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梟の王子と鳩の王女  作者: 八刀皿 日音
Ⅲ章 祖の心か、梟の真意か、鳩の真実か

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16.七処女の末の真実


 ――ふと気付けば、居間から見える窓の外は、すっかり夜の帳が降りていた。


 ただでさえ、ここ細工物屋〈シロガネヤ〉前の通りは、陽が落ちてから特に賑わいだす場所だというのに、今夜は〈聖柱祭(グラン・グラツィア)〉前夜だ。

 さぞかし盛り上がるだろうと、我知らず口元に笑みを浮かべながらニガヨモギ酒(ベルモット)を酒杯に注ごうとして……ロウガは、瓶がすっかり空になっていることを思い出す。


「しまった。新しく葡萄酒(ワイン)でも持ち込んでおくんだったな……」


「……だから、他人の家に勝手に自分用の酒をキープするなって言ってるだろ」


 名残惜しげに、ロウガが酒杯の上で逆さにした瓶を振っていると……。

 奥の工房に繋がるドアから、早速の苦言とともにレオが姿を現した。


「なんだよ、家主は俺じゃねえか」


店子(たなこ)だろうと、家賃ならきっちり払ってやってるんだ――そんな横暴が(まか)り通ってたまるか、くそったれ」


 一度キッチンの方へ入ったレオは、瓶を1本手にして戻ってきた。

 そして、それをロウガに投げ渡す。


「そいつで我慢しろ」


「食後用の甘口か。

 ……いやいや、確認しただけだ、文句言ってるんじゃねえって」


 向かいに腰掛けたレオの視線が厳しくなったのに気付き、慌てて愛想良く手を振りながら、ロウガは栓を抜いて、渡された葡萄酒を酒杯に注いだ。


「――お前は?」


「僕はいい。向こうで水を飲んできた」


 答えてレオは、テーブルの陶製の丸い器の中からいつもの固飴(かたあめ)を取り出し、口に放り込む。


「……しかし、さすがにもう嬢ちゃんも戻ってきてると思ってんだが……」


「あのドレス、1人じゃ着替えに難があるし、僕は僕で合鍵を作るのに集中したかったからな。

 あいつは昨夜から、もう1回サヴィナの所に置いてもらって……そのままだ」


「何だよ、着替えぐらいお前が手伝ってやれば良かっただろうに」


「……あのな。言っちゃなんだが、僕も昔は手伝われる側だったんだぞ?

 ましてや、ドレスの着付けなんて分かるわけないだろ」


 ため息混じりにレオが反論すると、ロウガはニヤリと下品に笑って返した。


「何言ってやがる、脱がすだけなら男一人でも大丈夫だろ?

 でなきゃ、大問題だもんな?」


「……溜まってるなら娼館行って来い。

 もっとも、あいにくとサヴィナは今日は休みのはずだけどな」


「――そいつぁ残念だ。

 この間フラれた分、取り戻そうとも思ったんだがなあ」


 酒杯をかざして、ひとしきり大袈裟に首を左右に振るロウガ。

 そうして……


「ま、そいつはさておき。

 ……出来たのか? 例の合鍵」


 改めてそう本題に入ると、ようやくか、とばかりに首を竦めつつ……レオはポケットから出した銀白色の鍵を、テーブルの中央に置いた。


「……ほー、これはこれは……まるで櫛か刷毛(はけ)だな」


 鍵の形状を見たロウガが、感心しきりといった風で素直な感想を漏らす。


 まさしく彼の表現通り――鍵の先端は、良く出来た櫛の歯どころか、刷毛をすら思わせる細く細やかな形に整えられていた。

 その上さらに目を凝らせば、それぞれが微妙な角度で曲線を描いていたり、幅が一定でないことも分かる。


「これ、歯の数とか合ってるのか?」


「それはマール次第だ。

 ……まあ、鉛を使って軟らかさをもたせてあるし、いざとなれば現場でも多少の調整はかけられるけどな」


「ふーむ……どちらにせよ大したモンだな。お前も、嬢ちゃんも」


「マールは……まあ確かにそうだが、僕の方は別に大した仕事をしたわけじゃない。

 正確な絵図面があるんだから、一端(いっぱし)の職人ならこれぐらい作れるさ。

 ……むしろ、直に錠を見た経験をもとに、ある程度まで前もって形を整えて準備していたにもかかわらず、完成に丸一日かかったんだから……まだまだ未熟だって方が正しい」


 しかめっ面でそう言って、レオはまた固飴を口に放り込んだ。


「謙遜を。一国の王子サマの工作としちゃ上出来だろ。

 ……いや、『鍵』ってのは往々にして、権力の象徴と見なされるんだっけか。

 なら、王族が作れるのはある意味当然なのかね」


「あいにく、鍵は鍵でも、僕は開く扉を失ったガラクタだけどな。

 ――で、それはともかく、今夜にも早速仕掛けるのか?」


「……そうさなあ……。

 警備の面で言えば、〈聖柱祭〉本番に気を取られる明日の方が容易いだろうが……」


 酒杯を弄びながら、ふーむと唸るロウガ。


 だがその時間も僅か――彼は答えを出す前に、何かに気付いたらしく玄関の方へ鋭く視線を飛ばす。


 ――ややあって、ドアが強めにノックされた。


「……誰だ?」


「マシラです、レオさん!」


 誰何(すいか)に答えた覚えのある声に、席を立ったレオはドアを開けてやる。

 玄関に立っていたのは、よほど急いでいたのか、荒い息を吐く旅装束の青年だ。


「何だぁ、マシラ……。

 お前確か、ドウジのおやっさんと情報収集に出てたはずじゃなかったか?」


「そのおやっさんから頼まれたんですよ、若。

 親方とレオさんに、急いでこれを届けろって、尻蹴っ飛ばされて」


 額に浮かぶ汗を拭って、マシラは荷物の中から取り出した紙片をレオに渡す。

 そして――自分たちが仕入れた、アドラ盆地の義勇兵と墓石の話を、綺麗に要約して話して聞かせた。


「じゃあ、これが、ドウジのおやっさんが何かに気付いたって碑文の写しか。

 ……ふむ……?」


 横合いから、レオが手もとで広げた紙片を覗き込むロウガ。

 一方マシラは、「親方にも届けなきゃいけませんから」と一礼だけを残し……通りの人々の間を器用に縫って、素速く駆け去っていった。


「こいつは……誰かの詩か?」


「――300年ほど前の詩人、カツルスの初期の作品の一部だな。

 確か、故郷で暴虐を尽くしていた海賊に勇敢に戦いを挑み、若くして命を落とした友人に捧げた詩――だったか。

 しかし……『母よ、水にあれ』……か。

 確かこの部分、『水』にするか『海』にするかで、カツルス本人が随分と悩んだらしく……世に広く伝わるのは『海』の方だが、実は『水』の形で残されてる写本も少なくなく、そちらこそが正しいと訴える識者もいるという話で……。

 つまりは、そうした識者が碑文に関わってたってことか……?」


 ――玄関先で佇んだまま、じっと紙片に目を凝らすレオ。


 意識を集中する彼には、祭りを前にしての通りの賑やかさも、どこからか聞こえてくる陽気な奏楽も、まったく別の世界のことでしかない。


 そうして、隔離されたような時間の中で、マシラから聞いたばかりの話も含めて思考を巡らせていた彼は――。

 やがて、目をきっと見開き……「まさか」と、乾いた呟きを絞り出した。


「何だ、何か分かったか?」


 ……ロウガの問いにも、レオはすぐには応えることが出来なかった。

 見つけだした答えと、そこから伸びた糸が、これまで得てきた情報を繋ぎ導くその果て――真実と思しきものの意外さに、しばし言葉を忘れる。


「……おい、レオ? 呆けるなよ、おい!」


「あ、ああ……悪い、大丈夫だ。

 ただ……さすがに驚いて」


 レオは、我知らず額に浮いていた汗を拭うと……。

 夜風に当たったままでいたいと思い、家の中には戻らずに、玄関脇に置いていた樽の上に力無く腰掛ける。

 そして――立ったまま見下ろしてくるロウガに、紙片を差し出した。




 ――母よ、水にあれ。想い出よ、自由たれ。

       その青玉を目印に、さらばと――


 七処女(ななおとめ)の末、頭に冠戴く汝が名は継がれゆく。

 しかし慈悲深き神々は(あやま)たず、汝の清き御霊を迎えるだろう。

 安らかに眠れ、ただ安らかに。




「そう――そもそもが、『海』じゃ駄目だった。

 『水』じゃなきゃならなかったんだ」


「……何のことだ?」


「この墓石の意義を思えば当然のことなんだが……別に難しいものじゃない。

 愚直に、文中の主となる単語だけを並べてみろ」


「……ああん? あーっと、つまりィ……?

 〈母〉(madre)〈水〉(acqua)……〈想い出〉(ricordo)〈自由〉(liberta)……〈青玉〉(zaffiro)……〈目(indica)印〉(zione)……〈さ(arriv)()ば〉(derci)……」


 言われた通り、異邦人とは思えない流暢な発音で単語を並べ立てるロウガ。


「それでいい。そして、詩に付け足された一文の『頭に冠戴く』だ。

 頭文字だけ拾っていくんだよ。すると……」


「m、a……r、l……z、i、a……。

 ……marlzia……マールツィア――!?」


 珍しく、ロウガの声のトーンが狂った。子供のように純粋な驚きを見せる。



「そうだ、これは碑文と言うよりも、埋葬者の名前が隠して刻んであったわけだ――そして、そうなると後の文章の意味も変わってくる。

 『七処女の末』は、一見すると、神話に出てくる七女神の末裔たる英雄――つまり勇敢な人間でも指し示しているみたいだが……そうじゃない。もっと率直に、七姉妹の末の妹という意味だ。

 加えて、『頭に冠戴く』――こいつにも、さっきと違ってもう一つ意味がある。

 これも同じく英雄を讃えてるみたいだが、やはり素直に、王族を表すんだろう。

 そう――前の言葉と組み合わせて、〈七人の王女の末の妹〉というわけだ」



「…………」


 ロウガは余計な言葉は差し挟まず、ただ黙って紙片とレオの顔を見比べる。

 ……ここまで来れば彼も、レオの言わんとしていることは分かっていた。


「そして、続く『汝が名は継がれゆく』と『神々は過たず』。

 これらから考えられるのは……埋葬者の名前は別の誰かが受け継ぐが、神々はそれで間違えるようなこともなく、この埋葬者を正しく天へ迎えてくれる――そんな意味だ。

 ……つまり……」


 レオは溜まった唾を、まだ形の残っていた固飴と一緒に呑み込むと、キッとロウガを見上げた。



「本物の僕の妹……第七王女マールツィアは、もうずっと以前に死んでいたんだ。

 つまり、今、サヴィナのところにいるあのマールは――。


 ……その名を継いだ、まったくの別人――替え玉ってことだよ……!」




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― 新着の感想 ―
[一言] うおおおおおおお!!!!!!
[良い点] 夕立さんの感想のおかげで、碑文に隠された意味は分かってましたが、そういうことだったんですね! というか、墓なんだから当然なはずなのに普通に「マジで!?」と、驚いちゃいました(笑)
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