episode 36 サヨナラ
目が覚めたのは次の日の朝だった。
瀕死だった体は思いのほか体力が無くなっていたのだろう、食事を取ることなく朝まで眠り続けていた。
そのおかけで朝食も喉を通り、この上なく調子が良く感じられる。
「さて、行こうかしら?」
「そうさね。
これ以上は船を待たせる訳にも行かないからな」
「だそうよ、ライズ。
また水の中行くんでしょ、よろしくね」
「ああ、良いだろう」
朝から外で遊ぶ子供達に別れを告げ地下道を通り抜けると、水中への階段の前でライズが術を施した。
「さて行こう」
「良いわよ、って言っても一度で慣れるわけじゃないんだけどね。
…………。
ふっ!
ふぅぅぅぅ」
水中で息をするなんて意識しないと出来ないもので、それほどまでに視覚に頼って行動しているのだと実感してしまう。
「どこから上がるの?」
「そうだな、オレが上がったのは向こうだな」
指差したのは飛び降りた崖の更に先だった。
「だったら急いだ方が良さそうね」
「そういうことだ。
一人の時とは持続性が違うからな」
どことなく足早になったあたし達だったが、水の音とは違う得体の知れない響く音が耳を刺激した。
「何?
この音は」
「言いたくはないが、急いだ方がいい。
まさか遭遇するとは思っても見なかったが」
「急ぐし急いでるけど、何なのよこの音は」
「海獣女だ。
水中にはあまり来ることはないんだがな」
「スキュラって何よそれ!」
「海の魔獣だ!
いや、魔人といっても良いのかもな」
「そんなのが居るとこを通ってるの!?」
「仕方ないだろ!?
それに、ここには滅多に来ないはずなんだが。
来た以上は運が悪かったと思うしかない」
急ぎながらも音のする方へ目を向けると黒い影がこちらへ向かって来ていた。
「あたし達を狙ってるんじゃないの?」
「だろうな!
人間を喰らう魔者だからそうなるだろうさ」
「だったらどうすんのさ一体!
いくら急いだって――」
「分かっている!
海はやつの領域だ、直に追いつかれるだろうな」
また見てやると、黒い影だったものが女性の体と狼に足のようなものが数本蠢いているのが分かってきた。
「絶対追いつかれるわよ!
どう戦うの!?」
「…………。
…………。
仕方ないな、オレがやれるだけやってみる。
女神達はそのまま行ってくれ」
「一人でやるわけ!?」
「それ以外に方法はないからな!
それにここから我が家は近いんだ、オレが残れば問題はない。
だから……ここでお別れさ」
一人を置いて逃げることは過去にもあった。
だが、ここは水の中で明らかに人間には不利な場所。
そんな場所であたし達だけ逃げるなんてことは。
「出来るわけないでしょ!?
どうやって戦うのさ!」
「大丈夫だ、退けるくらいならやってみせるさ。
それにな、剣しか持っていないあんたらじゃ邪魔でしかないのさ」
邪魔でしかないと言われ『はい、そうですか』なんて怒ることが出来なかったのは自分の無力さからくる悔しさでしかなかった。
「うぅっ……」
「アテナ、ここはライズの言う通りだ。
あたいらは今、無力でしかないのさ。
だから、あたいらが出来ることをする、それが一番の手助けになる。
いいね?」
「……くそっ!!
分かったわよ!!!
あたし達はどうしたらいい!?」
「女神達はあの泡の多いところを抜けてくれたらそれでいい。
やつも見失うだろうからな。
オレは新たに術を使いこの場に残る」
走るのを一旦止めたあたし達はライズを見守り、術が完成するのを待った。
「よし、良いだろう。
女神達は早く。
幸運を祈っている、縁があるならまた出会うことになるだろう。
それまではサヨナラだ」
「ええ、いつか……。
いえ、また会うわよライズ!
だからサヨナラじゃないわっ!!」
あたしは躊躇うことなくライズに抱きついた。
ほんの僅かな瞬間だったが、それが精一杯の出来ることだった。
「アテナ、あたいが前に出るよ!
ついてきな!」
振り返ることなくレディの背中を追うと、次第に気泡の多い場所へ辿り着く。
辺りは白く視界は悪いが、頼りがいのある背中だけに心を向けて陸地を目指した。




