001 フッ化水素酸のスープ
ホテル〔エンディミオン〕は、ブラック職場という話だ。
それで思い出したが、先々週、おれは流行り病で伏せた。
これは働けんと思い、休みをいただきたい旨を、通信アイテムの魔電で伝えた。
魔電に出たベルリアさんは、優しく言ったものだ。
「アレク坊や、電話する元気があったら、仕事できるよねぇ? 仕事できないくらいの病気って、もう目と鼻から血がダラダラ流れて、歩くだけで皮膚がズルズル剥けるレベルだよねぇぇぇ?」
病欠一つするのにも、死にかけねばならない。
佐藤智輝という異世界転移者を片付けた翌日。
おれはフロント・デスクにいた。
おれの通常業務は、フロント係だ。
といっても、宿泊客のチェックインは対応するが、チェックアウトは行わない。
宿泊する転移者どもが、生きたまま、このホテルから出ることは有りえないからな。
昼頃。
新たな転移者がやって来た。
おれは満面の笑顔で対応。
「ホテル〔エンディミオン〕へ、ようこそいらっしゃいました!」
それから、フロント・デスクに隠してある検知機が、ちゃんと作動しているのを確認。
この検知機が、転移者たちのチート能力を読み取るのだ。
敵の能力を事前に知ることは、重要である。
そりゃあ、ベルリアさんの《鬼畜無双》ならば、どんなチート能力が相手でも余裕だがね。
だが、転移者を殺すのは、ベルリアさんだけではない。
たとえば、このおれ。
戦うための手段は、魔道具〈スプラッター〉のみ。人体切断に特化しているだけの魔道具なので、転移者の能力をよく理解した上で、戦略を練らねばならない。
昨夜は大失敗だったが。
検知器の作動がOKなので、転移者には宿泊者名簿への記入を頼んだ。
ふむ、ふむ。
名前は、合田五郎か。
改めて、異世界転移者・合田五郎を見やる。
歳は40くらい、髭面の大男。
検知器を見ると、チート能力が判明していた。
《一撃必殺》──一回殴るだけで、どんな敵も殺してしまう。ランクは【武将】。
つまり、合田に一発でも殴られたら、それまで。
〈スプラッター〉しかない身には、辛い標的だな。
ちなみにチート能力のランクは、下から【兵士】→【武将】→【天災】→【勇者】となっている。
天災よりも、勇者のほうが上なわけだ。
あと【神】ランクというものは存在しない。
これは、ベルリアさんの《鬼畜無双》が【勇者】100人分並みに強いので、おれが造ったランクだ。
転移者の合田を、日勤組の仲間であるミールに託す。
ミールの通常業務は、ベルパーソンだ。
ベルパーソンとは、宿泊客の荷物を預かり、客室に案内する仕事。
ようは接客業なので、笑顔が大事だ。
しかし、10歳の少女ミールに、笑顔はない。
ミールは幼少期、ある転移者の性奴隷として飼われていた。
〔エンディミオン〕があるからといって、全ての転移者を排除できるわけではない。
すなわち、すべての転移者が〔エンディミオン〕に宿泊するわけではないのだ。〈転移者誘因剤〉も万能ではない。
ミールを飼っていた転移者も、そんな一人だった。
だがある日、その転移者がこの近くを旅し、ついに〔エンディミオン〕に宿泊した。
殺しを担当したのは、アンジェリカさん。
夜中、抹殺に向かったところ、その転移者はミール相手にお楽しみ中だった。
心優しきアンジェリカさんが、転移者を拷問にかけてから殺したのは、言うまでもない。
アンジェリカさんはミールに同情し、ベルリアさんに頼み込んだ。
ミールを〔エンディミオン〕で雇ってもらえないか、と。
ベルリアさんは、ミールをひと目見たなり、言ったそうだ。
「この幼女ちゃんは、病んだ目をしているから、わたくしは大歓迎だよねぇ」
即採用。
ちなみに、ミールが雇われた年、おれも〔エンディミオン〕に就職した。よって、同期なわけだ。
そして、幼少期の不幸な出来事から、ミールは笑顔を見せない。心の傷のせいだな。
または心の傷は関係なく、生まれながらに、ただの仏頂面なのかもしれないが。
おれは最近、後者だと思っている。
ミールと合田を見送ってから、おれは日報を開いた。
愕然とする。
ベルリアさん、今日から来週まで出張じゃないか。
「おいおい。ワンパンチのチート野郎、おれ達だけで殺さなきゃならないのかよ」
おれが嘆いていると、アンジェリカさんがやって来た。
アンジェリカさんは、ハウスキーピング(客室係)だ。
ハウスキーピングとは、宿泊客がチェックインする前に、客室の清掃、備品の補充などを行う。
そんなアンジェリカさんの容姿は、とても美しい。
整えられた顔立ち、雪のような肌、艶やかな黒髪。
胸の大きさは、ベルリアさんには及ばない。
だがベルリアさんのように、頭のネジが5本も抜けていないのが、素晴らしい。
「アレクくん、浮かない顔ね。どうかしたの?」
「厄介なチート野郎が宿泊したんだよ。こんなときに限って、ベルリアさんは不在」
「それなら、あたし達で仕留めるしかないわね」
「まぁ、それはそうだが──」
アンジェリカさんは、微笑みを残して、歩き去った。これで話し合いは終わったということらしい。
さて、ここで日勤と夜勤について説明しよう。
〔エンディミオン〕は二交代制であり、日勤が11:30~0:00、夜勤が23:30~12:00だ。 被っている時間帯は、引継ぎなどを行うため。
基本、勤務中にチェックインした宿泊客が、殺しの標的となる。
ただし、日勤の勤務中に取りこぼした標的は、夜勤の担当となる。
それは営業成績からして、日勤組の命取りだ。
この営業成績については、またの機会に。
とにかく何としても、日勤の勤務時間中に合田を殺さねばならない。
勝負は、夜になってからだ。標的の合田が、夕食のあと睡魔に襲われる時間帯が、狙い目だろう。
そんなことを考えながら、さらに2時間ほど仕事をしていると、アンジェリカさんがまたやって来た。
「ごめんなさい、アレク君。死体を片付けるのを、手伝ってくれるかしら」
「了解──え、死体だって?」
アンジェリカさんが向かったのは、205号室。
ワンパンチ最強の合田五郎が宿泊した部屋である。
「もう片付けたのか?」
「ええ」
室内を確認すると、たしかに合田の死体がある。
寝台に仰向けで横たわっていて、全裸だ。
「アンジェリカさん、合田の死因は──?」
アンジェリカさんは微笑みを浮かべる。
「腹上死よ」
「……つまり、アンジェリカさんと──」
「ええ」
死んだ合田が羨ましい、と3秒ほど思ってしまった。
「バトルもなしで殺してしまうとは、さすがアンジェリカさんだ」
アンジェリカさんが艶っぽい声で言う。
「アレクくんも、試してみる?」
「……遠慮するよ」
それにしても、さすがアンジェリカさん。
人間とサキュバスのハーフだけはある。
残念なのは、サキュバス状態になれるのが、半年に1回のみということか。
サキュバス状態でなくとも、アンジェリカさんは美しい。
ただ、アンジェリカさんの気持ちの問題だ。
つまり、サキュバス状態でないと、見ず知らずの男と寝たくないわ、ということ。
あれ、これ職務怠慢じゃね?
とにかく、死体を片付けよう。
アンジェリカさんが、バスタブをフッ化水素酸で満たす。
この間に、おれは合田の死体を、〈スプラッター〉で分解。
分解した死体を、フッ化水素酸に漬けるのだ。
すると、死体は溶けていく。
ドロドロに。
フッ化水素酸と転移者によるスープの出来上がり。
あとは排水管に流すまで。