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梟の王子と鳩の王女  作者: 八刀皿 日音
序章

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梟の訪れ


 ――外の世界に、出たくはないか――



 そんなメッセージの書かれた、鳥のような形に折られた紙が、採光窓を抜けて少女の部屋へ飛び込んで来たのは、1週間前のことだった。


 初めは何かの悪戯だろうと思い、屋敷の人間に報せようとした。

 だがしかし、結局彼女はそうしなかった。


 なぜなら……その誘いに強い魅力を感じたからだ。


 どこの誰とも知れない相手からの、本気かどうかすら分からないメッセージ――。

 ただの悪戯ならばまだしも、そこにあるのは彼女を害そうという、悪意であるかも知れないのに。


 それでも彼女は、『外の世界』という言葉に惹かれずにはいられなかった。

 そして……もう一つ。



 ――1週間後、迎えに行く。それまでによく考えろ――



 鳥形の紙に記されていたその1週間を、待ってみようと思ったからだ――そこにある文言通り、自らの境遇と、身の振り方を考えながら。


 生まれてからの15年、少なくとも彼女自身が記憶する限り、彼女はろくに外の世界に触れたことがない。

 その人生のほとんどは、この屋敷の敷地内で過ごしてきた。


 ただそれは、監禁などという非道な扱いではない。


 屋敷を自由に出ることは許されなかったが、その一点を除けばむしろ一般的な人々に比べ、あらゆる面ではるかに恵まれた裕福で平穏な生活と言えるだろう。

 そして、それが完全な自由と引き換えに与えられているものであることぐらいは、彼女も理解している。

 いわば、第七王女たる自分の、一つの務めのようなものだと。


 いや――理解していた、と言うべきか。


 今の彼女は、その状況をただ純粋に受け入れることが出来なくなっていた。

 自らの境遇を、この生活に甘んじることを、疑問に思うようになっていたのだ。


 ただ、そのきっかけは、唐突に訪れた『鳥形の紙』ではない。

 その紙はあくまで、彼女の心にすでに生まれていた隙間に――窓の格子を抜けるように――するりと滑り込んできただけなのだ。

 まるで、彼女の内なる葛藤を知っていたかのように。



 偶然、自らの存在についての『秘密』を知ってしまったことによる、葛藤――。



 その葛藤から生まれたもの……。

 自分はここを出るべきではないのか――そんな、迷う背中を押し。

 外の広い世界を生きてみたい――そんな、憧れを導くように。


 もちろん、そうした想いに逆らう感情もある。

 そして、理性はむしろそちらの味方をしていると言っていい。


 ……当然だ。

 差出人不明のメッセージに翻弄されることも、そしてその果てに下そうとしている決断も……どちらも少し冷静に考えれば、『馬鹿馬鹿しい』と呆れてしまうようなものなのだから。



「――答えは、出たのか?」



 そして――鳥形の紙が飛び込んできてから、ちょうど1週間目にあたる夜。


 その『馬鹿馬鹿しい』決意をもって部屋で待つ少女の下に、同じ採光窓から、今度は声が降ってきた。


 聞き覚えがあるともないともいえない、若い男の声――だがそれはどことなく穏やかで良く通り、耳に心地よい澄んだ響きを持っていた。

 思わず耳を傾けずにはいられなくなるような、そんな声。


 彼女の部屋は、読書家の彼女自身の希望により、背の高い書架が無理なく収まるよう、屋敷の角に位置する塔の中に造られているため、天井が普通の部屋よりもずっと高くなっている。

 いきおい、ベッドに腰掛けていた彼女は、空を仰ぐように、声のする方を見上げる形になる。


 ――果たして、採光窓からは、一つの人影が顔を覗かせていた。

 月明かりを背にし、マントも羽織っているようなので、顔はもちろん格好すら良く分からないが……総じて、どこか逞しさよりも華奢な印象を抱く人影が。

 その声からしても、彼女より幾分年上なぐらいの青年だろう。


「……もう一度聞くぞ。出たのか? 答えは」


「その前に教えて下さい。

 あなたは誰で……どうして、わたしをここから連れ出そうとするのですか?」


 青年の再度の問いかけに、少女は質問をもって応じる。

 あるいは怒らせるのではないかとも思ったが、青年は気分を害した様子もなく、淡々と答えた。


「ここを出るまで、僕のことは教えられない。

 お前を連れ出す理由は――そうだな、お前の人生をお前自身に返してやろうと、そう思ったからだ」


「……わたしの、人生」


 ぽつりと青年の言葉を繰り返した少女は、また別の問いを投げかける。


「では、あなたがわたしを騙しているのではないと、証明出来ますか?」

「いいや」


 青年の返答は、実にあっさりとしていた。


「初めから無理強いをするつもりは毛頭ない。

 ここに残って、平穏で、自由が無い以外は何の不自由もない生活を続ける――その道を選ぶ気なら、それを尊重するつもりだ。

 ……実際そちらの方が、ずっと賢い選択だろうからな」


「…………」


 青年の顔は見えない。もちろん表情など窺えない。

 しかし少女は、彼の真意を読み取ろうとするように、じっと目を凝らしていた。


「もし、『外の世界』に妙な期待を抱いているのなら、その豊かな想像力を育む、賢い道を選べ。

 ……先に言っておくが、外は不条理で、不公平で、神の慈愛の代わりに不幸が転がっている世界だ。

 ここのように、お前を生かしてはくれない。自ら生きなければならない世界だ」


「分かっています」


 反射的に言ってから、少女は慌てて首を横に振る。

 知識として知ってはいても、経験していないのだから……分かっている、などとはおこがましいと思ったからだ。


「いえ……知っています、あくまで知識としてだけ、ですけど。

 だから正直に言えば不安の方が大きい。

 でも……わたしは、それでも――愚かな道を選びます。

 どこの誰とも知れないあなたを信用し、この恵まれた世界を後にする、愚かな道を」


 見えない青年に向かって、少女はきっとまなじりを決する。


「――そこに、わたしが選ぶべき人生があると思うから」


 何かを見定めているのか、青年はしばし押し黙る。

 はっきりとは分からないし、気のせいかもしれないが……少女は彼が笑っているように思えた。


「いいだろう。

 10分だけ待っていてやる。ここまで上がってこい」


「……え?」


 青年の応えに、少女は目を瞬かせる。


 青年はロープや縄ばしごを降ろしてくれたわけではない。

 ただただ自力で、はるか見上げるばかりに高いその窓まで上ってこいと言うのだ。


 まさか、と思うも、青年は懐中時計らしきものを取り出したきり、何をしようともしなかった。


「あ、上がってこいって、どうやって……!」


「考えろ。行動しろ。

 それが出来ないなら、どのみち、外では生きていけやしない」


「――っ!」


 青年の突き放すような言葉に、少女は唇を噛んで立ち上がった。

 そして――まずは落ち着いて、改めて自分の部屋を見回してみる。


 漆喰の塗られた壁は、様々な彫刻が施されているものの、どこも丁寧に整えられていて指をかけるような隙間はない。直接よじ上るのは到底不可能だろう。

 書架の本を取り出すために使う梯子か脚立でもあれば話が早いが、以前足を滑らせて転がり落ちて以来、一人で使うと危ないからと、この部屋からは取り払われている。


 なら――と、彼女が次に目を向けたのは調度品だった。


 部屋には、小物用の小さな棚から、衣装棚、それに何より、彼女にとって友人とも言うべき書物たちが納められた、大きな書架も幾つも並んでいる。

 それらを、低いところからよじ上り、徐々に高いものへと渡っていったなら、青年の待つ窓まで辿り着けるように見えた。


「……よし……!」


 一声気合いを入れてから、手近なサイドテーブルの上に乗ろうとして、彼女はふと気付く。今履いている踵の高い靴がいかにも邪魔なことに。

 僅かに逡巡したものの、結局彼女は威勢良くそれらを脱ぎ捨て――サイドテーブルによじ上る。


「――あと、7分だ」


 青年の声に焦りを覚えないようにしながら、少女はそこから、隣り合う小物棚を渡り歩き、続いて少し離れている衣装棚に飛びつこうとする。


 だが、そこで足が止まった。


 箱入りで育てられてはきたものの、身体を動かすことが嫌いだったわけではない。

 剣術の訓練もよくしたし、むしろ散々にお転婆だと言われてきたぐらいだ――だから、これまでの経験からも、それは充分届く距離だと目算出来た。


 ……にもかかわらず、彼女が躊躇った理由は――その身を包むドレスにあった。

 足下まで覆うほどの丈があるドレスなど着ていては、棚によじ上ったりする程度はまだしも、飛びつくとなるとどうしても邪魔だ。

 だが、だからといって脱ぐわけにはいかないし、しかもそれはそれで時間がかかる。


「――6分」


 どうすべきか迷っていた彼女は、その宣告に意を決した。

 スカートの裾を持ち上げると、自らの糸切り歯を使って切れ目を入れてから両手で引き裂く――そうした作業を繰り返し、続けて2分の経過が告げられる間に、彼女は乱暴にスカートを引き千切り、膝丈程度にまで短くしてしまった。

 さらに、その千切った布で、僅かなクセのある長く美しい金髪を、動きやすいようにまとめて結い上げる。


 そうして身軽になった彼女は、上手く衣装棚に飛びつき、よじ上り、ベッドの天蓋を経由して、壁の反対側の書架へ渡ろうとするが……。

 そこで足を滑らせて、転がり落ちてしまった。


「……いっ……た……!」


 まだそれほどの高さでは無かった上に、絨毯も厚かったために大事には至らなかったものの……肩をしこたま打ちつけた少女は、苦痛に顔を歪める。

 だがそれでも、時間の経過を告げる青年の声に変化は無い。


「あと3分だぞ。

 ――どうした、諦めるか?」





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