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梟の王子と鳩の王女  作者: 八刀皿 日音
Ⅰ章 央都の夜に、梟は黒い雪のごとく舞う

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17.兄と妹のカタチに


「あ……! お帰りなさい、兄様!」


 何とか追っ手も撒き、〈シロガネヤ〉に帰り着いたレオが居間に入ると……。

 ややだらしなくテーブルに上体を投げ出していたマールが、身を跳ね起こしながらそう言って笑った。


「……お前……起きていたのか? 先に寝ていろと言っただろうに」


「ええと、そうなんですけど……。

 その……やっぱり、心配で」


 ……暖炉には火が入っていて、室内を明々と照らしている。

 燃えるオルシニの館を脱け出してからほぼ走り詰めで、寒いどころか汗が浮かぶほどに暑いのだが……。

 しかしレオは、その光景を――当たり前のように火が灯り、人が自分を迎えてくれる光景を――暖かいと、素直にそう感じていた。


 神経を磨り減らし、疲れ切ったせいで弱気になっているのか――そんな風に思いながらも、しかしこみ上げる安堵は確かにあり、悪い気がしないのも事実で。

 張り詰めていた気を緩め、マントを適当に放り投げると……レオは、椅子にどっかと身体を投げ出す。


「えっと、その……怒りました? 兄様」


「いいや。むしろ――助かった」


 眉間に手を当てながら、レオは大きく息を吐き出した。

 ……とにかく頭痛が酷い。ひたすら身体が重い。


 ただの警備兵ならいざ知らず、剣術の達人として名高いアスパルを相手に、集中力を極限まで酷使して死線を潜ったのだ――彼は今、言葉通りの疲労困憊だった。


 もしマールが迎えてくれなかったならば、もうしばらくは緊張を緩めることも出来ずに、闇の中で息を殺していただろう。

 そう感じたからこその、素直な感謝の言葉だったが……マールには意外だったのか、聞き違えたのかとばかりに首を傾げていた。


「……せっかく待っていてくれたんだろう?

 なら、ぼーっとしてないでコーヒーでも温めてきてくれ。

 ――昼に煎れた分の残り、まだあるよな?」


「あ、は、はい、すぐに!」


 マールは嬉しそうに立ち上がると、暖炉から火を取ってキッチンへ向かう。

 その背中に、レオは忘れず注文を投げかけた。


「蜂蜜をありったけ溶かしてくれ。甘過ぎるぐらいでいい」

「は〜い」


 マールの軽快な返事を聞いて、ふと思い立ったレオは重い腰を上げ……金属加工用の小さな炉がある、自身の工房に入る。

 そして、壁際に据え置いた棚の引き出しから銀細工の首飾りを取り出し、懐に入れて居間に戻った。


(しかし――)


 再び椅子に身体を沈めながら、レオは先刻の出来事を思い返す。


(まさか、あんなところでアスパルに会うなんてな……)


 国王の侍従という立場にありながら、どうしてあんな場所にいたのか。

 どうして警備兵などに扮していたのか――。


 疑問は色々と思い浮かぶが、激しい頭痛が、これ以上考えることを必死になって拒否してくる。

 そして、それに抗ってなお思索に耽るだけの気力は、今のレオには残っていない。

 ただ、取り留めのない記憶が、脳裏に浮かんでは消えていくだけだった。


「……そうだ、姉上が嫁いだんだったな……」


「どうかしましたか、兄様?」


 いつの間にかキッチンから戻ってきていたマールの呼びかけに、レオは何でもないと首を振る。

 マールにとっても馴染み深い知己の1人であるアスパルと、命のやり取りにもなりかねない一戦を交えてきたばかりだとは、さすがに言う気になれなかった。


 誤魔化すように、差し出された湯気の立つカップに口を付ける。


 褐色の液体は、まるで、舌にべったりまとわりつくかのように錯覚するほど酷く甘く、コーヒーとしての香気などあったものではなかったが……。

 レオは、今はこれぐらいがちょうどいいと感じていた。


「えっと、やっぱり甘過ぎました……?」


「……いや、大丈夫だ。

 今は――これぐらいがいい」


 正直な感想を告げながら、レオは眉間を指で摘む。

 ……口の中に広がる甘さが、少しずつ、痛みを訴える脳を解きほぐしていくような気がしていた。


「そうだ……マール」


 コーヒーが兄の口にあったことを、良かった、と喜んでいるマールをちらりと見上げて……。

 レオは懐から、さっき工房から持ち出してきた首飾りを取り出し、テーブルに置く。


「……あ。兄様、これって……!」


「そう、お前がせがんでいた物だ。

 ようやく、今日の夕方に仕上がったんでな」


 中央に配された水の雫を、その精霊らしき2人の人魚が両側から支えている――そんな意匠の小さな細工をぶら下げた、全面銀一色の首飾り。


 それは、マールがこの家に住むようになってすぐの頃に、こういう首飾りを作ってもらえないか――と、わざわざ驚くほど緻密な下絵まで描いてきてレオにねだった物だった。


 何を馬鹿なと一蹴しようとも思ったレオだったが、マールのあまりの真剣さに断りきれなくなり……今日まで少しずつ作業を進めてようやく完成したその品を、マールは目を輝かせて持ち上げる。


「……すごい……! すっかり、あの絵の通りに……!」


「下絵があれだけ緻密だったからな、さすがに大変だったが。

 ……まったく、あれは間違いなくお前の才能と言って差し支えないな」


 たとえ〈(ハト)の目〉という、『一度見たものは忘れない』特異な記憶力があったとしても、それを細密な絵として描き起こすのはまた別の才能であることを褒めたレオだったが……。

 興奮気味のマールにはまるで聞こえていないらしく、首飾りを胸に掻き抱いたまま「ちょっと待ってて下さいね」と言い置き、足早に居間を出ていった。


 そして言われた通り待つことしばし……。


 どうやら自分の部屋に戻っていたらしいマールは、居間にとんぼ返りするや否や、真剣な面持ちで、細緻な意匠が施された小さめの宝石箱らしきものを改めてレオに差し出した。


「どうか受け取って下さい、兄様」


「礼のつもりか? なかなか殊勝じゃないか。

 ……見たところ、この箱だけでも確かにそれなりの価値がありそうだが――」


 受け取った箱を開けながらそこまで言って、レオは絶句した。

 開いた口が塞がらない……とは、まさに今の彼のことだろう。


 ――何せ、宝石箱にきちんと納められていたのは……。

 今まさに彼がマールに渡したばかりの、あの首飾りだったのだ。


「――何だ? つまり……。

 やはり気に入らないから突っ返す、と、そういうことか?」


「ち、違います違います!」


 マールは大慌てで首を横にぶんぶん振った。


「あの、せっかくこうして兄妹が再会出来たんですから、わたし、記念にお揃いの物が欲しいと思って……。

 それで、兄様にお願いしたんです――これと、同じ物を」


 マールは、宝石箱の中の首飾りを指差す。


「――ならどうして、初めからそう言わなかった。

 それに、こうして見本があるのに、わざわざ下絵に描き起こしたりしたんだ?」


「それは……その……。

 その首飾りは、お父様とお母様から頂いたものだから……正直に言うと兄様、引き受けてくれないんじゃないかと思って……」


 マールの発言に、レオはあからさまに顔をしかめた――が、今の彼には幸いにもと言うべきか、怒るほどの気力はない。

 そうだろうな、と、マールの言葉に苦々しげに同意するのが関の山だった。


「……じゃあ、この宝石箱のものは、お前が親父たちから贈られた物なのか」


「はい。兄様にならお預けしても、お母様たちはお許し下さるでしょうし……。

 それにこちらは、兄様がせっかく作ってくれたものだから、わたしが自分で持ちたいって……」


 服のポケットから出した同じ形の首飾りを、ぎゅっと握り締めるマール。


 レオはその様子を眺めながら甘ったるいコーヒーを一度啜ったかと思うと……やおら手を伸ばし、マールの手の中から首飾りを取り上げた。

 そして、代わりに――テーブルにあった宝石箱を、ずいとマールの方に押しやる。


「あ……兄様!?」


「揃いを持っていたいというのなら、こっちを僕が持っていても問題はないだろう?」


「で、でも……」


「それは、親父たちが他でもない『お前に』贈った物だろう?

 なら、お前が持つべきだ。兄妹だろうと他人が持つものじゃない。

 ……ましてや、僕のような人間がな」


「…………。

 分かりました……」


 取り上げた首飾りを懐にしまい、もうこれ以上の議論は無駄だとばかりにコーヒーに口を付けるレオの態度に、マールは小さくなりながら……宝石箱を持ってテーブルの向かいの席に戻った。


 その様子をちらりと見て――レオはため息混じりに、カップに目を落としたまま口を開く。


「――安心しろ。これは僕にとっても、手間暇かけて作った物だ。

 捨てたり売ったりなんてしやしない。

 身に付けるかどうかは別にしても、そう……持ってはいるさ。ちゃんとな」


 兄妹として、お揃いの物が欲しい――そのマールの願いまで無下にするわけではない、と。

 柄ではないと思いながらも、ぶっきらぼうに、言下にそう念を押すレオ。


 果たして、その想いを察したマールは「はい」と嬉しそうに柔らかく微笑んだ。


「……まったく、くそったれ……」


 すっかりばつが悪くなったレオは、ヤケ気味に残ったコーヒーを一気に呷り、椅子に深くもたれかかる。


 そうしてゆっくりしていると、一気に疲れが襲ってきたのか……。


 いつしかレオはその体勢のまま、本人もそうと気付かないうちに寝息を立て始めていた。


「兄様……兄様?」


 ふと呼びかけて、レオが寝てしまっていることに気付いたマールは……。

 一度居間を出て毛布を持ってくると、レオの身体に掛けてやり、また元の席に戻る。


 そして――



「兄様……ありがとう。

 それと――ごめんなさい」



 伏し目がちにそう呟いた、その後は。


 テーブルに頬杖を突き、暖炉の炎に照らし出される無防備な兄の寝顔を……飽くことなく、ただ、見つめ続けていた。




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― 新着の感想 ―
[一言] ワイもこんな妹が欲しかった(迫真)。
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