一度目
「私たちは、夫婦になるんだ」
澄み切った青の瞳で、私をまっすぐに見つめながらそう言われたのを覚えている。聖女の私と第二王子――いえ、今は王太子の――レオル殿下のこの婚約は政略のもと、結ばれたものだった。でもその瞳には確かに、信頼と愛情があった。
――だけど、今。
かつん、かつん、と革靴が音を立てて、私の下まで近づいてくる。八年共にしたその人の足音を、聞き間違えるはずもなかった。
ランプの灯りと共に、足音が止まる。
「アルリナ、君には失望した」
そう言って鉄格子を挟んで私の前に立っていいたのは、思った通りレオル殿下だった。ランプの灯りでちらちらと光っているその瞳からは、もう信頼も愛情も感じられない。
そこにあったのは、侮蔑、だった。
「まさか、私を殺そうとするなんてな」
「……っ」
違う。私は、あなたを殺そうとなんかしていない。私があなたを害するはずがない。だって、私は、こんなにもあなたを――愛しているのに。
けれど、声にはならなかった。
度重なる拷問の中、私の喉は焼かれて、もう使い物にならなくなっていたから。
「……っ、否定、しないんだな」
違う。否定できないのだ。そう思って、慌てて首を振ったけれど、もう、すでに遅かった。
「わかった。明日私は、所用で隣国に行く。――君の顔を見ることは、二度とないだろう」
そう言って、大好きな人が去っていってしまった。
――明日、私は、処刑される。王太子殿下を暗殺しようとした罪人として。
◇◇ ◇
レオル殿下が去ってからどれほどの時間が経っただろうか。
蹲っていると澄んだ声で名前を呼ばれ、顔を上げる。
「アルリナお義姉さま!」
鉄格子の前で、涙を流しながら手を握りしめていたのは、義妹のカレンだった。カレンは、私が9歳のときに、本当の両親をなくし、私の実家であるランデール伯爵家に引き取られた。
「特別に面会許可がおりたのよ! だって、今日はお義姉さまの最後の夜だもの」
カレンは、私を見つめると、お義姉さま、と続けた。
「でも、心配しないでね、お義姉さま! レオル殿下の婚約者も聖女の座も――みーんなわたしが引き継いだから!!」
「!?」
歌うように言われた言葉に、目を見開く。なんで――。
「それからね、伯爵家からも、正式にお姉さまの籍を抜いたの。わたしのランデール伯爵家に被害が及ぶこともないから、安心してね!」
どういう、こと……?
「お父様もお母さまも、お義姉さまの減刑を願いでなかったわ。当然よねぇ、恥さらしなお義姉さまのことなんか」
――どーでもいいもの。
いつの間にか、流していたはずの涙は消え、鈴を転がすような声で笑いながら、カレンは言った。
「ああ、本当に、馬鹿なお義姉さま。お義姉さまってば、いまだになんで自分がここにいるのか、理解していないのね……」
わかる、わけない。……わかりたくない。
いやいやと、首を横に振った私に、カレンは囁くように言った。
「ぜーんぶ、わたしのおかげよ、お義姉さま。お義姉さまがずっと、馬鹿にしていたわたしのおかげ」
……そんな。私は、カレンを馬鹿にしたことなんか一度もなかった。カレンが欲しがったものは、私の私物でもなんでもあげたし、できる限り、わがままも聞いた。
「わたしね、お義姉さまのこと、ずっとずっと大嫌いだったの。特にそのいかにも私は心が綺麗ですぅと言わんばかりの顔。いっちばん嫌いだったわ。だからね、全部、奪ってやったの。聖女の座も、愛する婚約者も、敬愛するお父様とお母様も」
ふふ、ふふふふふ。
おかしくて、たまらない。そう呟いてから、カレンは私を見つめた。
「……どうやって、嵌めたか、気になる? ううん、教えてあげない」
だってぇ、それを言ったらおしまいじゃない?
カレンは笑いながら、人差し指を口に当てると、じゃあね、大っ嫌いなお義姉さま! と去っていった。
――そんなまさか、カレンが、私を……。
でも、それがわかったところで、もうどうにもできなかった。
私は喉をやかれ声は出せないし、指も思うように動かないから、文字もかけない。きっとそれをわかっていたから、カレンは私に話したのだろう。
「……っう、うぅ」
悔しくて、涙が出る。
――そして私は、身近にいた人さえ、ちゃんと理解していなかったのだと、痛感した。
◇◇◇
処刑人が高らかに私の罪状を読み上げる。
「王太子殿下を暗殺しようとした、罪は重い。よって、アルリナを死罪とする」
その言葉に観衆が沸く。
死刑の執行は、ごくまれにこうして娯楽として提供されるのだ。
ランデールという家名を呼ばれなかったということは、本当に私は、お父様たちからも見捨てられたのね。
ぼんやりとそう思いながら、頭上のギロチンを見つめる。
ギロチンの刃が落とされる。
最後に願ったのは、まだ、生きたかった。
ただ、それだけだった。
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