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人魚鉢  作者: 冴吹稔
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人魚の憂鬱

「いささかお時間がかかりましたな。どうぞ、こちらです」


 ハートウッドはプールサイドに立ってダンを待っていた。磨きたてられたタイル張りの床の上に籐製のデッキチェアとテーブルがあり、その上に乾いたタオルと、氷と飲料水のボトルをぶちこんだ巨大なペールが据えてある。


 何よりも、そのプールの広さにダンは圧倒された。ちょっとした遊園地の大プールに匹敵する。違うのは、周囲を観葉植物に囲まれて彼とハートウッド以外は誰も見当たらないことと、ウォータースライダーのような立体構造が存在しない事か。

 その代わり、プールの中央にはまるでローレライの岩山を思わせるような、人工の浮島があった。


「どうぞ、水の中へ――お嬢様に気に入られることをお祈りしておりますよ」


 ハートウッドはそういい残すと、いかにも彼らしいと思わせる規則正しい足取りで、居館の方へ戻っていった。ダンは戸惑い、ためらいながら手すりを掴んで水の中へ下りた。

 その、お嬢様ってのはどこにいるんだ?――


 そう念じた瞬間。


〈ここよ〉


 頭の中に、少女の声が響いた。どこかまだ幼さの残る、おとがいの華奢な容貌までが脳裏に滑り込んでくる。


 ――こいつは!?


 軍にいた時分、特殊部隊崩れの先任軍曹から聞いた与太臭い話を思い出す。彼がドロップアウトする羽目になった非正規作戦ではいわゆる超能力――精神感応(テレパシー)予知(プレコグニション)といった「E.S.P(超感覚的知覚)」を駆使する敵部隊にさんざん翻弄されたのだ、と。もしやこれも――


〈そんな便利な物じゃないわ。私は、人並みに持ってない感覚の代わりに、これをもらっただけよ――神様から〉


 思念と共に、何かプールの底とは違う色をしたものが、水中を滑るように近づいてくる。


(速い……!)


 水中の移動としては人間離れした速度だった。足にヒレをつけていてもなかなかこうはいかない。


〈毎日、起きている間はほとんど水の中にいるのよ、当然ね〉


 バカな。そんなことをすれば体温が維持できないし、電解質バランスが崩れて生命に危険すらあるはずだ。人間なら――


〈厳密には、人類とは少し違うのかもね?〉


 声とともに、緑がかった髪に縁どられた青白い顔が水面に現れた。こちらを向いて悪戯っぽく微笑んだその顔は、眼球に瞳がなかった。


         * * * * * * *


「テストには合格というわけかね?」


〈いいわよ。あなた、とっても純真(ナイーブ)でシャイなのね。そういう人、タイプなの〉


 俺の顔をじかに見てもそう言うだろうか、この娘は?

 ダンはミチルの白く幕がかかったような目をなるべく見ないようにしながら幾分憂鬱な考えをもてあそんだ。


 ミチル・ナカガワ・マンザネラは、通常の視覚聴覚と音声言語能力を持たない代わりに、精神感応と特殊なエコロケーション能力を持って生まれた、いわば新人類だ。

 宇宙に人類が進出して五百年。宇宙船の外壁越しに膨大な放射線も浴びたし、辛うじて交配可能なレベルの人類型種族(ヒューマノイド)にさえ幾度か出会っている。あの先任軍曹が言ったような能力者が生まれていたとしても不思議はない。


 だが、ミチルの能力はおそらく他に類を見ないものだ――彼女は、水を媒体にして周囲の空間にいる人間の思考を読み、自分の思考を発信し、周囲の環境を把握しているのだった。


「それでか。あんたの父親――フェリクス・マンザネラがこんなところにバカでかいプールをこさえてるのは、娘に人並み……いや、違うな。あんたが自分の能力を最大限に発揮して自分らしく生きられるようにする、そのためなんだな……」


〈ええ、そうよ。でもそのせいで、私たちファミリーは、このポート・ストラルサンドの住民から憎まれてしまったみたいね〉


 そりゃあなあ、とダンは立ち泳ぎを続けながらため息をついた。

 父親の愛は尊いものだが、このプールはいくら何でも広すぎる。水の量が莫大すぎる。それをたった一人のために――


〈……私が、本物の人魚だったらなあ。海水の中で暮らせる、本物の人魚だったら。このプールで水を独り占めするんじゃなくて――〉


彼女はそんな思念を水中にほとばしらせると、プールの浮島に体を預けて休みながら、何かに聴き入るかのように頭を南へ向けた。シャトル発着場のあるその方角二十キロ先には、地球の約二倍の塩分濃度を持つ、塩っ辛い海が広がっているのだ。


「……やめとけ。入星管理局で待ち時間にガイダンス動画を見たが――あの海には知性のかけらもない獰猛な肉食の類棘皮動物シウド・エキノデルマタが群生してるんだ。あっという間に骨だけになるのがオチだよ」


〈怖い話で女の子を脅かすなんて、ひどいわ〉


 ミチルはそういうと、プール全体に響く思念で笑った。彼女の思考にシンクロして水が震え、泡立つ。


〈あなたは街の人たちのことなんか気にしなくていいのよ。あと五日間、私の相手をして、危険から守ってくれればいい〉


 ミチルはそんな優しい思念でダンを包んだ。だが、彼女の言うそれだけのことがなかなかに困難だと分かってきているのが、目下ダンの悩みの元だった。

 

 もう今日のうちに二回、敷地の上空に小型の無人ヘリコプターが侵入してきていた。ダンや初日に迎えに来た若者がレーザーで撃ち落としたそれには、電気ウナギを模した放電装置を内蔵する、小型の魚雷が積まれていたのだ。周辺の警備が強化されたが、敷地の広大さがこの場合はあだとなっている。常駐する人数をもってしても、館の周辺以外はいまひとつカバーしきれない。


 そもそもダンが雇われたのも、そうした事情と関係があった。ハートウッドは隠すつもりだったようだが、ミチルがあっさりと明かした。

 休暇を与えられた家庭教師は街にかき集められた労働者の中の、不満分子のリーダーと接触があったのだ。家庭教師本人には知らされていなかったが、ミチルの感応力は、同じ水中にいる限り潜在意識下の情報までも探り出し暴いてしまう。筒抜けだ。


〈お父様が今不在なのはね、この街を引き払って他所の惑星(とち)へ引っ越す準備をしてるのよ。そのためにかかる時間が、あと五日ってわけ〉


 なるほどな、と言うと、ダンは丁重にミチルへの非礼を詫びながらプールを出た。普通の人間である彼にとっては、水中での長時間活動は過酷すぎるのだ。

 縮み上がった局部を情けなく思いながら用を足すと、彼は消毒用の小さな塩素槽に下半身を浸し、ゆっくりと五十数えた。

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