8章73話 所詮魔物
人狼の勢いは留まることを知らず、次々にアラッバス朝の街を侵略していった。だが、アラッバス朝もやられてばかりではいられない。人狼の思い通りにはさせまい、とアラッバス兵士は自身の命を賭してでも、死守しようとしていた。
ここはアラッバス朝の中でも大きな都市のアレクサンドリア。このアレクサンドリア付近の砦でアラッバス兵士と人狼の攻防が繰り広げられていた。
やはり人狼は強く、アラッバス兵がかなり押されていた。だが、そんな時に、アレクサンドリアにアラッバスの増援が来た。
「増援が来たぞ!」
街や砦に歓喜の声が響き渡る。
「助かった!」
「これで、持久戦に持ち越せば、奴らはいずれ兵站も体力も尽きるだろう。」
アラッバス人は増援により、まだ希望を失わずにいられた。
だが、そんなことを良く思わない者たちもいる。
「フェンリル様、アラッバス兵の援軍により、持久戦に入りました。もし、このまま長く続くようであれば、我々が不利となってしまいます。」
兄貴的な人狼が、ローブの人にそう報告する。
「了解した。」
フェンリルと呼ばれるローブの人がそう言うと、腕をぐるぐると回し、肩をゴキゴキと鳴らす。
「羊 の 皮を着た 狼」
とフェンリルが呟くと、奴の体はボコボコと異様に膨れ上がり、次第に大きな狼の姿へと変貌していった。
フェンリルが戦場に出ると、アラッバス兵に絶望が広がり、忽ち戦況がひっくり返る。
持久戦に持ち越していた戦況は、フェンリルによって短期戦で決着がついてしまった。
人狼はその後も街を侵略していったが、進路方向に異変があった。本来ならば中央の首都アッ=サラームに向かって侵攻するはずだ。それなのに、人狼の進路は若干南に傾き、まるで南方を目指しているようだった。
そんなことを知らないグローたちにも、そのきな臭い情報がアラッバス朝を越えて、彼らの耳にも届くのだった。
この南方の地では、様々な国や宗教、人種などが入り乱れているため、言語もまたバラバラだった。北部では、アラッバス語の文字を借用し、自民族の音声言語を当てはめたものが多い。なので、アラッバス語を話せるカーズィムでも、言語が通じない。中部では、古代から受け継がれているバーラト語が多い。南部では、トゥミラという民族が多く、言語もトゥミラ語という違う言語が使われているらしい。
そこで、翻訳や安全を考えて、馬車を引き連れた旅商人らしき人物を街で探すことにした。目を凝らして旅商人を探すと、馬車を引き連れた人を見かける。
グローはその人に声をかけ、銅貨数枚を見せ、同行してもらえるか頼んだ。
その人は、オームという旅商人で、彼らの頼みを快く引き受けてくれた。オームはアラッバス語も話せるので、その人に同行させてもらい、翻訳も手伝ってもらった。
そのオームとの話の中で、
「人狼の集団が東から徐々に南東へと進路方向を転換しているらしい。その人狼の集団にはフェンリルという巨大な人狼のリーダーがおり、そのフェンリルを中心に統率されているらしい。そのため、戦闘を得意とするアラッバス朝でも、苦戦を強いられているのだという。」
という噂が出てきた。
「南東ですか。まさかこの南方の地に向かっているとか?」
グローが心配し、そう聞くが、オームに笑われてしまう。
「アハハ!そうだったら、大変だな。」
どうやらオームは本気にしていないようだ。
南方で主に活動しているオームにとっては、アラッバス朝で起きている人狼の襲来は、対岸の火事なのだろう。それに、
「確かに、人狼の数は多いらしいが、南東に向かっている時点で所詮魔物だよ。」
グローはわからず、聞き返す。
「どういうことですか?」
彼が尋ねると、
「もし、この南方に来ていたとしても、上にあるガール朝が討伐しようとするわけだから、人狼はアラッバス朝とガール朝の二手に挟撃される。そうなれば、さすがの人狼もひとたまりもないだろう。だから、首都に侵攻せず、南東に向かっている時点で、奴らは所詮魔物なんだよ。」
とオームは丁寧に答えてくれた。
「なるほど。確かに、考えてみればそうですね。」
グローはオームの丁寧な回答に納得し、人狼の襲来は南方まで及ばないのだと安心してしまった。
だが、その油断が命取りになることは、今はまだ知らない。
そして、グローたちは、アムリットサールから少し東の街のラホールに向かう。
しばらく草原の道を通り、東へと進むと、城壁で囲まれたラホールの街が見えてきた。
ラホールはスィク教国の首都で、大きな城があり、鉄壁の防御を誇る街だという。
スィク教国の首都だけあって、ラホールにはスィク教の寺院や大きな市場がある。市場には、マンゴーなどの果物や食塩などが売ってある。美味しそうなマンゴーが熟しているので、マンゴーや食塩なども買っておいた。
彼らはラホールを出て、乾燥した草原地帯を進む。
そのままスィク教国を出ると、まばらだった草木が生い茂っていき、背が高い草木が増えていく。その無造作に生えきった草原の草を鹿や象たちが食べ、さらにその草食動物を虎やヒョウなどが食べている。気温や湿度も今までより高く、ジメジメしている。服に汗がベタベタと不快に纏わりつく。
どうやらこの南方の地域は、様々な気候に恵まれているようだ。
彼らは野生動物や魔物に気を付けながら、草原を駆け抜け、南のプラティハーラ朝を目指す。野生動物がこちらに警戒の視線を送ってくるが、彼らは刺激しないように視線を合わせないように、気にせず進む。カーズィムはやはり動物が好きなのか、馬車の中からボーっと動物を眺めている。その目は優しそうな目で、口元も軽く笑っている。
しばらく動物が点在する草原を走ると、ドヴァーラハーラ朝に入る。
このドヴァーラハーラ朝はブラフマン教を国教としており、バーラト人が多くを占めている。先ほどのスィク教国より、ヴォルティモの故郷により近くなるだろう。
ヴォルティモも真剣な表情で、馬を速く走らせている。ヴォルティモから早く行きたいという雰囲気が醸し出してくる。
彼らは草原をしばらく進んでいると、少しゴツゴツした岩山が増えてくる。
その岩山がそびえ立つ中で、大きな寺院が見られる。だが、ただの寺院ではなく、巨大な岩壁が掘られ、そこに寺院がある。いわゆる石窟寺院というやつだ。周りの囲いは岩山そのものなのだが、その中には綺麗に彫られた柱や彫像が施されている。その像はあまりにも写実的で、今にも動き出しそうだ。
その石窟寺院の区域は聖職者と限られた人しか入れないため、彼らはその石窟寺院の中を遠くから覗く。だが、中は薄暗く、よく見えない。かろうじて太陽の光が反射して、入り口付近の内装が見えるくらいだ。
グローは石窟寺院の中を覗くのを諦めて、少し先の街のビラマラを目指した。
ビラマラの街に着くと、レンガの住宅街と大きな市場などが見えてくる。
ここら辺の地域は日差しが強く、じめじめと高温多湿である。そのため、住居に中庭を設置し、風通しを良くするよう施されている。
この街の人たちの服装にも、工夫が見られる。皆半袖で、サラッと乾きやすそうな素材の服を着ている。
ここら辺は日差しが強いが、砂漠地帯と違って、乾燥が酷くはない。湿度がある分、熱く感じるが、あの辛い砂漠に比べれば幾分マシだ。
街の住宅街を通り、市場に近づくと、芳香が鼻腔に入る。周りを見渡すと、料理を提供しているお店があり、その店の扉から独特だけど癖になりそうな良い香りが漂う。その香りに誘われて、彼らは店の扉を開け、店内に入る。そして、知らず知らずのうちに、カレーを頼んでしまったようだ。そのカレーからは立ち上がる湯気と同時に、嗅ぐだけで気分が高揚してしまうような香りが鼻に運ばれる。彼らは無我夢中でカレーとナンを腹に掻き込んだ。カレーは熱くて辛くて、発汗が止まらない。だが、汗をかいた分、涼しくなった。
カレーを食べて満足すると、料理店を出て、街を見回る。
街の市場には、先ほどの料理店と同じ香りが漂う。その香りの源を辿り、市場を見ると香辛料が多く売られている。西方に比べて、とても安く胡椒などの香辛料が売ってある。胡椒などは食糧の保存にも使えるし、西方では高く取引されているため、多めに買うことにした。
彼らは街を見渡すと、西方の街より物や人に溢れ、活気に満ちていることに気づく。市場には先ほどの香辛料から食べ物、陶器、綿織物などの様々な物が陳列されており、多くの人種や種族などがいる。獣人やパシュトゥーン人、バーラト人、ジンのエルバ人などもいる。
だが、様々な人や物が入り乱れる中、色んな身分の人も見かける。
ブラフマン教を信仰しているのもあって、身分の差が顕著にみられる。
お金を持っていそうな商人たちは、薄い褐色の肌が多い、一方で、黒めの肌の人たちが死体処理や糞尿の片付けをしている。服装はボロボロの布を身に纏い、手も血肉刺ができ、ボロボロだ。
この黒い肌の人たちは、俗に言う不可触民という身分の人たちらしく、最底辺の身分だという。不可触民とは、穢れが多いため触れてはいけないという意味だという。
―嫌な意味だ…。奴隷より酷い扱いだ。
グローはここに初めてきたし、この不可触民を見るのは初めてなのだが、なぜだか既視感があった。
だが、彼はその既視感が思い出せず、そのことについて考えることを放棄する。まあ、気のせいかもしれない。とにかく身分関係なく、皆が仲良く共生すればいいなと願うばかりだ。
彼らは街を見終わると、ビラマラを出て、草原地帯をしばらく進む。そこで、アンドラスとゴンゴーンに遭遇した。
アンドラスは頭がフクロウなのに、体は人間で、狼に乗っている。対して、ゴンゴーンは頭が人間だが、体が蛇だ。
彼らは5人で固まっていたが、アンドラスは乗っている狼を走らせ、こちらに全速力で向かってくる。そして、アンドラスは手に持っている剣で彼らに斬りかかる。たちまち固まっていた彼らは分断され、カーズィムとヴォルティモとグロー、マリアとイトゲルの二手に分かれる。
そこに、ゴンゴーンが、グローとカーズィムとヴォルティモにまとめて体に巻き付いてきて、拘束してくる。ゴンゴーンは強力な力で巻き付いてくるため、彼らの体がミシミシと悲鳴を上げる。彼ら3人は身動きが取れず、その隙にアンドラスはこちらにすごい勢いで向かってくる。
このままアンドラスに攻撃されると思いきや、イトゲルが矢を放つ。その矢はとても正確に、ゴンゴーンの頭に向かい、ゴンゴーンの頭にグサリと突き刺さる。すると、次第にゴンゴーンの体から力が抜けていき、締め付けが弱くなる。
拘束状態から抜け、アンドラスの斬りかかる剣を、すぐにヴォルティモが錫杖で受け流す。アンドラスは攻撃を弾かれ、隙ができる。そこにグローとカーズィムが、アンドラスに剣で斬りつける。アンドラスの体から血がドクドクと流れる。だが、それでもアンドラスは諦めずにこちらに攻撃をしてくる。大振りだが、剣さばきが素早く、体に小さな切り傷ができる。だが、体力は次第に失われていき、攻撃の速さと力が弱くなっていく。
さらに、イトゲルが馬を走らせながら、アンドラスの背中に矢を放つ。矢は見事背中に突き刺さり、アンドラスは一瞬だけ後ろを振り返る。その一瞬の隙に、カーズィムがアンドラスの心臓に当たる部分に短剣を突き刺す。すると、アンドラスは白目を剥き、嘴のような口から血反吐を吐く。そして、アンドラスの死体は狼の上からズルっと崩れ落ちる。バタッと音を立て、アンドラスの無残な死体を目の当たりにした狼は怯えた目をして、キャンと悲鳴を上げながら全速力で逃げていく。さすがに狼まで殺す気にはなれなかった。
彼らは完全とまではいかないが、少しずつ5人での連携が取れてきていた。
街並みの画像を追加しました。




