高い壁
カイト視点です。
ある週末。俺はローエンリンデ公爵家の邸宅の前に居た。
「ようレベッカ。来てやったぜ?」
「ああ、良くきた。上がってけ。」
俺が邸宅の戸を乱雑に叩き用件を告げると、出てきた女は同様に乱雑に出迎える。
相変わらずというか何というか。
「ここも相変わらずだな。」
「そう変わってたまるか。」
木に染み着いた汗のにおい。つんと澄み切った空気。
これこそローエンリンデの鍛錬場だ。
「茶は要るか?」
「くれ。」
「おまえに出す茶は無い。」
「意味分かんねえだろ!」
リシアとの関わりで丸くなったと思っていたこいつも、俺の前じゃいつもと変わらずクソ女だ。
「レベッカは本当に変わんねえな…。」
「レベッカ嬢、ではなかったのか?」
そう含みのある言い方をぶつけてくる。うるせえよ。
「人前でそう人様の婚約者を呼び捨てで呼べるかよ。さらに言えば今じゃリシア嬢からも何されるかわかんねえ。」
「リシアはそんなことじゃ妬かんよ。」
出たよこいつ。ナチュラルにノロけるんじゃねえ。
「でだ。その婚約者と言う呼び名だが、返上することにしたよ。」
「ようやくか。遅かれ速かれそうなるとは思っていたがな。」
「お前も口添えしてくれていたらしいな?」
「ああ?誰の情報だよ、それは。」
「陛下だよ。すんなり名前が出たぞ。」
「あんのクソじじい。名前出すなって言っておいたのに。」
レベッカに恩を押しつけるような真似をするつもりはなかった。ただ、二人の手助けになればとは思っていたが。
「そこで、今日は礼にお前を真剣に叩きのめしてやろうと思ってな。」
「どういう発想だよ。普通菓子とかそういうもんじゃねえのかよ。」
「好きだろう?横腹で剣を食らうの。」
「横腹に剣を食らうの好きな奴とかいねえよ!!食べ物じゃねえし!!」
なんだかリシアと関わりだしてからもっと性格悪くなってねえか、こいつ?
「そもそも今、お前、俺に勝てんのかよ?」
「異なことを。私に乱取りで一度も勝てず泣いていた小僧は誰だったか?」
「それは昔の話だろうが。とぼけんじゃねえぞ、見れば解る。」
レベッカの体は本調子からほど遠い。
それは一挙手一投足を見るだけで容易に想像がつく。
詳細はわからずとも、大病を患ったことくらいはわかる。
「…両親や兄は、この病で亡くなったよ。」
「…やはりか。」
以前からこいつの家族がすでに亡き者ということは感づいていた。改めてそれを告げられたのは初めてだが。
「まぁ、やれば解る。それとも病人に剣は振るえねえとか、格好いいこと言って逃げておくか?」
「ほざきやがれ。怪我しても知らねえぞ?」
俺はレベッカの差し出した木剣を受け取り、立ち上がった。
◆ ◇ ◆ ◇
向き合って剣を構える。
なんだかんだ、レベッカという強者と戦えるのは楽しい。
「いつでも来るが良い。」
「それじゃ遠慮なくっ…と!」
様子見がてら慎重に剣を繰り出していく。
レベッカは何の苦もなくそれを全て弾いていく。
「なんだ、その程度だったか?」
「いきなりフルスロットルで行く奴がどこにいんだよ?」
少しずつ、ピッチを上げていく。
まだまだレベッカには容易に止められてしまうが、伝わってくる感触がいつもに比べて随分と弱々しい。
「随分と病人の剣じゃねえか?」
「お前の剣がか?」
さらにどんどん剣を速く、力強く。
俺の技量では、どれだけフェイントを入れたり、素早く切り込んだりしても、レベッカには簡単に止められてしまうだろう。
だが。
「そこっ!」
防ごうとしたレベッカの剣が、俺の剣に力負けして弾かれ、胴が空く。
容赦なくそこへ剣を差し出す。
こいつの剣は、速さ、正確さ、老練さ、なにを取っても一流だが、一番脅威なのは--
「その体の柔らかさだよなぁ!」
ほんの少し前まで剣筋にあった胴は、その体ごと大きく反らせ、俺の剣は虚空を切る。
「だが、何度も見てきてんだよ!」
俺はそのまま前に向かって跳び、剣を振った勢いを使って、そのまま空中で一回転する。
足りない距離は前に飛ぶことで。体を反らすことで出来た隙にもう一度剣を。
「なぁっ!?」
レベッカはその体を反らせたまま、膝をその場に着く。
跳んだことで高くなった剣筋に、膝丈分体を下げることで対応したのだ。
「なんつー異次元の動きだよ…!」
だが、体勢は俺の圧倒的有利だ。
着地と共に膝を着いたレベッカに真っ直ぐ剣を振り下ろす。それで勝ちだ。
まずはしっかり体勢を整えながら着地して--
その刹那。レベッカの手は剣を手放す。
この期に及んで剣を手放すとは降参の合図か?いや、そんなタマではない。
何だ、なにを仕掛けてくる?
レベッカはそのまま剣を手放したかと思うと、仰向けのまま両手を地につけ、ブリッジに近い体勢になる。
そして、その手で己の体を持ち上げながら、跳んだ俺の体の下に自分の体をねじ込んだかと思うと--
倒立の要領で振り上げた足で宙に浮いた俺の体を蹴り飛ばした。
「ッ!いっでえ!」
宙で蹴られ体勢を崩しながらも、何とか少し離れたところで着地する。
レベッカはすでに立ち、再び剣を拾い構えている。
「お前、また強くなったな。」
「世辞なら要らんぞ。」
「本気だよ。」
「今も剣の力負けで追い込まれかけていたが?」
「だが、追い込まれなかった。以前のお前がもし、同じ状況になれば、同じことをしていたか?」
「…たぶん、していないな。」
「俺が跳んだのを見た時点で、多少の怪我を負ってでも、無理やり対応してただろうな。」
「恐らくそうだろう。」
「だったら、やっぱり強くなったんだよ、お前は。リシア嬢に礼言っとけよ?」
「そこでどうしてリシアの名が出る?」
「そりゃお前、リシア嬢の為に、死んだり怪我負ったり出来なくなったんだよ。だからより慎重に、強くなった。」
「さすがリシア。私の恋人だ。」
「うるせえよ。」
こいつは砂糖製造機か?
「とにかくだ。俺の負けだ、負け。」
「まだ勝負はついていないと思うが?」
「あそこで弱いところにつけ込んで、対処されちまった時点で俺の勝ち筋はねえんだよ。時間かけりゃ勝てるかもしれないが、それで倒れたら、お前リシア嬢のビンタじゃ済まねえぞ?」
「…それは一理あるかもしれない。」
「それに俺が巻き込まれたらもう目も当てられねえよ。だから俺の負けだ。」
俺自身、そんなもので勝ち取った勝利に興味はない。
剣を置くと、向こうも納得したようで剣を置いた。
「私は、ローエンリンデの当主になろうと思っている。」
「あん?だが、軍閥のおっさんどもがごちゃごちゃ言うんじゃねえの。うちは言わねえだろうけども。」
「その通りだ。実際一度却下されている。」
「だろうな。」
女で、小娘。それに半年前のあの弱り切った様子であれば容易に想像ができるだろう。
きっと頭の固いおっさんどもは一様に拒否したに違いない。
「エドワードとの婚約を破棄し、リシアを伴侶として迎えるために、私はどうしても当主になる必要があるわけだ。」
「なるほど。良いんじゃないか?」
「そのためにはあいつら全員一度叩きのめしてやって力を証明しなければならない。」
「やれんじゃねえの。見た感じ体調はどんどん取り戻していってんだろ?」
「ああ。全部リシアの献身のお陰だよ。」
本当リシアリシアリシア。脳みそリシア色に染まってやがる。
「だが、エドワードの動向には注意しろよ?俺も友として見張ってはいるが、今のアイツはなにをしでかすかわからない。」
「この冬はリシアを連れて、早めに領地に帰ろうと思っている。」
「それが良いかもな。」
「だが、得体のしれない不安が残るんだ…。強く、ならないとな。」
「今度こそ、俺じゃなくお前が守ってやれよ?」
「当然だ。」
そう宣言するレベッカの顔には覇気が漂う。
いい女だな、リシアは。
半年で、あの時隠してはいたものの弱り切って、ただエドワードと結婚するために言いなりになっていたこいつを、ここまで変えやがった。
何度挑んでも勝てず、憧れ続けた壁を、取り戻してくれた。
この場に居ないリシアに、俺は心の中で感謝を述べた。
レベッカはリシアの使った戦術をすぐに飲みこみ、自分のものとしています。
戦闘描写、難しいですね。