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梟の王子と鳩の王女  作者: 八刀皿 日音
Ⅰ章 央都の夜に、梟は黒い雪のごとく舞う

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 7.〈酒盗亭〉の古狸


 ――深夜。

 さすがに人通りもまばらになった、うら寂しげな歓楽地区を抜けたレオは……市街中心部へと向かう本通りを少し進んだところで折れて、路地に入り込む。


 ボロボロの石畳で最低限の舗装はされているものの、集合住宅に挟まれたそこは狭い谷間のようであり、しかも酔い潰れた人間がそこかしこに寝転がっていたりして、いかにも裏道といった趣がある。

 真っ当な人間なら、昼間でも通りたいとは思わないだろう。


「オレがわるかったよぉ……いかねえでくれよぉ……」


 地面に転がったまま寝惚けて足に手を伸ばしてくる酔っ払いを、慣れた様子で避けて路地を抜けるレオ。

 その先、樫の大木を擁した小さな広場に面して建つのが――遥か東の国の珍しい料理や酒を主体に提供する酒場〈酒盗亭(しゅとうてい)〉だった。

 決して良い立地でないにもかかわらず、それなりに繁盛しており……さすがに央都全域とは言えないまでも、周辺地区では名の知れた店だ。


 そして同時に、歓楽街フェリエ地区を含む周辺一帯の下町の、賭場や娼館といったものまで含む様々な業種の仕事が円滑に進むよう裏で取り仕切り、また、公の官憲では目の届かない治安をも守る、いわゆる『地回り』一派――その(あかし)として帯びる共通の紋様から〈蒼龍団(ザフィル・ドラグ)〉と呼ばれている――の本拠地でもある。



「おや、レオさん、お早いですね」


 店の裏手から角灯(ランタン)を片手に現れた若い男が、レオの存在に気付いて一礼する。


「……これから見回りか? ご苦労さん」


「いつものことですんで。

 ……まあ結局、やることと言えば、そこいらの酔っ払いどもを追い剥ぎに遭わないうちに叩き起こして、巣穴に追い立てるぐらいなんですがね」


「どうせなら、金は客として店に落としてもらわなきゃならないものな。

 ――マスターとロウガは?」


「いつも通り、店の奥でレオさんをお待ちですよ。

 ――では、オレはこれで」


 もう一度頭を下げ、男はレオが出てきた路地の方に駆け出していく。

 そして少しもしないうちに聞こえてきた、酔っ払いを相手にしているらしい男の声を背中に……レオは〈酒盗亭〉の入り口前に立つ。


 彼を迎えるのは、屋根上に掲げられた大きな木製の看板だ。


 これを(さかな)にすると盗んででも酒が欲しくなる――。

 そんな由来で『酒盗』と呼ばれる、屋号のもとにもなっているカツオの内臓を使った塩辛という料理に、この国の言葉ではきっちり当てはまるものがないから――と、東国の文字をそのまま彫り込んだ看板は、異質ではあるが、それだけに大きく目を引く。


 事実、この看板に興味を抱いて店に入ったのをきっかけに、メニューの珍しさを楽しみ、味に満足して、結果、足繁く通う常連になった――という客も少なくない。


 そして、そうした客のほとんどが、『酒盗』の名の由来を聞いては、なるほどと笑って納得するのだ――ここが、地回りどころか、本当の盗賊のアジトになっているなどとは夢にも思わずに。



「――よお、来たな」


 ドアを開けたレオを、ベル代わりの竹の鳴子(なるこ)のカラカラという乾いた音とともに出迎えたのは、奥のカウンターから飛んでくるロウガの声だった。


 メニューを始め、調度品の一部にはいかにも異国風の珍しい物があったりもするが……カウンターにテーブル席、という酒場としての基本的な構造は、〈酒盗亭(ここ)〉も他と変わらない。

 そして、そのカウンターを挟んで蝋燭の儚げな灯りの下、ロウガと杯を交わしている小太りで赤ら顔の、一見人の良さそうな壮年の男が、ロウガの養父でこの店の主人――引いては地回り〈蒼龍団〉の元締めにして、〈黒い雪(ネロ・ネーヴェ)〉と巷で呼ばれる盗賊の首領でもある人物、オヅノだった。


「やあレオ、いきなり呼び出してすまないねえ。何か呑むかい?」


「……林檎酒(シードル)。3倍薄めで」


「お前、そりゃもうタダの水じゃねえか」


「むしろタダの水がいいぐらいだ」


 ロウガの苦言を意にも介さず、隣りに座ったレオは、オヅノが差し出した陶器の杯を受け取る。

 形こそこちらの国の酒杯に似せてあるが、東国らしい曲線を多用した柔らかなイメージの紋様が描かれた品だ。


「しかし早かったな。てっきりまだお楽しみかと思ったが――」


 ロウガは大ゲサに、レオに近付けた鼻をすんと鳴らす。

 ……レオからは、男が使うにはいかんせん甘ったるい香の匂いが微かに漂っていた。


「移り香が弱い……何だ、律儀に仕事だけ済ませて帰ってきたか」


「サヴィナが女将(マダム)に取りなしてくれたお陰もあって、まともに謝礼を払ってもらえたからな」


「だから、そのサヴィナに相手してもらってたんじゃねえのか、って話。

 ――それとも何だ、先約が入ってたのか?」


 言って、徳利(とっくり)から猪口(ちょこ)に注いだ清酒をちろりと舐めるロウガを、レオは眼帯の上を指でこつこつと叩きながら、右目で一睨みする。


「くそったれが……からかいたいだけなら、もう帰るぞ」


「ははは、悪かった悪かった。

 ――ほれ、これでも舐めて機嫌直せって」


 苦笑しつつ、手を伸ばしたロウガがカウンターの向こうから引っ張り上げて来たのは……丸みを帯びた平たい陶器の入れ物だった。

 一見すると何かの宝石のようにも見える、入れ物いっぱいに詰め込まれた淡黄色のそれは、固飴(かたあめ)だ。


「……ふん」


 浮かしかけていた腰を戻し、レオは固飴を口に放り込む。

 そして改めて、2人のやり取りを笑顔で見守っていたオヅノを見上げた。


「――で、マスター? この間の帳簿に、気になるところがあったって聞いたんだが」


「おや、単刀直入。もっとのんびりしてもいいんじゃない?」


「……さっさと用を済ませて、身体洗って寝ちまいたいんだよ。

 今でも、甘ったるい香の匂いが残ってて辟易してるんだ」


「匂いに敏感なのはいいことだよ。ね。それだって大事な感覚なんだから」


 柔らかい口調でレオを諭しつつ、オヅノはカウンターの陰から1枚の紙を取り出し、レオの前に置いた。


「いかなるときも、あらゆる感覚を研ぎ澄ませ――だろう?

 アンタに散々叩き込まれたことだ、そりゃ分かってるけどな……」


 呟きながら、紙を手に取るレオ。

 それには、ただ人の名前と金額だけが、一面にびっしりと羅列してあった。


「それが、オルシニの帳簿から改めて割り出した、被害者と被害金額の一覧なんだけどねえ……さて、改めて見て、どう思う?」


「こっちが予め把握していた人数より、ずっと多いな」


 素直な感想を口にするレオだが、それは特別奇妙なことでもないと思っている。


 酒場経営に地回り、どちらもが情報の収集に適した環境ということもあり、オヅノは時としてレオも空恐ろしくなるほどの情報通だが……だからといって、こうした被害に遭った人間を事前にすべて把握するのも無理な話だろうからだ。


「わざわざ、僕を呼び出してまで話をするほどのことでも――」


 ため息混じりにそう言いかけたレオの唇が止まる。

 彼の目線は名簿の金額の欄を追い、頭はその総額をざっと計算し――記憶にある金庫の中身と照らし合わせていた。


「……少ない? あのときは多いぐらいかと思ったが……」


「ん。そういうことだよ。

 被害総額と比べて明らかに少ないんだ。ね。金庫にあったお金がね」


「他に分散して保管していたか?

 いやでも、あそこまで事前の情報通りだったなら……」


「そうだねえ。可能性としては低いかな。ね」


「……ともかくお陰サマで、被害に遭った連中へ返す金、差額分はウチが自腹を切る羽目になっちまった。

 ――だから、今回は見事な大赤字ってわけだ」


 大ゲサに肩をすくめ、ぐい、と猪口を空けるロウガ。


 巷は義賊などともてはやすものの、彼らとて、完全な奉仕者というわけではない。

 その〈仕事〉の上がりを、また次の〈仕事〉のための資金にしてもいるのだ。


 今回のような悪徳高利貸しの場合では、彼らが被害者に返還するのは大体被害額の8割程度だけで、残りは〈黒い雪〉の活動資金に回ることになっている。

 ただ、『上がりの8割を被害者に返還する』のではなく……『まず被害者に8割を返還した残りを上がりとする』のがオヅノの取り決めた掟なので、こうした場合はロウガの言うように赤字となるわけである。


「……じゃあ、僕に特別報酬が出る――ってわけでもないのか」


「むしろ、大家として〈シロガネヤ〉の店賃(たなちん)を上げたいぐらいだな」


 レオがため息混じりに漏らした一言に……。

 ロウガは意地悪く笑いながら、猪口を掲げて応えるのだった。




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