5.侠客に娼婦に −2−
「――そんなことよりサヴィナ。
わざわざこんなところまで、何を買いに出てたんだ?」
サヴィナが持つ麻袋を見ながら、改めて問うレオ。
両手が塞がっているサヴィナは、視線でもそれに答えるように、肩越しにちらりと後ろを振り返った。
「ええ……薬をね。
この上の職人街の方に、腕の良い薬師がいるって聞いて」
「薬って――どこか悪いのかっ?」
サヴィナの肩を掴み、慌てた様子で詰め寄るレオ。
その剣幕に一瞬は驚くものの――すぐにサヴィナは、大丈夫と微笑み返す。
「心配してくれてありがと、レオ君。でもわたしじゃないの。
娼館の仲間の娘が、ちょっと……ね」
「あ、ああ……そうか。悪い」
ばつが悪そうに、レオはサヴィナの肩から手を離した。
「だけど、仲間に、って……何かあったのか?」
「ええ。――ほら、2日前、レオ君に頼んで鍵付きの貞操帯を外してもらった娘、いたでしょ? あの東国生まれの娘。
あの娘のところに、昨夜も同じお客が来たんだけど……」
サヴィナの整った顔が、不快そうに曇る。
「勝手に貞操帯の鍵外してたことに激怒して……あんまり気の強い娘じゃないのをいいことに、本気で暴力振るったらしいのよ。
貞操帯の件があるから、用心棒の〈蒼龍団〉の人たちも注意してたみたいで、すぐに気付いて止めに入ってくれたから、幸い骨が折れたりまではなかったんだけど……顔が腫れ上がっちゃってて……」
「で、薬はその娘のために、ってわけか――」
腕を組んだロウガが深く息を吐いた。
サヴィナも籍を置いている、〈蒼龍団〉の管理下にある娼館は、所在こそ下町で高級娼館というほどのものではないが……。
しかし、余所で時折見られるような悪質な商売をすることもなく、館自体もきちんと手を入れて小綺麗に保っている上、異国出身の娘が多いという物珍しさも手伝って、まれに貴族や富豪までがお忍びで通うこともあった。
そうした上流階級の人間が件の客ではないか――と予測したのか、ロウガは険しい表情で尋ねる。
「――そいつ、どんな客だったか、覚えてるか?
いくら上客だろうが、そんな輩は放っておくわけにはいかねえからな……」
「そうね……単に太ってる――というより、何となく締まりのない感じの男だったわ。
金払いは良かったみたいだし、あの服装とか、立ち居振る舞いは――いかにも貴族っぽいところもあったけど、何年もレオ君っていう『本物』を見てきたわたしの目からすると、多分違うと思う。
きっと、貴族に影響されるような……常日頃から近くにいる大商人の類じゃないかな。
確か、名前は――」
「いや、それはいい。どうせお遊び用の偽名だ。
ともかく、自分の影響下にあるものは何でも思い通りにならなきゃ気が済まないような、最低の野郎ってのは間違いねえわけか。
――それで、女将の対処は?」
ロウガのこめかみが、怒りにぴくぴくと動く。
目の前にその犯人がいたならば、止める間もなく問答無用で半殺しにするだろう、とレオは思う。
だが、それも当然のことだ。
ただでさえ、敵意の無い女子供に手を上げることなど恥の極みとばかり忌み嫌う侠客の彼であるのに――その上、被害に遭ったのは庇護下にある娼館の娼婦、つまりは重要な収入源を支えてくれている大事な働き手にして、家族の一員のようなものなのだから。
「冷静にそのお客を追い出してたけど……女将、すごい迫力だったわよ。
用心棒の〈蒼龍団〉の人まで、思わず仕事を忘れて竦み上がるぐらいに。
女将って、わたしたちのことは本当の妹みたいに可愛がってくれる人だから……相当頭に来てたみたいね。
……取り敢えず、あの客は今後一切出入り禁止にするって」
「当然だな。……もっとも、もう1回ノコノコと顔出してくれた方が、俺が直接シメてやれる機会が出来てありがたいんだが」
言って、ロウガは拳の骨を鳴らした。
それに続けてレオが、
「けど、サヴィナ……お前も気を付けろよ。
そいつ以上に危険な奴が、その……客になる可能性もあるんだからな」
そう少しばかり歯切れ悪く注意を促すと……サヴィナは笑顔で頷き返す。
「ええ、ありがとレオ君。……でも、それはあなたたちもよ?
何かにつけて、危ないことに首を突っ込むのは仕方ないことなんでしょうけど……くれぐれも、大怪我したりしないように気を付けてね?」
「何だ、大きくない怪我ならいいのかよ?」
「あら。だって、傷は男には勲章なんでしょ?」
揚げ足を取るかのようなロウガの発言にも、サヴィナはさして動じる風もなかった。
くすくす笑いながらそう切り返し、「それじゃあね」と手を振って、2人が来た方へと歩き去っていく。
「あれもまた大した女だよなあ。
――もとい、女ってやつはすべからく……と言うべきか」
ついさっきまでの怒気もどこへやら、いつもの飄々とした調子に戻ったロウガは、ちらりとレオの顔色を窺う。
……レオは、傍目にも色々な感情が綯い交ぜになっているのが分かる難しい顔で、遠くなるサヴィナの背を見送っていた。
「……なあ、レオ」
突然の呼びかけ――それも、いつもとはどこか毛色の違う響きの声音に、レオは怪訝そうにロウガを振り返る。
「お前、やっぱり今でも恨んでるか?
オヤジ殿が、お前が央都を離れている間に、アイツが娼婦になるって話を纏めちまったこと」
「……今さら何言ってやがる」
フン、と、冷笑混じりにレオは鼻を鳴らした。
「マスターへの文句なら、とっくに言い尽くした。
……大体、サヴィナ自身が望んで、自らの意志で決めたことだ――。
僕がとやかく言える余地なんてあるもんか、くそったれが」
「……そうか。……そうだな」
ロウガは深く頷くと、きびすを返しざま、勢い良くレオの肩を叩いた。
「さてと、ここでいつまでものんびりしてるわけにもいかねえな。
俺たちは俺たちの仕事をこなすとしようや」
「言われるまでもない。――行くぞ」
ぶっきらぼうにそう言うと、鬱陶しげにロウガの手を払い除け……レオは先に立って歩き出した。




