13.鳩と古狸 −2−
オヅノの言葉に意表を突かれたマールは、無防備にハッと顔を上げる。
――静かにカップを傾けるオヅノは、いつしかまた……あのぞくりとする気配を纏っていた。
「確かその頃テオドラ様は、ご病気になられたとのことだったかな。
――そうそう、8年前と言えば……レオが公には病死ということになって国葬が執り行われたのも、ちょうど同じ頃だねえ。
やっぱり、自分の病弱さを受け継いでしまった幼い王子が、自分よりも早くに夭逝してしまったのがあまりに衝撃で、お倒れになったと……そういうことなのかな。ね」
「あ……は、はい、そうです。
以来、ご病床の身となられたお母様は、万が一にも、わたしに病気が移ってはならないから、と――」
……しどろもどろになりそうになるのを必死に抑え込み、何とか会話を繋げるマール。
油断していたところへの不意打ちめいたオヅノの一言は、彼女自身の予想以上に、彼女を動揺させていた。
しかし――なおも何らかの言葉を以て彼女を揺さぶると思いきや、オヅノはのんびりとした調子に戻り、「そうだねえ」とマールの発言に同意してみせる。
「そりゃあ……まさしく、ご心痛はいかばかりか、だよ。ね。
幼い頃から、病弱ゆえに療養させたいとのことで、央都中心部から離れた、郊外の縁者の屋敷に預けていた……。
それほどまでに大事にしていた王子が、自分より先に亡くなってしまったとなれば――ね」
「あ、はい……そうだと思います」
伏し目がちに、言葉を絞り出すように呟くマール。
「兄様には、どんな事情でいらっしゃるのかはともかく――お元気だったのなら、どうかそのことを今からでも、お母様やお父様にお報せしてあげて欲しいとお願いしているんですけど……聞き入れてくれなくて」
「そうだろうねえ」
やわらかなオヅノの相鎚を受けながら……マールは、自分のコーヒーが入ったカップを、ぎゅっと両手で強く包み込む。
「…………わたしだって、馬鹿じゃありません。
病死とされたはずの兄様が生きておられたということは……誰かが、そう『偽った』のだと――それぐらいは分かります。
そして、きっと兄様はそれがお父様やお母様の手によるもので……しかも、悪意をもってなされたのだと信じてらっしゃるのでしょう。
でも、わたしはわたしで……兄様の詳しい事情は知らないけれど、きっとそれは誤解だと――お父様やお母様が兄様に酷いことなんてするはずがないと、そう信じているんです」
「ふむ……なるほど。ね」
ゆったりと大きく、オヅノは頷く。
そうしてマールに寄り添うようなオヅノの態度は、とても穏やかで、優しい。
時折見せるあの冷たさと、そのどちらもが本当のようで……また、どちらもが演技のようで。
マールは、ますますオヅノという人物の本質が分からなくなった。
……ただ一つ確かなのは、相手の方がずっと上手で、余計な小細工は効果が無いどころか自らの首を絞めることにもなりかねない――という事実だ。
しかしそう認識することは同時に、開き直りにも似た落ち着きを、彼女にもたらしていた。
「けれど……マールちゃん。
それだけご両親を信じ、敬愛していながら……なぜ、キミはレオの誘いを受けて屋敷を出たんだろう。ね。
……特にお母上は、子を喪った悲しみからご病気に臥せられた――と、真実は分からずとも、少なくともキミはそうだと信じていたはずなのに」
オヅノの口調は、特に詰問する風でもなかった。
ただ自然に、もっともな疑問をマールに向けてくる。
それに対して、マールは……キッとまなじりを決し、答えた。
「――そうするべきだって、思ったからです。
そのご心労、ご負担を少しでも軽くしてあげられるとしたら……それは、わたしが姿を消すこと――王女としての地位を捨てることだって、そう思ったからです。
あとは……それこそ、病で命を落としたと、そういうことにでもしてもらえれば――それが一番なんです」
「それはまた、どうしてかな?」
「言えません。――こればかりは、何があっても」
むしろ清々しいほどに、マールはきっぱりとそう言い切ってみせる。
誤魔化したり、はぐらかしたりすることもなく、ただただ、はっきりと――先程までとは打って変わった、その凛々しい態度とともに。
「……そう。で、出奔した理由はそれだけ、かな?」
対して、愛嬌たっぷりに小首を傾げて重ねて問うオヅノに……マールもまた、はにかんで答えた。
「もちろん、外への憧れも。
そして、その世界で思うままに生きてみたいって、そんな願いも……あります」
「――あっはっは! うん。そうかそうか」
一人頷きながら、オヅノはひとしきり快活に笑っていた。
それは、馬鹿にしているというわけではなく、純粋に愉快と感じたからこそのものなのだろう――マールも悪い気はしなかった。
「いやいや、やっぱり改めてこうして差し向かいで話をしたのは正解だったよ。
正直なところ、『どうして兄様に盗賊なんてやらせてるんですか!』っていきなり怒られたらどうしようと、ちょっと戦々恐々だったんだけど。ね」
「それは……確かに、いくら義賊とはいえ盗賊なんて、とは思いますけど……。
でも、兄様が――いえ、兄様だけじゃない、ロウガさんもオヅノさんも。皆さんがその道を選んだ理由も経緯も、わたしは知っているとは言えませんし……。
それに、兄様が盗賊でなければ――ロウガさんやオヅノさんが居なければ、わたしはこうして、ここに居ないんですから。
だから、単純に悪いことだって決めつけて――いえ、やっぱり良くはないと思いますけど、でもそれで救われてる人もいるんだろうし……頭ごなしに糾弾するのはどうなんだろう、って」
……考え考え、しかし正直な気持ちを述べるマール。
聞いていたオヅノは、へえ、と一つ声を上げてから、大きく頷いた。
「なるほど。ね。……うん、そうか――」
そして、残ったコーヒーをぐいと呷ると……よいしょ、と席を立つ。
「じゃあ、そろそろお暇しようかな。
――いや、今日は本当に有意義だったよ。ね」
「……そうですね。はい、確かに」
玄関の方へ向かうオヅノを見送りながら、マールは苦笑混じりに同意する。
――嘘ではなかった。彼女にとっても、オヅノという人物を見定めるための貴重な知見が得られたのだから。
玄関のドアに手を掛けたオヅノは、そこで、「ああ、そうだ」と振り返った。
「一つ言い忘れていたよ。
……マールちゃん、キミは思っていたより遙かに賢いし、度胸もある。だけどはっきり言ってまだ子供だ。
しかし――」
「あ……はい」
「あるいは、それでもキミの方が――レオよりよっぽど大人なのかも知れない。ね」
「え? えっと、その……ありがとう……ございます」
怪訝そうにしつつもマールは、一応褒められているのだろうとペコリと一礼した。
「いえいえ。
――さて、今日はどうもご馳走様。今度ぜひ店の方へいらっしゃい。
お返しに、アタシお勧めのとびっきりのお茶をご馳走するから。ね」
「あ、はい……いずれ、また」
マールの返事に満足するように、顔いっぱいの愛嬌のある笑顔を浮かべたオヅノは、軽やかに手を振って外へ出ていった。
残されたマールは、閉じたドアを見つめたまましばらくぼんやりしていたが……。
やがて、その場にへたり込みそうなぐらい、これ以上ないほど盛大なため息をつくのだった。




