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9章90話 意思を引き継ぐ

 私は家に戻ると、家の中を見渡す。すると、いつも帰ってきたら、尻尾を振って出迎えてくれるフェンリルの姿が見当たらなかった。

 「お父さん、フェンリルがいないんだけど、知らない?」

 私はフェンリルが家にいないことに気が付き、父に尋ねると、

 「それが…。」

と少し言い(よど)んだ後に、話し始める。

 「実は狩りで山に連れて行ったときに、狼が数匹現れたんだ。最初は、驚いて腰を抜かしたんだけど、どうやらフェンリルの仲間だったようで、フェンリルは仲間の許へと行ってしまったんだ。…」

 父は必死に説明するが、父の表情や口ぶりから、私は父がなんとなく嘘をついているのがわかった。

 私は父が説明し終わる前に、すぐに家を飛び出す。

 「おい、どこへ行くんだ!」

 父の呼び止めも無視して、私はフェンリルを探しに雪山へと向かう。

 「フェンリルー!どこにいるの?お家に帰ろう。」

 私の声は山の中を駆け巡るが、フェンリルは現れない。

 私はその日、夕暮れまでフェンリルを探したが、見つからなかった。そして、翌日、翌々日と、連日探し続けるが、とうとう見つからなかった。



 それから…、フェンリルがいなくなって3年が経ったころ、私は再び果物を取りに森に出ていた。

 フェンリルがいなくなった日から、私はどこか心がぽっかりと空いてしまったようで、常に虚しさがある。父も何か私に後ろめたさがあるようで、よそよそしさが少し感じられる。

 ―そういえば、ここでフェンリルと出会ったのよね。

 私は昔を思い出すように、しみじみと思いながら、森を見渡す。

 木々を


 すると、私の視界の左端に大きな狼が映る。

 「ひっ!」

 私は突如現れた大きな狼に怯えて、腰を抜かしてしまう。私は腰を地面につけながら、後ずさりをする。

 必死に逃げようとするが、狼はそんな思いなど露知らず、こちらにジリジリと近づいてくる。

 だが、私は狼を改めてじっくり見ると、何か見覚えのある顔立ちをしていた。

 「…もしかして、フェンリル?」

 私がそう尋ねると、それに呼応するかのように、クゥーンと鳴る。

 「やっぱりフェンリルよね!!ここにいたのね!!」

 私はフェンリルを3年越しに見つけたことに喜ぶ。

 私がフェンリルを「フェンリル」であると気づくのに、一瞬戸惑ったのは無理もなかった。フェンリルの体は2倍以上に大きくなっていた。確かに、寒い地域の動物は、体が大きい傾向があることを知っているが、まさかこの短期間で大きくなるとは思いもよらなかった。

 だが、私には不思議とその狼がフェンリルだと分かった。

 「フェンリル、大丈夫よ。私、アンナよ。」

 私はフェンリルに近づき、敵意は無いと手のひらをいっぱいに広げる。

 フェンリルも敵意は無いのだと気づき、私に近づき、頬をペロペロと舐める。

 だが、突然、

 「アンナ、離れろ!」

と父の声が後ろから聞こえた。

 「え?」

 私は声のする後方を振り向くと、狩りをしに来ていた父や地主たちが弓矢を構えていた。

 おそらくフェンリルを恐れてのことだろう。

 「ま、待っ…。」

 私はこの狼はフェンリルだと弁明しようとするが、父は私の忠告を待たずに、矢を放つ。

 その放たれた矢は、フェンリルの片目に突き刺さる。

 「キャン!!」

 フェンリルの悲痛な叫びが辺り一帯に響き渡る。私は自身が攻撃されたわけでもないのに、心が(えぐ)り取られるような痛みを感じた。

 だが、そんなことも露知らず、大人たちは目の前の怪物を討伐しようと、フェンリルに向けて矢を放っていく。矢はフェンリルの全身に、次々に突き刺さっていく。

 フェンリルはなんでそんなことをするの、と悲しげな目で大人たちをただ見つめる。

 そこに、

 「やめて!!」

と、私はいたたまれなくなり、フェンリルを庇うように前に出る。

 「どけ!アンナ、その怪物は危険だ!」

 私をフェンリルから遠ざけようと父が忠告するが、私は意地でもどかない。

 「怪物じゃない!フェンリルだもん!」

 「どこがフェンリルだ!大きさが全然違うじゃねえか!」

 私たちがそうやってお互いを説得しようとするが、地主が痺れを切らす。

 「邪魔だ!!」

 地主は私が前にいようとも、フェンリルに向かって矢を放つ。

 次の瞬間、グサリという音とともに、突如、自身の胸に鋭い痛みと熱さを感じる。私は視線を自分の胸に移すと、先ほど放たれた矢が、私の胸に突き刺さる。

 矢が突き刺さった箇所からは、血がドクドクと流れ、白い服が赤く滲んでいく。

 「あ…あ、あ…。」

 血が多く流れることによって、寒気がゾクゾクと襲う。痛みも伴い、次第に体に力が入らなくなっていく。

 その私の衰弱していく姿を見て、

 「てめえ、娘に何してんだ!!」

と普段は地主にへこへこしている父も、すごい剣幕で地主の胸倉を掴み、キレている。

 「あ、あいつが前にいたのが悪いんだろ!!そもそも、その口の利き方はなんだ!地主である私に向かって!」

 父と地主が取っ組み合いになると、周りの大人たちは二人の腕や足を抑える。

 「「離せ!」」

 大人たちが最後まで醜い争いをしている中、私の意識は遠のいていく。

 視界も朧げで、音も遠くなっていく中で、グルルという威嚇するような喉の奥を鳴らす鳴き声とともに、蒼く大きい何かが死にかけの私に覆いかぶさる。

 そのぼんやりとした情景から、私はフェンリルへの後悔と懺悔の念が思い浮かぶ。

 …ごめんね、ごめんね、フェンリル。あの時、あなたを守っていれば、あなたはこんなことにはならなかったのに。

 きっとフェンリルは私が捨てたと思って、恨んでいるだろう。

 私はフェンリルへの後悔から、次第に人間への憎悪へと変化していく。

 なんでフェンリルだけがこんな目に遭うの。フェンリルは皆に危害を加えていないじゃない。なのに、なんでこの子がこんなに苦しまなければならないの…。

 その悔しさと憎しみの中、私の一度目の人生は終わり、そして狼としての二度目の生が始まった。それもフェンリルの何倍も大きい狼となって。

 「…あ…あ、ば、化け物…。」

 人間は俺の姿を見て、恐怖で体が固まってしまった。

 そして、俺は醜い人間を煩わしく思い、先ほど揉めていた人間をまとめて喰いちぎる。

 「餓狼之口」

 人間は叫ぶ間もなく食いちぎられ、ただの肉塊と化す。

 「…まずい。」

 初めて喰った肉の味は不味く、ペッと吐き出す。

 俺は先ほど覆っていたフェンリルを見ると、生気はもう無く、ぐったりとしていた。

 ごめん、俺がフェンリルとして生きて、人間を滅ぼすから。

 俺はフェンリルにそう誓い、その場を去っていった。



 狼は常に悪者とされる。

 元々狼は地域によって「大神(おおかみ)」と言われていたように、神のような存在として崇められていた。伝承では、古くから狼が人間の狩りを手伝ってきたという。だが、人間が農耕を始めると、その狼の存在がいらなくなり、次第に邪魔者として、悪者として扱われるようになった。

 狼は絶対的な悪ではない。ただ、人間にとって利用価値が無くなったから必要悪として切り捨てられたのだ。

 私はそれが許せない。

 だから、だから…、フェンリルのためにも、動物のためにも、害悪となる人間を滅ぼさなければならない。



 ヴォルティモの脳内に、フェンリルの記憶や思いが流れ込んでくる。

 「そうだったのか。お前は狼ではなく、少女の方だったのか。だが、フェンリルへの後悔からフェンリルそっくりの魔物へと生まれ変わり、人間を滅ぼそうとしたのか。」

 ヴォルティモは改めて真実を知り、その重さに胸が締め付けられる。

 ラシードの御伽噺とはまた少し違ったが、童話とは違った悲しい真実がそこにあった。


すみません、しばらく体調が悪くて、更新できませんでした。

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