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梟の王子と鳩の王女  作者: 八刀皿 日音
Ⅰ章 央都の夜に、梟は黒い雪のごとく舞う
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 2.市井の中の鳩


「……くそったれ……」


 ――今朝もまた、開口一番レオが漏らしたのは、その一言と盛大なため息だった。

 この一月(ひとつき)近くというもの、彼が1日の始まりに唇に乗せるのは、決まってこの言葉だったと言っても過言ではない。


 頬を引きつらせながら彼の見下ろす先には……。


 お世辞にも寝心地が良いとは言えない安物のベッドの上で、なおかつ薄っぺらな安物の毛布にくるまりながら……しかし幸せそうに頬を緩めて未だ夢の中を漂っている妹マールツィア――マールの姿があった。


 ……鶏が朝を告げてから、すでに5時間近くが経過している。

 レオとて、『細工物屋』という表の仕事の都合上、特別早起きなわけでもないが……それでも今に至るまでに朝の支度を終え、朝食を作り、さらに仕事場の準備まで整えてと、これ以上なくたっぷりと時間を使ってきていた。


 しかし……当のマールは、一向に目を覚ます気配がない。

 眠り姫、といえば聞こえは良いが、実態は驚くほど不貞不貞(ふてぶて)しい寝坊だ。


「ある意味、尊敬には値するか……」


 生まれてからこれまでの約15年間、第七王女たるマールが置かれてきた環境を思えば、寝坊などという行為が寛容されなかったであろうことは、同じく幼少時、王族としての厳しい教育を受けたレオには実体験として理解出来る。

 時として、何らかの罰すらあったかも知れない。

 だが、屋敷から連れ出してから、この一月近い時間をともに生活する中で……それにもかかわらずこの妹は寝坊を貫き通してきたのだ、とレオは悟った。

 その潔いとすら言える頑固さに、怒りや呆れを通り越して、今では敬意に近い感情すら芽生えていることを、彼は不思議とは思わない。


 しかし、だからといって心ゆくまで寝かせてやろう、などという仏心は微塵もなく――彼は冷たい井戸水で濡らしてきたばかりの布で、手首の返しを存分に利かせ、容赦なくマールの額をぴしゃりと打った。


 悲鳴とも寝言とも取れない奇声を上げて、跳ね起きるマール。


 そしていかにもな寝ぼけ眼で、緩慢に周囲に目を遣ったあと……ようやく仁王立ちするレオに焦点を合わせた彼女は、かくんと、糸の切れた操り人形のように頭を下げた。


「おはようございますぅ……にいさま」


「毎日毎日、何時だと思ってるんだ……とっくに朝飯も出来てる、さっさと下に降りて顔を洗って来い!」


 レオの一喝に、欠伸混じりに返事をし――布の一撃で額を赤くしたマールは寝間着のままベッドを降りて、ととっと小走りに部屋を出ていく。


「……くそったれ」


 ぱたんとドアが閉じると、レオはもう一度、顔を伏せて大きなため息を吐いた。





    *   *   *



 ――世界の中心とも称される、ソフラム王国の首都、央都ユノ・グランデ。


 その南部区域、運河沿いに軒を並べる店舗の一つである細工物の店〈シロガネヤ〉は、日が傾いてようやく、客が増えて賑わいを見せ始める。


 それは、運河を下ってすぐの目と鼻の先に、フェリエ地区という――いわゆる花街や色街と呼ばれる類の、歓楽地区への入り口があるからだ。

 目当ての娼婦に贈り物をしようという男や、その逆に贔屓(ひいき)の客に入れ揚げる娼婦などから、煌びやかな花街でさらに自分を輝かせようとする者まで、夜の街の紅灯に集まる人々が、客として店を覗くのである。


 その対応をするのが、店番を任されているマールの仕事だった。


 店といっても、小さな母屋はレオが細工物を造るための工房と居住空間で占められているため、商品を並べるのは軒先で、ほとんど露店と変わらない。

 ただ、この通りのほとんどの店舗がそうであるため……昼に賑わう中心街側の市場に対して、こちらは一帯でまとめて、『夜の市場』とでもいった顔を見せる。


 店番を任された初めの頃は、夜の街特有の熱気と、予想だにしない人の数に、そもそも人生の大半が屋敷ぐらいだったこともあり、圧倒されていたマールだったが……今では随分と慣れ、手際よく売り子をこなせるようになっていた。


 大体、店先を覗く客こそ多いものの、細工物となれば、実際に買う人間などそれほどいるわけではないのだ。

 とにかく数を売り捌くことになる、さながら戦場のごとき昼の市場の食料を扱う店などと比べれば――こちらは泥棒などに目を光らせてさえおけば、むしろ比較的のんびりしているとも言える。


「はい、銀貨3枚いただきます――ありがとうございました」


 東国風の髪飾りを買っていった青年に深々と頭を下げ、ふう、と一息ついてマールは椅子に腰掛けた。


 そうしてふと目を上げれば、通りを往来する様々な人々の姿が映る。


 その中でも、随分慣れたとはいえ……娼婦の際どい露出の服装は、まだまだ彼女には刺激が強いらしい。

 好奇心と羞恥心の鬩ぎ合いの中、ちらちらと左右に視線を振って艶やかな姿を追いかけたりもするのだが……ややもすると疲れたようにまたため息をついて、視線を落とす。


「わたしには……無理だなあ……」


「無理って、何が?」


 何気なく発した独り言に、思いも寄らない返事があったことに驚き――マールはバネ仕掛けの人形のようにがばっと頭を上げる。


 店先に立つ若い女性が、微笑みを浮かべて彼女を見ていた。


 ふくよかな身体を包む服装と甘い香の匂いは、彼女が娼婦であることを如実に告げていたが……。

 化粧が薄いのか、どこか他の同業者に比べて垢抜けきれていない雰囲気の顔立ちのせいか――むしろマールは、屋敷で自分の世話をしてくれていた侍女に近い印象を覚える。


「あ、いえ何でもないです!

 ――い、いらっしゃい、サヴィナさん!」


 小首を傾げて返事を待つ女性――サヴィナに、マールは慌ててぎこちない愛想笑いを返す。

 ……兄のレオとは、娼婦になる以前からの古い付き合いだと聞かされている彼女に対して、マールは未だ、明確な距離感を掴めずにいた。


「えっと、あの……今日はお買い物ですか?

 それとも、兄様に何か御用が……?」


「ええ、ちょっとレオ君に頼みたいことがあってね。

 ……今は、工房?」


「あ、はい、クリナーレ商店さんから頼まれてた仕事を片付ける、って。

 まだしばらくかかると思いますし……お急ぎなら、わたしが代わりに伺いますけど」


 兄を呼ぶ、という選択肢を、マールは無意識のうちに除外していた。


 ただそれは、サヴィナのことを嫌って、というわけではない。

 いや、好悪の別でいえば、兄の下で厄介になるようになってから、彼女には色々と親切に世話を焼いてもらっていて――好感どころか、同じ女として憧れに近いものを抱いているとさえ言えるほどだ。


 だがしかし、だからこその引け目が、積極的にサヴィナをレオと引き合わせることに躊躇いとなって表れていた。


 今のところ兄ぐらいしか身内と呼べる人間がいない彼女の、疎外されることを不安に思う幼い独占欲にとって――兄との付き合いが長く、女としての魅力も上と見ているサヴィナは、無意識下でつい警戒してしまう人物だったからだ。


 そんなマールの心情を知ってか知らずか――。

 サヴィナは顎に指を当てて、少女のような仕草で少しの間考えた後、にこやかに頷いた。


「じゃあ、マールちゃん、言伝(ことづて)をお願いね。

 『秘密の場所に鍵を掛ける困ったお客さんが出た』って、そう伝えてもらえれば分かるはずだから」


「は? はあ……鍵、ですか?」


 娼館という所は、お客が勝手に鍵を掛けたり出来るものなのだろうか、とマールは首を傾げる。

 もしかすると暗号とか隠語なのかも知れないが、それならそれで、自分は蚊帳(かや)の外のような気がして――どことなく、悔しい。


「ええ、そう。

 ……あ、ついでに、わたしのことじゃないから、って付け足しておいてもらえる?」


「え? あ、はい……」


「ありがとう。

 ――さて、わたしもお仕事に行かなくちゃ。マールちゃんも店番、頑張ってね」


 また何人かの客が、店先にちらほらと寄ってきたことに気付いたからだろう――。


 サヴィナはそう言い置くと、未だ怪訝そうな顔をするマールに手を振って、素速く通りの雑踏へと戻っていった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] これは、スプリガンとかで出てくる気のいい娼婦!
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