6章48話 偶々
グローたちは母熊の亡骸と子熊に対して、ごめんという言葉のみを残していく。
彼らは子熊を助けたいという思いはあるものの、子熊に餌を与えたりすると、人間の食べ物を記憶してしまい、人里を下りてしまう。そうすれば、また熊による被害は増えるため、そんな軽率には行動できない。だから、彼らはごめんと言い残し、せめて子熊が人間に殺されないように祈ることしかできなかった。
彼らは後味の悪いままトゥルゴヴィシュテを出て、次の街まで山なりな地形を進んでいく。次の目的地は、ブラショヴという街で、ルーシ辺境伯領の境目に近いところにある。
しばらく山なりな地形を進むと、山に囲まれたブラショヴの街が見えてきたので、彼らは街の中に入る。
ブラショヴは山脈に囲まれた街であり、中々外から攻めにくいような地形をしている。山が多いため、鉱物資源も多く、鍛冶屋や武器商店が多い。
グローはふとダマスカス鋼で作った剣と包丁を思い出した。何だかんだバタバタして売れなかったため、馬車に置きっぱなしになっていた。ここは武器に精通しているし、何かと高く買ってくれるかもしれない。グローはそう思い、ここでダマスカス鋼の剣と包丁を売ることにした。
彼は武器などを扱う店に訪れる。店内を見ていると、どうやら武器以外の装飾品や鉱石も扱っているようだ。彼は店主っぽい人にダマスカス鋼の包丁と剣を見せる。
「おお、この波のような模様はダマスカス鋼か。貴族などの権力者に売れそうだな。剣と包丁1本ずつで金貨2枚と銀貨15枚でどうだろうか」
「いや、それでは安いですね」
グローの反応に店主はムッとし、値上げした金額で再度提示してくる。
「じゃ、金貨3枚でどうだ」
「そうですねえ」
グローはふと綺麗な青緑色の天然石が目に入る。
―綺麗な青緑色だ。まるで、この色は……。
彼がジッとその天然石を見ているのに気づいたのか、店主はその天然石の詳細を教えてくれた。
「そいつはターコイズっていう天然石だ。今なら銀貨10枚ぐらいで売ってやるぜ」
彼は買うかどうか悩む。
―使い道もないしなぁ。
彼は悩んだ末に、なんとなく買うことにした。
「じゃ、そのターコイズを買うので、この剣と包丁を金貨3枚と銀貨3枚で買ってください」
彼の提案に店主は少し考えるが、少しの間の後、了承してくれた。
「わかった。その値段で買おう」
グローは剣と包丁を売り、ターコイズを買った。店主はサービスでターコイズに紐を通し、腕飾りにしてくれた。
彼が店を出て、ターコイズの腕飾りを持っていると、マリアがそれに気づく。
「わぁ、綺麗な青緑の石ね。エストライヒでは見なかったわ。どうしたの、それ」
―そう。綺麗な青緑色だ。マリアの目の色ととても似ている。
「うーん、珍しいから偶々買った。剣や包丁が売れたしな」
「そうなんだ。その腕飾り、使いどころが決まってないなら欲しいなぁ。なんて」
マリアがグローをチラチラと欲しそうに見てくる。
「あー……、まあ、いいよ。その代わりその分働いてくれよ」
彼があっさり譲ってくれたのに、彼女は驚く。
「え、本当にいいの。その分働くけども」
彼女は本当に貰えるのか何度か確認する。
「ああ、いいよ」
グローの了承を得ると、彼の手からバッと奪い取るように、ターコイズの腕飾りを持っていく。マリアはターコイズの腕飾りを身につけ、浮き浮きと喜んでいる。その姿を見ると、やはりマリアも少女なのだと実感させられる。
彼らは食糧調達なども済ませ、トゥルゴヴィシュテでの用を済ますと、街を出て、ルーシ辺境伯領へと向かう。ルーシ辺境伯領に近づけば近づくほど、若干冷えてきて、木々が多くなる。
そして、彼らはルーシ辺境伯に入ると、キーウの街を目指した。ルーシ辺境伯は針葉樹林が生い茂っており、地面には苔が生え、小川が流れている。その小川の隣で健気に小さい花が咲いている。
グローは花が咲いているのを見て、かろうじて春を実感するが、ルーシ辺境伯は春になったにも関わらず、空気が冷えている。手がかじかみ、吐いた息が白くなり、まるで口から雪が出ているように見える。
しばらく歩いていると、ライ麦畑や大麦畑、果樹園などが見えてくる。その畑の脇に道があり、その先にキーウの街が見えてきた。城壁が見え、その上から塔の頂上が金色のドーム型の建物が見えてきた。
彼らは通行税を払い、城壁を通る。
キーウの街にはそこそこの住民がおり、皆雪を連想させるような真っ白な肌をしており、髪が金か銀色に輝いている。女性は赤い頭巾を被っている。男性は他の国に比べ、髭が長い気がする。
街を見ていると、住宅街や市場、そして正教派の教会や聖堂、修道院などが多い。他の国に比べて、ギルドや店が少ない気がする。畑も多かったし、農業地域なのだろう。
彼らはもう少しキーウの街を見まわると、先ほどの金色のドーム型の建物があった。緑と白を基調とした建物で、建物と入っていく人を見ている限り、多分大聖堂だろう。大聖堂をある程度眺め終わると、彼らは市場に行き、食糧調達などをする。市場にはライ麦パンやジャムが多いので、それらを買うことにした。
彼らは買い物を終え、キーウの街を出る。そして、次はルーシ辺境伯の邸宅があるモスクヴァに向かった。キーウを出て、しばらく歩いていると、綺麗な大きい川や湖が見えてきた。
「ここらで水を汲んで、休憩しよう」
「そうだな」
グローが提案し、彼らはこの川で休憩することにした。
―さすがにこの冷えた地域で水浴びはできないが、この綺麗な水を少しだけ眺めていたい。
川は太陽の光を反射して、空を映している。まるで鏡のようだ。少しだけ冷える小風が吹き、川の像がゆらゆらと揺れる。グローはこの川を見ていると、心が落ち着いた。
彼らは少し休憩をし、また次の街まで進め始めた。進んではいたのだが、徐々に木々が深くなり、森林の中に迷い込む。
「なあ、周りに木しか見えないが、本当にこの道で合っているのか?」
グローが不安になり、ヴォルティモに聞くと、ヴォルティモは俯いてしまう。
「……」
その反応で、グローとマリアは道に迷ってしまったことを悟った。
「ま、まあ、進んでたら、そのうちこの森林を抜けられるよ」
マリアは皆を不安がらせないように、笑顔を作ってそう言う。
「そ、そうだよ。そのうち出られるさ」
グローもヴォルティモの肩をポンポンと叩き、そう彼を励ます。
「そ、そうだよな……」
彼らは前向きに考えるようにし、手探りで森林の出口を探す。だが、森は深く、進めど進めど木々しか見えてこない。
森林で迷うのはかなり危険なことだった。神隠しという言葉があるように、森林で姿を消してしまった人間も少なくない。その上、森林には魔物なども生息するため、かなり危険だ。
彼らは森林の中を彷徨っていると、段々と周りの木々の表面の模様が顔に見えてくる。さらに、風によって揺れた木々の葉擦れの音が、まるで木々がざわめいているように聞こえてしまう。グローはこの木々が彼らを森に迷い込ませたように錯覚する。
ザワザワ、ガサガサと。普段なら怖いと思わない音も、彼らは今では恐ろしく感じてしまう。向こう側の木々からガサガサと音が近づいてくる。彼らは顔を青ざめ、冷や汗を流す。目の前の草木が揺れ、掻き分けられる。
すると、緑色の魔物が現れる。レーシィだ。
レーシィは体全体が緑色で、髪には草木が生い茂っている。身長も13フィートぐらいある。レーシィは所謂、樹木人というやつで、グリーンマンやトレントとも呼ばれている。このレーシィは水と光を摂取し、光合成で生活をしている。そのため、川近くや森に生息しているが、森に入った人を森の奥へ奥へと誘い込み、遭難させるという噂を聞く。
だが、彼らは震える手で武器を構えると、レーシィは両手を前に出して、攻撃の意思が無いことを伝えてきた。
「ま、待って。俺に攻撃するつもりはねえから、その武器をしまってくれ」
レーシィが動揺した声で話しかける上に、少し訛ったアシーナ語で話すもんだから、グローたちは少し呆気にとられる。緊張で固い構えが、急にほぐれて、腰が抜ける。
その様子を見て、レーシィは心配する。
「どうしたんだ。大丈夫か?」
レーシィは彼らに話しかけ続ける。
「もしかして、この森で迷っているのか?もし、そうなら、森の外まで案内するけど。」
どうやら気さくな奴っぽいようだ。彼らは邪悪なレーシィに遭遇しなくて本当に良かったと安堵した。
一方そのころ、ある地域の屋敷の廊下を、一人の男性がバタバタと慌てて走っていた。そして、上の階の大きい部屋に入ると、
「ヴラド様!」
とその部屋にいた男性を呼ぶ。
その男性は材質の良さそうな上下の服とマントを付けている。見るからに、高貴だということが分かる。さらに、片手には赤いワインが注がれているグラスを持っているため、余計にその高貴さが増している。
「おい。その捨てた名で呼ぶな」
その高貴な男性は、血に染まったような真っ赤な目でその従者を睨む。
その鋭い目で睨まれた従者は体が恐怖で固まってしまう。唯一動かせられる口をパクパクと開き、
「……す、すみませんでした。イヴァン様……」
と頭を垂れて、謝罪をする。
謝罪を聞き、そのイヴァンという男は、はぁと溜息をつく。
「で、なんだ?」
イヴァンがそう尋ねると、従者は、
「アシーナ帝国との戦いで、ラーヴァナ様が亡くなりました。ラーヴァナ様が亡くなった後、軍は掃討されていき、東方遠征は失敗に終わりました」
と報告をする。
イヴァンは再度溜息をつく。
「なんだ、そのことか。そんなもん、とっくに知っているわ」
そのことを聞き、従者はまた頭を垂れて、謝罪をする。
「左様でしたか……。すみませんでした」
「別にいい。もう用が無ければ行け」
「ハッ!」
―ラーヴァナは確かに八部衆の中では弱い方と言えるが、それでも普通の人間が相手するには苦労する相手だ。このツケ必ず払ってやるからな。
イヴァンは片手に持っていたグラスをぐしゃりと握りつぶし、手から血とワインが床に垂れてくる。
グローたちが温厚なレーシィと出会い安堵する中、不穏な影は徐々に徐々に彼らに近づいているのだった。




