8章72話 寄り添う
グローたちはヘラートから東へと進むと、徐々にゴツゴツとした山が増え、地面に草木が増えてきた。空気も今までの砂漠地帯の乾いた空気と一変して、少し潤いのある空気が彼らの喉を潤す。グローは、久しぶりの自然で感動する。
―やはり俺には草原のような自然が性に合うようだ。
彼らは山や草原を越えると、次の街のガズニーが見えてきた。少し速足で進んできたため、疲労が見られる。なので、ここらで少し休憩することにした。
ガズニーでも、パシュトゥーン人が多く、ヴォルティモに近い民族はまだ見られない。
ガズニーには、イティバーク教の教会や市場などがある。
グローは市場を覗くと、綺麗な鉱石を見つける。店主に聞くと、ラピスラズリという鉱石のようだ。そのラピスラズリは深い蒼色で、まるで夜空の色を吸い込んだような色をしている。だが、ラピスラズリの値段を見ると、高価すぎてすぐに遠ざかる。
―これはさすがに手が出せないな。そういえば、以前レオナルドさんが絵を描いているとき、ラピスラズリという絵の具を使っていたが、これのことだったんだな。確かに、この色を使うだけで人を魅了してしまいそうだ。
他にも市場には、蒼いイスタリフ焼きの陶器なども売っている。彼らは市場で食料品などを調達し、一度宿で休息をとる。宿で一晩ぐっすり休み、翌朝ガズニーを出た。
ガール朝を出ると、また別の気候が見られる。地面は栗色の土壌で、その地面にまばらに緑色が点在している。乾燥地帯だが、砂漠ほどではなく、草原や低木が生えている。
動物もライオンやヒョウ、サイなど多種多様な動物が見られる。
その動物に紛れて、5体のブルトゥンギンがこちらにジリジリとにじり寄ってくる。ブルトゥンギンは、手足や耳、鼻、口がハイエナになっていて、それ以外は人間の女性になっている。ブルトゥンギンは唸り声を上げ、やつらの口からギラリと鋭い歯を覗かせる。ブルトゥンギンもといハイエナは、強靭な顎と歯を持っているため、噛まれたらひとたまりもない。
ブルトゥンギンはグローたちを囲むように、四方八方から徐々に追い詰めてくる。そして、彼ら5人の背中がくっつくまで追い詰められると、ブルトゥンギンは大きな口を開け、飛びかかってくる。
グローは剣を横向きにして、ブルトゥンギンに噛まれないように、剣をブルトゥンギンの口に頬張らせる。
ヴォルティモも錫杖で攻撃を受ける。
マリアは、槍をブルトゥンギンの喉奥を刺すように突き刺す。そのマリアの槍に突き刺されたブルトゥンギンは、喉奥から血がゴボゴボと溢れ出て、血に溺れてしまったかのように死んでしまった。
だが、彼女の槍は、一体のブルトゥンギンの犠牲によって塞がれてしまった。その隙をついて、二体のブルトゥンギンがマリアの方に向かっていく。
イトゲルはその危機を見逃さず、二本の矢を放つ。矢は真っ直ぐブルトゥンギンの方へ向かうが、一体のブルトゥンギンがもう片方のブルトゥンギンを庇うように盾になり、二本の矢を自らを犠牲にして受ける。
そして、一体のおかげで生き残ったブルトゥンギンはマリアの方へ真っ直ぐ向かっていく。
その迫りくるブルトゥンギンを見て、
「カーズィム!そのブルトゥンギンを何とかして!」
とカーズィムに頼むが、返事が無い。彼女は、彼がどこへ行ったのか、と思い、周りをキョロキョロと見渡す。だが、彼の姿はどこにも無かった。
「ど、どこ行ったのよ。」
ブルトゥンギンは勿論、待ってくれるはずもなく、どんどん近づく。そして、マリアのすぐ手前まで近づき、奴は飛びかかってきた。
マリアはもう為す術ないと諦めかけていたとき、突如、その飛びかかってきたブルトゥンギンの首に切り傷が入り、血がドバっと噴出する。そして、その噴き出た血は、一つの人型を赤く映し出す。そこには、カーズィムの姿があった。
どうやら、カーズィムは自身の体を変色させ、不意を打つために、ブルトゥンギンの隙を窺っていたらしい。だが、そんなことを知らないメンバーは、慌てふためいてしまった。
マリアは何かカーズィムに言いたげだが、とりあえず残っているブルトゥンギンを討伐することにした。グローやヴォルティモが相手しているブルトゥンギンを、皆で協力して討伐する。グローとヴォルティモが口を押さえている間、他の三人が側面から攻撃する。そして、ブルトゥンギンの体は傷だらけとなり、ドサッと崩れ落ちる。
その後、彼らはブルトゥンギンを埋葬し終えると、
「ちょっといい?」
とマリアはカーズィムに尋ねる。口調こそ優しくしているが、声色や目つきから怒りがじわじわと伝わってくる。
カーズィムはその気迫にビビっているからか、彼女と目を合わせないが、コクリと一応頷く。
「ごめん、ちょっと話があるから、少しだけ待っててもらっていい?」
彼女は皆に聞こえるようにそう言う。
グローとヴォルティモとイトゲルは、彼女の気迫に押され、ビクビクしながら頷く。
「ありがと。カーズィムはこっち来て。」
彼女は向こうの数本の木に囲まれたスペースを指さしながら、そう伝える。
二人はそのスペースに向かっていった。
グローは心配で、彼女らの後を付いていき、こそっと木の陰から見守る。
二人はそのスペースにちょうどあった切り株に座って、話していた。いや、どちらかというと、マリアがカーズィムを忠告していた。
「ねえ、確かに、あなたが色々な理由から話せないのは分かるわ。出会って間もないわけだし、すぐに信頼するのが無理っていうことも。でも、危機が迫っているときは、報告や連絡はしてほしい。でなければ、連携も乱れて、取り返しがつかなくなる時だってある。」
彼女はそう淡々と冷静にカーズィムに伝える。彼女はこの間のこともあって、カーズィムにイラついているのだろうが、カーズィムの状況を考慮し、怒りを抑えている。
「…。」
だが、一方のカーズィムは、やはり黙り込んでしまう。
そのカーズィムの黙り込む姿に、マリアは眉を顰める。しばらく沈黙の時間が続く。彼女は長い沈黙から、足を貧乏ゆすりしていた。そして、長い長い沈黙に、さすがに我慢できなかったのか、彼女が口を開こうとした瞬間、先に言葉を発したのは、なんとカーズィムだった。
「…ごめん。気を付ける。」
その言葉を聞き、マリアは、喉元まで出かけていた怒りを飲み込んだ。彼女は怒りを鎮めるため、ふぅと呼吸を整える。
「ええ、そうしてくれると助かるわ。」
彼女がそう言うと、カーズィムも少し安心したのか、先ほどまで合わせなかった目を徐々に彼女の方向へ向けていく。
その彼の様子を見て、彼女は、改めて自分が怖かったのだと反省する。彼女は、はぁーと大きく長い溜息をつく。その溜息にカーズィムはビクッと驚いてしまう。
「いやー、ダメね。やっぱり、私はどうも感情的になりやすいわ。」
彼女は、独り言なのか、それとも話しかけているのか、分からないぐらいの声量でそう言う。
彼女は続けてカーズィムに話しかける。
「カーズィムも知っているでしょうけど、私は、今は無い神聖エストライヒ帝国の皇女なの。でね、実は、私は皇女であることを誇りに思いつつも、皇女であることを嫌に思っていたわ。私はそこらの貴族より懸命に生きている国民が好きだし、歴史も伝統もある母国が好きだったわ。でも、やはり私を「皇女」という目で見てくる人は多かったわ。誰も、私を「マリア」という目で見てくれる人はいなかった。だから、私は「皇女」であることを嫌に思うときもあった。まあ、これも今思えば、我儘だったのかもしれないわね。」
彼女は、アハハと笑って誤魔化すけど、その声色は真剣そのものだった。
「だからね、私は皇女として演じることは幾度もあった。それが私の務めでもあったから。」
カーズィムは口を挟むこともなく、うんうんと頷きながら、真剣に聞いていた。
「でもね…、」
彼女はそう言いかけると、何かが胸から喉へと込み上げ、彼女はそれをぐっと堪え、飲み込む。
「…でもね、私はあの仲間と旅をしていて、自分は「マリア」でいいんだと思えてきたの。私は勿論、国民を導くような皇女でありたいけど、それは周りが期待している姿じゃなくて、私が望んでいる姿でいいんだと思えてきたの。」
彼女の想いが、遠くから聞いていたグローにも聞こえ、グローはジーンと感動してしまう。
そして、彼女は再び話し始める。
「だから、あなたもすぐには無理だろうけど。あなたも、「暗殺教団」や「教祖の孫」ではなく、「カーズィム」として考えて、選択し、生きてみて。ゆっくりでいいから。」
カーズィムは彼女の優しい言葉を聞くと、
「うん。ありがとう。」
と大きく、そしてゆっくりと頷く。
相手に信頼されたいならば、自分も相手を信頼し、自身の弱みを曝け出す。それが、一番基本であり、一番重要なことだ。一見、簡単そうに見えるが、意外とこれが難しい。人は自分の弱みを見せたくなく、表面だけしか相手に見せない。確かに、人によっては、その弱みをからかう者もいる。だからといって、誰にも見せなければ、誰も信じられなくなり、疑心暗鬼になってしまう。他人は自分の鏡だ。自分が応じれば、相手も応じる。これが、好意の返報性というやつだ。
マリアは自分の弱みを見せ、カーズィムに寄り添い、カーズィムはそれに応えた。対立していた宗教の彼らが、今は和解したように見える。そう、彼らは、「ルークス教徒」と「イティバーク教徒」ではなく、「皇女」と「暗殺教団」でもなく、単なる「マリア」と「カーズィム」なのだ。この様々な対立を越えた繋がりをコスモポリタニズムと言えるだろう。
「よし、もうそろそろ戻らなきゃね。皆が心配しちゃうし。」
とマリアは座っていた切り株から立ち上がる。カーズィムもコクリと頷く。
そのことを聞き、ジーンと感動していたグローは、
―やばいやばい。二人が戻ってきてしまう。
と焦り、急いでイトゲルたちの許に戻る。
二人もすぐ後に戻ってきた。二人の様子を見ている限り、覗いていたことはどうやらバレていないようだ。
―よかった。
グローはホッと安堵する。
そして、彼らは再び歩みを進めた。その道中で、グローが、
「俺は「皇女」のマリアじゃなく、意外と無邪気で、感情的で、喧嘩っ早い「マリア」の方が好きだぞ。」
と言うと、マリアは顔を赤らめる。
「あ、あんた、聞いていたわね!」
彼女は盗み聞きされていたことが分かり、グローを怒る。彼女は顔を赤らめていたが、それは恥ずかしさからなのか、怒りからなのか、それとも…。いや、これ以上は憶測にすぎない。
とりあえず、この後に、グローが彼女によってどつき回されたのは言うまでもない。
彼らはしばらく乾燥した草原地帯を進むと、別国のスィク教国内に入った。
このスィク教国はその名の通り、スィク教を信仰する教団が建国した国だ。
スィク教とは、イティバーク教とブラフマン教に影響を受けた宗教で、唯一神を信じ、身分制度を否定している。その身分制度の否定もあって、下層身分の人たちに人気のある宗教らしい。
だが、スィク教国については、この僅かな情報しかないため、とりあえず現地に行ってみるしかない。
彼らは草原地帯を進むと、スィク教国のアムリットサールという街に辿り着く。
このスィク教国で、ようやくパシュトゥーン人だけでなく、徐々にヴォルティモと顔立ちが似た民族を見かける。バーラト人という民族らしい。ロマニ民族とは違うが、起源は近しいのだろう。
スィク教徒は、イティバーク教徒と同じでターバンを巻いており、髭も長めに生えている。
スィク教国にはガズニー朝に比べて、複数の民族が共存している。だが、様々な宗教や民族がいるが、どの宗教徒や民族も対立はしていない。このスィク教国は有能であれば民族を問わないらしいので、それにより民族が多いのだろう。
肝心のヴォルティモはというと、自分に近い民族と出会えて、何とも言えないにやけた顔をしている。ヴォルティモはこの国でようやく周りをじっくりと見渡すようになる。街の住居、服装、宗教、文化、食べ物などを改めて見ている。ヴォルティモが聞いたり、知っている文化や服装、宗教とは違うが、少し自身の故郷と実感できてきたようだ。
ヴォルティモは言葉を発さず、ただただじっくりと辺りを見ていた。
そのまま彼らは街を見回っていると、アムリットサールの中央には、黄金に輝くスィク教の寺院がある。その寺院は太陽の光を反射し、余計に神々しく光り輝いている。まるで、そこは極楽浄土のように異世界に迷い込んでしまったのではないかと錯覚してしまう。そこには人々が祈りを捧げるために、中に入っていく姿が見える。その姿も、輝いてる寺院のせいで、天国へと向かう人たちのように見えてしまう。
その黄金の寺院をボーっと眺めていたが、流れてきた風の便りで一気に現実に引き戻される。
人狼の襲来は止まることなく、アラッバス朝を東へ東へと侵攻しているとのことだった。




