9.王子と娼婦、王女と侠客 −2−
「――それだけじゃない、でしょう?」
――マールを屋敷から連れ出した理由……。
レオからその答えを聞き終えるとすぐに、サヴィナはそう問い直した。
「どういうことだよ?」
「そのままの意味。
……昔の自分の境遇を重ねて、あの子に自分の人生を返そうとした――それもそうなんでしょうけど、それだけが理由じゃないわよね?」
優しげながら、しかしたしなめるようでもあるサヴィナの真っ直ぐな眼――。
これまでも何度も押し切られてきたその眼に、レオは抗おうともするが……しかし結局沈黙を貫き通すことは出来ず、早々と屈してしまう。
「……ああ、そうだ」
せめてもの抵抗とばかり、ふいと視線を逸らしてレオは口を尖らせた。
「お前の察してる通りだよ。
……僕はきっと、あいつに嫉妬してたんだ――同じ血を分けて生まれながら、僕が被ってきた苦しみを知ることもなく、安穏と豊かな生活を享受しているあいつに。
だから、僕と同じく、自らの力でその日その日を生きていかなければならない生活をさせてやりたいと思った。
……そして、もう一つ。あの両親に――あの2人に……。
子供を失うってことを、改めてもう一度、思い知らせてやりたかったんだよ……!」
「……そう、ですか……」
レオが、マールを屋敷から連れ出した理由――。
ロウガが、憶測ながら正確に代弁した、それについてのレオの心情を……マールは、伏し目がちに受け止めた。
「――もちろん、アイツ自身が俺にそう言ったわけじゃない。
だから、全部が全部正しいわけじゃないだろうし、他にももっと複雑なものが隠れているかも知れん。
……が、まあ、大筋は間違っちゃいないだろうよ。
それなりに付き合いは長いからな……何となくでも、分かっちまうところってのはあるもんだ」
「そうですね……」
「……頭に来るか?
一方的に妬まれた上に、親への当てつけの道具みたいに利用されていたとしたら」
ロウガのその問いに、マールはすぐに首を横に振った。
……無理矢理連れ出されていたのなら、怒りを覚える余地もあったかも知れない。
しかし、レオはまず1週間の猶予を彼女に与え、その上さらに、土壇場で彼女の意志を再確認までした。
あのときは、それはあくまで試験めいた意味合いしかないと思っていたが――ロウガの推測を聞いた今では、そこに、レオ自身の葛藤も反映されていたのだと、彼女も改めて窺い知ることが出来る。
――第一、屋敷を出ることを選んだのは紛うかたなき彼女自身の意志なのだ。
レオの思惑を聞かされたところで、今さら感謝が怒りに置き換わるはずもない。
それに――と、彼女は一人密かに思う。
――利用したと言うなら……自分も同じなのだから、と。
「……感謝はしても、怒ったりなんてしません。
何だかんだと言って、兄様、わたしのこと放り出したりしないで、今までちゃんと面倒見てくれたんですから」
マールの返事に、ロウガは微笑まじりに、「そうか」と頷いた。
――が、その表情は、すぐに困惑に変わる。
マールが立て続けに、自分を屋敷から連れ出した理由について、他には無いのかと重ねて聞いてきたからだ。
「もっと他に? 他には、まあ……あったとしても、だ。
さっき言ったように、さすがに俺にも全部が分かるわけじゃねえからなあ」
マールは、そう小首を傾げるロウガの目を、少しの間じっと見つめていたが……やがて苦笑を浮かべて謝った。
「……そうですよね。ごめんなさい、しつこく聞いて」
「…………?
いや、まあ、それぐらいはいいんだが……」
謝罪を受けて曖昧に頷くロウガ。
何か、釈然としないものを感じる彼だったが……それを明確に言葉にする前に、先回りするようにマールが努めて明るい声を出した。
「――そうだ、ロウガさん。
フレド君から聞いてまで、わざわざ捜しに来たってことは……わたしに何か用があったんじゃないんですか?」
それは、ロウガとしても切り出すタイミングを窺っていた本題である。
マール自身から水を向けてくれたことを幸いと、彼は先のやり取りの妙な感覚はひとまず置き、改めて本題に集中することにした。
マールが狙われていることは伏せ、さらに余計な情報の開示も控えた上で……彼女の協力を仰ぐ正当性を伝えるには、上手く言葉を選ぶ必要があるからだ。
「まあな。
……実はな、嬢ちゃん。折り入って、お前に頼みたいことがあるんだが――」
レオが吐き出した、妹や両親への昏い感情を――サヴィナはただ「そう」と静かに受け止めていた。
聞き流しも、突き返しもせずに。
「……ガキだって言うんだろ? 分かってるさ、自分でも。
散々偉そうなこと宣いながら、その実、突き詰めればコレだ。
……お笑いぐさだよな」
運河の欄干に背を預け、嫌悪感たっぷりにレオは自嘲する。
その姿に、サヴィナは確かに笑ったが……それは嘲りではなく、醜態に呆れつつも、しかしそこに微笑ましささえ覚えているような――。
まさしく、姉が弟に向けるような、情のこもった苦笑だった。
「本当に子供よね、そういうところも。
……でもさ、レオ君――人なんて、そもそもそんなものなんじゃないの?
わたしは学がないから、上手くは言えないけど……。
感情なんて、一言で表せるほど単純じゃなくて、そうやって色んなものが混ざり合ってて……理由や理屈と上手く噛み合わないときもあって。
それでもその中で、言い訳とか、折り合いをつけて、何かを選んでいく――そんな、ずっと不安定なものなんじゃないかな」
「……サヴィナ」
「それにね。もしあなたの中で勝っていたのが、妬みとか憎しみとかそんな気持ちの方だったなら……。
やっぱり、危険を冒してまであの子を連れ出そうとなんてしなかっただろうし――その後も、ここまで面倒を見たりしなかったと思うな、わたしは」
諭すように言って、サヴィナはぽん、と、自分よりも少し背の高いレオの頭に手を置いた。
反射的に払い除けようとするレオだったが――結局、その手はそのまま下に下ろす。
「今すぐに、とは言わないから。
心が落ち着いて整理がついたらいずれ、今の話も含めて、きちんと全部マールちゃんに話してあげればいいんじゃないかな」
表情こそ複雑そうにしながらも、大人しくされるがままになっているレオの頭を……満足げに何度か軽く叩いたサヴィナは、そう言い残して歩き去ろうとする――が。
すぐさま、その足を止めて振り返った。
「そうそう、忘れるところだった。
女将の方から返しておいてもらおうと思ってたんだけど――レオ君に渡す方が確実よね」
何事かと訝しむレオに、サヴィナは羽織った外套の内から取り出した、ずしりと重い革の財布を押し付ける。
「――それ、ロウガに突っ返しといてくれる?
マールちゃんの生活費ってだけならまだしも……迷惑かけることへの詫び料込みだとか、わたしを見くびるのもいい加減にしなさい、って」
そのサヴィナの苦言に、レオもその財布が何かに思い至る。
その上で、彼としても心情としてはロウガの側なので、「だが」と食い下がろうとするものの……。
サヴィナは聞く気はさらさらないとばかり、さっさと背を向けていた。
「言ったでしょ? わたしたちにとっても、兄弟みたいなものだって。
それを預かるのに、詫び料も何もないわよ」
そうきっぱり言い切って、じゃあね、と手を振って歩き去るサヴィナ。
残されたレオは……その堂々とした後ろ姿を、ただ黙って見送るしかなかった。




