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梟の王子と鳩の王女  作者: 八刀皿 日音
Ⅲ章 祖の心か、梟の真意か、鳩の真実か

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 1.鳩と少女と――そして


 ――庭園の芝生の上に、たくさんの(ハト)が舞い降りてくる。


 その中心で、ドレスの裾が汚れるのも構わず座り込み、調理場から持ち出してきた小麦粉を手ずから与える幼い少女を、彼女は離れた場所から見守っていた。


 海と空を一つに溶かし込んだような、大きく美しい青い瞳をくりくりと動かし……鳩たちを1羽1羽、愛しげに、興味深げに見回す少女。


「……うん、みんなちゃんと来てるね。

 そこのキミと、そっちのキミは……3日ぶりかな。

 それで、むこうの白っぽい子は新しい子だね。ようこそ!」


「これだけ増えても、お分かりになるのですか?」


 集まった鳩を見回して、彼女は思わず少女にそう尋ねる。


 ……鳩の数は、5羽や10羽どころではない。

 確かに白っぽいもの、黒っぽいものなど、明確な違いのあるものもいるが……その中でも同じような色合い、模様のものも数多いのだ。

 目印でも付けてあるならともかく、はっきりとした個体差などとても見分けられそうにない。


 しかし、振り返って彼女に答える少女は――満面の笑顔で、もちろん、と大きく頷いた。


「……私にはまるで分かりませんけれど……さすがですね」


 彼女も笑顔で応える。


 ……ともすれば、少女の言葉は子供なりの思い込みか、強がりにでも聞こえそうだが――ただ純粋に事実でしかないことを、彼女は知っていた。


 少女は、人並み外れて記憶力が優れていたのだ――それこそ、一度でも見たものは細部まで正確に思い出せるほどに。


 そんな少女からすれば、鳩の個体差を見分けるぐらい造作もないことだろう。

 もっとも、残念ながらそれが勉学においては十二分に発揮されず……書物の文面こそ見て覚えているものの、肝心の、内容についての教師の講義を今ひとつ覚えていなかったりもするのだが。

 それもまた、微笑ましいところだと彼女は思う。


 少女に姉のように慕われ、そしてそんな少女を妹のように可愛がり――何年も続いてきたこの穏やかな関係が、これからも末永く続いてくれればと、彼女は願わずにはいられない。

 そもそも明確な身分の違いもある2人だ、いつまでも同じようにいられないのは間違いないが――それでも。

 どうか、心だけは寄り添えるように――と。


「はい、今日はこれでおしまい。さ、行きなさいっ」


 小麦粉が無くなったのを機に、そう言って立ち上がる少女。

 鳩はその一言を理解したかのように、それに合わせて一斉に飛び立っていった。


 彼女は壮観なそのさまを、空へと見送る。

 そして、しばらくそうしていると……不意に、少女に名を呼ばれた。


「――さあ、私たちも行きましょ」


 はい、と答えて視線を下ろす――しかし、そこに少女の姿はなかった。


 慌てて周囲を見回すが、どこにも、今まですぐそこにいたはずの少女は影も形もない。

 戸惑う彼女の耳に、それでもまだ、少女の声が届く。


「……どうしたの?

 あなたも、もう行かないといけないでしょ?」


 声の出所はすぐ傍だ。しかしそれが分かっても、正確にどこかは分からない。

 そしてどこであっても、そこに少女はいない。


 ――ただ、優しく愛らしい声だけが、穏やかに、彼女に呼びかけていた。



「ねえ、そうだよね?――テオドラ」





「……あ……」


 気付けばうっすらと開いていた目に、見慣れたベッドの天蓋がゆっくりと像を結ぶ。


 ……夢を見ていた気がする。

 ただ、その内容は思い出せず――懐かしい気持ちと、哀しい気持ちと、そして……申し訳ない気持ちだけが、混ざり合って胸に重く沈んでいた。


「……目が覚めたか」


 どこかまだぼうっとしていた頭が、横合いからかけられたその一言で驚きに冴え渡る。


 ――気付けば、ベッド側の椅子には、いつからそこにいたのか……夫たるガイゼリック王が腰掛け、労るように彼女の手を取っていた。


「哀しい夢でも見たか?」


 王は静かに言って手を伸ばし、そっとテオドラの目元を拭う。

 ……そうされて初めて、彼女は自分が涙を流していたことを知った。


「申し訳ありません、陛下。このようなことでお手を……」


「よい。――いや、これぐらいはさせてくれ。

 わしは夢でさえお前の涙を止められぬ、不甲斐ない夫だ。

 ……せめて、これぐらいは」


「……ありがとうございます」


 弱々しくも笑みを浮かべ、敢えてテオドラは王のなすがままに身を任せる。

 幾度も過酷な戦場を戦い抜き、そして歳も重ねたその指はごつごつとしていたが……涙を拭うその動きは優しく、それだけでテオドラは心が安らぐのを感じた。


 しかし、そうして安らぎを感じるほどに――先程から彼女の胸に燻っている、申し訳ない気持ちが大きくなる。


「陛下……私は、本当に……どうしようもなく愚かな女ですね」


「どうした? 出し抜けに」


 王が訝ると、目を伏せたテオドラは……ほうっと一つ息を吐き出して答えた。


「自らは良かれと思いながら、しかし取る道は結果として間違ったものばかり。

 そう、大切な人を不幸にしてばかり――。

 これが、愚かでなくて何だと言うのでしょう」


「……テオドラ。

 人は神の(すえ)ではあっても、神そのものではないのだ」


 王の逞しい手が、痩せ衰えたテオドラの手を、そっと、しかし力強く包み込んだ。


「どうすれば最も上手く事が運ぶかなど、分かるはずもない。

 他者を思っての行動が裏目に出ることもあるだろう。

 ……だがな。

 それが本当に間違ったものだったかどうかもまた、分かりはしないのだ」


「……陛下」


「ならばこそ……大切なのは常に正しい道を選ぼうとし、そして選んだ道を信じることであろう。

 無論、それは容易いことではない。

 しかしテオドラ、他者が糾弾しようとも、他ならぬお前自身が惑おうとも――わしは信じているぞ、固く。

 ……お前が選んだ道は、決して間違ってなどいなかったと」


「勿体ないお言葉……有り難き幸せにございます」


 一度は拭われた涙を、再び瞼に浮かべながら……。

 身体を起こすこともままならないテオドラは、何とか頭だけを動かして一礼する。


 ――王の言葉に救われる気持ちがあったのは間違いない。

 計り知れない感謝を覚えたのも確かだ。


 しかし、それでも……決して拭い去れない罪の意識が、彼女の中にはあった。

 ともすれば、つい弱気にかまけて口にしてしまいそうになるそれを……これ以上はと、彼女は並々ならない自制心で抑え込む。


 そんなテオドラの心情を悟ってか――。

 王もまた、それ以上何を言うでもなく……自らの心を寄り添わせようとするかのように。


 ただただ、そっと……妃の、未だ冷たい手を握り続けていた。




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