6章59話 二体の鬼
それから、酒蔵と桜はあの桜の木で幾度か会っていた。
彼らは他愛もない話を繰り返す。最近こういうことがあったなど。勿論、彼は自分のことを話せば素性がバレてしまうので、桜の話を聞くことが多い。そんな中で、桜は自分の境遇の愚痴を言う。
「私、たまに疲れるのよね。武家の娘でいることに。私は武家の娘だから礼儀正しくしなきゃいけなくて、周りの人と関わるときに模範の淑女を演じなければならないの」
正直世界が違い過ぎて理解できていないが、彼はうんうんと同調する。酒蔵には酒蔵の苦労があるが、桜には桜の苦労があるのだろう。
だが、彼は少なくとも自分の前では、彼女が気楽に話ができているようで良かったと思う。多分彼が村外から来たのもあるのだろう。
「それに……」
桜は何かを言いかけ、彼をチラッと見る。
「それに?」
彼は言いかけた言葉を聞き返す。
「私、良家の殿方と婚約を交わさなきゃいけないの。勿論、親が決めた相手だから、私は顔を見たこともないわ。酒蔵さんはどう思う?」
彼は胸が詰まるように苦しくなる。
―正直桜には結婚してほしくない。だが、そんなの俺の勝手な気持ちだし、非人の俺には言う権利もない。ましてや、非人なうえ、兄妹の俺では絶対に桜を幸せにすることはできない。むしろ、桜の幸せを本当に望むなら、その婚約を勧める方がいいのだろう。
彼は自分の気持ちに蓋をして、血涙を絞る思いで婚約を勧める。
「……俺はいいと思うぞ。正直良家なら金に困らず幸せに暮らせるからな。どこぞの馬の骨も分からない下品(下の身分)な野郎と結婚するより、よっぽどいいぜ」
彼は自分で言って、勝手に傷つく。彼の放った言葉が、自身にそのまま返ってきて胸に突き刺さる。自分で自分の首を絞めてしまった。
彼は泣きそうになる顔を見られたくないので、そっぽを向いてしまう。だが、後ろから桜のジッと見つめる視線を感じる。
「そう……。わかった。ありがとね。酒蔵さんの言う通りにしてみる」
彼女は彼の言葉通り、婚約を交わすことにするらしい。
―これで、桜は下品な俺ではなく、由緒正しい家柄のやつと結婚して幸せになれるはずだ。なのに、なんで俺は悲しそうな顔をしているんだ。
彼は後ろ見で桜をチラッと見ると、彼女も悲しそうな顔をしている。
―なんでそんな顔をするんだよ……。
酒蔵は桜を諦める決心をしたのに、その決心が揺らぐ。そのユラユラと気持ち悪い感情から逃げるように、彼はその彼女のもとを走り去る。
―とにかくここから遠くへ、遠くへ。桜の姿が見えなくなるまで。
それから数日後、葬助は花子がその後どうなったのか気になり、再度村を訪れた。
村人の噂に聞き耳を立てていると、花子が婚約を交わしたことを聞いた。結婚の儀は明後日だそうだ。
―そうか……。花子さん、幸せになれよ……。
彼は花子の婚約の話を耳にして安心する。そして、自分の家に戻ろうと踵を返そうとする。
だが、次の瞬間、花子のあの悲しそうな顔を思い出す。その光景を思い出すと、彼の心に安心とは違う感情が芽生える。嫉妬と後悔だ。もし、俺が良家の生まれだったら、どう変わっていただろう。もし、俺と花子さんが兄妹でなかったら、どう変わっていただろう。もし、俺が素直に想いを告げていたら、どう変わっていただろう。彼は延々と仮定のことを考えてしまう。
だが、彼は一つのことに気づく。もし、彼が良家の生まれだったら、この村の生まれだったら、彼女はここまで心を開いてなかっただろう。それは、彼だからこういう関係になれたのかもしれないと。
―そうだ。良家だとかそんな仮定の話なんて考えても仕方がない。俺は俺だ。良家の生まれでも、この村の生まれでもない俺だからこそ、意味がある。ただ、兄妹であるのはやはり気がかりだが。
それでも、彼は花子、いや桜に自分の想いを告げることにした。彼は走って桜のもとへ行く。居場所は分からないので、至る所を探す。
すると、小川近くの丘で座って川をぼうっと眺めている。そんな桜に彼は呼びかける。
「桜!」
彼の声に彼女は振り向き、目に涙を浮かべる。
「なんで今更来たの……」
その彼女の姿を見て、申し訳なさも感じる。彼は頭を下げ、彼女に謝る。
「ごめん!どうしても我慢できなくて……」
そして、彼は彼女に謝った後、自分の想いを告げる。
「好きだ!俺じゃ幸せにできないし、もう叶わないかもしれないが、俺はお前が好きだ」
彼は自分の想いを告げると、自分の目から涙がこぼれる。なんで、涙が出たのか自身でも分からない。
だが、桜も同じように涙をこぼしていた。
「どうして、今言うの……。どうして、幸せにできないなんて決めつけるの……。どうして、叶わないなんて決めつけるの……」
彼は彼女の言っていることがよく理解できなかった。
「私も好きよ」
そのことを聞き、彼は顔が赤くなる。彼女も顔が赤くなる。少しの間、気まずい沈黙の時間が流れる。
「……って」
桜がごにょごにょと何かを呟く。
彼は彼女の言っていることが聞こえず、聞き返す。
「え?」
「……だから、私を連れてって。だって、そのことを言いに来たってことは、そういう覚悟があるってことでしょ」
―え。
彼は戸惑ってしまう。確かに告白する覚悟はできていたが、その先を考えていなかった。
「え、えっと、その先までは考えていなかった……」
その彼の情けない言葉に、彼女は呆れる。
「全く情けないわね。ほら、女性にこうまで言われて、何もしない気?」
彼は痛いところを突かれる。でも、彼女の言う通りだと思い、とりあえず彼は彼女の手を取り、自分の家まで向かおうとする。
歩きながら彼は保険をかけるように、桜に自分のことを悪く伝える。
「俺の家は本当に金なんてないからな。身分も低いからな。……」
だが、彼女はうんうんと頷き、彼の話を聞き流す。
「分かっているって」
―いや、桜は分かっていない。俺が非人で、お前と兄妹であることを。
そうして、彼らが歩いているときに、突然後ろから馬の足音がパカラパカラと聞こえてくる。彼らは馬の足音に反応し、後ろを振り向く。
すると、刀を下げた武士らしい人が馬に乗り、こっちに向かって走ってきた。
そして、その武士は彼らに近づくと、桜に話しかけてきた。
「花子、こんなとこにいたのか。探し回ったぞ。結婚が近いんだから、家で安静にしていなさい」
その言い方からして、多分桜の父親だろう。
その父親が酒蔵を見るや否や、怪訝そうな顔をする。
「なんだ、その小汚いガキは。お前、花子から離れろ」
桜の父親は手を払って、彼を遠ざけようとするが、彼女が彼の袖を掴む。それが気に食わなかったのか、父親は腰に帯びていた刀を抜き、酒蔵に剣先を向ける。
「花子どけ。そいつを殺す。どうせそいつに連れ出されたんだろ」
父親は彼を睨み、今にも斬りかかりそうだった。
だが、桜はそんな父親にも臆さず、彼の前に立ち塞がり、手を広げて攻撃しないようにする。
「父上、止めてください!私がその方にお願いしたのです。私はこの方が好きなのです」
そのことを聞き、父親は余計に腹を立てる。そして、娘を無理やり押しのけ、刀を振り上げて酒蔵に斬りかかる。彼の体から血飛沫が飛び、口からも血反吐が出る。意識は朦朧とし、視界も朧げだ。彼はそのまま倒れ込んでしまう。
その彼の姿を見て、桜の顔が真っ青になり、涙を流している。だが、彼女はすぐに血相を変えて、自分の父親を睨む。そして、父親に近づき、刀を奪い取ろうとして揉み合いになる。
「何をしている、花子!離さんか」
父親がそう言い、桜の手を振りほどこうと彼女を押しのけると、偶然刀が彼女の体を斬りつけてしまう。
彼女の体からも彼と同じように血飛沫が飛ぶ。
酒蔵はその偶然とはいえ殺された彼女の姿を見て、怒りが沸々と燃え上がる。
―殺してやる。殺してやる。殺してやる。
そんな黒く渦巻く思いの最中、段々視界が暗くなる。そうして、酒蔵は一回そこで息が途絶えた。
だが、彼はもう一度意識を取り戻した。今度は鬼となって。体は以前より、段違いに大きくなり、角や牙などが生えている。
クソ親父はそんな彼の変貌を見て、腰を抜かす。
「ば、ば、化け物ー!」
―うるせえ。耳に響く。
彼はそのうるさいやつに大きな拳を突きつけ、ぺしゃんこに潰す。そいつは体が潰れ、血にまみれている。
そいつが死んだのを確認すると、桜の方に目を向ける。亡くなっているかもしれないが、彼はせめて最期まで看取りたかった。
だが、彼女は生きていた。彼と同じ鬼として。
彼らは鬼として再会を果たすと、お互いに抱き合い、また一緒にいられることへの幸せを噛みしめる。
皮肉なことに、人間の時では一緒にいることはできなかったが、鬼の時は一緒にいることができるようになった。
桜は、クソ親父が持っていた刀を手に持つ。
その後、彼らはぶらぶらと放浪し、人間への憎しみから村々を襲っていく。そして、ある村で大きめの酒の入っている瓢箪を見つける。彼は彼女から酒蔵と呼ばれていたのもあって、瓢箪を手に取る。
こうして、酒呑童子、茨木童子と恐れられる二体の鬼が生まれた。




