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梟の王子と鳩の王女  作者: 八刀皿 日音
Ⅰ章 央都の夜に、梟は黒い雪のごとく舞う

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16.夜闇に梟を追う


 ――大河マドレを中心に、旧来の遺跡を利用したものから、近年新しく作られたものまで、幾筋にも枝分かれした運河を擁する央都。


 その運河からさらに分かたれ、街中を縦横に走る小規模な水路の1つ――。

 雑多に居並ぶ、あまり裕福とは言えない人々の住居の間を縫うように流れる、そんな水路のほとりを足早に進むのは……街の警備兵に扮した王の侍従アスパルと、彼の部下だった。


「……この先、通りに出て運河を挟んだ向かいに建つのが、商人オルシニの屋敷です」


 角灯(カンテラ)を手に先導していた兵士の案内に、アスパルは難しい顔をしたまま頷く。


「細工師アッカドの最後の取り引き相手――何か知っているといいのだが……」


 ふと顔を上げるアスパル。

 ――と、その細い眼が大きく見開かれた。


 視線の先にはあったのは……立ち上る黒煙と、夜空を焦がす炎の赤。


「――おい! あれは……!」


 アスパルの緊迫した声に、兵士もすぐに事情を察したらしく、打てば響くとばかりに頷く。


「間違いありません、オルシニの屋敷の方向です!」

「くっ――急ぐぞ!」


 兵士の返事を待つこともなく、アスパルは暗い路地の中を駆け出していた。





    *   *   *



「おい、あれ!」

「いたぞ、あそこだ!」


 ……いかに人目に付かないよう心を砕こうとも、続々と数を増す衆人環視の中、燃え盛る炎を背にした状況では、いつも通り、夜に降る〈黒い雪〉のごとく闇に溶けて――とはさすがに無理がある。


 母屋の屋根から(うまや)の屋根を抜け、塀を越えたところで……やはりと言うべきか、レオたちは野次馬にその姿を見咎められていた。


 付近を巡回する警備兵もこの騒ぎを聞きつけて集まってきており――。

 それが野次馬を掻き分けて追っ手となるのも時間の問題だと、すぐさま人気ひとけの無い方へきびすを返して走り出す2人。


 その最中、ロウガは小声でレオを呼ぶ。


「ある程度開けた場所に出たら、俺が一旦警備兵を引きつける。

 お前はその隙に、場を離れて姿をくらませ」


「――大丈夫か?」


「愚問だな。こういうときのための俺だろう?

 ま、警備兵ごときなら、30人まとめて相手にしても釣りが来る。心配すんな」


 強がりにも聞こえるロウガの発言だが……それが誇張でも何でもないことは、誰より、同じ師に鍛えられたレオが良く分かっている。


 徒手空拳もさることながら、あらゆる武器をそれこそ手足のように扱い、あらゆる武術を、そしてあらゆる戦士を己の才覚一つで凌駕する、戦いの申し子――それが、ロウガという男だと。


「そうだな。――頼む」

「おう。じゃあ、明日また、〈酒盗亭(みせ)〉でな」


 いつもの調子でそう言って、ちょうど開けた場所に出たのを見計らい、ロウガはいきなり足を止めて振り返る。


 逃げているはずの人間の予想外の行動に、追いかけてきていた警備兵たちが注意を引かれる中――レオは脇目も振らず、狭い路地の暗がりへと飛び込んでいた。





    *   *   *



 ――巡回中だった警備兵の一団に紛れ、燃える屋敷から逃げ出した人影を追っていたアスパルたち。

 そんな彼らの前で、当の人影がいきなり足を止めて立ち塞がった。


 10人からいる警備兵たちは、皆、色めき立ってその人影を取り囲む。

 だが、そんな中――アスパルだけは、もう一つの人影が路地の方へ消えるのを目に留めていた。


 彼は小声で部下を呼び、その場の加勢を命じると……自分はもう一つの人影が消えた路地と並行に伸びる、手近な路地へと飛び込む。


 警備兵の装備は機動性を重視するため、鎖帷子(くさりかたびら)を基本にした軽装だが、それでも王宮で執務に当たる際の礼服に比べれば充分重い。

 ――とはいえ、身体の動きを阻害するというほどではなく……しかも若い頃から王に従い戦場に出ていたこともあり、細身ながら並の騎士では相手にならないほどに鍛えられた肉体を持つアスパルは、鎧の重さなど感じさせないほど軽やかに、矢のような速さで路地を駆け抜けていく。


 ……ちょうど、雲間から月が顔を出していたことも幸いした。


 暗がりに足を取られることもなく、半ば全力疾走で人影の行く先を追ったアスパルは――ついに、路地を抜けて出た人気の無い小さな通りで、その目標を目と鼻の先に捉える。


 そこで、黒装束の人影は追っ手を確認するためか、一度立ち止まり、来た方を振り返っていた。


 好機と見たアスパルは、一気に距離を詰め――鞘ごとベルトから外した長剣を振りかぶって飛びかかる。


「逃がさん――っ!」

「――――!」


 彼の襲撃に気付いた黒装束が振り返り――刹那、身を投げ出して地を転がった。

 黒装束の肩をしこたま打ち据えるはずだったアスパルの一撃は、まさしく紙一重でかわされ、空を切る。


「む……!」


 この一撃で決めるつもりでいたアスパルは、ギリギリの状況で、ここしかないという場所に身をかわした反応に驚きながら、黒装束の方を見やる。


 すると、フードで顔を隠したその相手もまた、素速く立ち上がりながら――同じように小さく、何かに驚いたらしい声を発していた。


(! 今のは……?)


 微かに捉えたその声に、何か聞き覚えのようなものを感じ……アスパルの中に戸惑いが生まれる。

 が、それは気の迷いと即座に片付けられる程度のことで、彼の行動を押しとどめるほどではなかった。


 予想以上だった相手の力量を測り直しつつ……再度、鞘に収まったままの長剣を構える。


 黒装束も、ここで安易に背中を見せることは却って危険だと分かっているのだろう――照り返しの一切無い黒塗りの短剣を抜き放ち、僅かに腰を落として相対した。


「無駄な抵抗は止めて、大人しく降れ。

 殺しはしないが……わざわざ痛い思いをしたくはないだろう?」


 一応そう投降を促すも、やはりと言うべきか、黒装束の側に反応は無い。


 ならば――と、アスパルは腕の骨を砕いてやるぐらいの心づもりで、強烈な攻撃を袈裟懸けに一度、二度と立て続けに繰り出す。


 しかし、それらもまた、黒装束は捌いてみせた。

 一撃目を短剣で軌道を逸らしつつかわし、続く二撃目は後方に飛び退き、またも紙一重で避ける。


「…………っ」


 アスパルは思わず唇を噛んだ。


 そこまで余裕の無い今の捌き方を見ても、そしてこれだけのやり取りで息を乱しているさまを見ても……相手はそれなりの訓練を積んではいるようだが、しかし達人というほどの使い手でなく、彼に劣っているのは明らかだ。


 ――だがそれでも、かわされる。


 先の奇襲はまだしも、今の一連の攻撃は、力量差を考えればおいそれと見切れるものではないはずなのに、である。


 可能性があるとすれば、そもそも相手が彼の太刀筋を知っていた――というぐらいのものだったが……。


(いや……まさか。

 第一、それでも、一度や二度見ただけではこうはいかないはず……)


 訝しむアスパル。

 そのとき――そんな彼の胸の内を見透かしたように、黒装束はフードから僅かに覗く口元で、ニヤリと笑った。


 そして、若い男の声で告げる。


「不審者の追跡にこんな所まで繰り出すとは、国王付きの侍従ってのは余程ヒマな仕事らしいな――アスパル・アルダバル卿?」


「! な――っ!?」


 一瞬、アスパルは絶句して動きを止めてしまう。


 その心の隙を突いて、黒装束は素早くきびすを返し――まさに脱兎のごとく、さらに暗がりにある裏路地の方へと駆け出していった。


「ま、待てっ!」


 すぐさま、アスパルもその後を追う。


 国王の侍従というのは、無名というわけではないが、どちらかと言えば裏方であり、それほど表に出るような役職でもない。

 ましてやこの夜闇、しかも警備兵に扮しているにもかかわらず、正体を見破られた――。


(あの男、一体何者だ……!)


 身のこなしのことを考えても、一般人や、ただの無法者とは思えない。

 やはり、バシリア卿の手の者か――と、つい思考に気を取られたアスパルは、暗がりの何かに蹴躓(けつまづ)き、闇の中に身体を投げ出してしまう。


「しまっ――!」


 ちょうど階段でもあったらしく、彼の身体は色々な箇所をぶつけながら転がり落ちた。

 だがその痛みはそれほど大したことはなく――彼がしくじったと唇を噛んだのは、改めて身体を起こし周囲を見回してからだ。


 ――そこは、一面の闇の中だった。


 空気の流れからして、まだ屋外であることは分かるが……もとより光の当たりづらいような場所な上に、しかも折り悪く月が完全に隠れてしまっているのだろう。

 鼻をつままれても分からない、という表現がこれ以上ないほど適切な、真の闇が彼を包んでいたのだ。


(まさか、誘い込まれたのか……!?)


 動揺する心を落ち着け、何とか周囲の状況を探ろうと、視覚以外の五感に神経を集中しようとするが――その猶予は与えられなかった。


 音も、そして気配も無く――彼の首筋に、ひやりとする感触が当てられたのだ。


 一条の光さえ照り返さないそれが、黒装束の持っていた黒塗りの短剣であることは、何を見ることの出来ない彼にもすぐに察しがついた。

 だがそれは同時に、相手も手の届く範囲にいるということでもある――。


「――ふっ!」


 咄嗟に身を退きながら、アスパルは長剣を横薙ぎに払った。


 しかし、感触は何も無く――さらにはバランスを失い、身体が(かし)いだその瞬間を待っていたかのように見舞われた痛烈な一打に、長剣が弾き飛ばされる。


 そして続けて、無防備な腹部、鳩尾(みぞおち)に――しかも鎖帷子の隙間を縫って、短剣の柄頭らしい細く硬い物の狙い澄ました一撃を受けて悶絶したところを。

 さらに腕を取られ、足を払われて……前方に一回転するように投げ飛ばされた。


 真の闇に地面の位置すら分からず、加えて鳩尾への一撃で息すら詰まっている状況ではとても受け身など取れるわけがない。

 しかも、比較的軽装とはいえ金属の鎧まで身につけているために、背中をしこたま打ちつけたときの衝撃は、アスパル自身の予想よりも遙かに強烈だった。

 瞬間、瞼の裏に火花が――皮肉にも明かりの足しにならない火花が、チカチカと散る。


 辛うじて気を失ってこそいないものの……息も詰まり、目眩すら起こして動けない彼は、まさに止めを待つばかりの身となった。

 その首筋へ、もう一度――静かに、刃の冷たい感触がもたらされる。


(何てことだ、こんなところで……っ!)


 必死に逃れようとするも、身体は鉛と化したように重く、まるで動いてはくれない。


 さしものアスパルも、死を覚悟する他なかった。

 どちらにせよ闇の中であるというのに、本能の為せる業か、思わず目をつぶってしまう。


 そうして、最期にと口を突いて出たのは――妻への言葉だった。


「……すまん、ユニア……!」


 果てなく長い時間のように感じられる、最期のときまでの、一瞬。


 だが――。

 彼がどれほど待とうとも、その身に最期の時は訪れなかった。



「…………?」



 恐る恐る、目を開くアスパル。

 一番に視界に入ったのは……四角く切り取られたような小さな夜空、雲間に顔を見せた月の姿だった。


 何とか上体を起こして見回すと、彼のいるそこは、階段で低くなったところに、さらに集合住宅の高い壁にぐるりと囲まれた、狭い踊り場のような路地の一画で――。


 そしてどこにも、あの黒装束の影は無かった。




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