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梟の王子と鳩の王女  作者: 八刀皿 日音
Ⅰ章 央都の夜に、梟は黒い雪のごとく舞う
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 3.地回りの若狼


「――あ、いらっしゃいませっ」


 サヴィナが去ってすぐ、考え込む間もなく、新しく訪れた客の対応に追われるマール。


 やがて、それも一段落つき……。

 また椅子に戻って腰掛けた彼女の頭を()ぎるのは、兄への不可解な言伝の謎ではなく――サヴィナが去り際に残していった『仕事』という単語だった。


(仕事、か……)


 また別の客が店先に集まり始めていたが、特に声をかけてくるわけでもなかったので、マールは少しばかり物思いに耽る。


(とにかく、兄様のもとを離れる覚悟は決めないと……このままじゃ、いずれ……)


 自らの膝に頬杖を突き、遠くを見るような目でぼーっとするマール。


 しかしそうかと思うと、彼女は――1人の客が立ち去ろうとするのを何気なく見送りざま、慌てて勢い良く立ち上がった。



「――待ちなさい!」



 反射的に発した彼女の一声に、彼女が対象としていた客のみならず、店の前を通りがかっていた通行人までもが一様(いちよう)にびくりと立ち止まる。


 特別大声だったから、というわけではない。

 彼女自身は意識していなかったが……その凛と透き通った声に、幼少より培われた、無関係の人間でさえつい居住まいを正してしまうような、王族としての気品と威厳が滲み出ていたからだ。


「ああ? な、なんだよ……」


 酒が入っているのだろう、マールが呼び止めた赤ら顔のその若い男は、落ち着きのない胡乱(うろん)な目をマールに向けた。


「盗ったもの、返して下さい。そこの指輪、2つ」


 臆することなく毅然と言い放つマールは、露店の棚の端に置かれた、丸い籠を指差す。


 そこには、大きな細工物に使った金属の余りなどで作られた、装飾らしい装飾もない簡素な指輪がいっぱいに入れられていた。

 素材を無駄にしないための粗雑な安物だが、自分で手を加える楽しみもあると意外に人気がある、立派な売り物だ。


「俺が盗ったってのか? これを?

 盗る瞬間を見たのかよ、嬢ちゃん」


「いえ、見てません」


 あまりにあっさりとした否定に、男は一瞬呆けたが……その反動か、どこか探るようだったこれまでの様子を一変させ、怒りも露わにマールに詰め寄る。


「見てねえってのに俺が盗ったとか言いやがるのか? おい!」

「はい。減ってますから。数」


 負けじと眉根を寄せながらも、努めて冷静に答えるマール。


 言われた男は改めて籠を見下ろすが、中には両手どころか両足を使っても数え切れないほどの、しかもどれも似たような銀色の輪っかが、うずたかく乱雑に盛られているだけで……在庫を数えるための印のようなものは一切見当たらない。


「数が減ってるだと? 分かンのかよ、これで!」

「覚えてますから。あなたが帰る前には、ここ、見える分で37個あったはずが、今は35個しかありません。

 ……そう、ちょうど……こことここにあったはずの2個が無いんです」


 マールは籠の端の方を指差す。

 目で追った男は一瞬顔色を変えたが、すぐに強気を取り戻して大声を張り上げた。


「こんなモン、覚えてられるわけねえだろうが! 適当なこと言いやがると――!」

「わたし、適当も嘘も言ってません。事実です。だから、返して下さい」


「てンめぇ――!」


「おーおー、この嬢ちゃんがそう言うなら、そうに間違いねえんだろうさ」


 赤ら顔をさらに赤くして、ついに振り上げられた男の腕を――そんな言葉を発した誰かが、後ろから引っ掴んだ。


 それで、ひしめいていた野次馬は何かに気付いたらしい――。

 驚いたように、慌ててざあっと引き潮のごとく距離を取る。


 その中心にいた張本人の青年は……男の腕を掴んだまま、悠々と2人の間に割って入った。


 いかにも堅気(カタギ)ではないと分かる威圧感を伴う――お世辞にも品が良いとは言えない派手めの服を着崩した、顔立ちや肌の色からして一目で異邦人と分かるその男は……。

 マールも、兄レオの『相棒』として認識している、東国人のロウガだった。


「……ロウガさん」


「嬢ちゃん。一応、もう1回確認するぜ。

 ……間違いないんだな?」


 掴まれた腕を離そうと躍起になる男の抵抗を、さして大柄でもなく、体格にも違いがないはずのロウガはしかし涼やかな表情で抑え込んだまま、マールを振り返る。


 そして、マールがしっかりと頷くのを見て取ると……改めて、暴れる男にニヤリと笑いかけた。


「くっそ、離しやがれ! てめえにゃ関係ねえだろうが……!」


「そうでもねえのさ。

 縄張り(シマ)での好き勝手を許したんじゃあ、ウチの沽券に関わる」


 ロウガは手を離しざま、爪先で鋭く男の鳩尾(みぞおち)を蹴り上げる。

 そして、たまらずくの字になったその体を、さらに間髪容れずに店先から表に蹴り出した。


 みっともなく地面に転がり、激しく咳き込む男……その耳に、取り囲む野次馬たちの囁き声が響いてくる。

 それは――着崩した外套の懐に無造作に手を突っ込み、猛獣のような眼で彼を威圧しながら近付いてくる青年の正体を告げていた。


「え……。

 あ、あんたが……あの……ロウガ……!?」


「さて、どうする。

 盗った物、死ぬ前に返すか、死んでから返すか――好きな方を選びな」


 さっきまでの強気もどこへやら――。

 ロウガの恫喝に顔面蒼白になった男は、震える手で懐を探ると、マールが言った通りの2つの指輪を取り出して捧げ持ち、地べたに這いずったまま、何度も頭を下げて哀願する。


「す――すいません、すいません!

 ほんの出来心なんです、どうか、どうか許して……!」


 男の手から指輪を取り上げたロウガは、店を出てきていた不安げな顔のマールにそれを手渡し、改めて男を見下ろした。


「あ、あの……ロウガさん。

 売り物も返ってきましたし……もう、それぐらいで赦してあげて下さい」


 そんなマールの頼みを聞いているのかいないのか――ロウガは無言で、男に手を差し延べる。

 そして、やや躊躇った後、その手を取った男を、引っ張り上げて立たせてやった。


「あ、ありがとうござ――!」

「甘えンな」


 礼を言いかけていた男の言葉が、途中から悲鳴に変わる。


 ……ロウガが離した男の手――その人差し指は、手の甲へ付くほどに反り返っていた。


「ロ、ロウガさんっ!?」


「この嬢ちゃんに感謝するんだな。

 さっきの一言がなきゃ、指じゃなく腕一本のところだったぜ?」


 ドスの利いた声で告げ、失せろと顎を振るロウガ。


 男は嗚咽を漏らしながら、人混みに逃げ込むように立ち去り……それに合わせて野次馬も、三々五々にその場から()けていく。


「ロウガさん、やりすぎです……! ほんの出来心だ、って――」

「なお悪い。食うや食わずで命がけで手を汚す方が、よっぽどマシだ」


 振り返ったロウガの冷徹な視線――。

 ただその一瞥に、先に男の剣幕を間近にしてもまるで怯まなかったマールが、びくりと身を竦ませる。


「仁義に(もと)る行いには、相応の報いを――。

 それが、ここら一帯を取り仕切る俺たち、地回り衆〈蒼龍団(ザフィル・ドラグ)〉の掟だ。

 ちゃんと譲歩はしてやったんだ、これ以上は何も知らないガキが口を出すことじゃねえ――黙ってろ」


「っ……ごめんなさい……」


 マールは素直に頭を下げる。

 まったく異論が無いわけではなかったが、世間知らずを引き合いに出されては、彼女は黙るしかなかった。


「――おう。

 それで嬢ちゃんよ、レオの奴はいるか?」


「あ……えと、兄様なら――」


 言って、マールが店の方を振り返るのと、母屋のドアから左目に眼帯をした顔がひょっこりと現れたのは、ほぼ同時だった。


「おいマール、一体何の騒ぎ――って」


 マールを探して動いていた視線が、ロウガの姿を認めた時点で――レオの表情は露骨に迷惑そうに歪んだ。


「おいおいレオ、何だよ、その『しまった』って言わんばかりの顔は」


「……まさにそう思ってるんだよ。

 お前自らわざわざ出向いてくるなんて、厄介事に決まってる」


 そう口を尖らせながらも、レオはロウガを迎え入れるようにドアを大きく開く。


「ま、そう邪険にするなって。ちゃんと手土産も持ってきてやったんだ」


 先に泥棒の男に向けたものとはまるで別の、三枚目然とした気安げな笑みを浮かべながら、ロウガは外套の裏側に吊り下げていた藁束(わらたば)を取り出してみせる。

 ……藁に包まれているのは、どうやら燻製肉らしかった。


「日持ちはあまりしないが、柔らかくなるように仕上げてあるやつだ。

 ……晩飯、まだだろ? パンで挟むと美味いぜ?」


「知ってるよ。

 ――マール、今日はもう店じまいだ。僕は夕食の用意をするから、その間に片付けておいてくれ」


「あ、はいっ!」


 首を竦めながら、母屋へ戻るレオ。

 ロウガも、勝手知ったる他人の家とばかりに、遠慮無くその後に続く。


「……料理も勉強しておくんだったなあ……」


 後に残されたマールは、自分と兄の役割分担があべこべじゃないだろうか、と不満に思いながらも……。

 力仕事のために腕まくり一つ、気合いを入れて言われた通り、商品を片付け始めた。




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[一言] レオとマールの能力をさり気なく読者に開示する手法、お見事です!
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