15.義母と義娘と
「……そうだねえ。もとは皇国の人間でも、知ってるのはほとんどいないと思うよ。
何せ、大々的には公表されなかったし……そうこうしているうちに、ゾンネ・パラスが攻めてきたからねえ」
旧アルティナ皇国の首都に近い、小さな村の小さな宿屋で――。
女将の老女が語る話に、ドウジは静かに聞き入っていた。
「一応、名目上は、素晴らしい発見をして皇国の発展に貢献したことへの褒美――みたいな話だったけどねえ。
……ほら、さっき言ったみたいに、あたしゃお城の人とも取り引きしてたことがあったからさ、聞こえてきちゃうんだよ。ホントのところの話がね」
「ほう。……と、言うと?」
話の続きを促しながら、ドウジはこの宿で一番高いという葡萄酒を、女将のグラスに注いでやる。
葡萄酒はもちろん、ドウジが気前良く買い取ったものだ。
ドウジの他に客はいないのだから、わざわざそうする必要はなさそうだが……後ろめたさのようなものがあるのか。
葡萄酒で唇を湿らせた女将は、カウンターに身を乗り出すようにして、声を潜めて話を続ける。
「……実は、姫様は研究を手伝ってるうちに、その学者に惚れちまったらしくてね。
お腹にゃ子供までいて……だから陛下も、認めざるを得なかったって話さ。
――まあ、他にご兄姉はたくさんいらっしゃったし、お世継ぎも決まっていたから、平民に嫁ぐといってもあまり大事にならなかったんだろうね」
「おや。じゃあ……皇国が滅ぼされたときも、その姫様たちは難を逃れることが出来たんじゃないのかい?」
ドウジの言葉に、女将は目を伏せて首を振った。
「残念ながら、そう上手くはいかなかったんだよ。
なんせ、ゾンネ・パラスの連中が攻めてきたのは、よりによって〈聖柱祭〉の真っ直中だったからね……。
お子が産まれたばかりだった姫様は、不運なことに皇族としての最後のお務めで〈聖柱祭〉に出席しようと、産後の療養も兼ねて、都に留まっておられたのさ。
……それで、結果としてどうなったかは……アンタだって聞いたことぐらいあるだろう?」
女将が確認すると、ドウジは神妙な面持ちで頷く。
――圧倒的な戦力を以て、ソフラムが援軍を送る間も与えず瞬く間に都を攻め落としたゾンネ・パラスが、皇族に連なる人間を一人残らず処断した……というのは、よく知られた話だ。
「もっとも……ほら、皇国再興を掲げてさ、央都の近くでも暴れたりする迷惑な連中、いるじゃないか?
アイツらなんかは、その姫様のお子がまだ生きているはずだ――って、そう信じてるとも聞くねえ……」
女将は一つ大きなため息をつくと、やるせない表情でグラスの中に残る葡萄酒を一気に呷った。
「そう言えば……ゾンネ・パラスが戦を仕掛けた理由は、〈黄金よりも貴重な銀〉とやらを狙ってのものだった、って話もあるそうじゃないか。
けれども、結局奴らはそれを見つけられなかったとか。
……今の話を聞く限り、それが姫様と一緒になった学者の研究だったんじゃないか?
だとしたら、その貴石はどこに消えたんだ……?」
真剣な顔で唸るドウジ。
その様子が可笑しかったのか、女将は顔を皺くちゃにして「ありゃしないよ、そんなもの」と微笑んだ。
「……言っただろう? 姫様が既に子を宿していたから、陛下も認めざるを得なかったんだ、ってさ。
素晴らしい発見をした褒美――なんてのは、後からもっともらしい理由を付けただけなんだよ、きっと」
「いや、しかしだね女将さん。もしもそれが実在すれば――」
なおもドウジが話を掘り下げようとすると、いよいよ可笑しくなったのか、女将は声を上げて笑った。
「まったく、商魂たくましい商人ってのは、どうしてどいつもこいつも儲け話にしたがるんだかねえ。
……アンタよりも前、一月近く前に同じ話をしてやった商人も目を輝かせて、売りつけるだのなんだのと言ってたよ」
「――他の商人が?
女将さん、どこの誰なんです、それは」
素直に驚きを面に出したドウジがすぐさま問い直す。
その様子を、同じ着眼点を持った商売敵への興味と解釈したらしい女将は、しょうがない奴、とばかりに小さく肩を竦めてから……。
それでもわざわざ宿帳を取り出し、記憶とともに署名を遡って答えを調べ上げた。
「ええと……ああ、確かこれだね。
――ほら。本来なら見せるようなモンじゃないけど……あの男、そのお宝を売りつける相手は、よりにもよってゾンネ・パラスが良い――みたいな口ぶりだったからねえ。
そんな奴よりは、アンタみたいな人の良い商人に頑張って欲しいからさ、特別だ」
女将は開いた宿帳をドウジの前に置き、署名の1つを指差した。
目を細めたドウジの唇から、「やはり」と小さな呟きが漏れる。
女将が示したのは――かつて帳簿で見たのと同じ筆跡による、オルシニの名前だった。
* * *
「……よく来てくれましたね」
事情を知る者からは、日に日に衰えるばかりと言われている病床の身であったが……。
幸い今日は幾分調子が良いのか、第四妃テオドラは身を起こし、笑顔で客人を迎え入れる。
「ご無沙汰してしまい申し訳ありません、テオドラ様」
その客――彼女の見舞いに訪れたユニアは、深く一礼してから、主の勧めに素直に従ってベッド側の椅子に腰掛けた。
「無沙汰だなどと、とんでもない。
実の母でもない私を、こうして時間を割いてまで見舞ってくれる貴女の気遣いには、ただ感謝するばかりですよ……ユニア」
「いいえ。実の母に疎まれたわたしにとっては……幼い頃より事あるごとにわたしを庇い、可愛がって下さったテオドラ様もまた、母と呼べる御方。
降嫁した身であろうとも、娘が、病の床にある母を案じて見舞うのは、至って当たり前のことです」
ベッドの上に投げ出されたテオドラの痩せ細った手に、ユニアはそっと手を重ねる。
……ユニアの母である第三妃セレスは、知性的で情感も豊かな美しい女性だったが、権力、引いては王位への固執も人一倍強かった。
そのため、女子ゆえ継承権の無いユニアには、生まれたときより母らしい愛情を傾けることはなく――それどころか長ずるにつれ、『あるいは男であったなら』と周囲が評するほどの才を見せ始めると、ついには憎悪をもってあたるようになったのだった。
それは時とともに激しさを増し、狂気と呼べるまでになったが、その狂気に呑まれるように――あるいはそもそも狂気の原因はそこにあったのか、病によって若くして亡くなってしまう。
そうした境遇にあった彼女を、多くの者が遠巻きに、時に憐れみ、時に蔑み、時に笑うだけの中……手を取って助けてくれた数少ない人間の一人が、他ならないテオドラだったのだ。
以来、ユニアはテオドラを敬慕し――自らもまた、『皇国から嫁いで来た、下級貴族出の妃』ということで、宮中に味方の少ない彼女の助けとなってきた。
その思いは、レオやマールといった彼女の子供たちへも同様に向けられ……本来なら権力を巡って牽制し合ってもおかしくない弟妹を、会う機会こそさほどなかったものの、その度ユニアは、姉として慈しみ、そして2人からも慕われてきたのである。
「貴女がそうして私を慕ってくれるのはとても嬉しいことです。
けれど、どうかくれぐれも、母君のセレス様を恨んだりはしないであげて下さい。
……あの方が貴女にした仕打ちを、すべて赦せとまでは言いません。
ただ、あの方こそが貴女の母であること……それだけは否定しないでほしい。
認めてあげてほしいのです」
「……ええ、もちろんです。
母は、王妃という立場、地位に拘りすぎただけの、可哀想な人――。
天の座に列せられた今となっては、安んじられるよう祈りはしても、恨み言を申し上げる気などありません」
ユニアは笑顔で頷く。
それは、彼女の偽りのない本心だ。
そして――彼女がこうした心境に至れているのも、テオドラが先の言葉を、幼い頃から幾度となく彼女に言い聞かせてきたからだった。
かつては多少なりと反感を覚えないではなかったその言葉も、今では彼女の中で、確かな倫理の1つとして根付いている。
……だが、彼女がそうして素直に認めるようになったのも、もう随分と以前のことだ。
なのに、また今さらその言葉を持ち出してきたのは――やはり病による弱りで、永らく心の奥底にあった感情が抑えきれなくなったからだろうと、ユニアは胸を締め付けられるような感覚とともに、考えを巡らせる。
そして――テオドラのそんな言葉が、息子と娘に対する罪悪感から来るものであることを、ユニアは知っていた。
知っていて、しかし根本的に払拭する術を持たない自分を、苦々しく思う。
――いや、思っていた……と言うべきか。
今の彼女は、自らがそれを為すわけではないものの、そこに繋がる希望があることを知っていた。
ただ――それを、今ここで彼女の口から語るわけにはいかなかった。
すべてが確実なものとなるまでは、決して告げないように――と、夫アスパルから釘を刺されていたし、彼女自身もそうすべきだと思っているからだ。
仮にこの場で打ち明けて、それでぬか喜びに終わるようなことがあれば――ただでさえ病に弱るテオドラには、あまりに酷な仕打ちになりかねない、と。
……もっとも彼女は、病がいざテオドラの命を呑み込もうとしたその折りには、自分の知ることを余さず話す気でいる。
確かな証拠が無くとも、嘘だと思われようとも――せめてもの手向けに、母としての希望ぐらいは持たせてあげたいのだ。
そして――今日こうして見舞いに来て、直に会って。
ユニアは改めて、その覚悟もしておかなければならないことを悟った。
病は、どうしようもないほどにテオドラを蝕んでいて。
その命の灯火が、もう長くはないことを――悟ってしまった。
その事実に、今にも泣きそうになる己の弱気を必死に律し……ユニアは朗らかに笑い続ける。
「……ありがとう、ユニア。……私もずるい人間ですね。
そうして貴女の口を借りて、セレス様と重ねた自分まで救われようとしているのですから。
レオはもちろんのこと、マールへの仕打ちもまた、親として赦されるようなものではないというのに――」
「……テオドラ様」
テオドラが言っているのが、8年前の出来事を指していることはユニアにはすぐに理解出来た。
屋敷を抜け出してまで自分に会いに来てくれたレオを、拒絶せざるを得なかったこと。
それがもとで、レオの命が喪われたと思っていること。
そして、それ以来、マールと会うのも自ら拒否していること――。
そのどちらにも、テオドラの深い葛藤と決断があることを知るユニアは……。
そこに救いの希望があることを打ち明けたくなるのを堪えて、せめて想いだけでも伝わればと、テオドラの手を強く握った。
「大丈夫です。ええ、きっと……大丈夫」
何が、とも言えず、ただ大丈夫と励ますユニアの願う通り、少なくとも思い遣りは伝わったのだろう。
テオドラは、儚げにも微笑み……ユニアの手を握り返した。




