1章1話 赤い記憶
これはある一人の奴隷の少年のお話。彼は幼い頃から、身体が鎖で縛られていた。朝早くから夜遅くまで働き、不味い飯を掻き込み、失敗をすれば鞭打ち。彼は人としての扱いを受けていなかった。それにも関わらず、彼の目からは抵抗の意思や野心などは感じられなかった。まるで、それが彼の当たり前の日常かのように。
あの時までは…
突如風が吹き、雨で濡れた草がなびいている。
ここエールという土地は自然豊かで一面緑で覆われている。先日の雨粒が滴るような青々しい草が。その草を食べて、のんびりとしている羊が。その羊を飼っている羊飼いのおじさんや農家のおじさん、おばさんたちが。都市の喧騒とした風景とは打って変わって、ゆったりとした時間が流れている。
そのエールの野原で一人の少年が座り、優しそうな目でそののどかな風景を見ている。
だが、向こうにいる髭を生やした大人の男性が、その少年に大声で話しかけ、少年の世界を阻害する。
「おーい!暇しているなら、グロー、草むしり手伝ってくれ!草が伸びきっているんだよ」
そのグローという少年の父親らしき男性が、呆れてるように溜息をつく。
「わかったよ」
グローは父親の命令に従い、返事をした後、父親の許に向かい、草むしりを手伝う。
彼はいつも農業の手伝いが面倒くさがり、さぼっていたため、父親によくそう叱られていた。そうして、いつも彼は渋々、農業の手伝いをさせられていた。
彼の家族は農業と牧畜で生計を立てるごく普通の農民だ。父親は一応エールの土地と家族を守る者として、緊急時には戦士として戦う。
彼は農作業をサボるほど、農業があまり好きではなかった。だが、父親の持っている剣を盗み見ては、目を輝かせるように、戦士に憧れを抱いていた。両親によく、俺も大きくなったら、父さんみたいにエールの土地を守るんだと語っているくらいに。
グローが物思いにふけ、景色を眺めていると、急に向こう側から風とその風に乗った音がこちらに流れてきた。
「……タン……タン」
「…パカラ…パカラ」
馬を走らせているような音が響く。音は次第に大きくなり、音の鳴る方角が鮮明になる。グローは音のする方へ目を運ばせると、こののんびりとしているエールに似つかわしくない剣などの装備をしたいかつい大男たちがこちらに向かって走ってきている。グローはその男たちの見てくれを目を凝らして見ていると、金を持っているような上品さは見られないが、ネックレスや剣などが上等なものだと気づく。
…まずい。このパターンは。
彼がそう思った時にはすでに遅く、先ほどのこちらに向かっていた盗賊たちが、エールの村に入っていき、村をいきなり襲ってきた。
そこからは地獄絵図だった。反抗する男は殺され、女や子どもは奴隷として連れて行かれた。グローも大男に担がれ、連れてかれようとした。彼は必死に手足をぶん回し、抵抗したが、10歳の小さい体ではたかが知れていた。彼はなすすべなく、その周りの惨めで酷い有様を見ているだけだった。
綺麗だったエールの野原は焼き払われ、辺り一帯は赤で染められた。グローの濃い茶色の目も、赤色に染められる。その光景は彼の目や頭に焼き付いて離れない。メラメラと何かが燃えていたのを。
そこで、突如彼の視界がぼやけ始める。それと同時に大声が彼の耳に響き渡る。
「……い。…ロー。おい。いいかげん起きやがれ。グロー」
その言葉で、彼ははっと目が覚めた。顔には冷や汗をかき、目からは涙が溢れていた。彼は夢を見ただけだが、疲れたのか、ぐったりとうなだれている。
すると、グローに怒鳴った男は舌打ちをする。
「……ったく。毎回毎回、寝言うっせえんだよ。早く行けよ」
起こしてきた男は、グローを文句ありげな顔で睨めつけている。
グローはこれが初めてではない。何度もこの夢でうなされ、他の人に起こされる。もう4年前の出来事だが、彼の時間はあの時をずっと繰り返している。
グローは気分が優れないまま、仕事の現場に向かう。
彼は寝起きの目をこすりながら、鎖のついた足で起き上がり、そこからいつもの仕事場へ向かおうとした。そうこう歩いているうちに、早く行け、働けと言わんばかりの怒号が彼の耳に響く。
彼は、今日もまたいつもと変わらない日常を過ごす、そう思っていた。だが、この日は違った。
グローはこの日ユミトという人と出会った。
カンカンと金属がぶつかり合う音が響き渡る。薄暗い空間の中で、多くの者が鶴嘴を手に持ち、固い土や岩などを掘り起こしている。岩は固く、そう易々と割れないため、汗を流しながら、つるはしで何度も叩く。
そして、岩から鉄鉱石などの鉱物が取れると、それを腕一杯に抱きかかえる。そして、それを抱えながら、向こうの点のように小さい光の差す方へと目指す。早く持っていかないと、雇い主に鞭で叩かれるため、はぁはぁと呼吸を荒くしながら、その光へと向かう。そうして、徐々に、徐々に光が大きくなると、そこは地上の景色が目に入る。地上は日差しが強く、地下の暗さに慣れきった目には、刺激が強すぎる。グローは片手で目を隠し、半目で外の景色を見る。
大勢の奴隷に、積み上げられた鉱産物、そして、それらを取り扱っている雇い主だ。ここは、アンジェル帝国の一都市フォートリバー近くの炭鉱場だ。
「おい、そこ!何をもたもたしている!」
「はい!すみません!」
グローは少しボーっとしてしまい、雇い主に怒鳴られてしまう。
グローは奴隷狩りに遭った後、このアンジェル帝国に労働奴隷として連れてこられた。あの奴隷狩りから、およそ4年が過ぎた。彼がエールからアンジェル帝国に連れて行かれた後、アンジェル帝国がエールを併合したという噂を耳にした。だが、真相は分からない。彼には故郷はどうなったのか確かめようにも術はない。エールとアンジェルは隣接していて、馬車で数日だが、彼にとってエールは近いようで遠い。
それに、彼にとっては、自身の存在意義が消えてしまわぬよう、エールの「グロー」ではなく、奴隷の「グロー」の方が、気持ちが楽なのかもしれない。彼はそうやって自分を納得させていた。
彼ら奴隷は主人の命令を聞いて、怒号が飛び交う中、自分に与えられた仕事をこなしていく。
グローも仕事場の炭鉱現場に行き、鉱山物を採掘し、それを運んでいく。その作業を毎日毎日繰り返している。手は動かしてても、彼の心や頭は停止しており、ひたすら終わらせることだけを考えている。
「おい、そこのお前!早くそれを運べ!今日までにこのノルマを達成しなければ、飯は無しだからな」
雇い主のような人が、グローを大声で怒鳴り散らかす。
失敗すれば鞭で打たれ、作業が終わらなければ飯抜きはざらにある。彼らの手には多くのまめと切り傷があり、服もボロボロだ。食事はほぼ水のようなお粥だけで、栄養なんか全く考えられていない。そんなご飯だから、彼らにとって全く楽しみでもなく、飯抜きと言われても今更彼らの心には響かなかった。
そんな劣悪な環境のため、病気になったり、栄養失調や過労で倒れる奴隷もいる。だが、奴隷は病気になったら即座に捨てられる。そして、代わりの奴隷が入る。その繰り返しだ。彼らには代わりがたくさんいる。
そうやって彼ら奴隷は平日の早朝から夜まで働かされる。
今グローたちがいるフォートリバーは大きい川の近くにあり、この川を境に隣国と接している。そのため、他の国に攻め込まれないように、強固な要塞が建てられており、武器の生産も行われている。この都市では武器などの資源が欠かせない。つまり、グローたちはその鉱山の開拓などのために、連れてこられたようだ。
グローたちにとって、理不尽に思えるかもしれない。だが、これも運命や宿命というものなのかもしれない。だが、彼らはそんな言葉で簡単に納得できるほど、愚かではない。信じているわけでもない。ただ、そう信じる方が彼らにとって居心地がいいのだ。
だが、そう思ってしまうのも、当然なのかもしれない。彼ら奴隷はその日暮らしで精一杯で、そんな人生がアンジェル人という他者にそうされたと思うには、あまりに残酷だろう。ならば、まだそう正当性があった方が救われるのかもしれない。
グローを含めた奴隷たちが淡々と仕事をしていると、空が徐々に太陽を隠していき、夜が訪れる。グローたちは、寝床の仕事場から馬小屋に戻される。
「はぁ、疲れた。全くやってらんねえぜ」
多くの奴隷がそう言い、藁が敷かれた地面にドスンと尻をつく。彼ら奴隷は仕事が終わるなり、飯を取りに行く。そして、それを掻き込むと、気絶するように眠りにつく。
だが、奴隷の多くが飯を取りに行こうとすると、突如馬小屋の扉が開き、見知らぬ男が入ってくる。
その男は、グローたちと同じような貧相な服だが、その顔立ちや立ち振る舞いからはグローたちとは違うような雰囲気を漂わせている。外見でも、肌が白い人種が多いアンジェル帝国の中では珍しい褐色の肌である。成人男性くらいの背丈の大きさとその濃い髭から見て、歳はだいたい40後半ぐらいかもしれない。
「ユミトといいます。ヨロシク…オネガイシマス」
彼はカタコトで少しばかり拙い挨拶をするのであった。本来であれば、単なる新しい奴隷が入っただけに過ぎないが、グローはなぜか引き寄せられるようなものを感じた。
今まではイメージしやすいようにAIイラストをつけていましたが、文章もAIで書いていると思われたら嫌なので、AIイラストは消します。地図などはAIではなく、自分で作成しているので残します。