006 おれの奴隷の危険が危ない
夜勤組の一人、ジョアンナ。
うちのアンジェリカさんに負けるとはいえ、なかなかに妖艶な女だ。
そして、ジョアンナの魔道具〈捜索者〉が厄介だ。形状は鞭なのだが、追跡能力に特化している。
うちの奴隷の危険が危ない!
さらに言えば、天音を奴隷にしていた事実が、この時点で知られるのも困る。
〈奴隷化シール〉は合法だし、転移者を奴隷にしてはいけないという法もない。
ただ暗黙の了解というものはある。
一度、標的とされた転移者を、別の者が奴隷にするというのはダメだろう。
おれとしては、天音をスパイに仕立てる案をベルリアさんに明かし、この人の後ろ盾を得る目論見だったわけだ。
ところが、その前に天音が発見される恐れが出て来た。
「今日は厄日だな!」
〔エンディミオン〕を出てから、そんなことを叫んだ。
とたん、頭の上から問いかけがあった。
「やぁやぁ、給料泥棒のアレク坊や」
「うげっ……ベルリアさん。おれの頭に乗らないでくれますかね」
頭に乗られているとはいえ、感じる重さはほとんど無い。ベルリアさんなら、浮遊術もマスターしているのだろうな。
「そうだ、ベルリアさん。おれの話を聞いてくださいよ」
「ゴブリン殲滅パーティの生き残りである、宮森天音。この娘を奴隷にした矢先に、夜勤組に宮森を狩られそうで大慌て」
おれは愕然とした。
「え、なぜそれを?」
ベルリアさんは、いつものように笑った。つまり狂気を含んだ笑声である。背筋が寒くなるのは仕方のないことだ。
「わたくしは、何でもお見通しということだよねぇ。アレク坊やが生まれてからした、マスターベーションの回数も言い当てられるわけ」
「答え合わせはしませんからね」
ベルリアさんは跳び上がり、くるくると回転して、おれの前に着地した。
「それで、キミはどうして欲しいのかなぁぁ?」
ベルリアさんが、おれの要求を聞いてくるとは。
無茶ぶりしか押し付けてこない、あのベルリアさんが。
「……夜勤組を止めてくれますかね?」
「ほーう。わたくしに夜勤組を皆殺しにして欲しいとねぇぇ」
「いや、いや! 誰がそんな物騒な願いをしましたか!」
この人は、どこまで本気なのか、さっぱり分からん。
普通なら、今の発言は冗談と思うところだ。が、ベルリアさんの場合、遊びで従業員も殺しかねない。
「夜勤組が天音を見逃してくれれば、それでいいんですよ」
ここでベルリアさんは、常識的な発言をした。
「わたくしの権限が発揮できるのは、〔エンディミオン〕での勤務内だからねぇ。いま夜勤組は勤務外。よって、わたくしが命令することはできないかなぁ。夜勤組を皆殺しにするのなら、話は別だけどねぇぇ」
訂正、最後のは常識的な発言ではなかったな。
「では、天音を〔エンディミオン〕まで届ければ、夜勤組たちから守ってくれますか? 〔エンディミオン〕内なら、ベルリアさんの権限内だ」
敬礼するベルリアさん。
「了解であります!」
くっ、この支配人兼オーナーは──。
しかし、苛立っている暇はない。おれの奴隷の危険が危ない(本日2回目)。
というわけで、ベルリアさんと別れたおれは、厩舎から馬を借りた。
馬上の人となり、ギャロップで自宅へと向かう。
ジョアンナに追跡能力があるとはいえ、最速で目標まで到達できるわけでもあるまい。
よって、おれの作戦はこうだ。
夜勤組より早く自宅に行き、天音を回収。
そして夜勤組を迂回する形で、〔エンディミオン〕に戻る。
よし、行けそうだな。
などと計画を練っているうちに、小規模な町が見えてきた。
レック町。
やたらと娼館の多い町だ。これは元が私娼窟だったから。
この町外れに、おれの自宅があるのだが。
ふと心配になる。
天音はちゃんと指示に従い、ここに来ているのか、と。
〈奴隷化シール〉の効果は、『貼り付けた相手から攻撃を受けない』という一点のみだ。命令を強制するような効果はない。
天音がおれの指示に従わず、勝手に逃げていたら、万事休すだ。
おれにはジョアンナのように、追跡する能力はないからな。
馬から飛び降りるなり、自宅へと飛び込んだ。
天音の姿がない。やはり指示に従わなかったか?
物音がしたので、寝室を覗く。
すると天音がベッドの上で、丸くなっていた。
なんか、ネコっぽい。
「天音!」
天音がパッと跳び、おれの前に跪いた。
「ご主人様! お待ちしておりました!」
「……え? あ、うん」
〈奴隷化シール〉に、貼り付けた相手の思考を変える力は、無い。
本来なら、こうもすぐに、奴隷っぽくはならないものだが。
……この娘、順応が早い! すでに奴隷モードだ!
「まぁ、いいや。ついて来い、天音。〔エンディミオン〕に向かうぞ」
天音の顔に恐怖が浮かぶ。
「え、ですが、それでは──」
「心配するな、〔エンディミオン〕は安全だ。というか、いまは〔エンディミオン〕だけが、お前の安全地帯だ」
しかし、天音は納得していない様子。さて、どう説得したものか。
そこまで考えて、おれはハッとしたね。
ここは説得するのではなく、命令するところだ、と。
「宮森天音! おれの命令が聞けないというのか!」
天音が泣き顔で、縋り付いてくる。
「申し訳ございません、ご主人様! わたしを、天音を捨てないでください!」
「……いや、捨てはしないけど」
なんかこの娘、奴隷の素質がありすぎだろ。
そんな天音を連れて、おれは自宅を出た。
馬に飛び乗り、一路〔エンディミオン〕へ、だ。
しかし、その目論見は消え去った。
自宅前には、3人の〔エンディミオン〕従業員がいた。
ボルディ、ジョアンナ、カルパトの夜勤組が。
ボルディが勝ち誇ったように言う。
「アレク。その娘は、オレたちの獲物だぜ。渡してもらおうか」
間に合わんかったか。