の剣を幾振りか取り出し、その内の1つ、見るからに軽量な細身のものをマールの足下に放った。
「お姫様の細腕には、それでも重いかも知れんが」
「これで結構。
軽いのは、あなた方の言動だけで充分ですから」
細身の剣を拾い上げ、相変わらず強気の発言を返しながら……マールはそっと、周囲の様子を確認する。
彼女はサヴィナと2人、部屋の中央を挟んで、年配者から若者まで、総勢5人いる傭兵たちと向かい合っている。
出入り口はその中央、通路に面した扉が1つだけで……それも先程ここへ入った際、傭兵たちに施錠されたばかりだ。スキを突けば逃げ出せるのでは――という安易な目算は、さすがに諦めざるを得なかった。
もといた牢からは下層に降りてきていたので、窓のようなものがあればそこから、とも思っていたが……それも、男たちが持ってきた大きい角灯が唯一の明かりという部屋の様子からして、期待のしようもない。
「……マールちゃん……」
心配そうに自分を見つめるサヴィナに、細剣の具合を確かめていたマールは、大丈夫、とにこりと笑ってみせる。
「これでも、手に負えないお転婆だって、小さい頃から散々言われてたんですから」
本職の戦士を相手に、それはまさに空元気にしか聞こえなかったが……。
ここへ来るまでの間に、改めて「自分が」と男たちに主張しても受け入れられなかったサヴィナには、マールに、マール自身の安全も含めてすべてを任せるしかなかった。
だから、それを空元気だと不安がらず、敢えて笑い返してみせる。
「……そう。じゃあ、牢屋でのあの挑発、ああいうのもその頃から?」
「え? あ、あれは、そのー……。
この間、ご近所のおばさまとお話ししていて……」
改めて、自分が勢いで叩き付けた言葉を思い出して恥ずかしくなったのか、俯き加減に答えるマール。
得心がいったとばかりにサヴィナは、ああ、と頷く。
「まさに下町生活の弊害ってわけね。
……逞しくなった、とも言えるかも知れないけど」
「……無駄話はそれぐらいにして、さあ、さっさと始めようや、お姫様?」
広間全体が照らせるようにだろう、中央の壁際にある小さな台座のようなものの上に角灯を移動した男が、マールに呼びかける。
……牢に来て、直接マールの挑発を受けた、一番の若手らしい男だ。
「マールちゃん……無理はしないで」
「大丈夫です」
サヴィナの声を背に、完全に自分を見下した様子の男に向き直ると……。
マールは、いかにも運動には不向きな女物のサンダルを勢いよく脱ぎ捨てて裸足になり――さらに、これも動くには邪魔になりそうなエプロンドレスの長いスカートも、脚が見えるのも構わず歯を使って大きく縦に引き裂く。
かつて、屋敷の自分の部屋を脱け出すときにも同じようなことをしていたので、抵抗らしい抵抗もなく慣れたものだったが……さすがに本人以外は、その行動に少なからず驚いたようだった。
「さあ――どうぞ」
――細剣を片手で視線の高さまで持ち上げ、構えたままマールは告げる。
先の思い切った行動もそうだが、その威厳を帯びた声に、男もやや真剣さを取り戻したようだった。
あまりに舐めてかかると手痛いしっぺ返しを食うかも知れない、というぐらいにはマールの力量を見積もり直したらしい。
しかし――それでもまだまだ足りなかったのだということを、彼はわずか数分後には理解させられることになった。
「ンなっ……!」
それまで激しく続いていた剣戟の調べを、根こそぎ断ち切るような鋭い金属音とともに――銀色の光がふわりと舞い上がり、相対する2人から離れた場所に落ちる。
……男に攻め立てられ、防戦一方に見えたマールが――相手が無防備に剣を大きく振り上げる一瞬のスキを突き、自らの動きを合わせてそれをさらに打ち上げたのだ。
小柄で華奢な少女であっても、全身のバネを効果的に使い、その勢いをただ一点に迷い無く集中させた一撃は――。
相手の動きを利用した相乗効果もあって、男が瞬間、我を忘れるほどに呆気なく……彼の得物を手の中から弾き飛ばしていた。
「おい!」
観戦していた仲間からの声で、男はすぐに気を取り直すものの、既に遅く――。
マールは、剣に刃が付いていれば斬り落としてしまいかねない痛烈な一撃で男の手首を打ち据え、返す刀でその切っ先を、悶絶する男の首筋に突きつけた。
「……これで詰み。あなたの負けですね」
剣先で顎を持ち上げた男にそう言い放ち、改めて距離を取ってから……マールはゆっくりと大きく息をつく。
見た目からはまるで想像も出来ないマールの実力には、その場の誰もが驚かずにはいられなかった。
だが……ただの時間稼ぎなどではなく、多少なりと自信があるからこそこの手段を選んだ本人からすれば、これぐらいは当然の結果でしかない。
男たちは先に、彼女のそれを『手慰みの剣術』と軽んじたが――それはまさしく、王族の何たるかを知らない者の発言だった。
常に命を狙われる危険があり、そしてその死が時として国の大事に至る恐れもある以上、彼らが護身の一環として学ぶ剣術は、決して手慰みという程度ではありえないのだ。
もちろん、そうはいっても個人の向き不向きもあるし、教える側の力量というのも、実力の形成には大切な要素となる。
そしてマールの場合、特に後者が大きな役割を果たしていた。
単なる剣術師範ではなく、少年の頃より王に従って数々の実戦を経験してきた、本物の剣の達人であるアスパルがその任を受け持つ1人であったのだ。
加えてマールには、一瞬だけ見たものすら完全に記憶する〈鳩の目〉がある。
当然、見て覚えたからといって、達人の技をすぐに真似出来るわけもないが……その精緻なイメージが頭の中にあるというだけで、やはり本人の動きにも違いは出てくるものであるし――。
さらに、実際に戦う中で、相手のクセやスキを見出すのにも、『一度見た動きは確実に覚える』というのは、上手く使えば役に立つ。
そんな彼女にとって、今さら傭兵ゆえの実戦形式の剣――などという看板は臆するに値せず、ましてや、たかが世間知らずの小娘と舐めてかかっている相手である。
負ける理由など何一つ無い。
――だが、そうして確実にあしらえるのも1人目までだということぐらい、彼女は分かっていた。
挑発で相手のペースを崩し、さらに舐めてかかってきたところを返り討ちにする……そんな不意打ちのような手はこれ以上通用しない、実力勝負はここからだと。
そしてそうなれば――単純な身体能力の面から見ても、さすがに不利になるのは自分だということを。
(……とにかく、1人でも多く倒して、少しでも長く時間を稼がなきゃ……!)
決意を新たに、改めて大きく深呼吸すると……。
マールは、額に浮いた汗をそっと拭った。




