1章4話 別れは始まり
グローはユミトに導かれるように、その暗い道を歩いていった。実は逃げれそうな道前から見つけてたんだとユミトは言うが、グローは傭兵に見つからないか気が気でない。その上、この道は木がある程度生い茂っているため、木漏れ日が入るだけで基本的には暗いが、それも見つからない保証はどこにもない。グローは不安さから、兵士に見つからないようキョロキョロと周囲を確認しながら歩いていたら、自然と泥棒歩きになっていた。
しかし、グローはユミトに付いて行くしかなかった。やはり、彼はユミトを半分疑って、半分信じてる。
グローがだいぶ足が疲れてきたなと思うぐらいには歩いたら、前方の奥に明るい光が入ってきていた。潮の匂いも漂う。
やがて、その光の方まで辿り着くと、辺りは明るく、海に太陽が浮かんでいる。ついでに、一隻の小さな商船も海に浮かんでいる。
ユミトはその商船を指さす。
「ちょっとばかしボロいが、これでここから離れるのには十分だろう」
話を聞いていると、ユミトはどうやら奴隷を運ぶための奴隷商人用の商船を以前見つけていたらしい。そしてこの騒ぎに乗じて、この船に乗ろうとしている。意外と大胆な奴のようだ。
グローたちはこの商船に乗ろうとすると、彼らが来た暗い道の方から、男二人がやってきた。ぼろ布を着ていて、体が傷と汚れでボロボロだ。多分同じ奴隷の身分だろう。
「おい。待て。俺たちも乗せろ!」
男たちはかなり急いでいる様子でこの船に乗ろうとしてきた。
いきなり来て、威張ってきたため、グローはその男たちの図々しさに腹が立った。しかし、グローたちも船を盗もうとしているから、あまり人のことは言えず、強く言えなかった。
男たちが船に乗ろうと手を付けた途端、さっきの道から兵士が三人走ってきた。まるで、男二人を追って来たかのように。
「クソ、もう追いつかれちまった」
どうやら、この男たちは兵士を引き連れてしまったようだ。しかも、図々しく船に乗ろうとしている。このままだとグローたちも巻き込まれかねない。
グローはその男たちに怒りが沸々と湧き上がってくる。
「ちょっと待ってろ」
ユミトはそう言うと、ユミトが船とは違う方向の、兵士の方向へと向かっていく。
だが、ユミトは防具も武器も何もない。グローはユミトの無防備さに心配で仕方がない。
グローはユミトをジッと見ていると、ユミトについて気づくことがあった。
ユミトはグローのイメージ以上に背が高く、肩幅も広い。ユミトはドワーフにしては珍しく背が高いが、普段猫背なため高身長であることを感じさせない。だが、グローにとって今のユミトの背中は高く、大きく感じる。
兵士もそんな大男が近づいてきたと思い、ぎょっと身構えている。
ユミトは兵士の剣先が届くか届かないかの間合いの距離まで近づいている。ユミトがギュッとこぶしを握り、それが戦うことを俺に伝えていた。
「おい、ユミト!お前死ぬ気か。戻ってこい!」
グローの声にユミトは振り向きもせず、シッシッと手で邪魔者を追い払うかのような手ぶりをしていた。それで、グローに早く行けということを意味していることが伝わった。だが、さすがにグローはユミトを置いてはいけず、船を進めないでいる。グローにとって、ユミトにまだ教えてもらいたいことが多くあるのだ。
グローはユミトの行く末を見守っていると、ユミトがこぶしを前にして構え始めた。ユミトと兵士はお互いににらみ合って、牽制しあっている。数分間その状態が続き、痺れを切らした兵士が慣れた手つきで剣でユミトを斬りかかろうとした。
グローは危ないと声に出そうとした瞬間、ユミトの重く、速いこぶしが一人の兵士の顔にドスンと入った。顔を殴られた兵士は、鼻が折れ、顔が歪み、そのまま倒れていった。ユミトはその倒れた兵士の剣を握り、他の兵士にその剣先を向けている。
グローは、ユミトが意外と強いことに驚き、口をポカンと開けていた。彼は、ユミトが商人だったのを知っていたため、戦えないと勝手に思っていた。グローはユミトについて知っていた気になっていたが、まだ何も知らないのだと痛感させられた。
そう思っていたグローの意に反するかのように、ユミトは慣れた手つきで剣を下から上に振り上げ、一人の兵士の横腹に剣が思いっきり入る。バキッとあばら骨が折れたような音がした。
二人目の兵士が痛さでうずくまっていると、他のもう一人の兵士は怖気づき、後ずさりしていた。
そこに追い打ちをかけるように、ユミトは残りの兵士に近寄っていく。じりじり、じりじりと。
しかし、途端にユミトの足取りが止まる。足元の方に目をやると、先ほど倒れた兵士が苦し紛れで、ユミトの片足を掴んでいた。ユミトは兵士の掴む手を振りほどこうとしたその時、残りの兵士がすかさず、ユミトの剣を持つ右腕に斬りかかる。兵士の剣が思いっきりユミトの腕に入り、肉が裂け、骨が少し見えてしまっている。痛々しいどころではない。
ユミトは冷や汗を流し、あまりの痛みに歯を食いしばっている。
剣がユミトの手から離れ、落ちた衝撃で耳に残るような嫌な金属音が鳴る。ユミトは右腕の激痛に耐えながら、最後の一絞りの力を左腕に込め、兵士の顔面を殴ろうとする。
―もういい。もうやめろよ。
グローはそのユミトの痛々しい姿を見ていられなかった。
「ユ」
追い込まれてきているユミトを見て、グローが名前を呼ぼうとした瞬間、彼の声の大きさに反比例して、静かにユミトの胸を兵士の剣が貫いていた。
グローはただただ、その光景を見ているしかできなかった。
グローは突然の出来事に呆然としていた。だが、そんなことしている場合じゃないと自分の尻をひっぱたくように、ユミトの許へ駆けつけた。彼は最後の兵士に警戒していると、そんな心配はとうにいらなかった。ユミトが相討ちで顔面に拳を入れていた。最後の兵士は立ったまま死んでいた。
「くんなって…いったろ」
ユミトは微かな今にも消えそうな声でそう言ってきた。
グローはユミトの言うことを無視して、出血をできるだけ抑えるために、剣が抜けないように、ゆっくりと横たわらせた。彼の手は真っ赤に染まる。だが、先ほどまでの動揺は見られない。今はそんなことを考えている場合じゃないと、ユミトの心配の方が勝っているのだろう。
「…なあ」
ユミトは微かな声でグローに語り掛けてくる。グローはもうよせ、何もするなと首を振るが、ユミトはそれが目に入らないかのように、ひたすら語り掛けてくる。
「実は今まで言ってなかったんだが、俺は最初お前のこと信用していなかったんだ」
ユミトは少し笑いながらそう言った。グローにとって思ってもいないことを言われ、呆然としてしまう。
「な、なんで」
「だって、お前以外の奴隷は他の奴らには興味もない。自分のことで精いっぱいだからな。それに、普通は外の世界のことなんか聞きたくないもんだぜ。自分が惨めに思えてくる。だけど、お前は綺麗なまっすぐな目で、訊いてくる。お前は変わってるよ」
ユミトに言われて、初めて確かにそうかもしれないとグローは気づく。
「じゃ、なんで、教えてくれたんだ」
ユミトは少し一息ついて、
「さあな、気まぐれだ。…いつに似ているのもあるかもな」
と最後濁すように、ごにょごにょと呟く。
「え?ごめん、最後聞こえなかった」
グローが聞き返すと、ユミトは頬を赤らめ、そっぽを向く。
「な、なんでもねえよ」
ユミトは照れ隠しか分からないが、すぐに話題を切り替える。
「あと、お前勘違いしていたが、俺の歳は30代だぞ」
その言葉を聞いた瞬間、グローは驚きすぎて、数秒固まってしまった。
「え、だって、その髭からてっきり40代かと」
ユミトの鼻下と顎には立派な長い髭があり、貫録を感じさせる。
ユミトはやっぱりなと鼻で少し笑いながら、
「お前は知らないが、ドワーフは体質的に髭が他の種族より濃くなってしまうんだよ。それに、奴隷の立場だから髭が剃れなくて、余計髭が伸びっぱなしになってしまうんだよ」
と言うと、グローはなぜか無性にクスリと笑ってしまいそうになる。前まで、髭の濃さからてっきり40代だと思っていたのに予想より若いことと、その髭の濃さを必死に弁明している様が面白かく感じた。さっきまでグローの中にあった悲しさが、単なる髭による面白さに打ち消されてしまった。
そこからは、まるで死に際だとは思えないくらいに、二人の会話が弾んでいった。後ろの船から、早くしろと聞こえる雑音をグローは聞こえないふりをした。
「ユミトがあんなに強いなんて知らなかった」
「ん、ああ、一応親父に鍛えさせられた時があってな。元々、ドワーフは他の種族より筋力が強いんだ。だから、少し戦えるだけだよ」
「そうだったのか」
グローにとって、ユミトについての新たな事実が次々と発覚する。
―今思い返すと、意外とユミト自体について、話を聞いたことは少なかったかもしれない。
もっとユミトについて知りたかった、そんなやり場のない後悔がグローの心に突き刺さる。
ユミトは死ぬ前にここぞとばかりか、気分がハイになっているのかわからないが、まだ話したことのなかった色んな話を次々としてきた。
そうするうちに、あ、そういえばと何かを思い出したように、ユミトはグローに伝えてきた。
「そういや、お前にこの船の行き先を教えてなかったな。このエンジェル帝国の南に俺の故郷のアトマン帝国があるだろ。その中のハットゥシャという街の俺の家を訪ねるといい。良くしてくれるはずだ」
「わかった」
ユミトはグローの返事を聞いた後、ずっと喋っていたため、一呼吸置き、再度語り掛ける。
「あと、お前は世界を旅してみろ。お前は外を見た方がいい」
「…わかった」
「それと…」
ユミトが次の言葉を吐き出そうとすると、ゴホゴホと咳こみ、血反吐が出てしまう。顔色も余計に青白くなり、体も冷たくなっていく。
ユミトは最後の力を振り絞って、伝言を残す。
「…その、もし俺の家族に会ったら、すまなかった、指輪をありがとうって伝えてくれないか」
「あ、ああ、言っておく」
いまいちユミトの言っていることが分かっていなかったが、グローは一応返事する。
それを聞いて、ユミトは少し安心したようだ。だが、まだ何か言いたげなことがあるのか、少しの間を空けて、口を開けた。
「あと、…お、おと…う…」
ユミトの意識はもう朦朧としており、目も半開きで呂律が回らなくなっていた。ユミトの目にはもう光が失われ、ピクリとも動かなくなった。最後の言葉が聞けなくて残念だったが、グローはユミトの瞼を閉じ、別れることにした。
「ユミト、じゃあな」
最後の会話がしんみりとしたものじゃなく、楽しく弾んだ会話だったからか、グローは引きずることなく、別れの言葉を口にすることができた。
グローはユミトから踵を返し、船に向かって走っていった。彼が船に乗ると、もう二人の奴隷が「遅えよ」と文句を言ってくる。とりあえず、もう船を出そうと準備をしていると、最初に通った細道から少しずつ、足音が徐々に聞こえてくる。
他の兵士が近づいてきているかもしれない。グローは焦りながら、先ほどの兵士が持っていた剣を手に取り、船が流されないように留めるロープを切っていく。だが、さすがにロープが太いため、なかなか切るのに時間がかかる。
そうするうちに、先ほどの細道から少数の兵士の姿が見えてくる。あちらもこっちの姿に気づいたのか、こちらに向かって走ってきた。
「おい、お前ら、何しているんだ!早くそこから降りろ!」
―まずい、早く切らなければ。
「おい、早く切れよ!」
後ろの奴隷も急かしてくる。
グローの焦りが手元にも出てきている。彼は震える手で、持っている剣で必死にロープを切ろうとする。すると、徐々にロープはブチブチっと音が鳴っていき、ようやくロープを切り終わった。
船は波に揺られ、風に乗り、どんどん進んでいく。
「…まれ。……れ」
大声で怒鳴っている兵士がどんどん小さくなっていく。声も風の音にかき消されていく。
兵士だけでなく、先ほどまでいた陸地もどんどん離れていく。
「…じゃあな」
ポツリと呟くが、グローの声も風にかき消されていく。
吹き風に乗せられた潮の香りがグローの鼻腔を通っていく。潮臭い。だが、それとは別の潮臭さを目からも感じる。
グローはぼやけた視界で陸地が見えなくなるまで、ずっとずっと眺めていた。