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梟の王子と鳩の王女  作者: 八刀皿 日音
Ⅰ章 央都の夜に、梟は黒い雪のごとく舞う

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 1.〈黒い雪〉


 ――庭に植えられた樹から樹へと、身を隠しながら音も無く移動する、2つの影。


 フード付きのマントを始め、爪先まで黒一色の装束に身を包んだそれらは、夜の闇に沈み、静寂に溶けながら……館の裏口へ辿り着く。


「次に見回りが来るまでは?」


 ドアの前に屈み込んだ、眼帯の青年レオノシス――レオは、相棒の東国人ロウガの顔をちらりと見上げる。

 対して、フードの奥で鋭く輝く双眸を周囲に振るのも僅か……ロウガはすぐさま答えを返した。


「1分と少し。――やれるな?」

「3回は」


 頷いてレオは、ベルトに付いたポーチの1つから、黒曜石を磨き抜いた細い針状の棒鏡を取り出し、ドアノブ下の鍵穴に差し入れる。


 夜空に浮かぶ、か細い上弦の月が投げかけるのは、数歩先の人の顔すら判別出来ないほどの頼りない光だけ――。

 それにもかかわらずレオは、明かりを付けるでもなく、棒鏡に朧気に映り込む鍵穴の奥に目を凝らしながら……別のポーチから鍵束らしきものを取り出す。


 このドアに備えられているのは、内部に設けられた幾つかの障害物により、適合しない鍵の回転を妨げるだけの、単純な〈固定障害(ウォード)錠〉と分類されるものだった。

 ある程度熟練した人間なら、何度か合鍵を使って試行錯誤すれば、障害の場所や形を把握して解錠することはそう難しくない錠だ。


 だが、レオが取っているような手段となると話は変わる。


 ただでさえ光量が少ない夜――しかも暗がりの中、指ほどの太さもない棒鏡の映り込みだけで内部構造を判断しようなどとは、およそ正気の沙汰ではない。

 絶対に無理というわけでもないにしろ、棒鏡から得る情報を目を凝らして拾い、読み解いていくだけで、どれだけの時間がかかるか分からないからだ。


 しかし、レオにその常識が当てはまらないことを、傍らで周囲を警戒するロウガは知っている。

 そして、その理解通り――彼がちらりと目をやって確認する頃には、棒鏡を差し込んでわずか数秒でしかないにもかかわらず、レオは鍵束から合鍵一つを入れ替わりに鍵穴に差し込み、躊躇いなく回していた。


 呆気ないほど簡単に、かちゃりと、(ボルト)が動く小気味良い小さな音がする。


「――お見事。5回はいけたか?」

「錠が新しいからな……反射が多くて奥まで良く映り込んでいた」


 口笛でも吹きそうなロウガの賞賛にも淡々と応じ、レオはドアを開けて中に滑り込む。


「マジかよ。目ン玉の映り込みどころじゃねえんだがな……」


 ロウガも人並み以上どころではない卓抜した夜目を備えているが、それでもレオの左目の――〈(フクロウ)の目〉と呼ばれる、あまりにも『利き過ぎる』ゆえか、明るさに眼が焼け付きそうに感じるからと、日中は眼帯で封じる必要があるほどの暗視能力には及ばない。

 そのことを改めて思い知りつつ、マントのフードを被り直しながら……ロウガはレオの後に続いた。


 首尾良く邸内に侵入した2人は、音も無く、迷いも無く、目的の部屋へと真っ直ぐに歩を進める。


 ――この館の主人である商人が、詐欺紛いのあくどい高利貸しによって得た金を盗み出す……それが、今回の彼らの〈仕事〉だった。



「おいおい……こいつァどういうことだ?」


 事前の情報により、その金が納められた金庫があるとされている部屋――。


 漆黒の闇に限りなく近い廊下の暗がりの中、やはりものの数秒で錠を開いたレオに続き、その室内に足を踏み入れたロウガは……。

 主人の仕事用らしいその部屋をぐるりと一通り見回し、小さく悪態を吐いた。


 窓からの弱々しい月明かりで仄かに明るい部屋の中は、書類や酒類、骨董品が収められた棚や机以外、鹿の頭部の剥製、絵画といった壁を飾る美術品しかなく……大金をしまうための金庫らしいものが見当たらなかったのだ。


 事前情報が間違っていたのか、どこかに巧妙に隠されているのかは分からない。

 ただ、こうした不測の事態に対し、(なり)振り構わない強盗や不慣れな素人ならともかく、彼らのようなある種洗練された盗賊が、取るべき上策として一番に挙げるものは決まっている。――速やかな撤収だ。


「――引き上げるぞ。屋敷の見回りが来るまで5分もない。

 いや……こうなると、その情報すら間違いの可能性もある」


 ヘタな固執や迷いが命取りになることは、2人とも良く分かっている。

 それだけに、自分の意見には一も二もなく同意が得られると思っていたロウガだったが――意外にも、レオは片手を挙げてそれを制した。


「ここの主人のオルシニは、確か小男だったな」

「……ついでに小太りだ。ウチのオヤジ殿と良い勝負かもな」

「なら、決まりだ」


 言って、レオは壁に突き出る鹿の頭の剥製に近付くと――色々と触ったあと、最後に角を握り、くいと捻ってみせる。

 すると、かちゃんという音を伴って、壁の剥製がかかった部分が扉のように開き……奥に金庫らしく頑丈そうな金属製の、もう一つの小さな扉が現れた。


「……なるほど。

 見下ろしていくらのこんな剥製を飾るにゃ、位置が低かったか」


「――解錠す(あけ)る。見回りの警戒は任せた」

「2分な。それで無理なら、どのみち中止だ」


 ドア前に移動するロウガの返事をよそに、レオは金庫に向かう。


 重厚感のある、鋼鉄製らしい扉に空いている鍵穴は、意外なほど小さい。

 だがそれは、複雑な仕掛けが小型化されて詰め込んであるという、造った錠前師の高い技術と、優れた防犯能力の顕れだ。

 少なくとも鍵穴が小さくなれば、差し込める合鍵の数も減り、また内部構造を探るのも難しくなる。


 だが、どんな構造の錠であれ、開くためにすることは一つ。


 それが可動式のものであれ、固定式のものであれ、あるいは手の込んだカラクリであれ……内部に設けられた障害を抜け、最奥にある閂を外す――すべてはそこに収束する。

 巡回する警備、要所に設けられた鍵、罠――それら障害を潜り抜け、最奥に隠された目標を()るという、盗賊の(ワザ)と同じように。


 小さな深呼吸を前置きに、レオは先に使用したものよりさらに細い、針のようになった黒曜石の鏡を鍵穴に差し入れる。

 鍵穴そのもの、そしてその周りの形状からも、大事な金庫の扉であることからしても、この錠が、ドアに付けられていたような単純な〈固定障害錠〉と違う、〈可動障害(タンブラー)錠〉であることは明らかだった。

 可動障害錠は、鍵の形状に沿って、バネ仕掛けになった幾つかの障害そのものが動き……それらすべてが、動き足りないことも、動き過ぎることもなく綺麗に揃ったときにのみ、鍵が回って奥の閂が外れるという仕組みのものだ。

 当然、障害を避けて鍵を回すだけで済む〈固定障害錠〉に比べて、解錠難度は高まり、それに伴って費やす時間も大幅に増す。


 そして、ロウガの提示した2分という時間は、それを満たすには決して充分とは言えなかった。

 しかしそれはあくまで、一般的な鍵師の技量を基準にするならば――の話だ。


 ――焦点を引き絞るように……レオは改めて全神経を、解錠という一点に集中させる。


 研ぎ澄まされた〈梟の目〉が確保する鮮明な視野の中、棒鏡の朧気で微細な映り込みから、脳内に大まかな錠の内部構造のイメージを構築。

 続けて、鏡に加えて先が鉤状になった〈鉤針金(キーピック)〉を鍵穴に差し入れ、実際に可動障害を動かして得た、それぞれの動き幅や力加減といった新たな情報を基に、先のイメージを補正。

 それが完成すると、入れ替わりに腰のポーチから合鍵を取り出す。

 握りの部分の仕掛けにより、突起の出し入れを調節して先端の形状をある程度変化させられる、その特製の仕掛け合鍵を差して回せば――ガチャリと、やや重い音を立てて閂が外れ、金庫の扉が開いた。


 ……ここまで、実時間にして1分弱。

 時間が止まったと自身で錯覚するほどの集中力――〈梟の目〉と並び、レオが一般的な鍵師と一線を画する要因の一つでもある、その集中力がゆえの離れ業だった。


「……相っ変わらず、鮮やかなモンだ」


 微かな物音を聞きつけてやって来たロウガが、レオの背中越しに金庫をひょいと覗き込む。

 中には、帳簿らしき物と、丈夫な造りの革袋が幾つか詰め込まれていた。


「つ……、さすがに集中し過ぎた……くそったれ」


 時間感覚を超越するほどの類い希な集中力は、だからといって手の動きまでが速くなっているわけでもない。

 むしろ、ほんの一瞬の間に、高速で巡らせる思考こそが真髄だ。

 だがそれは同時に、頭に普段以上の負荷がかかるということでもあるのだろう――。

 集中が度を過ぎたときには決まってやってくる、熱を帯びた脳の奥から響くような頭痛に顔をしかめつつ……レオはまた別のポーチから固飴(かたあめ)を取り出し、ぽいと口に放り込んだ。


 淡黄色をしたそれは、澱粉(でんぷん)を糖化して作られた飴を固めたもので、薬というわけではないが――その上品な甘さが、彼の酷使した頭には貴重な慰めとなってくれる。


「で、袋の中身は――と……ほう、相当荒稼ぎしやがったらしい。

 ……ま、悪銭身に付かず、ってな」


 帳簿の束の方は持てとばかりにレオに押し付け、ロウガはそれよりはるかに重量がある革袋を、軽々とすべて肩に担ぎ上げた。


「今の言葉、使い方間違ってるだろ」

「ま、いいじゃねえか」


 ドアではなく、外――屋敷の側を通る運河に面した窓に近寄ったロウガは、懐中時計を取り出して時間を確認した後、少し待ってから窓を開け放つ。

 そして、ちらりとだけ下を覗いてから、革袋をまとめてそこから放り投げ、すぐに窓を閉め直した。


「回収の船は、きっちり時間通りだったみたいだな」

「ああ。あとは下流域で、早朝の荷揚げ作業に混ざって運び出す手筈だ」


 答えて、ロウガは懐から1枚の紙片を取り出し、レオに差し出す。


「僕か?……自分でやればいいだろう」

「今回の功労者はお前だからな」


 からかうようなロウガに、レオはふんと一つ鼻を鳴らして返すと……引ったくるように奪い取った紙片を、執務机にあった紙切り刀(ペーパーナイフ)で机上に刺し留めた。


「完了だ。――引き上げるぞ」


 音も無くドアを抜けたレオに続き、ロウガも部屋を後にする。

 まるで何事もなかったかのように、もとの静寂に返った部屋に残されたものは……ただ一つ。



  雪よ、かくあれ――黒く。

  あまりに(うるさ)く、浅慮ゆえに却って白と錯覚するのだ。

  汝は掻き抱き、隠す――だが喰らいはしない。

  (かえ)すのだ、冷ややかな(はら)の内で。冷淡を糧に。

  ならばこそ雪よ、かくあれ――黒く。

  煩く、(かまびす)しく、冷淡なだけの白でなく。

  闇に溶けて静謐な、空に溶けて冷厳な、黒であれ。

  人知れず下り、しかして人に知らしめる黒い雪であれ。



 その、とある詩人による〈黒い雪(ネロ・ネーヴェ)〉という詩の一遍が転写された紙片――それだけだった。




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