12.その形状を、盗む
「おや、あなたは……どちら様でしたかな?」
出会った初老の紳士の問いに、レオはマールとともに恭しく一礼して答える。
「どうも、ご無沙汰しております――ジュタール様」
直前にマールが囁いてくれた名を、そのまま自然に口に乗せるレオ。
続いて、マールが合わせてさらなる情報を挨拶に混ぜる。
「昨年、ジョルダーニ様が催されたパーティー以来――でしょうか」
「ふむ……そうであったかな?
確かに、ジョルダーニ殿のパーティーには参加したが……」
小首を傾げる紳士に、レオは穏やかな苦笑を浮かべた。
「覚えておられないのも無理はありません。
わたしは、マチェラ地方でファザーリ卿のお世話になっている、しがない小家の次男坊に過ぎませんから」
レオの説明に紳士は、なるほど、と言わんばかりに何度も頷く。
……レオが持ち出した、マチェラ地方とは――。
はるか昔、時の王が、旧来その地に多くいた地方豪族との和解の際、そのまま貴族に列することを約したため、分家なども含めると、他の地方よりも圧倒的に複雑な系図が形作られており……。
いきおい、専門の官僚でもなければ、正確にその全容を把握していないような地方だった。
それゆえ、社交的な付き合いのため、他の貴族についてもきちんと把握しているような人物でも、マチェラ地方の名が出れば、知らなかった、忘れていたでも、大抵自分から仕方ないと納得してしまう――レオたちはそれを利用したのだ。
「しかし、失礼ながら……マチェラ方面の方が、ここ央都でのパーティーに出席なさるとは珍しいですな」
「〈麗紫商会〉とは、少々商売で付き合いがあるのです。
当家は小さいですが、使用人に東方出身の者を使っておりまして……その者のツテで、若干ながら、東方の品を手に入れられるものですから」
多少は訝る様子を見せた紳士も、レオのその返答に、納得した様子で大きく頷いた。
「なるほど、東方の品を……確かに、ナローティはそれらに目がないですからな。
……いや、これは疑うようなことを言ってしまい、大変失礼した」
「とんでもありません。勿体ないお言葉、感謝いたします」
丁寧に挨拶を返す2人に、紳士は微笑混じりにもう一度非を詫び、側を離れていく。
2人はそれをきちんと見送ると……そのまま何事もなかったように、談笑する人々の中を、ナローティがあの鉄箱のお披露目を行うという、大広間に向かって進んでいった。
「……でも、さすがですね兄様。
社交界での礼儀作法なんて、役に立たないって、もうとっくに記憶から切り捨てていると思ってましたけど」
仲睦まじく腕を組み、すれ違う客にさりげない微笑みを振りまきながら、マールは小声でレオに告げる。
レオはレオで、周囲への愛想を維持したまま答えた。
「実際、役に立つときもあるからな……こういう風に。
それに、忘れようとしたところで……ロウガの奴も言ってただろう、僕らは根っ子の部分に染みついてるんだ、そうそう忘れられるものじゃない。
――幸か不幸か、な」
大きく開かれた扉を抜け、広間に入ったところで、レオは目を細めて一点を見据えた。
広間の中央には、このためだろう、舞台のように一段高くなった足場が設けられていて……集まった客の見上げる視線の中、主人のナローティが、財産を守ることの重要性を声を張り上げて熱っぽく語っている。
その前には――先日の夜、レオが確かに見たあの鉄箱が置かれていた。
「どうだ、見えるか?」
「少し……遠いです。
細部まできちんと見るとなると、やっぱり近い方が」
マールの正直な意見に、レオはちらりと、ナローティと鉄箱を挟んで同じ壇上に立つバシリア卿の姿を確認する。
そして、なるべくその一番の要注意人物の目に留まらないよう注意を払いつつ、マールの手を引いて人混みを縫い、ナローティの方へとぎりぎりまで近付いていった。
「……これは、当代随一の錠前師、今は亡きラフォードの遺した資料を基に、我が〈麗紫商会〉傘下の腕利きの職人たちが、心血を注いで完成させたものでして――」
先日の夜、レオが見抜いた通りの箱の防犯機構を1つ1つ得意気に説明しながらナローティは――懐から、金色に輝く大振りな鍵を取り出してみせた。
「――あれだ。頼むぞ」
レオの一言に、既に真剣な眼差しでナローティを見上げていたマールは、そのままコクリと頷いた。
レオも、集中するマールの邪魔をしないように、それ以上は何も聞かず、ナローティの大げさなパフォーマンスを、周囲とバシリアへの警戒を保ったままじっと見届ける。
やがて、実践としてバシリアと同時に鍵を差し、実際に箱を開けてみせるナローティ。
下から見上げる形なのではっきりとは見えないものの、そこに収められているのは、かつて聞いた『書状』という単語からレオが予想した通り、文箱であるらしかった。
……もっとも、こうした公の場所だけに、単なる見本として空箱を入れていただけという可能性もあったが。
「だめ……! もう少し、向こうを……!」
そろそろお披露目は終わりだとばかり、箱の蓋も閉じられ、ナローティの講説も幕を下ろそうという段になって――マールが泣きそうな顔で呟くのを、レオは聞く。
「見えないのか?」
「右手で持っているせいで、その向こう側が、少し……!
あれだけ複雑な形をしている鍵だと、見落としが……!」
マールの言葉に、レオは思わず舌打ちを漏らす。
……実際、もっと得意気に振りかざしてみせると予想していた鍵だが、一度高く掲げた程度で、あとは見せびらかすようなことはされなかった。
立体的に捉えるため、出来るだけ様々な角度から実物を見ておきたいマールにとって、これだけでは不安が残るのだろう。
かといって、今からでは立ち位置を変えようにも、人が多いし、第一遅過ぎる――。
ほんの僅か逡巡したのち、客の拍手の中ナローティが鍵をしまおうとした瞬間――レオは、手を伸ばして声を張り上げた。
「ナローティ殿! その鍵の形状……もしやギュゼッペの13年作、〈天扉の宝鍵〉の模造ではありませんかっ?」
レオの突然の行動に、マールばかりか、壇上の2人も含めて周囲の視線が集まる。
当のナローティは、いきなりの若者からの難癖に、一瞬不快な顔をしたものの……しかしすぐに笑顔に戻り、レオたちの真っ正面へと近付いてきた。
「あの、芸術品としても極めて優れた鍵をご存じとは……なかなか博識な御仁のようですな。
しかし……どうやら、なるほど、よく窺えば目がいささか不自由でいらっしゃるらしい。
では、遠目では、かの品に並び立つほどのこの芸術的な輝かしさに、見間違えても仕方がないかも知れませんが……もちろんこれは、模造品などではございませんよ?」
口調こそ丁寧ながら、どこか挑戦的に、さあよく見てみろと言わんばかりに、レオの前に鍵を差し出すナローティ。
受け取ったレオは、それを様々な角度から、検分するように見る――素振りをしつつ、見せた。
傍らのマールに、余すところ無く……金色の鍵のすべてを。
それは、時間にしてほんの数秒――。
その作業が終わると、レオは愛想たっぷりの苦笑を満面に浮かべて、ナローティに鍵を返した。
「いや、申し訳ない……確かに私の見間違いでした。
これはまさに別物……いえそれどころか、〈天扉の宝鍵〉をも凌ぐ確かな芸術品に違いありません。
さすがはナローティ殿、そして〈麗紫商会〉――見事な技術力です、感服致しました」
レオの謝罪に、ナローティはいやいや、と鷹揚に頷きつつ……したり顔で、改めて客に自分たちの技術力を誇り始める。
その間に、マールの手を引いたレオは――いかにもばつが悪いといった風を装い、失笑や憐れみをちらほらと向けてくる他の客の間を縫って、そそくさと素早く、広間を退出した。




