8.今一度の〈仕事〉
「さて――それはともかくとしてだ。ね」
〈仕事〉の成果が赤字と聞き、自分の懐が暖かくなるわけでもないと分かって……やや落胆気味に林檎酒を呷るレオ。
その姿を、しかし笑顔で見守っていたオヅノは――ぱん、と勢い良く手を打つ。
……むしろ本題はこれから、ということだろう。
「これほど明らかな差額があるにもかかわらず、帳簿の中にその分の使途が見つからないんだよ――妙なことに。ね」
子供が小遣いを間違えた――程度の軽さで言いながら首を竦めるオヅノの仕草は、その丸々とした体型や愛想の良さと相まって、いかにも滑稽で微笑ましい。
――が、それを額面通りに受け止めるのが危険であることを、養子のロウガはもちろん、レオも身に染みて理解している。
何しろオヅノという人物の本性は、予想も付かない情報収集力を持ち、計り知れない深謀遠慮を縦横に働かせ、目的のためなら身内であろうと欺き利用することも厭わない――そんな海千山千の古狸だからだ。
「まあねえ、後ろ暗いお金だから? いちいち記録するような使い方をしてないだけ、と言えばそれまでなのかも知れないけど……これがねえ。
オルシニの近況をざっと調べたところ、特別生活が豪華になっているわけでもないし、派手に商売を拡張しているってわけでもないんだ。
ただ――」
話しながら、オヅノはレオが空けた杯に、林檎酒と水を素速く注ぎ足す。
分量などまるで測っていないが、しかしそれが寸分違わず当初の注文通りの出来であることを、レオは疑いもしない。
「彼はこの一月ほどの間、幾つかの地回りとお近づきになっていたようだ。ね。
ま、地元の商人とアタシら地回りが円滑な商売のために仲良くするのは当たり前のことだから、その事実だけ見ればさほどおかしなことでもないんだけど……改めて見直してみると。ね。
そのお付き合いが、あまりに親密な感じだったり?
近隣とはいえ、縄張りの外の地回りにも挨拶に行ってたり?
……とまあ、どうにも、引っかかる感じでねえ」
「……ふむ」
一つ唸って、レオは新しい固飴を口に放り込む。
〈酒盗亭〉の地回り〈蒼龍団〉は、無法者と言えば無法者だが、しかし仁義に悖る行いを決して良しとしない、任侠を第一とする集団だ。
それだけに、ただの金の繋がりや力による強要だけではない、一種の畏敬と信頼の念を縄張り内の住民から寄せられている。
だが街に存在するのは、そうした地回りばかりではない。
任侠心などどこへやら、金や力を得るために、賭場のイカサマどころか、それこそ堅気の人間の殺しや禁制の薬の売買など、何でもやる連中もいるのだ。
「金をばらまいて、何か――特にあまり表沙汰にしたくないような類のことを、そいつらにさせていたかも知れない、ってわけか」
「それも、相当必死にな。
……やっこさん、今回俺たちに悪銭は根こそぎ盗まれて、あとは普通の貯えしかないくせに――それを切り崩してでもやり遂げたいことなのか、何でもないって顔をして、懲りずに今日も地回り巡りをしていたらしい。
さすがにご新規さんを開拓するだけの余裕はないのか、馴染みのところを回っていただけみたいだが」
「……で、だ」
レオは自分の杯に落としていた視線を、ついと上げる。
「そうまでしてオルシニが執着しているのが何なのか……それを僕たちに探れってのか、マスター?」
オヅノはいかにもとばかりに大きく何度も頷いた。
「あくどい手段で荒稼ぎすることが、もっと大きな悪巧みのための布石に過ぎないのだとしたら……それはもう、放っておくわけにはいかないでしょ。ねえ?」
「よくもまぁ、そんな聖人君子めいた台詞をさらりと吐けるもんだ、盗賊の親玉が。
――本音としては、今回の赤字を埋めるためにも、真っ当な儲け話に転用出来そうなら横からかっさらう、もしくは、関係している悪徳地回り連中の首根っこを押さえて、活動を制限するための交渉材料にする……そんなところだろう?」
「さあて。ね。
……ま、何にしても、罪もない人を泣かせるような、そんな不埒な計画が潰えるなら、それでいいんじゃないかな。ね?」
「不埒な計画かどうかもまだ分からないんだけどな」
呆れたように言って、無意識のうちにか、レオは小さくなった固飴を噛み砕く。
あるいはオヅノのことだ、既に本当に不埒な計画であることを嗅ぎ付けているのかも知れないとも彼は思うが……それを確かめたところではぐらかされるのは目に見えていた。
「だがまあ、良いことを考えてるってわけじゃないのは確かだろうよ。
……で、どうだレオ。乗るか?」
横からのロウガの問いに、レオはあからさまに眉をひそめてみせる。
「……あるのかよ、選択肢」
「あるぜ?
充分な報酬貰って仕事するか、それとも健気に無償で奉仕するか、ってな」
猪口をふらふらと振りながら、ロウガはにやりと笑った。
――対してレオは、ふんと鼻を鳴らす。
「おいマスター。この次に儲けが出る〈仕事〉が入ったとき、ロウガの取り分も僕に回せ。
それで手を打つ」
「――は? おいてめえ、何を――!」
「いいねえ、乗った! アタシとしても安上がりに済んで何よりだ。ね」
オヅノが素速く、これで決定とばかり満面の笑顔で大きく手を叩いた。
「……というわけだ、ロウガ。
僕のために働くか、無辜の人々のために無償奉仕するか――好きな方を選べよ」
勝ち誇ったレオの言葉に、ロウガは一瞬渋面を作るものの、すぐに相好を崩した。
「フン……ったく、言うじゃねえか。ちくしょうめ」
「――で、マスター。いつ動く?」
「早速、明日の夜、もう一度オルシニの館に忍び込んでもらうよ。
……ただ、さすがに盗みに入られたばかりだからね、警備や監視は厳しくなってるだろうね。
もちろん、そのあたりは決行までに出来る限り調べ直してはおくけれど……完全とはいかないし、そもそも正体のない情報を探す以上、目標もこれと定められないから。ね。
この間よりも難しい仕事になるのは覚悟しておいてほしいかな」
「ま……何とかするさ。
向こうは向こうで、まさかこの短い期間にもう一度侵入られるとは夢にも思ってないだろうしな」
レオは席から腰を上げると、残った林檎酒を呷り、杯をオヅノに突っ返した。
「……あ、ところでレオ。マールちゃんの様子はどうかな?」
オヅノの突然の問いに、レオはひょいと新しい固飴を口に放り込みざま、大ゲサに首を振る。
「どうもこうもないさ。
……相も変わらず、不貞不貞しく大寝坊の毎日だよ」
「でも、店番もきっちりこなしているんだろう?
〈鳩の目〉による優れた記憶力があるってだけじゃあ、そう上手くいくものでもないのに……予想以上に頑張る、逞しい娘じゃない。
――さすがは、と言うべきか。ね」
言って、レオに含み笑いを向けるオヅノ。
「さすが僕の妹だ、って? ふん。
それよりも本人はきっと、あの無責任な両親の娘だって言われた方が嬉しいだろうさ」
吐き捨てるようにそう言い残し――短い挨拶とともに、レオは店を出ていった。
「……だとよ、オヤジ殿」
小さく肩を竦めて、自分を見上げるロウガに……。
オヅノも、困った子だ、とでも言うかのように、首を傾けながらの苦笑を返した。




