17.再会
「…………。
レオ、お前のその推測は正しいんだろうよ。充分な説得力がある」
マールについてのレオの推測を聞いたロウガは、一度頷くものの……。
すぐさま、険しい表情で小さく首を振る。
「だが――理由が分からん。
……言っちゃなんだが、嫡子ならともかく、継承権もない末の王女を、替え玉を使ってまで存続させる理由なんてないはずだろう?」
レオもその疑問に対し、しばらくロウガと同じような難しい顔で押し黙っていたが……。
やがて何かに思い至ったのか、ぽつりと一言――逆かも知れない、と呟いた。
「……逆?」
「もう、ずっと昔のことだ……マールを身籠もった母上が僕に話してくれたことがある。
――自分を姉のように慕ってくれた大事な人にも、もうすぐ子供が産まれるのだと……そう、本当に嬉しそうに」
「お前そんな昔の話、よく覚えてるな。
1回見たら忘れないって、あの嬢ちゃんならともかく」
呆れたようなロウガの物言いに、レオは片頬を少し歪めた。
「母上と会える機会なんてそうはなかったからな……必死だったのさ、出来るだけ一緒にいる間のことを覚えておこうって。
……それに、弟か妹が出来るかも知れないって聞いて、嬉しいやら驚くやら、子供心に衝撃を受けたときの話だ。さすがに印象深い」
「なるほど。まあ、そういうもんか……」
ロウガは曖昧に頷く。
理屈としては分かっても、物心つく前からオヅノに拾われ、母親の記憶など欠片もない彼にとっては、共感までは出来ない話だった。
「――ともかく、だ。
母上はソフラムに嫁いでくる前、皇国にいた頃、皇女の教育係をしていたことがあるらしい。
もし、その皇女が、母上と同時期に子供を身籠もっていた、〈大事な人〉だとするなら――」
「だが、皇国の皇族はゾンネ・パラス侵攻の際、処断されたはず。
……つまりだレオ、お前は……そのとき生き残った赤ん坊を秘密裡に引き取るために、テオドラ様が、死んだ自分の娘――本物の第七王女マールツィアの替え玉に仕立て上げたと、そう言いたいのか?」
「……かねてからの友好国ならともかく――国交改善を成したとはいえ、旧来の大貴族からは『裏切り者』と見られていた国の皇族の、最後の生き残りだ。
下級貴族出身だった母上の輿入れすら歓迎されたわけではないのに、そんな曰く付きの人間を、表立って王族の一員として養子に迎えたりすれば――ソフラムの国益を害するのではないかと、問題にされるのは目に見えている。
――引き取るなら、何らかの偽装が必須というわけだ」
レオの説を受け、ロウガは小さく膝を打つ。
「そうか……! だから奴らは、生き証人そのものである嬢ちゃんを捕らえようと必死に捜していたのか……!
それだけの問題になる人間を、王女と偽って育てていたとなれば、宮廷内で非難が出るのは間違いない。
――奴らはそれを、皇国出身者のテオドラ様の企みとして、秘していたのはあるいは叛意があるからだとでも責め立てるつもりなんだな」
「都合良く――というか、野には皇国再興を唱えて狼藉を働く連中がいるわけだからな。
母上とそいつらに結びつきがあって、王家を隠れ蓑に、その再起の旗印にするために皇女を育てた――という筋書きにすれば説得力は高い。
……マール本人を、『〈聖柱祭〉までに』捜し出したがっていたのもそのせいだ。
監禁なりして〈聖柱祭〉に出席させなければ、当然追及の話が出るはずだが……その日は同時に皇国再興を掲げる過激派連中にとっても、滅亡した祖国に祈りを捧げる大切な日になっている。
姿を消して、再起の旗印としてそちらの集会に現れたという話を付け加えれば、母上が叛意を持っているという説はより信憑性を増すだろう。
――加えて、本物の王女の死だ。
時期から考えれば、こっちは死産だったんだろうが……それを、計画のために自ら手を掛けたのだということにしてしまえば、罪のさらなる上塗りも出来る」
「……で、そうなれば、陛下は――実際、無関係のはずはないだろうが、バシリア卿たちが影響の大きさを考慮してその事実を隠したとしても……。
毒婦の奸計を見過ごしたとして、奴らの望み通り求心力を失い――逆に、その奸計を未然に防いだバシリア卿の影響力がいや増すと、そういうわけか……」
ようやく得心がいった、とばかりの口調のロウガだが、その表情は厳しい。
反吐が出る、とでも言いたげだ。
「しかし俺が分からないのは、そうした政敵の攻撃材料となる危険性があるのは事前に充分承知していたろうに……あの嬢ちゃんを、適当な家臣やら町人やらに預けず、わざわざ王女として身近に置いたことだ。
テオドラ様はともかく、陛下にはそうするだけの理由が見当たらん――まさか、妻の頼みだからってだけでもあるまいに。
――ってことで、なあ、おい?
そこのところどうなのか、この際だからきっちり教えちゃくれねえか?」
いきなりそう声を荒げてロウガは、〈シロガネヤ〉と隣家の境――細工物用の鉱石が詰まった木箱が積み上げられている方へ首を向ける。
何のことかと驚いてレオが立ち上がるのと、その木箱の陰から旅の傭兵のような服装をした男が姿を現したのは……ほぼ同時だった。
「良く気付いたな。……いつからだ?」
フードで顔を隠した男の問いに、ロウガはおどけて肩を竦めた。
「ずっと前から――と、言いたいところだが……。
あいにくと話の内容に驚いちまってたせいで、気付いたのはついさっきさ――辺り一帯、すっかり手練れに囲まれちまっていることにもな。
……いやあ、俺もまだまだ修行が足らんねえ」
「……なるほど。
気付くのが遅れたのは事実らしいが……修行不足、というのは謙遜と受け取ろうか」
「お前は……!」
キッと睨み付けるレオ。
その前に進み出ると――簡素に礼をし、男はフードを外す。
「周囲の目もありますので、略礼をお許し下さい」
「……アスパル……!」
「お久しぶりでございます、殿下。
――よく……よく、ご無事で……!」
その胸に、どれほどの想いが過ぎっているのか――。
涙こそ流さないものの、レオを真っ直ぐに見据えるその瞳は、揺れているようにすら見えた。
しかし反対にレオは……険しい表情を固く崩すことなく、冷めた口調で応じる。
「良くここを見つけたものだ。――今さら、だが」
「いえ、むしろ見つけたのは私でなくユニアだと言えましょう。
殿下が生きておられるとして、バシリア卿らと繋がっている可能性を考慮し、ナローティのもとへ探りを入れてもらった際……。
彼が、入れ揚げている娼婦に付けた貞操帯の鍵を外された話を聞き、その張本人と殿下を結び付けて考えたのは、他ならない彼女ですので。
……あくまで私はその線で捜索を続け、ここに至ったに過ぎません」
「……なるほど、姉上か……。
だが、そのきっかけになる疑いを抱いたのはお前なんだろう?
――やはりあのとき、急場を凌ぐためとはいえ、お前の名を呼んだのはマズかったってわけだ」
火に包まれたオルシニの屋敷を抜け出した後、アスパルに追われたときのことを思い返し――レオは苦い顔をする。
「で……今さら僕に何の用だ?
まさか、ナローティの真似をして姉上に余計な物を付けたら外れなくなったから何とかして欲しい……なんてわけじゃないだろう?」
歪に嗤うレオの下卑た冗談にも顔色を変えることなく、アスパルは静かながら力強い口調で答える。
「殿下をお迎えに上がりました。
陛下が王宮にてお待ちでございます。なにとぞ、ご同行いただきたく――」
「嫌だと言ったら?」
「本意ではございませんが、あるいは力ずくでも。
……我らだけで、そこの者を抑えきれるかは分かりませんが」
アスパルはちらりと傍らのロウガを見やる。
……一方ロウガはロウガで、不敵に笑いながら愉しげに口笛を吹いていた。
「さすが、宮仕えは口が巧いねえ。
アスパルだったか、アンタほどの手練れだけで充分厄介だってのに――他に加勢がつくとなると、さしもの俺サマも分が悪いってもんだが」
「――ということだそうですが、殿下?」
暗に抵抗は無駄だと釘を刺し、改めて自らの提案への同意を求めるアスパル。
だがレオは、落ち着き払った様子で鼻を鳴らした。
「分が悪いってだけで、勝てないとは言ってないだろう? コイツは。
……それに、僕もいるってことを忘れてないだろうな?」
「では、殿下……あくまでご承知いただけないと?」
「――くどい。
今さら、こっちからわざわざ会いに行ってやる義理なんてあるもんかよ。
帰って親父に伝えろ――偉そうに玉座でふんぞり返って待ってるんじゃねえ、会いたいって言うんなら自分からこっちに来いってな……!」
ふつふつと沸き上がる苛立ちをそのままに、レオは地面に唾を吐き捨てる。
「……そうですか。
実のところ、こうなるのではないかと予感はしておりましたが……致し方ありません」
張り詰める空気の中、それでも余裕を持って小さくため息をついたアスパルは――。
しかし次の瞬間には、武人そのものの気迫を纏って……ゆっくりと腰の長剣に手をかける。
応じるように、レオとロウガもやや腰を落とした――その瞬間。
一触即発の空気とはまるで無関係に……祭りを前に賑わっていた雑踏から、酔っ払いらしき年老いた男が1人、ふらふらと3人の間に割って入ってきた。
思いがけない闖入者に水を差された3人が、やや間を外して見守る中……その男はさっきまでレオが座っていた樽にどっかと腰を下ろすと、持っていた酒瓶を豪快にぐいと傾ける。
そして――悪戯をした子供が無邪気に得意がっているような顔を、レオに向けた。
「言われた通り、直接来てやったぞ。これで満足か?」
「――?……あ!? アンタは、まさか……っ!」
「へ、陛下――っ!?」
文字通り絶句するアスパルが、辛うじて絞り出したその一言に……。
ロウガはもちろん、頼りになる記憶も無く、まさかと疑っていたレオも――ただただ目を丸くした。
――するしか、なかった。




