13.紫の商会に、〈黒い雪〉が降る
――〈麗紫商会〉本店の敷地内にある荷揚げ場は、小型の荷船なら同時に10艘は優に入れるほどの規模があり、それに比して、警備にあたっている私兵も多い。
ただ、今夜は……普段なら散開して荷揚げ場全域を見張っているはずの彼らのほとんどが、桟橋へと集まっていた。
予定にない荷船が近付いてきていたからだ。
一方その荷船も、警戒されていることは承知の上なのだろう――。
両手を大きく振って敵意がないことを示す船頭は、怪しい素振りを見せればいつでも射抜いてやろうと、手持ちの弓を構えた私兵が居並ぶ桟橋へ、それでも船を進めてくる。
「おい、止まれ!
それ以上勝手に近付けばただではすまんぞ!」
松明を掲げた責任者らしい兵士の怒声に、船頭は慌てて、さらに手を振って訴える。
「まま、待ってくだせえ!
船に穴が空いちまって、このままじゃ沈みそうなんでさあ!
どうか後生ですから、荷物をそこに避難させてくだせえ!」
それを聞いた兵士たちは、しばらく顔を見合わせていたが――やがて責任者の一言で、その船を迎え入れることになった。
引き続き警戒しつつも兵士たちは、桟橋についた荷船から、荷物らしい大きな2つの樽を引き揚げるのを手伝ってやる。
荷船は、応急処置で何とか浮かんではいるものの……船頭の言う通り水が溜まっていて、いつ沈んでもおかしくない状態だった。
「いやあ、ありがてえ! 助かりやした……!
さすが〈麗紫商会〉さん、懐が深えや!」
「なに、礼には及ばん。――おい」
責任者の合図に、引き揚げた荷物の樽を囲んでいた兵士たちは、一斉に抜剣するや――有無を言わさず、いきなりその刃を樽に向かって突き立てる。
途端、闇を震わす悲痛な叫びが上がり――赤い液体が、刃を伝って滴り落ちた。
* * *
――入り口ドアに付けられた、ベルの澄んだ音色が酒場中に響き渡る。
合わせて、好き勝手に騒いでいた男たちは、一斉に注意をそちらへ向けた。
そして、戸口に立つのが、小太りの中年男たった1人……先んじて指示していた通りであると分かると、屯する男たちの中心にいた若者――ジュリオは、満面の笑みを浮かべて迎え入れる。
しかしそうは言っても、彼はその場で大きく両手を広げただけだ。
しかも、彼からすると親ほど歳の離れた相手でありながら、席を立つどころか、テーブルに投げ出した足を下ろそうともしない。
敬意など欠片もない、傲岸不遜そのものな態度だった。
それもそのはず、この酒場〈晩餐亭〉は、彼ジュリオを中心とする地回り〈長靴党〉の溜まり場――つまりは懐の内なのだ。
話し合いの場を設けるなら……と、彼が提示した条件を守り、のこのことこんな敵地同然の場所へ1人でやって来た馬鹿正直な輩なぞ、侮るなという方が無理というものだった。
そんな彼の思惑を知ってか知らずか……。
屈強な男たちに囲まれたこの状況では、それこそ馬鹿にも見えるほどの愛想の良い笑みを浮かべて、客人――オヅノは、ジュリオの向かいの席に腰を下ろす。
そこでようやく足を下ろしたジュリオは、テーブルに置かれた2つの酒杯のうち空の1つに、自分も飲んでいた葡萄酒を注ぎ入れると……ずいとオヅノに押し出した。
「――奢りだ」
「それはどうも、ご親切に」
礼を言ってオヅノが酒杯を取ると、ジュリオはそれに自分の酒杯を軽くぶつけた。
「〈長靴党〉と〈蒼龍団〉の頭同士が、こうして面を付き合わせるなんて、そうはないことだしな。ま、記念だ」
「ふむ。キミのお父上とは何度も一緒に呑んだんだけど。ね」
柔らかく答えて、オヅノはぐいと杯を空ける。
「……で、そのオヅノさんが俺に話ってなあ、どんな用件だ?
前に、あんたンところとウチの若いのが揉めた件なら、痛み分けってことで片ァ付けてやったはずだけどな?」
「あったねえ、そういうことも。
……ああ、もちろん、そのことじゃないよ」
「じゃあ何だ? まさか、あんな無茶な条件呑んで、ホントにこんなとこまで1人で来やがるなんて思いやしなかったからなぁ。
――ああ、もしかして跡継ぎのロウガって野郎が、フラフラとあまりに頼りないってンで、俺に縄張りを明け渡そうとでも決意して来たとか……そんなところか?」
言って、ジュリオは高らかに笑う。
それは周囲に伝播し、瞬く間に渦となってオヅノを包み込んだ。
しかし、オヅノは穏やかな微笑みを崩さない。
ともすればそれは、頼りない愛想笑いにも見えたが……続けて彼の口から紡がれたのは、機嫌取りとは正反対の台詞だった。
「まあねえ、確かにあれはまだ未熟だけど……。
それでも、長靴だけ履いた裸の王様よりはマシだから。ね」
――その一言に、ジュリオを含め周囲の男たちの表情が、一気に剣呑なものに変わる。
彼らが〈長靴党〉という名を名乗っているのは、はるか昔、民衆を守る義勇兵として侵略者に立ち向かう際、揃いの長靴を履いていたという始祖たちの歴史に基づく――連綿と受け継がれてきた誇りであるからだ。
その誇りを茶化されるのは、彼らにとって最も許し難い屈辱だった。
「ああ、そうだ。ここへ来た用件だったねえ」
険悪を通り越し、殺意すら含んだ周囲の空気にもまるで気付いていないように、オヅノはのんびりと口を動かす。
「実はねジュリオ、キミに聞きたいことがあったんだよ。
……先日殺された商人、オルシニのことなんだけど。ね」
「……何だと?」
「彼が、キミたち〈長靴党〉を始め、幾つかの地回りに大金をばらまいて何をさせていたのか――教えてもらおうと思って。ね。
いや、と言うより――。
……オルシニの上にいる連中が何を求めていたのかを、かな」
「はっ、おいおい何だよ、あんたこんなところまでわざわざ難癖つけに来やがったのか?
どうも、本気で死にたいらしいじゃないか?」
ジュリオは怒りも露わに、オヅノの言葉を受け流そうとする。
だが……その言動の端々に、オヅノの鋭い視線は明らかな動揺を見て取っていた。
「……ふむ。
カマをかける、というほどではないのだけど……やってみるものだねえ?」
「あぁ!? 調子に乗るなよ、この異人がぁッ!!」
落ち着き払ったオヅノの態度が、却って神経を逆撫でしたのだろう。
椅子を蹴立てて立ち上がったジュリオは、葡萄酒の瓶を掴みざま――問答無用でオヅノの頭に叩き付ける。
割れた瓶の破片とともに、赤い液体が、ばしゃりと勢い良く辺りに飛び散った。
* * *
――夜空に響き渡る悲鳴の中、無数の剣を突き刺された樽から……刃を伝って流れ出る赤い液体が、じわじわと床を汚していく。
それは敷石の隙間を縫って広がり、やがては運河へと滴り落ちていった。
「な、なんて――なんてことしやがるんだ! 大事な売り物なんだぞ!」
裏返った声でなおも悲鳴を上げ続けながら、荷船の船頭は樽を囲む兵士たちに食ってかかる。
それをいとも容易く振り払い、兵士たちは声を上げて笑った。
「そいつぁ悪いことをしちまったなあ。
まあ、こうなっちゃもう売り物にゃならねえだろ? オレたちがありがたくいただいてやるよ!」
兵士の1人は樽から剣を引き抜くと、その隙間から勢いよく溢れ出た葡萄酒を、品も悪く直接大口を開けて迎え、文字通り浴びるように喉に流し込む。
さらに他の兵士も我先にと後に続こうとするのを、船頭は必死に止めようとするものの……その度に振り払われるばかりで。
挙げ句、兵士たちの中でも一際体格の良い男に抱え上げられたかと思うと、抵抗も空しく、そのまま運河へ投げ捨てられる。
しかもそうしているうちに、彼の荷船は、兵士たちに乱暴され、いよいよ手の施しようのない大穴を開けられ……桟橋から蹴り出されるや、水中に転がり落ちるようにあえなく沈んでしまっていた。
「ちきしょう……ちきしょう!
覚えてやがれ、この人でなしどもめ!!」
何とか浮き上がった船頭は、変わり果てた荷船の残骸の木ぎれにしがみつき、運河の下流へと逃れながら……ありったけの声を張り上げて兵士たちを罵倒する。
一方、当の兵士たちはと言えば……。
それを酒の肴とばかりに笑い飛ばしながら、樽に残った葡萄酒を、思い思いに、脱いだ兜を杯代わりに使ったりして余さずすくい上げ、まだまだ酒宴を続けるつもりのようだった。
哄笑を上げて盛り上がる彼らの、その背後――。
居並ぶ荷物の合間を縫って、本館の方へと移動する2つの人影があることなど、夢にも思わずに。
* * *
「――まったく、高い酒にしなくて正解だったぜ」
本館へ通じる階段、それを塞ぐ鉄柵の錠をレオが外している間、桟橋の方を振り返っていたロウガは……。
そこで粗野な兵士たちが興じている酒宴に、ほとほと呆れたと言わんばかりの息を漏らした。
「だが、どちらにせよ振る舞ってやるつもりだったじゃないか」
1分とかけることなく錠を外したレオは、そんなことを言いながらロウガを促し、ともに鉄柵の向こうに身を滑り込ませる。
「そうなんだがよ……。
しかしだ、こっちから振る舞ってやるのと、あんな風に無理から奪われるのとじゃ、心象ってもんが違うだろが。
……あれならむしろ、唐辛子の絞り汁にでもしときゃよかったぜ」
「それこそ、その分の唐辛子が無駄になるだけだぞ」
彼らが無駄口を叩きながら上る石造りの階段は細く、周囲が植物で丁寧に飾り立てられていて……商用の荷物の運搬に使われる搬送用の通路とは別であることは一目瞭然だった。
予め見取り図で確認していなくても、これが本館と直接連結している、主人用の専用路であることはすぐに分かったに違いない。
その階段を上りきった先は庭園だった。
貴族の屋敷もあわや、という意匠を凝らした大庭園の中、手の込んだ植え込みの間を縫って、柱廊が本館へと続いている。
「……さて、ここからだな。油断――」
するなよ、と注意しようとしてロウガは、既に足を踏み出していたレオの襟を慌てて掴み、勢い良く引き戻した。
そして、抗議しようとしたレオの口を塞いで柱の陰に身を潜める。
ややあって……植え込みの死角から見回りの私兵が姿を見せたかと思うと、2人が隠れている辺りをしばらく見回し、立ち去っていった。
その姿が視界から消えても、ロウガはすぐに警戒を解こうとはしなかった。
しばし様子を見、気配も探った上で――ひとまず大丈夫だと判断してようやく、拘束していたレオを解放する。
「ったく、言った側から何やってやがる。お前らしくもない」
「――すまん、油断した」
レオは小さく頭を下げる。
ロウガが知る本来のレオからすれば、今の行動はただの油断というにはあまりにも迂闊なものだった。
思わず、それだけじゃないだろうと問い詰めたくもなるが……状況が状況である。
彼が口にしたのは、一言だけだった。
「……大丈夫なんだな」
それは疑問形ですらない。釘を刺すだけだ。
今さら、大丈夫じゃない、という返答など、認められるものではないのだ。
「ああ、もちろん」
そう返すレオの様子そのものは、落ち着いていて普段と変わりない。
浮き足立っているようにも、焦っているようにも見えない。
しかし――
「分かった。なら、このことはもう言わん。
――行くぞ」
そう納得した姿を見せながらも……ロウガは内心、レオの様子に一抹の不安を感じずにはいられなかった。




