14.憎くてたまらないのに
――屋敷の正門前に立つ番兵たちは、レオたちが予め見立てていた通り、やって来る客に対しては厳しく目を光らせるものの、出ていく客については無頓着なようだった。
幾人かの客とさりげない挨拶を交わしつつ、見咎められることもなく門を出たレオとマールは……。
主人を待っていたかのように通りの向こうからゆっくりと近付いてきた、〈蒼龍団〉の用意した馬車に乗り込み、その場を後にする。
そうして、しばらく馬車の揺れの中に過ごし……。
万が一に備えてと、屋敷周辺の別の場所を見回りに行ったロウガに代わり御者を務めている〈蒼龍団〉の青年に、「お疲れさまでした」と労りの言葉を掛けられたところで――。
ようやく、レオとマールは2人して張りに張っていた神経の糸を緩め――大きく息を吐き出した。
「何とか乗り切ったか……。
まったく、ヒヤヒヤさせやがって……くそったれめ」
「……ごめんなさい」
自分が立ち聞きなどしていたせいで、バシリア卿と危険な接触をする羽目になったことを責められていると捉えたマールは、しゅんとした様子で頭を下げる。
だが、ついつい開放感から悪態が口を突いて出ただけのレオは、一瞬何のことだという顔をするものの……すぐに事情を察して「気にするな」とフォローを入れた。
「確かにあれはマズかったが……そもそも、お前が緊張に負けてどこかで立ち振る舞いをしくじっていれば、それどころじゃなかったんだ。総じてお前は良くやったさ。
……さすが、あの不貞不貞しい親父たちの血を引くだけのことはある」
「……つまり、兄様の妹、ということでもありますから」
責められるどころか、珍しく褒められたことが余程嬉しかったのか――マールは年相応の無邪気な笑顔で、そんな一言を返した。
さすがにちょっと良く言い過ぎたか――と早くも反省しつつレオは、馬車の座席の上に置いてあった画材一式を取り上げると、少しばかり荒っぽく向かいのマールに投げ渡す。
「調子に乗るにはまだ早い。
忘れるってことは無いのかも知れないが、早いに越したことはないだろう?
……僕も、少しでも早く合鍵の細工に取りかかりたいからな――出来るなら、早速図面を描き起こしてくれ」
「あ、はい! 分かりました」
マールの返事に頷き、レオは座席の下から取り出した角灯に火を入れると、天井の金具に引っかけた。
一言礼を言って、マールはすぐさまペンを走らせ始める。
――馬車の揺れに合わせて、ゆらゆら揺れる角灯。
さらに、その動きで踊る互いの影法師と、それを追いかけるような光の明暗に包まれて……レオは、一心不乱に手を動かすマールを、ただ黙って見守っていた。
頭の中に記憶されている映像は、果たしてどれほどに鮮明なのか――。
マールはまるで迷う素振りも見せず、実物を目の前にしての写生でもこうはいかないというほどに手際良く、様々な角度から見た鍵の精緻な図面を、見る見るうちに描き上げていく。
改めて目の当たりにするその才に素直に感心しながら、同時に、これなら任せて大丈夫だと安心もして……レオは視線を外して窓の方を見やる。
中に明かりがあるせいでレオたちの姿が映り込んでしまい、外の様子は良く見えないが……ただぼうっと、闇を闇として見続けるには却ってそちらの方が都合が良かった。
「……そう言えば、兄様」
小休止も兼ねてか、ふと手を止めたマールはレオに語りかける。
「どうして、鍵を開ける技術なんて身に付けたんですか?
お屋敷にいらっしゃったときから……ですよね?」
映り込んだ窓越しにちらりとだけ目を合わせ、レオはため息混じりにつまらなさそうに答えた。
「……別に、大層な理由なんてない。
もともと、何かを細工したり作ったりするのが好きだったからな――その趣味の延長なだけだ」
……嘘を言っているわけではない。
鍵と錠という複雑で精密な細工物に純粋な興味を持ち、固く閉じられたそれを、自らの技術と工夫で解錠することに楽しみを見出す――それは今も昔も変わらない。
いわば一種の勝負を制するようなもので、そこに優越感や高揚感といった愉悦を感じ、そしてそれが原動力に繋がっているのは確かなのだ。
しかし――それだけでないのもまた、事実だった。
本当の意味できっかけになったもの、それは――。
「…………」
レオは目を、口を、固く結んで閉ざしてしまう。
マールも、言外に他に理由があることを悟りはしたのだろうが……兄の様子からそれ以上深く聞くことは止めて、作業に戻る。
「――母上」
音にもならないほど小さな声で、レオはそっと呟いた。
母に会いたい――。
馬鹿馬鹿しいほど単純で純粋な、いかにも子供らしいその衝動こそが、幼き日の彼に、解錠技術を磨こうと決意させたきっかけだった。
……預けられていた屋敷での生活が、特別つらかったわけではない。
勝手に敷地外へ出られないよう、屋敷には内向きの施錠がされていたりと半ば軟禁状態にあったとはいえ、爺やを初めとする家人は皆優しく、むしろ厚遇されていたほどで、生活は平穏そのものだった。
しかしそれでも、彼は――自由を、そして母を求めずにはいられなかった。
ただ母に会いたい一心で、いつか自らの力だけで屋敷を抜け出すべく、彼は鍵と錠に関する知識と技術を研ぎ澄まし続けたのだ。
そして、折良く稀代の錠前師ラフォードという師にも巡り会い、幼くして熟練者ですら及ばないほどの技術を会得した彼は、遂に屋敷の門に仕掛けられていた〈時転錠〉という最大の障害すら取り除き、望んだ通り母のもとへ向かうことに成功した――。
そこで待っているのが、それほどの思いをすべて否定する絶望だとは知らずに。
「……っ」
あのときの絶望――そして、その後の苦難。それらを思い出すと、今でも激しく心はざわつく。
その奥底で昏く渦巻く感情を、彼は憎悪一色に塗り込め、生き抜く糧としてきた……今までは。
しかし――。
レオは、目を開いた。
鏡を前にしたときのように……窓に映り込んだ自分と目が合う。
その瞳の奥を見透かそうと目を凝らし、心の底に隠れたものを掴み取ろうと気を鎮める。
――先刻マールは、母が陥れられようとしているのなら、それを救うために尽力するのは自分にとって使命だとまで言い切った。
では……翻って、自分はどうなのか? どうしたいのか?
(悔しいけど……そんなのは決まってるさ、くそったれ……)
自問に対して、出てくる答えは同じだった。
母テオドラを救う、守る――その願いは、妹マールと。
母への憎しみや怒りが消えたわけではない。
だが、目を背けたくなる黒い感情を改めて見据え、その奥へと手を突っ込めば……そこにはまだ、昔と変わらない母への思慕も存在していることに気付いたからだ。
マールを連れ出す際、子を失うということをもう一度思い知らせる……そう考えたのも、単純な憎しみだけでなく――。
改めて、自分のことを思い出させる、忘れてほしくない――そんな感情が働いたためなのだと。
……憎み、怒るのも、慕う気持ちがあるがゆえ。
そして、その憎しみと怒りをいつまでも捨てきれないのも、また、想い続けているがゆえなのだ――と、レオは自ら認め直す。
「憎くてたまらないのに、助けたいとか……サヴィナの言った通りかよ、くそったれ」
車輪の音に容易く掻き消されるほど、小さく呟いて――。
レオはそうとは意識せず、どことなく柔らかな自嘲の笑みを漏らしていた。




