表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
梟の王子と鳩の王女  作者: 八刀皿 日音
Ⅰ章 央都の夜に、梟は黒い雪のごとく舞う

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/74

 9.梟が目覚めたとき


「……お見事、殿下。降参です。

 これまではほぼ独学であらせられたにもかかわらず、これほどの腕前とは……まったく、目を見張るばかり」


 中庭の四阿(あずまや)で、彼と向かい合う痩せぎすな老人は、そう言って楽しげに手を叩く。



 ――ああ、懐かしいな……オーデル家で世話になっていた頃か。



 そんな思い出の光景を、第三者のように見守りながら、レオは目を細めた。


「しかし、このような形でのお相手ばかりしているとあっては、オーデル卿に……いやいや、そればかりか国王陛下に、殿下を盗人(ぬすっと)にでもするつもりかと、お叱りを受けてしまいますかな?」


「爺やは怒ったりしないよ、他の勉強をきちんとしてればね。

 父上は……怒ったりなんてさせるもんか。

 怒るっていうなら、ここに来て、自分の口で怒ればいいんだ」


 このときは、10歳ぐらいだっただろうか――と、口を尖らせる幼い自分を思い、レオは記憶を辿る。


「……殿下……」


 父たる王に対しての、いかにも幼い苦言をもらす彼に――老人は、どこか寂しげな微苦笑を向けた。


 ……そこに秘められた感情は、今のレオでもはっきりとは分からない。

 憶測出来ないわけではないが、もはや確かめる術など無いのだ。


「――それに、さ」


 幼い彼は、(ボルト)の外れた無骨な錠前を、小さな白いテーブルの上に置く。


「さっきのラフォードの言い方だと、錠を開けることそのものが悪いみたいだけど……そんなの変だ。

 それなら、剣の訓練をしている人間はみんな、人を傷つける罪人ってことになるじゃないか。

 ……要するに、使い方次第ってことだろ?」


「殿下の仰る通りにございますな」


「……なら、何にも問題は無いね。

 僕がこうして、ラフォードの見せてくれる色んな錠を外してるのは……色々考えて、色々試して――それで鍵が開くそのときが、すごく楽しいからってだけなんだから。

 間違っても、人の物を盗むためなんかじゃないんだから」


 ――よく言う……。


 子供の頃の自らの発言に、レオは自嘲を止められなかった。


 それは、10年以上過ぎた今、まさにその『盗み』に自分が手を染めているから――というのももちろんある。

 だが、それだけではない。


 ――会いたい。

 この屋敷を脱け出して、会いに行きたい……それこそが、本音だろうに。


 彼自身が想った中の、『脱け出す』という単語に反応してか――目の前の光景は徐々に、墨をぶちまけたような漆黒の闇へと塗りつぶされていく。



 ……そして訪れる、暗闇。

 しかし、それは完全な闇ではあっても、無ではなかった。



 無限の拡がりとも、窮極の閉塞ともとれない一面の闇――。

 そこに、か細い声が……苦しげな息遣いの下に紡がれる、亡者のごとき声だけが、弱々しく波紋を広げていく。



「……逃げてやる……絶対に、脱け出してやる……!

 こんな、ところで……っ!」



 ――ああ……あのときはまだ、こんなにも『視えて』なかったのか。


 これが夢である以上、実際に身体を動かしたわけではなく、あくまで感覚的なものなのだろうが――。

 レオは、鉢巻き状の眼帯に手をやって横にずらし……視界を担っていた眼を、右目から左の〈(フクロウ)の目〉に変える。


 そうして、瞼を開けば――。

 闇は闇として変わらずそこにあったが、その直中に浮かび上がるように……やや色彩には欠けながらも、周囲の光景が鮮明に映し出された。


 ……そこは、小さな石牢だった。

 いや、牢と呼ぶのさえ生易しい――最低限の寝具どころか、窓も、そして一片の光さえも無い、世界から切り離されたような場所だ。


 その中で、前方にたった一つ存在する、鉄格子の扉――。

 その向こうもやはり同じような黒塗りの闇に沈んではいたが、そこに光射す世界への道を求めてか、一つの影がゆっくりと近付いていく。――少年だ。


 ぼろぼろの服を纏い、殴られすぎて瞼が腫れて塞がった右目に、包帯代わりの服の切れ端を巻いた……全身傷だらけの幼い自分。


 それは、一度逃げ出そうとして見つかり、徹底的に痛めつけられた結果だ。


 そうして、懲罰として閉じ込められた、一筋の光も無いこの真の暗闇の中で。

 食べ物も水も与えられず、永遠のようにも感じる時間を過ごすうち――彼の左目は『壊れて』しまったのだった。


 それは、度を超した死への恐怖を、抗い難い生への渇望が、力任せにねじ伏せた結果か――。

 そのとき、最も必要だったもの――ただ闇のみを真昼のごとく見晴らせる〈梟の目〉へと。

 日の光を見ることがかなわなくなる代わりに。



 ――思えば、このときからだったのかもな……僕が、自らの意志で生き始めたのは。



 自らの境遇に、取り巻く状況に……ひたすら絶望に囚われているはずの心を、それでも奮い立たせ、どんなことをしてでも――と。

 妄執染みた生への執着を噛み締める、かつての自らの後ろ姿を、静かに見守るレオ。



 ――なら、あれは差し詰め、現実の世界への扉ってところか――。



 脱走に失敗した折檻の際、ナイフでゆっくり深々と一文字に斬り裂かれた、腕の傷口……。

 それは、監禁者が彼に、痛みとともに絶望と恐怖を刻み込むためだったのだろうが――彼の生への妄執はそのことすら利用していた。


 激痛にのたうった際、傷口を押さえるフリをしながら……その中に自ら突き刺し、ねじ込んで隠していた、針金を。

 嗚咽は噛み殺しながら抉り出し、血に汚れた手で曲げ……。

 必死の形相で鉄格子に取り付いた彼は、それを格子の隙間から、手探りで錠前へと差し入れる。



 ――それは、不公平で、不条理で……。

 それだけに、ただ生きるということをこの上なく実感できる、この――くそったれな世界への、扉。



 やがて、彼の耳元で。

 かちりと、小さな音がした――。




「…………」


 目を覚ましたレオは……窓から射し込む朝日に、自分の手を透かし見ていた。



 手には、つい今しがた解錠を試みたばかりのように……生々しく、あのときの感触が残っている。

 随分と昔の記憶のはずが、今でも鮮明に、どうやってあの鉄格子の錠前を開けたか、その手順をはっきりと思い出せた。


 ……大した鍵ではない。

 内側から、さらに手探りで――という条件があっても、それでも手こずるような構造のものではなかった。

 そして実際、解錠に大した時間をかけた覚えもない。


 だが当時、ただただ生き延びたいと――逃げなければ殺されると、必死になっていた彼にとってその錠前は、忘れられない記憶として、脳裏に深く刻み込まれていた。

 その後、いくつも開けてきた、それよりも遙かに難解な錠よりも――深く。


「……そう言えば、今夜も〈仕事〉――だったな」


 昨夜オヅノから任された、つい先日盗みに侵入(はい)ったばかりの屋敷にもう一度忍び込むという〈仕事〉を思い出しながら、ベッドを降りるレオ。


「やっぱり、まだ寝てるか」


 軽く身体を動かしながら気配を探るが……家の中は、彼以外誰もいないかのように静まり返っている。

 寝坊の妹が、今日こそはと頑張って早起きして朝食の準備に挑んでいる――などといった様子はまったくない。


「やれやれ……くそったれが」


 それが腹立たしいような、そうでもないような……自分でもこうと決めかねる感情を、適当に自分の中で折り合わせながら。


 レオはいつも通り――マールを起こすのは後回しにして、朝の準備をすることにした。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 痺れました……!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ