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10章93話 憎しみと焦り

 グローたちはゴーヴィンダ王子のお言葉に甘えて、王宮内で少しの間、お世話になっていた。

 傷ついた心身を休ませるため、彼らはゆっくりしていたが、グロー一人だけは違っていた。

 「稽古場(けいこば)ってありますか?」

 グローは使用人に王宮内での稽古場の場所を尋ねる。

 「ああ、稽古場ならこちらです。」

 グローは使用人に稽古場へ案内され、彼に付いていった。

 稽古場へ着くと、そこには数十人の兵士がおり、武具もある程度、完備されていた。

 「しばらくの間、ここを使ってもいいですか?」

 グローが使用人にそう尋ねると、

 「ええ、勿論。」

と彼が答えたので、グローはお言葉に甘えて稽古場を使わせてもらった。



 それからは、グローは食事や就寝以外の時間は、ほとんど稽古場に入り浸っていた。

 彼は練習相手の兵士に練習用の木刀で斬りにかかる。

 兵士はそれを同じ木刀で受け止め、お互いに力で剣を押し合う。

 グローの方が、力が強く、ジリジリと兵士は後ろに押されていく。グローが目の前の競り合いに気を向けているのを見て、兵士は、彼の腹に蹴りを入れようと脚を折り曲げる。

 だが、グローはそれに気づき、後ろに素早く避けて、間合いを再び取る。

 そうして、間合いを取りながら、お互い牽制し合っていると、

 「はぁ。はぁ。なあ、もういいだろ…。」

とグローの稽古に付き合っていた兵士が、稽古をもうそろそろ終えようと勧める。

 稽古を始める前は昼間だったが、一瞬だけ窓を見ると、夕陽がもう隠れかかっていた。

 だが、

 「いや、まだお願いします。」

 お互いに息を切らしているのにも関わらず、グローはまだ兵士に練習に付き合わせようとする。

 「もう勘弁してくれ。」

 さすがの兵士も今日の訓練を終えたいようで、大きな溜息を吐く。

 本来ならグローもアンナとの戦いでの傷が完全に癒えてもいないのに、自らの体に無理やり鞭打って、体を動かす。ズキズキという体の小さな悲鳴も無視して。

 グローは何かに焦るように稽古をしていた。

 「もうダメだ。さすがに、お前も息切れを起こしている。これ以上は俺もお前も明日に響く。休むのも稽古だ。今日はもう休め。」

 兵士がそう言うので、さすがのグローもまだ稽古したいとは言えず、素直に従い、休むことにした。

 それからもグローたちが王宮内を出発するまで、グローはずっと稽古をしていた。

 そして、数日が経ち、

 「では、無事を祈っている。今回は本当にありがとう。」

 ゴーヴィンダ王子に直々に見送られながら、グローたちは王宮を旅立った。

 「…痛てて。」

 グローはかなりの稽古の上に、無茶して体を動かしたため、筋肉痛やら何やらで体を痛めてしまった。

 「無茶しすぎるからよ。なんでそんな無理をして、稽古してたのよ。」

 マリアがそう尋ねてきたが、グローはそっぽを向いて、

 「なんでもねぇよ。」

とそっけなく答える。

 マリアはグローを心配そうに見つめる。本当は、マリアもわかっているのだ。なぜグローが焦るように稽古をしていたのか。でも、それをあえて言わないのは、彼を思ってのことだろう。

 ある程度進み、王宮が見えなくなると、ヴォルティモは馬の歩みを一時止める。

 「ところで、次はどこへ向かおうか。」

 ヴォルティモがゴーヴィンダ王子に頼んで、頂いた周辺の地図を広げる。彼がどこへ向かうか、人差し指で地図のあっちこっちをなぞる。

 そこに、グローが、

 「ところで、あの人狼の残党はどこへ行ったんだ?」

とふいに疑問を投げかける。

 その質問にヴォルティモは、うーん、と考え込んだのち、自身の考えを答える。

 「んー、そうだな。これはあくまで推測だが、人狼がこの南方から敗走するとしたら、北しか逃げ場がない。南は船が必要だしな。さらに言えば、北は元々アラッバス朝だ。つまり、現在は魔物の国である“黄泉の国”が北にある。ということは、魔物である彼らにとって北は逃げやすいことこの上ないだろう。」

 ヴォルティモがそう言うと、

 「なるほど。じゃあ、北を目指そう。」

とグローが突拍子もないことを言い出す。

 「はあ?あんた馬鹿言ってんじゃないわよ!」

 「そうだぞ!この状況で行けるわけないだろ!」

 さすがに、グローの発言に皆は黙っておられず、マリアやヴォルティモがかなり強めな言葉で彼の意見を却下する。

 二人の圧に気圧(けお)され、グローは少したじろぐ。そして、視線を少し下にずらしながら、

 「だが、どうするんだ?北は黄泉の国なんだろ?船で行くとなると、ヴォルティモの馬車やイトゲルの馬も置いていかなければならなくなるが。」

と肝心の問題に切り込みを入れる。

 だが、さすがはヴォルティモだ。そこらへんは考えていたらしく、通れそうなルートを地図で示しながら皆に教える。

 「いや、幸いパドマ連合の東にあるパーラ朝ならギリギリ、マジャ帝国と接している。そこを通れば、この南方を脱せれると思うよ。ただ…。」

 ヴォルティモが最後の言葉を言い切らなかったため、

 「…ただ?」

とイトゲルが次の言葉を尋ねる。

 すると、ヴォルティモがその続きの言葉を答える。

 「その後が問題だな。マジャ帝国と華夏帝国は非常に仲が悪い。もし、両国間の国境付近で戦争が起きれば、華夏帝国へ渡るのは難しいだろう。やはりアラッバス朝の交易ルートを通れないとなると、かなり痛いな。」

 確かに、アラッバス朝は東西での交易を支えていただけあって、アラッバス朝の支配していた範囲を通らずに、東西を自由に行き来するなどほとんど不可能だった。

 しかし、かといって、黄泉の国を通れるわけではないので、華夏帝国とマジャ帝国間で戦争が起きないことを祈りつつ、そのルートを進まなければならなかった。

 「まあ、仕方ない。そこを通ろうぜ。」

 イトゲルがそう言うと、皆は「そうだな」と頷いた。

 だが、マリアの中ではまだ懸念点があった。

 「だけど、マジャ語を話せる人がいないよね。そこはどうしようか?」

 彼女がそう言うと、イトゲルはハッと気づく。イトゲルもどうしようかと悩んでいると、ヴォルティモが口を挟む。

 「いや、以前、俺はマジャ帝国に行ったから分かるが、あそこは南方の影響を受けているから、かなり南方の言語と似ている。だから、俺が少し間に入るよ。」

 それを聞くと、マリアたちは安心する。これでようやくマジャ帝国に向かえる。

 そうして、グローたちは、次はマジャ帝国のピュガーマ朝のピンサという街を目指すことにした。



挿絵(By みてみん)



 ピュガーマ朝は隣国パーラ朝の影響もあって、仏教徒が多い。そのせいか、ヴォルティモが少しピュガーマ朝に行くことを楽しみにしている。

 ヴォルティモは期待を胸に、足取りを速めるが、マジャ帝国の国境付近で進みが遅くなる。

ピュガーマ朝の地形は、中央が草原なのに対し、周辺は山地が多いため、ピュガーマ朝までの道のりは中々骨が折れるものだった。時には、馬がばててしまい、グローたちが馬車を後ろから押しながら進んでいた。

 「はぁ…、はぁ…。」

 蒸し暑い上に、山を登るため、グローたちは息切れを起こし、汗がだくだくと流れる。

 「はぁー、暑い。これだけ暑いと、一回汗を流したいわね。」

 マリアが汗を手拭いで(ぬぐ)いながら、そう言うが、

 「でも、近くに川らしきものは見当たらないぞ。」

とヴォルティモがマリアの小さな願望を打ち消す。

 「そうよね…。」

 マリアは肩をガックシと落とし、わかりやすく落胆する。

 彼らはある程度、平たい地形に来ると、

 「もう今日はここで野営しよう。」

と、仕方なく野営することにした。



 だが、彼らは汗でべたべたの上、気候がじめじめしているため、中々寝付けない。

 グローは中々寝付けず、何回も寝返りを打つ。そして、しばらく時間が経った後、ようやく眠気が来たと思ったら、今度は尿意を催す。

彼はトイレをしようと、少し木陰の方へと行くと、黒いローブを着た女性がこちらに近づいてくる。

 そのローブのフードから覗かせる顔は、とても美麗な顔立ちで、グローを含む男性を魅了させるような雰囲気を醸し出していた。

 「ねえ、お兄さん。私、ここら辺で道に迷っちゃって。よければ、街までの道を教えてくれない?」

 女性がそうお願いすると、グローは、

 「…ええ、分かりました。」

と何の疑いも無しに、あっさり引き受ける。

 ―…なんか頭がボーっとする。

 彼は一瞬そう思ったが、深夜で眠いからだろうと変に納得する。

 「えーっと、マジャ帝国までの経路ですよね?そしたら、ここを…。」

 グローが行き先を指さしながら、教えようとすると、

 「ここからじゃ、よく見えないわ。もっとこっちに来てらして。」

と女性が手招きをする。だが、おかしいことに、その女性は見づらいと言っているのにも関わらず、さらに奥の木陰へと誘おうとしている。

 明らかにおかしいのに、グローは頭が働かず、

 「…はい。」

と返事をし、木陰へと歩みを進める。

 彼らは奥の木陰へと進むと、女性がローブをスルッと脱ぎ始める。

 女性が黒いローブを脱ぐと、布面積が少ない下着を身に着けており、豊満な体が下着越しでも伝わる。

 だが、明らかな違和感が、ローブの下から露わになった。後ろの方に黒い尻尾のようなものがあった。

 しかし、そんな明らかな違和感があるにも関わらず、グローはそれでも女性の指示に従おうとしている。まるで洗脳されているみたいに。

 「さあ、私に身を(ゆだ)ねて。」

 女性がグローの目をジッと見つめ、自身の唇を彼の唇へと近づける。あともう少しで唇が重なるところで、

 「そこまでよ。」

とマリアが彼らの行為を遮る。

 マリアの後ろにはヴォルティモとイトゲルも付いてきていた。

 「チッ。」

 女性は舌打ちをし、マリアをギロリと睨む。

 「何?あんたら、邪魔なんだけど。あっち行ってくんない?」

 女性は態度を明らかに変え、シッシッと追い払うように手でジェスチャーをする。

 「そうはいかないわ。あなたサキュバスでしょ?」

 マリアがそう言うと、その女性は再び舌打ちをする。

 サキュバスとは淫魔というやつで、若い男性の精力を吸収し、自らの力を増幅させる悪魔だ。そのため、サキュバスは度々、薄暗い夜に若い男性を洗脳で魅了し、人影のないところに誘い込んで襲っている。

一見、精力を吸収されるだけだったら、大したことなさそうだが、サキュバスに精力を吸収された男性は生殖能力を失い、体力や精神を削られ、場合によっては死に至る可能性もあるという。

 「はあ、面倒くさ。もう少しで若い男の精力を吸い出せたところだったのに。」

 サキュバスは戦うことを覚悟決めたのか、鋭い爪を見せながら構える。

 マリアたちも武器を構えると、

 「天眼をするから、それまで時間を稼いでくれ。」

とヴォルティモがこそっとマリアたちに頼む。

 「わかった。」

 マリアが槍で牽制しつつ、イトゲルがサキュバスに攻撃の機会を与えないように、先制で矢を放つ。

 イトゲルがサキュバスに向かって矢を放つと、矢は奴の体をそのまま貫通してしまった。貫通といっても、刺さったわけではなく、全く手ごたえが無かった感じだった。

 そのサキュバスらしきものは攻撃を受けると、煙のようにサァーッと消え去る。

 その様子を見て、ヴォルティモが、

 「そういえば、サキュバスは魅了や幻術に長けていて、相手に幻像を見せるという。」

とサキュバスの特徴を思い出す。

 「つまり、本体は別のところにいるってことか。」

 イトゲルはそのヴォルティモの言葉で、さっきのが幻像だと気づいた瞬間、ヴォルティモの方から、

 「いたっ!」

という小さな悲鳴が聞こえた。

 ヴォルティモの方を向くと、本物のサキュバスが鋭い爪で彼を引っ掻いていた。

 「汚らわしい男め…。」

 サキュバスはヴォルティモをキッと睨む。

 何やら奴は男へ強い憎しみを抱いているようだった。

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