7.古戦場に埋もれたもの
――村の酒場は今夕も、農作業を終えた農夫や商売を切り上げた行商人で賑わっていた。
その明るい騒々しさは、この辺りがアルティナ皇国と呼ばれていた頃と何ら変わりはない。
これが、新たな支配者となったのが、一神教を前面に押し出し、その戒律を盾に強権的に民を縛るゾンネ・パラス神聖帝国であったのなら、話は違っていたのかも知れないが……。
皇国亡き後、結果としてその領土を吸収したソフラム王国は、〈一なる柱〉を奉るという、国としての大本が皇国と近しい上、かつてあった緊張状態も現国王ガイゼリックによって先んじて緩和されていたわけで……。
結果として、実に滑らかに支配層の推移だけが行われた形であり――民衆の生活にさしたる変化が無いのも、当然と言えば当然だった。
そうして、ゾンネ・パラスとの間にあった武力衝突はともかく……その後の権力委譲は戦災に遭った民衆への援助も含めて平和的に済んだため、結果として生活が壊されずに済んだ旧皇国民の間での、新支配者たるソフラム王国、引いてはガイゼリック王の人気は悪くない。
――しかし、そうでない人間がいるというのも、また事実だった。
ゾンネ・パラスの蹂躙をかろうじて生き延びた皇国の下級貴族などは、そのほとんどが新たにソフラムの役人としてこれまでの職務を引き継いでいたのだが……。
そうした待遇を受けながらも、中には、『ゾンネ・パラスの侵攻からしてソフラムが皇国を併呑するための策だった』と信じて疑わない者が少ないながらも存在し――。
それら叛意を持つ者が、皇国復興を掲げて結成した地下組織により行う様々な破壊活動は、央都でも問題視されている事案だった。
……そうした先の戦役に纏わる背景の諸々を、行商人に扮してこの地にやって来ていたオヅノの腹心ドウジは――数日を過ごすうち、話の中のことだけでなく、直接空気として肌で感じていた。
「いやあドウジさん、この東国の酒、美味いねえ!
まったく、この店に置いて欲しいくらいだよ」
名目上は行商人の親子としている、ドウジと彼の若い部下マシラの2人と同席の、ドウジと同年代の初老の村長が、赤ら顔で上機嫌に木製の酒杯を掲げる。
酒場は今、数日間世話になった礼にとドウジが振る舞った珍しい東国風の清酒で、いつも以上に盛り上がっていた。
「それが出来ればわたしも儲かるんですが……まだなかなか、こちらではどこかに卸すほどの数が作れませんでね。
こうして、皆さんへの挨拶に使うぐらいしか出来なくて」
「そりゃ勿体ない。……しかし本当に、ドウジさんたちは異国の商人さんなのに良く出来た人だよ……こんな粋な挨拶までしてくれて。
同じ央都からの商人でも、この間までうろちょろしていた、どうにもいけ好かない態度だった男たちとは大違いだ、本当に」
「ははは、まあまあ村長。
きっとオルシニさんたちも、何とか儲け話を見つけようと必死だっただけなんですよ。
わたしぐらい歳を取ると、ある程度は余裕も出てきますが、若い人だとほら、なかなかそうはいきませんから。
村長だって、覚えがあるでしょう?」
「ん? いやあ、はっはっは、かなわんなあ……」
ドウジに上手くほだされた村長は、ばつが悪そうに笑う。
――今話題に上った、オルシニこそが……ドウジたちが央都を離れ、元皇国領のこのアドラ盆地まで調査に来た理由だった。
レオたちが見つけたオルシニの覚え書き、その中の地名でここにだけ印が付けられていた意味を、オヅノの命で探しに来ていたのだ。
アルティナ戦役時……このアドラ盆地に追い詰められていた皇国の生き残りによる義勇兵を救援に向かいながら、しかし、予定していた援軍の遅れで、自らも孤立して危機に陥ったガイゼリック王と――。
その義に心を打たれ、王とともに死力を尽くして戦った、義勇兵たちの逸話――。
オルシニと彼の供は、その話を執拗に聞き回っていたという。
村から離れた砦が主戦場であり、戦禍を恐れた村人は閉じこもっていたため、戦いの細部は分からないものの……凄惨極まる激戦であったことだけは間違いないと、ドウジに語ってくれたのは他でもない村長だった。
義勇兵たちは全滅し、ガイゼリック王の供も5人と残らなかったらしいと。
そしてそのとき、王を助けるべく奮戦した義勇兵たち――彼らの勇敢さと献身へ敬意と感謝を込めて、戦後、同地に王が築いたという慰霊碑は、話を聞いたドウジも一度直に見てきていた。
「ああ、そう言えば……その商人が、妙に興味を持った話があったなあ」
「へえ。まさか、新しい商売のタネになりそうなものですか?」
ドウジの隣に控えていた小柄な青年――マシラが、村長の酒杯に酒を注ぎ足しつつ、目を輝かせて身を乗り出す。
しかし村長は、いやいや、と苦笑混じりに首と手を横に振った。
「そんな景気のいいものじゃないよ。
……そう、ちょっと奇妙な噂話、といった程度のものでね」
「それはそれで面白そうだ。酒の肴に是非お話いただけませんか」
もともと別に口をつぐむほどのものでもないと、ドウジに促された村長は気前よくその話を2人に語って聞かせる。
……義勇兵たちの亡骸は戦後、功績を讃えて、それぞれに縁ある地方領主の所有する墓地に丁重に埋葬されることになった。
それは、もとは皇国の出身である、第四妃テオドラの発案によるものだったが――そのテオドラ妃の実家が代々、一族の者を葬るのに使ってきた墓地に埋葬された義勇兵の数と、建てられた墓の数が……。
「合わない、って――墓の方が多い、なんて噂があるんだよ。
……まあ、何かの手違いか数え間違い、でなきゃ酔っぱらいの戯言か、誰かが興味半分に流した作り話、ってところだろうがね」
酒杯を傾けながらのその言葉に、ドウジもまた驚いていたが……そこはさすがに長年オヅノの腹心として、情報収集を始め、様々な仕事をこなしてきた古強者である。
まるで面に出すことなく、自然に質問で話を接ぐ。
「テオドラ様のご実家のどなたかが同時期に亡くなられたために、混同されてしまった……ということはないのですか?」
「ああ、ないなあ、それは。
テオドラ様が嫁がれて以来、ご実家のスフォレトス家にはお父上と弟君しかいらっしゃらなかったけど……そのお二人も、ゾンネ・パラス侵攻の際に討ち死にされたから。
そして、お二人の葬儀は、もっと早くに行われたはずだし」
「では、テオドラ様のご実家は……」
「そう、もうご家族は誰もいらっしゃらないんだよ。
……その上、テオドラ様の一番目のお子は、せっかくの男の子だったのに幼くして亡くなったんだろう?
まだ下に姫君がいらっしゃるとのことだけど……ともかく、気の毒な話じゃないか」
田舎の素朴な気質そのままに、自らが発した言葉に、酒で高ぶった感情まで乗せて、鼻をすする村長。
それに相槌を打ち、愛想良く酌をしながら、ドウジは確信していた。
オルシニが探していたのは、どうやらこれに間違いない――と。




