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9章83話 不安という怪物

「はぁ…はぁ…。」

 一体の人狼が息切れを起こし、呼吸もままなっていない。そして、とうとうバタンと倒れ、苦しそうにしている。呼吸困難に陥っていた。

 その周りの人狼が、

「大丈夫か!?」

と抱きかかえ、様子を見るが、息も絶え絶えだった。

 「フェンリル様、また仲間が一人倒れました。多分、高山病でしょう。」

 背丈が大きい人狼が、黒いローブの人物に報告する。

 「了解した。仕方ない。置いていくぞ。」

 大きい人狼が、その言葉を聞き、聞こえないくらいの音で舌打ちをする。そして、若干、切れ気味に、

 「お言葉ですが、もう数十人は見殺しにしました。どの奴らも全員良い奴で、俺の大事な仲間です。もう限界です。」

と声を震わして伝える。

 「…すまない。だが、もう少しの辛抱だ。もう少しで目的地に着く。この件が終われば、俺に好きなだけ文句を言ってくれ。それと、君たちに褒美をたんまり貰えるように、陛下に掛け合ってみるよ。」

 黒いローブの人がそう言うと、

 「…絶対ですからね。」

と人狼が不服そうながらも、承諾した。



 一方、グローたちは5千のアクランダ兵と共に北上していく。そして、ドヴァーラハーラ朝の首都カナウジに着くと、アクランダ兵がドヴァーラハーラ王にこの度のクーデターについて報告した。

 すると、

 「そうだったのか!今アクランダ朝ではそんなことが起きているのか。」

と王は驚くが、前からそうなると分かっていたかのように、若干納得もしていた。

 そして、ふぅと息をつき、

 「では、仕方あるまい。このドヴァーラハーラ兵と少数のアクランダ兵で、人狼との戦地に向かうしかない。」

と覚悟を決めて、宣言する。

 そして、彼らは準備をした後に、戦地へと北上していった。

道中、グローの前で隊列中のドヴァーラハーラ人とアクランダ人の兵士たちの話が、彼の耳に偶然入る。

 「この戦いに勝って、早く帰りてえな。」

 「そうだな。」

 アクランダ人が一輪の花をポケットから取り出して、それをジッと見つめながら語り始める。

 「俺には可愛い娘と奥さんがいるんだが、娘が花をくれたんだ。可愛くてたまらなくてよ。あいつらのためなら盗みだって、殺しだって(いと)わない。だから、今まで対立していた国の奴らと戦うなんて屁でもねえよ。」

 男性はその花をジッと見つめている。彼は顔に笑みを浮かべているが、彼の言葉からはどこか寂しさを感じさせる。

 ドヴァーラハーラ人の男性もアクランダ人に同調する。

 「…俺もそうだな。早くこの戦いを終えて、家族の許に戻りてえ。」

 二人がそんな微笑ましい話をしていると、

「君も家族はいるのか?」

と、その二組の男性はいきなり後ろのグローに声をかける。

 「あー、えっと、その、自分は故郷を失くして、家族がまだ生きているのかどうか…。」

とグローは返答に困り、しどろもどろで答えてしまう。

 「あっ…。そうなのか…。」

 二組の男性はグローの返答を聞き、まずいこと聞いてしまったな、と言わんばかりに表情を暗くしてしまう。数分の間、気まずい空間が流れる。

 グローは戦う直前でこの空気はまずいと思い、気まずい空間に言葉を横切らせる。

 「あ、で、でも、今は大切な仲間もいるので、その仲間のところが今の自分の居場所です。」

 彼は咄嗟にそう言うが、横にマリアやイトゲル、カーズィムがいるので、急に恥ずかしくなる。彼女らもなんか照れくさそうにして、グローの方を見ない。

だが、彼のその言葉を聞くと、二組の兵士も若干明るさを取り戻す。

 「そうか。じゃ、君が仲間のところへ無事帰れるように。これあげるよ。」

とドヴァーラハーラ人の男性が何かが入っている瓶を渡してきた。

 グローは、いきなり何を渡しに来たんだろうと不審に思い、

 「これは何ですか?」

と尋ねる。

 彼の問いに対し、ドヴァーラハーラ人の男性は、

「これはマジャの実のジャムだ。パサパサのパンしかないが、良かったら、食べてくれ。シヴァ神のご加護があらんことを。」

と答える。

 これは、苦いと噂のマジャの実だ。聞くところによると、このマジャの実はブラフマン教においてシヴァ神などが宿る神聖な木の実とされているという。そのため、彼は“シヴァ神のご加護があらんことを”と言ったのだろう。

 「ありがとうございます。」

 グローはお礼を言い、ジャムを手に取る。そして、行軍して、しばらく歩いた先の休憩地で、先ほどのジャムをパンに乗っけて食べた。彼はそのジャムの甘さと苦さを嚙み締めたのだった。



 彼らはそうして戦地へと歩みを進めていると、向こうでガール朝とスィク教国の連合国が人狼の集団と抗戦していた。

だが、戦況を見ている限り、南方連合軍が押されているかと思いきや、五分五分という状況だった。

 ―おかしい。アラッバス朝を退けた人狼の大群が、こんな小国の集まりに押されるのか…?それに、数も思ったより少ない気がする。

 グローは気になり、マリアにその違和感について尋ねる。

 「何か変じゃないか?」

 「何が?」

彼にいきなり尋ねられたが、何のことかわからず、彼女は聞き返す。

 「うーん、何て言うか、上手く事が運びすぎているような。それに、数が思ったより少ない気がして。」

 彼は自分でもいまいち分かっておらず、曖昧なまま答えてしまう。

 だが、一応彼女には伝わったらしく、「あー」と小さく頷く。

 「多分、アラッバス朝が先の戦いで数を減らしたんじゃない?苦戦したとはいえ、大国だからね。」

 彼女の言葉を聞き、グローも納得をする。

 「確かに、それもそうか。杞憂かな。」

 彼は彼女の言葉を信じることにした。



 そして、グローたちも人狼との戦いに参戦するために隊列する。

 ドヴァーラハーラ軍の隣にアクランダ軍を置き、彼らは並んで隊列していた。

 そして、

 「全軍、突撃!」

とドヴァーラハーラ軍の一番偉い指揮官がそう合図すると、ドヴァーラハーラ兵とアクランダ兵が同時に人狼へ突撃する。

 グローたちも例にもれず、突撃し、人狼と交戦する。

 人狼は槍を手にしており、グローに向かって槍を突き付けてきた。

 グローは咄嗟に槍を避け、剣を横なぎに振ろうとする。だが、人狼はそれを見かねて、接近してくるグローに膝蹴りをかまそうとする。

 「うぐっ!」

 グローはその膝蹴りをもろに喰らい、軽く飛ばされる。

 ―腹が痛てえ…。さすがは人狼だ。一筋縄ではいかないか。

 油断をすれば、やられる。

 二人の間で、そんな緊張感が走る中、人狼が続いて攻撃を繰り出す。

グローの頭を刈るかのように、槍を高めに横なぎに振ってきた。グローは頭を屈めて避けるが、人狼はそれが想定内だったのか、にやりと口角を上げる。そして、先ほどと同様、頭を屈めたグローの頭に向かって膝蹴りを仕掛ける。このままでは膝蹴りをまともに喰らい、死ぬであろう。

だが、想定内なのは人狼だけではない。グローにとっても、この膝蹴りは想定内だった。構えていた剣を横なぎに振り、人狼の近づいていた足をスパッと斬る。

 人狼は痛みで叫ぶと同時に、片足が無くなったことで、体勢が崩れて地面に倒れる。

 そして、グローはそこに容赦なく、人狼の胸部に剣を突き刺す。

 剣を刺された人狼は口から血が流れ、ピクリとすら動かなくなった。

 こうして、人狼という手強くも、兵士の数で押し、徐々に人狼が討伐されていく。

 この二国が参戦することで、先ほどまで五分五分だった戦況はガラリと変わり、一気に人狼は窮地へと追い込まれた。どんどん人狼は後退していき、前線が南方の外へ外へと追いやられていく。



 この南方の地には、北に大きなヒマーラヤ山脈がそびえ立っていた。ヒマ()ラヤ(棲み処)とは、雪の棲み処と書くように、高山ゆえに頂上に雪が積もっている。そのため、ヒマーラヤ山脈を越えることは不可能に近く、迂回するしかない。つまり、人狼が南方に侵入するには、ヒマーラヤ山脈の左から迂回するしかない。

 これが、今まで資源にも恵まれ、分裂状態で攻められやすいのにも関わらず、南方が周囲の大国に陥落しなかった理由である。

 そして、今、人狼が侵入しにくいように、ガール朝とスィク教国の二国がその侵入ルートを囲うように塞いで抗戦している。さらに、そこに追い打ちをかけるかのように、ドヴァーラハーラ朝とアクランダ朝まで参戦するのだ。普通の考えならば、人狼に勝ち目は無いだろう。普通ならば…。



 「これなら余裕だな。」

 兵士の中で、緊張感が解け、その隙間に油断が生まれる。徐々に、その油断は多くの兵に伝播し、南方連合兵の誰もが「勝てる」と思っていた。

 しかし、その油断から、戦の最中にふと後ろを見た兵がいた。そこで、何やら不思議なものが目に入る。

 「なんだあれ。」

 その兵士の視線の先には、複数の青い点が点在していた。その点はどうやらこちらに近づいているらしく、徐々に大きくなり、その正体が明らかとなる。

 それは…人狼だった。南方までの迂回ルートとは別の人狼の集団が、南方連合軍を挟むように、こちらに向かってきていた。

 「うわああああ!人狼が後ろから迫っているぞ!!」

 大声で叫んだ兵士の言葉を聞き、南方連合兵全体に伝わっていく。

 「え、人狼…。」

 「は?え?」

 その兵士の言葉の真意を確かめるように、幾人の兵士も後ろを見て確かめる。すると、そこには嘘だと思いたくなるような、人狼の集団が迫っていた。

 兵士全体に再び、緊張感が高まる。だが、一度崩れてしまった緊張感はもう元には戻らない。崩れたレンガが元通りにならないように、彼らの士気はもう取り戻しがつかなかった。

 「なぜだ!なぜそちらから人狼が侵入できた!?」

 一人の指揮官が慌てながらも、その違和感に疑問を抱く。

 「まさか…。」

 そして、数分の後、指揮官が何かに気づき、顔を青ざめる。

 「まさか、ヒマーラヤを越えたというのか…?」

 そう。その指揮官の推測通り、その人狼の部隊はヒマーラヤを越えてきていた。

どうやら人狼の集団は、ヒマーラヤを左から迂回するのとヒマーラヤ越えをする二手に分かれていたらしい。

「しかし、それにしてもわからん!なぜ、奴らは体力を浪費するヒマーラヤ越えを選択したのだ!」

 普通は考えられない人狼の進行に、指揮官たちも混乱していた。そう普通ではありえない。ヒマーラヤ越えは、寒さや急傾斜で体力を途轍(とてつ)もなく浪費する羽目になる。だが、指揮官たちは数分の混乱の後に、その人狼のヒマーラヤ越えの理由に気づく。

 「…そうか。奴らは“人狼”だった。」

 この短い言葉で全てを物語っていた。奴らは人狼であるため、暑さや乾燥に弱い分、寒さには強かった。そのため、多少辛いヒマーラヤ越えでも、被害を抑えて行軍することを決行したのだろう。


挿絵(By みてみん)


 この数%しかない可能性を捨てた南方連合軍は、二手に分かれた人狼の集団に挟まれることとなる。

 南方の連合兵は、思いもよらぬ人狼の行動により、大混乱に陥っていた。

 「ま、まずい!」

 「このままじゃ、挟まれる!!」

 「隊長、次の指令を!」

 兵の多くが慌てふためき、不安という怪物が彼らを蝕む。その膨張する不安と比例して、人狼の距離はどんどん狭まっていく。

 人狼が目前まで迫ると、彼らはぞっとした。人狼の目は、もうそれは獲物を狩るときの獣の目だった。


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