7章65話 英雄
グローたちは、ここから西寄りの南の街のアレクサンドリアを目指した。しばらく砂漠の道を進むと、潮の匂いが鼻腔に伝う。向こうに久しぶりの青い海があるのが見えた。
アラッバス朝とアシーナ帝国を隔てる細い海岸が入り乱れている。その海岸近くにアレクサンドリアの街がある。
遠くを眺めていると、アレクサンドリアのさらに奥の広い海との合流点に、大きな灯台が見える。ここからでも見えるため、余程大きい灯台なのだろう。
彼らは細い海に近づき、アレクサンドリアに入ると、同じく砂岩でできた住宅街と教会がある。だが、他のアラッバス朝の街と違うのが、この街にはアレクサンドリア図書館という大きな研究所兼図書館がある。柱などの建築様式から、アシーナの文化から影響を受けているのを見受けられる。
この図書館は一般人でも入れるため、グローはせっかくだから入ることにした。
「俺、あの図書館に行ってみたいんだけど。誰か他に来る?」
と彼が聞くと、イトゲルは、
「俺、興味無いからパス。」
と手を横に振って断る。
マリアは、
「私は市場を見たいわ。」
と市場の方を指さす。
ヴォルティモは、
「あー…、じゃ、俺は行くよ。」
とまるで同情するかのように、グローに付いていくことを選択する。
だが、ヴォルティモはそこまで行きたそうではなかったので、グローは、
「…いや、やっぱり一人で行くからいいや。」
とヴォルティモの優しい申し出を断った。
―案外みんな冷たいな…。
彼は自分以外、乗り気でないことに寂しさを覚える。
グローたちは後で合流する場所を確認し、それぞればらける。
グローは独りで図書館に向かう。アレクサンドリア図書館は一般の人も入れるとはいえ、さすがにセキュリティのため、図書館の出入り口には警備の人がいる。彼はそのジロリと睨んでくる警備の人の横を通り、図書館の中に入る。
図書館の中に入ると、その蔵書の多さに圧倒される。一面見渡しても本ばかりで、360度全部本に囲まれている。
この図書館は古代からあるため、数多くの蔵書があり、年季の入った粘土板の本まである。専門書の分野も様々な種類があり、数学や哲学、科学、詩など色々ある。
そもそもこのアレクサンドリアはミスルという地域の中にあり、そのミスルは古代文明があった地域だ。このミスルには、延々と続くような長い川があり、その周辺にはアラッバス朝で数少ない農耕地帯が広がっている。
その川は、夏に水かさが増し始め、増水期に入る。秋には水が引いていき、渇水期に入る。だが、その水が引いていくのと同時に、地面が潤い、豊かな養分を残していく。その豊富な養分を含んだ土地が残るため、それを利用して、稲や麦が栽培されている。ここでは、作物の旬という意味でも重要だが、川の氾濫期がいつなのか把握していなければならない。なので、天文学が発展しており、このアレクサンドリア図書館にも天文学関係の書物が多く、近くに天文台もある。また、以前イシドールが言っていた幾何学の起源の地でもある。川が氾濫しても、土地を記録、計測する必要があるため、図形数学なども発展しており、その書物も多い。
さらには、錬金術や自然科学、アシーナ由来の哲学や科学の書物もある。
グローは、アシーナ哲学の本が並んでいる棚の中で、『コスモポリタニズム』というタイトルの本を目にする。その本を手に取り、パラパラと読んでみる。
コスモポリタニズムとは、民族や国家を越えて、全人類、全種族を同胞として見る考え方だ。この考え方は、古代アシーナの樽に住む変人から誕生した考え方で、それに影響された哲学者が派生させていったらしい。この本も、その樽に住む変人本人が書いたわけでは無く、影響された人が記したものだ。
そこにはこんなことが書かれている。人間は度々、国籍や民族、種族、宗教、階級、性差などの障壁で分断され、それぞれの共同体に属しているという。だが、その共同体の違いによって、闘争が起きてしまう。だからこそ、正義などの人間性という全人類、全種族共通の道徳的な観点を意識するとこで、全世界の人類、種族の共通の共同体に属することができる。
確かに、グローは種族や人種が違うことで差別することはあまり無かったが、同じであるとまでは思ったことは無かった。信仰するものが違うため、価値観も違えば、生活スタイルも違う。人種や種族によっては、肌の色や身体的特徴も全然違う。だから、別の生き物として見ることも多い。だが、実際違う人種や種族の彼らは、言語が分かれば話も通じるし、正しさや倫理観はある程度一致している。この本でいえば、そういう意味では我々は同じ生き物なのだということなのだろう。理屈が分かった上でも、違和感が付きまとうが、一応その考え方は頭の片隅に入れておくことにした。
グローは他にも興味のありそうな本を軽く読む。その中で、あるイティバーク教徒の書いた詩が目に留まる。そこにはこんなことが書いてあった。
[本当の知恵とは何なのか。
知恵とは己を知ることだ。
もし己を知らぬなら、何のための学問か。
なぜお前は学ぶのか。
真なる御方を知るためだ。
学びはしたが、悟っていない。
まるで乾いたパンのようだ。
「学び悟った」などと嘯くな。
「神のために生きた」などと戯けるな。
真なる御方を知らぬなら、全ては塵芥の無駄と化す。
神より下されし四つの書。
根源の「阿」を指し示す。
しかし汝は阿も知らぬ。
何のための学問か。
ユヌス・エムレはかく語る。
望むなら千度聖地に参るがいい。
しかし心の探求こそ何にも勝る巡礼ぞ]
彼は、この詩の全ての意味を理解できたわけじゃない。だが、イティバーク教徒でもアラッバス人でもない彼でも、心に響く言葉だった。
何かを知り、学ぶことは己を知ること。それが無くては、空っぽの学問でしかない。人は何かを学ぶことを通して、自分を知っていかなければならない。
彼は世界を、様々な人々を知りたい。そして、困っている人々に何ができるかを考えたい。彼はそう思い、改めて世界を旅したいと固い決意と目標が定まる。
グローは図書館を出て、街をぐるっと見渡すと、馬に乗った騎兵や歩兵の集団が街にぞろぞろと入ってきた。
だが、街の住民の喜び様からして、敵兵ではなさそうだ。どうやらアラッバス軍の凱旋のようだ。兵士の列の先頭には、強そうな騎兵が住民に手を振りながら歩いている。
住民はその先頭の彼を中心に黄色い声援を送っている。あの先頭の彼が今回アシーナ帝国との戦いで活躍したようだ。住民は彼らを英雄と称し、褒め称えている。
彼はその声援を送っている人だかりを、水を掻き分けるように通り過ぎ、ようやく人だかりから脱出できた。
そして、その人混みを離れ、住宅街を歩いていると、乞食に食べ物を恵み、励ましの言葉を送っている女性を見かける。
「良かったらどうぞ。」
乞食に食べ物を恵む人は、ルークス教圏内でもよく見かけるが、彼女の場合、古着なども恵んでいた。
乞食はとても感謝し、女性にありがとうと何度も伝える。
その女性は一般的なエルバ人の女性で、格好からしてルークス教の修道女などのような聖職者ではなさそうだ。というより、そもそもイティバーク教には聖職者の概念が無い。一応ウラマーと呼ばれるイティバーク教を研究する人たちはいても、神と人を仲介するような聖職者はいない。
グローはその女性に興味本位で話しかけてみた。
「すごいですね。古着なども施しているんですか。」
彼に突然話しかけられ、女性は少し驚くが、にこりと素敵な笑顔を見せる。
「ええ、そうよ。」
彼はその女性に少しだけお話を聞かせてもらった。
「私はアブラ―ルで、今は日課の施しを行っているところよ。」
「これを毎日やっているんですか。すごいですね。」
彼はアブラ―ルの行為を褒めるが、彼女は首を横に振る。
「私はそんな大層なことをしているわけじゃないわ。だって、困っている人は助けるのは当たり前じゃない。それに、この世界では善行をすることが大事で、善行を行った者に救いが訪れるの。聖典には、こんなことも書かれているわ。」
女性はそういうと、机にあった聖典を手に取り、一部分を読み上げる。
[誰でも善行をする者は自らを益し、悪行をする者は自らを損なう。それからあなたがたの主の御許に帰されるのである。]
そして、彼女は続けて善行について語る。
「だから、私はこれを信じて、困っている人を助けるようにしているわ。他にも、イティバーク教の預言者もこんなことをおっしゃられているわ。
“人生の真の富は、人に施した善行である”と。
善行は自分のためにも、相手のためにも大事なのよ。」
―なるほど。善行をして、自分も相手も幸せになれたら、どれだけ尊いことなのだろう。
グローは彼女の言葉に感心させられる。
イティバーク教では、困っている人への善行がかなり重要な地位に置かれているようだ。
イティバーク教では、五行六信という概念がある。六信とは神様などの6つの信仰の対象のことで、五行は巡礼などの5つの実行すべき行動である。その五行の中で、断食と喜捨が含まれている。それも困っている人の立場に立つという信条の表れなのかもしれない。他にも、イティバーク教では、奴隷を解放することも善き行いとされている。ルークス教などでもそういった精神は見られるが、特にイティバーク教では強いのだろう。
グローは屁理屈を言うように、女性にいじわるなことを言ってみる。
「でも、助けた人に裏切られるようなことがあったら、そのときはどうするんですか。」
だが、彼のいじわるな質問にも、彼女は動じず、淡々と自分の意見を言う。
「私はそれでも信じて、困っている人を手助けするわ。だって、その裏切る人が全てでは無いもの。誰か助けを求めている人が少しでもいるなら、私は手助けをすることを止めないわ。それに、神様は見ているもの。」
グローは彼女の言葉を聞いて、ハッと気づかされる。そして、同時に彼女に対して尊敬の念を抱く。
彼女のような人は、戦士たちのように注目されることはない。ただ目立たず、困っている人を支えている。そんな人たちは、英雄と称されるどの戦士よりも英雄だと思った。
「あなたは、アラッバス朝に住んでいるの?」
突然、彼女は彼に質問を投げかけてきた。彼は首を横に振る。
「いえ、俺は旅をしていて、用があって、このアラッバス朝に寄っているだけです。」
彼女は彼の返答を聞き、軽く驚く。
「あら、そうなの。ここまで来るのに、砂漠の道はきつかったでしょう。」
そして、彼女は何かを思い出したように、手を打つ。
「あ、そうだ。ちょっと待っててね。」
彼女はそう言い、すぐ近くの実家に入る。そして、グローが待つこと数分が経過すると、彼女は家を出て、再びこちらに近づいてくる。彼女はバスケットを持っており、その中からパンやクスクスと呼ばれるものを取り出し、彼に分け与えてくれた。
「旅は大変でしょうけど、頑張って。」
その彼女の優しさが、とても彼の身に染みた。




