16.七処女の末の真実
――ふと気付けば、居間から見える窓の外は、すっかり夜の帳が降りていた。
ただでさえ、ここ細工物屋〈シロガネヤ〉前の通りは、陽が落ちてから特に賑わいだす場所だというのに、今夜は〈聖柱祭〉前夜だ。
さぞかし盛り上がるだろうと、我知らず口元に笑みを浮かべながらニガヨモギ酒を酒杯に注ごうとして……ロウガは、瓶がすっかり空になっていることを思い出す。
「しまった。新しく葡萄酒でも持ち込んでおくんだったな……」
「……だから、他人の家に勝手に自分用の酒をキープするなって言ってるだろ」
名残惜しげに、ロウガが酒杯の上で逆さにした瓶を振っていると……。
奥の工房に繋がるドアから、早速の苦言とともにレオが姿を現した。
「なんだよ、家主は俺じゃねえか」
「店子だろうと、家賃ならきっちり払ってやってるんだ――そんな横暴が罷り通ってたまるか、くそったれ」
一度キッチンの方へ入ったレオは、瓶を1本手にして戻ってきた。
そして、それをロウガに投げ渡す。
「そいつで我慢しろ」
「食後用の甘口か。
……いやいや、確認しただけだ、文句言ってるんじゃねえって」
向かいに腰掛けたレオの視線が厳しくなったのに気付き、慌てて愛想良く手を振りながら、ロウガは栓を抜いて、渡された葡萄酒を酒杯に注いだ。
「――お前は?」
「僕はいい。向こうで水を飲んできた」
答えてレオは、テーブルの陶製の丸い器の中からいつもの固飴を取り出し、口に放り込む。
「……しかし、さすがにもう嬢ちゃんも戻ってきてると思ってんだが……」
「あのドレス、1人じゃ着替えに難があるし、僕は僕で合鍵を作るのに集中したかったからな。
あいつは昨夜から、もう1回サヴィナの所に置いてもらって……そのままだ」
「何だよ、着替えぐらいお前が手伝ってやれば良かっただろうに」
「……あのな。言っちゃなんだが、僕も昔は手伝われる側だったんだぞ?
ましてや、ドレスの着付けなんて分かるわけないだろ」
ため息混じりにレオが反論すると、ロウガはニヤリと下品に笑って返した。
「何言ってやがる、脱がすだけなら男一人でも大丈夫だろ?
でなきゃ、大問題だもんな?」
「……溜まってるなら娼館行って来い。
もっとも、あいにくとサヴィナは今日は休みのはずだけどな」
「――そいつぁ残念だ。
この間フラれた分、取り戻そうとも思ったんだがなあ」
酒杯をかざして、ひとしきり大袈裟に首を左右に振るロウガ。
そうして……
「ま、そいつはさておき。
……出来たのか? 例の合鍵」
改めてそう本題に入ると、ようやくか、とばかりに首を竦めつつ……レオはポケットから出した銀白色の鍵を、テーブルの中央に置いた。
「……ほー、これはこれは……まるで櫛か刷毛だな」
鍵の形状を見たロウガが、感心しきりといった風で素直な感想を漏らす。
まさしく彼の表現通り――鍵の先端は、良く出来た櫛の歯どころか、刷毛をすら思わせる細く細やかな形に整えられていた。
その上さらに目を凝らせば、それぞれが微妙な角度で曲線を描いていたり、幅が一定でないことも分かる。
「これ、歯の数とか合ってるのか?」
「それはマール次第だ。
……まあ、鉛を使って軟らかさをもたせてあるし、いざとなれば現場でも多少の調整はかけられるけどな」
「ふーむ……どちらにせよ大したモンだな。お前も、嬢ちゃんも」
「マールは……まあ確かにそうだが、僕の方は別に大した仕事をしたわけじゃない。
正確な絵図面があるんだから、一端の職人ならこれぐらい作れるさ。
……むしろ、直に錠を見た経験をもとに、ある程度まで前もって形を整えて準備していたにもかかわらず、完成に丸一日かかったんだから……まだまだ未熟だって方が正しい」
しかめっ面でそう言って、レオはまた固飴を口に放り込んだ。
「謙遜を。一国の王子サマの工作としちゃ上出来だろ。
……いや、『鍵』ってのは往々にして、権力の象徴と見なされるんだっけか。
なら、王族が作れるのはある意味当然なのかね」
「あいにく、鍵は鍵でも、僕は開く扉を失ったガラクタだけどな。
――で、それはともかく、今夜にも早速仕掛けるのか?」
「……そうさなあ……。
警備の面で言えば、〈聖柱祭〉本番に気を取られる明日の方が容易いだろうが……」
酒杯を弄びながら、ふーむと唸るロウガ。
だがその時間も僅か――彼は答えを出す前に、何かに気付いたらしく玄関の方へ鋭く視線を飛ばす。
――ややあって、ドアが強めにノックされた。
「……誰だ?」
「マシラです、レオさん!」
誰何に答えた覚えのある声に、席を立ったレオはドアを開けてやる。
玄関に立っていたのは、よほど急いでいたのか、荒い息を吐く旅装束の青年だ。
「何だぁ、マシラ……。
お前確か、ドウジのおやっさんと情報収集に出てたはずじゃなかったか?」
「そのおやっさんから頼まれたんですよ、若。
親方とレオさんに、急いでこれを届けろって、尻蹴っ飛ばされて」
額に浮かぶ汗を拭って、マシラは荷物の中から取り出した紙片をレオに渡す。
そして――自分たちが仕入れた、アドラ盆地の義勇兵と墓石の話を、綺麗に要約して話して聞かせた。
「じゃあ、これが、ドウジのおやっさんが何かに気付いたって碑文の写しか。
……ふむ……?」
横合いから、レオが手もとで広げた紙片を覗き込むロウガ。
一方マシラは、「親方にも届けなきゃいけませんから」と一礼だけを残し……通りの人々の間を器用に縫って、素速く駆け去っていった。
「こいつは……誰かの詩か?」
「――300年ほど前の詩人、カツルスの初期の作品の一部だな。
確か、故郷で暴虐を尽くしていた海賊に勇敢に戦いを挑み、若くして命を落とした友人に捧げた詩――だったか。
しかし……『母よ、水にあれ』……か。
確かこの部分、『水』にするか『海』にするかで、カツルス本人が随分と悩んだらしく……世に広く伝わるのは『海』の方だが、実は『水』の形で残されてる写本も少なくなく、そちらこそが正しいと訴える識者もいるという話で……。
つまりは、そうした識者が碑文に関わってたってことか……?」
――玄関先で佇んだまま、じっと紙片に目を凝らすレオ。
意識を集中する彼には、祭りを前にしての通りの賑やかさも、どこからか聞こえてくる陽気な奏楽も、まったく別の世界のことでしかない。
そうして、隔離されたような時間の中で、マシラから聞いたばかりの話も含めて思考を巡らせていた彼は――。
やがて、目をきっと見開き……「まさか」と、乾いた呟きを絞り出した。
「何だ、何か分かったか?」
……ロウガの問いにも、レオはすぐには応えることが出来なかった。
見つけだした答えと、そこから伸びた糸が、これまで得てきた情報を繋ぎ導くその果て――真実と思しきものの意外さに、しばし言葉を忘れる。
「……おい、レオ? 呆けるなよ、おい!」
「あ、ああ……悪い、大丈夫だ。
ただ……さすがに驚いて」
レオは、我知らず額に浮いていた汗を拭うと……。
夜風に当たったままでいたいと思い、家の中には戻らずに、玄関脇に置いていた樽の上に力無く腰掛ける。
そして――立ったまま見下ろしてくるロウガに、紙片を差し出した。
――母よ、水にあれ。想い出よ、自由たれ。
その青玉を目印に、さらばと――
七処女の末、頭に冠戴く汝が名は継がれゆく。
しかし慈悲深き神々は過たず、汝の清き御霊を迎えるだろう。
安らかに眠れ、ただ安らかに。
「そう――そもそもが、『海』じゃ駄目だった。
『水』じゃなきゃならなかったんだ」
「……何のことだ?」
「この墓石の意義を思えば当然のことなんだが……別に難しいものじゃない。
愚直に、文中の主となる単語だけを並べてみろ」
「……ああん? あーっと、つまりィ……?
〈母〉、〈水〉……〈想い出〉、〈自由〉……〈青玉〉……〈目印〉……〈さらば〉……」
言われた通り、異邦人とは思えない流暢な発音で単語を並べ立てるロウガ。
「それでいい。そして、詩に付け足された一文の『頭に冠戴く』だ。
頭文字だけ拾っていくんだよ。すると……」
「m、a……r、l……z、i、a……。
……marlzia……マールツィア――!?」
珍しく、ロウガの声のトーンが狂った。子供のように純粋な驚きを見せる。
「そうだ、これは碑文と言うよりも、埋葬者の名前が隠して刻んであったわけだ――そして、そうなると後の文章の意味も変わってくる。
『七処女の末』は、一見すると、神話に出てくる七女神の末裔たる英雄――つまり勇敢な人間でも指し示しているみたいだが……そうじゃない。もっと率直に、七姉妹の末の妹という意味だ。
加えて、『頭に冠戴く』――こいつにも、さっきと違ってもう一つ意味がある。
これも同じく英雄を讃えてるみたいだが、やはり素直に、王族を表すんだろう。
そう――前の言葉と組み合わせて、〈七人の王女の末の妹〉というわけだ」
「…………」
ロウガは余計な言葉は差し挟まず、ただ黙って紙片とレオの顔を見比べる。
……ここまで来れば彼も、レオの言わんとしていることは分かっていた。
「そして、続く『汝が名は継がれゆく』と『神々は過たず』。
これらから考えられるのは……埋葬者の名前は別の誰かが受け継ぐが、神々はそれで間違えるようなこともなく、この埋葬者を正しく天へ迎えてくれる――そんな意味だ。
……つまり……」
レオは溜まった唾を、まだ形の残っていた固飴と一緒に呑み込むと、キッとロウガを見上げた。
「本物の僕の妹……第七王女マールツィアは、もうずっと以前に死んでいたんだ。
つまり、今、サヴィナのところにいるあのマールは――。
……その名を継いだ、まったくの別人――替え玉ってことだよ……!」




