鍛錬
空気が張りつめる。
身じろぎ一つでも霧散してしまいそうなその雰囲気につい私は体を堅くする。
一閃。繰り出された剣がその空気を切り裂く。
静寂。何も無かったようにその場の空気が張りつめたものに戻るのが解る。
芸術だな。お姉さまの剣技は。
頭の先から足まで、ピンと伸びたような佇まい。迷いのない美しい足遣い。剣だけを見据えたような真っ直ぐな視線。お腹の底から出てくるような強い発声。そこから繰り出される目の覚めるような剣筋。
私は剣のことはわからない。でも、きっと達人とはこういう人なのだろう。そう思う。
私は今日、お姉さまの家の鍛錬場に来ている。
西欧風の世界観を持つこのゲームの世界から離れ、純和の道場をそのまま切り取ったような雰囲気を持ったところだ。
同様にお姉さまのいでたちも、胴着に袴、長く一つにまとめられた髪と大和撫子と呼んで差し支えのないものだ。
その格好がまた、お姉さまの雰囲気とあいまって…なんというか、その、素晴らしい。
先日より少しずつ鍛錬を再開し始めることとなったお姉さま。
私は無茶しないように監視して、適度に小休止を提案するのが役割だ。
逆に言うと、それ以外の時は何もすることがないのだが、剣を持つお姉さまの姿は、いくら眺めても飽きない。
「お姉さま、そろそろ休憩と致しましょうか。」
「ん、ああ。そうしようか。」
そう声をかけると、お姉さまはそこで一旦切り上げ、こっちへ向かってくる。
私は新しいタオルを持ち、差し出す。
「タオル、お使いください。」
「ありがとう。」
タオルを持ってその場にどっかりと座り込む。
お姉さまの体表にいくつも浮かぶ汗。それが健康的な感じを受けてとても美しい。
髪をまとめたおかげで見えるうなじは噛みつきたくなるような魅惑的な雰囲気を出している。
「リシア?」
「はい!?なんでしょう!?」
「飲み物はあるか?」
「はいここに!」
「ありがたい。」
私は用意していた冷たいお茶を渡す。
お茶を貰ったお姉さまはそれは美味しそうに、こくりこくりと飲んでいく。
その姿がまたとても様になっている。
首に掛けられているタオルがまた蠱惑するような--
「リシア、リシア?」
「は、はい!!」
「お茶、ありがとう。美味しい。」
「い、いえ!大したことは!」
「なんだか今日は堅いな?」
お姉さまはそう言ってくすりと笑う。自然体で笑う様子がまた完成されている。
どうしてだろう。いつもそばにいるのに、今日はまた別の人のようだ。
「さて、もう一度鍛錬に戻るとしよう。一時間後くらいに声を掛けてくれ。そのときは昼食としよう。」
「わかりました!」
「後、タオルだが…」
「新しいのを用意しておきますね!」
「いやそうじゃない。」
「何でしょう?」
「使ったものは持って帰ってくれてかまわないぞ?」
「要りません。」
「そうか?私が逆の立場ならリシアの使ったタオルは欲しいが。」
「何を馬鹿言ってるんですか、変態。」
「ふふ。まぁ欲しければ黙って持って帰ってくれていいぞ。何も言わないさ。」
前言撤回。いつものどうしようもない甘えたお姉さまだ、この人は。
私はお姉さまにぷりぷりと怒りながら、使用済みタオルをそっとポーチにしまった。
◆ ◇ ◆ ◇
私はおにぎりの詰まったお弁当箱を広げる。
お茶を淹れ、真新しいタオルを置き、お姉さまへ声をかける。
「そろそろ昼食にしましょうか!」
「ああ、そうしよう!」
表情こそいつも通りだが、背中からはお腹空いたと言った感じのオーラがぽよぽよと出ている。
昼食を作ってきて良かったな。そう思う。
昼食のお弁当の中身はおにぎりだ。サンドイッチも考えたのだが、この場にはおにぎりが似合う。
「おお、これは米か?」
「そうです!おにぎりって言うんですよ!」
「美味しそうだ。このまま手で取って問題ないか?」
「ええ、そのまま行ってください!」
お姉さまはすぐさまおにぎりを一つとって頬張り始める。
何も言わずともその姿にもう美味しいという雰囲気が出ている。
「これは美味しいな!汗をかいたから塩気が美味い。」
「そうだと思いました。」
「中に入ってるのは鮭か?」
「ですです。美味しいですよね。ほかにも色々入ってますから食べて見てください!」
「おにぎりとは良いものだな。この形はどうやって作ってるんだ?」
「ふつうに手で固めてますよ?こうやって。」
そう言って私は手を三角に形作る。
「なるほど。…つまりこれはリシアの手で直接触ったものを口に…。」
「何かそう言われると嫌です。返してください。」
「嫌だ!私が全部食べる!!」
「全部は食べ過ぎですって!!というか私のも入ってますから!!」
お弁当箱を抱えて離さないお姉さまとドッタンバッタン騒ぐことになった。
◆ ◇ ◆ ◇
お姉さまは手を握ったり開いたりしながら自分の手を見つめる。
「何か手に問題が?」
「いや、逆だな。問題がなさすぎて。」
「良いことじゃないですか。」
「以前に剣を握ったときは、それだけで体がおかしいのを実感できた。その頃に比べたら随分と良くなったものだと思う。」
「この調子ですね。」
「剣を握るのは、楽しい。そして、それを取り戻してくれたのは、リシアの献身だ。何度礼を言っても言い足りない。」
「そんな、いつも言っていますが私のしていることなんて大したことでは。」
ただ、やりたいからやれることをやっているだけだ。
「いつだってリシアは私のことを考えて、私の為に何かをしてくれる。それは十分大したことだ。…私は、何も返してやれてない。」
「そんなことは。私も日々お姉さまから元気をいただいてます。」
今日も鍛錬姿、眼福でした。
「次こそ、リシアをこの手で守ってやれるようになる。もう、誰にも傷つけさせないし、守らせない。それが私の一つ目の恩返しだ。」
「ええ、守ってくださいね?私はか弱いですから。」
「私はリシアより強い人を知らないがな。いつも私が守られてばかりだ。」
「ゴリラ二人より強い扱いは心外ですね…」
「私をゴリラと呼ぶなゴリラと。」
だって力の強さは人間じゃないし。絶対。
「しかし、こうして鍛錬していると家族を思い出す。兄は何でも1人でこなしていたが、父上は必ず鍛錬に、リシアのように、母上を随伴していた。」
「そうなんですね。」
「今なら父の気持ちがわかる。幸せだな、こういう時間は。リシアはただ待つだけで飽くかもしれないが。」
「お姉さまのお母様も、私も、飽きはしないと思いますよ。こうして見ているの、楽しいし幸せですから。」
「ふふ。確かに記憶の中の母もいつも鍛錬を見ながらニコニコしていた気がするな。」
「そうだと思います。」
私もきっと、同じ表情をしていたと思う。
「これからも日々の鍛錬のときは付き合ってくれるか?」
「ええ。もちろん。」
そろそろお姉さまの我慢が振り切れて私を抱き寄せそうな雰囲気を醸し出してきたのを察し、立ち上がる。
「さて、お姉さま!クールダウンしたらマッサージしましょうか!」
「…足ツボは…」
「大人しくするなら控えめになると思います!」
静かにうなだれるお姉さまを横目に私はバスタオルを取りに向かったのであった。
タオルはリシアの部屋に飾られたそうです。