2章9話 第二の人生
グローはあれからユミトの家で暮らし始めて2年が経ち、アトマンでの二度目の春を迎えた。地下だと季節の変化に気づきにくいが、地上に出ると、チューリップが咲いており、改めて春なんだと感じさせられる。
彼はユミトの家で暮らすことが決まってから、その後ユミトの家に家族として迎えられ、ユミトの父親が彼の足枷を金具で外してくれた。
「よし、これで外れたな。どうだ?少し楽になっただろ」
グローは今まで当たり前に付いていた足枷がなくなったため、元に戻ったというより、違和感が先行する。だが、とても解放された気分になった。今まで縛られていた足が軽快に動く。だが、何故かまだ足の鈍い重みが消えない。
「…ありがとうございます」
グローが微笑を浮かべながらお礼を言うと、ユミトの母親がすかさず、
「これからは家族なんだから、そんな他人行儀な言葉はダメよ」
と注意をしてくる。
だが、グローにとって、母親はユミトの母親であって、そんな馴れ馴れしく接することなど考えられなかった。
「…はい。分かりました」
「ほら、もう、また」
そんな不毛なやり取りが何度も続き、それを傍目で父親がおかしそうに笑う。
とりあえず、グローは一人の人間として、そして家族として生きていくことになった。
彼は家事の手伝い、アトマン語や常識などの勉強、父親の鍛冶の手伝い、自己防衛としての剣技の練習、たまに散策や礼拝などをルーティンにして生活していた。
まず、起きて、料理や掃除などの家事をすることから彼の1日が始まる。
彼がいつもの様に、灰と布を用いて皿洗いをしていると、母親がネチネチと叱ってくる。
「こら、この皿まだ汚れがついているじゃない。もっと丁寧に洗いなさい」
グローはほんの少しだけ面倒くさいなと思いつつも、皿を丁寧に洗い直す。
最初こそ「すみません!」と謝り、丁寧に洗い直していた、初々しいというか他人行儀な彼の姿はもはやここにはいない。
だが、その二人のやり取りはまるで本物の親子の様に見える。
そのグローの面倒くさいなという気持ちが、彼の表情から伝わったのか、母親はむくれたように頬を膨らませる。
「全くあなたのためを想って言ってるのよ」
出た。親の常套句だ。しばしば、親という生き物は不都合なことがあれば、いつもそう言う。子どもはそれを聞いて、自分のためだろと心の中で反論する。だが、それも仕方ないのかもしれない。親も同じ人間なのだから。
しかし、場合によるが、親は本当に子どものためを想って忠告するときも多い。だが、子どもがそれに気づかないこともまた多い。そして、グローもまたこの時は気づいていなかった。ある意味、本当の息子らしかった。
グローは、料理だとアトマンの家庭料理なら大分覚えてきた。ケバブ、ブドウの葉のドルマ(詰め物)、パトゥルジャン・サラタス(茄子のペースト)、パンなど。最初は作るのも、味になれるのも大変だったが、今ではもう体に馴染んでいる。
家事が終われば、アトマン語を勉強し、この国の常識について教わった。統治体制や経済、地理、四則計算、文化など。
アトマン語は、日常の会話表現から始まり、単語などを教わった。例えば、「Merhaba(メルハバ)」。「|Teşekkür ederim (テシェッキュル エデリム)」。「Ne kadar? (ネ カダル?)」など。
常識に関しては、この国は、ドワーフのアトマン人以外にも、遊牧民のエルバ人、山岳民族のカードゥ人、隣国のアシーナ帝国からの移民アシーナ人も多くいる。そして、アトマン皇帝はその3つの民族に自治を与えている。
それ以外にも、この国はかなり豊かなため、他の民族もいるという。現に母親のアンナもガッリア人だし。この国は、民族にそこまで縛りは無く、実力があれば上に昇りつめられるという。
さらに、すごいのが宗教も自由で、ドワーフの信仰する狼神以外の宗教も許されている。これをミッレト制という。一見様々な民族に優しい寛容的に見えるが、問題点も存在する。たまに、ドワーフ以外の民族の独立運動も起きるらしい。高度な自由には、責任と調和が必要なんだと学ばされる。高すぎる自由の先は、幸福とは限らない。混沌かもしれない。しかし、その何もわからない中で人はもがき、自由を手に入れようとするのだろう。一生答えが出ない問題だ。
経済に関しては、前に推測した通り、武具や生活道具、装飾品などの工芸品が主要産業として支えられている。その高質な特産品を求め、世界から商人が買いに求めてくる。だから、地上のバザールが賑わっているとのことだ。他にも、これらはユミトにかなり教わったが、貨幣制度についても教わり、その経済関連で計算も教わった。
他にも、この国では文学や詩が有名なことも軽く教えてもらった。グローの人生を変えた『奴隷物語』もそのうちの一つだ。
勉強が終われば、父親の鍛冶を手伝い、剣を何本か作ったこともある。金床の上で、暑さに耐えながら、剣を叩き延ばし、鍛錬していく。言葉では簡単なようで、かなり難しい。
「ど、どうかな?」
グローは打った剣を父親に渡し、伺うように顔を覗く。
「微妙…」
父親の言葉がグローの心に重くのしかかる。父親はおしゃべりな母親と違って、口数が少なく、その分出てくる言葉が重い。
グローは心の中で浮かび上がってきた悔しさを、剣の鍛錬へぶつける。こんな感じで、何度も父親にダメ出しをくらい、何回も鍛錬していった。
そして、その後は素振りから始まり、構えや剣の振り方なども教わった。
ドワーフの伝統の剣技は体の重心にあるようだ。ドワーフは他の種族に比べて筋肉質で、それに比例するかのように体重も重い。さらに、普通よりも大剣を使うことでより重さを増す。その重さを利用した重い剣技のようだ。
基本的な構えは、顔を真っ直ぐに向けながら、体を斜めに傾け、剣先を下に向ける。そして、斬りかかるときに、後ろ足にかけていた重心を前足に傾け、体をねじり、下から上にかけて斜めに斬る。さらに、回転をかけることで遠心力も加わる。これがドワーフの伝統的な剣技のようだ。
だが、ドワーフほどの筋肉質でない人間のグローは、まず筋肉をつけなければならない。だから、彼は素振りを欠かさずした結果、体が以前に比べてガッシリしてきた。しかし、それでもドワーフほどの筋肉は勿論付かないので、使う剣は大剣ではない。
たまに両親に連れられて、礼拝堂に行くこともあった。ユミトの両親はしばしば灰色の狼の偶像に礼拝していた。ドワーフはこの狼の神を信仰している。神話によると、この灰色狼がドワーフの母であり、その狼と子孫の古代の人々が洞窟に住み、鉄工の専門家となったと言われている。その古代の人々の末裔が今のドワーフのアトマン人に当たるという。
だからか、このアトマン帝国では狼や犬がとても愛されている。ここでは、犬や狼を許可無く殺生及び狩猟した場合、重罪となるくらいだ。
グローはこんな生活を繰り返し、もうこの生活や人生が当たり前になってきた。
彼は今日もいつも通りの生活をし、父親と一緒に鍛冶をしていた。無心で剣を叩くのに集中していると、父親が何かを話しかけてきた。
「え、何ですか」
集中していて、よく聞こえなかった彼は、もう一回聞き直してみた。
「いや、お前は他の世界を見てみたいんじゃないか」
彼はドキッとした。父親のその見透かしたような目から目線を逸らす。
「いや、そんなわけないよ。ここは安全で、外は怖いから」
一瞬ユミトの顔が思い浮かんだが、すぐにグローはかき消し、自分にそう言い聞かせた。
彼は足に鈍い重みを感じた。
「そうか。お前はユミトに似ていると思ったんだがな」
父親は一言そう言い残し、一旦鍛冶場を離れた。グローの心に重い鎖を残していった。
しばらく彼は父親の言っていたことを想い返し、夜も眠れなかった。ユミトやその家族はどうしてほしいのだろうか。そんなことを何回も考えるうちに、次第に視界が狭まり、気絶するように眠った。
その夢の中で、彼は昔のユミトとの別れを思い出した。その中で、「お前は世界を旅してみろ」という言葉を思い出した。それと、ユミトの話に目を輝かせて聞く彼の姿も思い出した。これは、ユミトが言っていた言葉だが、紛れもなくグロー自身の思いだ。誰かがこうしてほしいじゃなく、自分がどうしたいかが重要だと再認識させられた。そして、彼の目標が明確に浮かび上がってきた。
―俺は世界を旅したい。
彼は翌日の朝起きると、両親に告げることにした。
「すみません、やっぱり自分は世界を旅してみたい。ユミトにもそう約束しているから」
母親はそれを聞いて、一瞬驚くが、すぐに悲しそうな顔に変わる。
「そうなのね。私はダメな母親ね。全員の子どもに自分の考えを押し付けてしまって」
しかし、グローはすかさず訂正する。
「いや、そんなことないよ。お母さんのせいでは。ただ、居心地が良かったんだ」
これは言い訳ではない。彼の本心だった。本当の家のようで、暖かかった。しかし、彼は見てみたかった、この世界を。
母親は悲しそうな顔から、朗らかな表情に変わった、
「そう。あなたも他の世界を見てみたいのね。ユミトに似ているわ」
彼は両親に同じことを言われ、驚いた。そんなに似ているかなと少し不思議がる。
「でも、子どもがそんなこと言うなら、応援しなきゃね。でも、いつでも帰ってきていいからね」
彼は両親の励ましに心が温かくなった。
それから数日間、グローは旅の準備をした。
両親は彼に、金貨4枚と銀貨10枚のお金と剣と日持ちする食べ物をくれた。そして、一番の愛をくれた。
「本当にありがとう。またいずれ帰ってくるから」
彼の手を両親は掴み、ただひたすら「ええ」と一言呟く。
少しの間、見つめ終わった後、彼は手を放し、玄関のドアへ向かう。家の扉を開き、「行ってきます」とただ一言を残し、家を出ていった。後ろに顔を向けなかった。彼はこの顔を家族に見せるのは恥ずかしかった。彼は服の袖で目を拭った。
彼の足の鈍い重みはいつの間にか消え去っていた。




