プロローグ
甲板の手摺の隙間から浮雲を見下ろしながら、気だるげに幼女は物思いにふけっていた。
皇帝の命を受けて旅に出たのがほんの十日前。それから馬車を乗り継ぎ、飛空挺に乗り込み、あと小一時間もすれば乗り物による移動は終わりを迎えるだろう。
任務であるため経費は全て帝都持ち。あまりにも無駄遣いが過ぎればお咎めもあるかもしれないが、毎晩最高級の宿に泊まったところでどうということはない、そんなリッチな旅。
それまで帝都と魔法学校、その道中くらいしか知らなかった幼女にとって、わずか十日余りとはいえ見るもの全てが新鮮だった。こんな状況でもなければ小躍りの一つでもしていたかもしれない。
しかし実際にそうならなかったのは、幼女に課せられた勅命、その内容があまりにも不可解で理不尽なものであったからに他ならない。
そしてそんな不可解で理不尽な勅命の真の意図、それが分からないほど、幼女は愚かではなかった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
決して自由ではないが不自由でもない幼少期を過ごし、魔法の才能を認められ、魔法学校に入ってからは勉学に勤しみ、優秀な成績を残しつつ充実した学生生活を送っていた。事実、ほんの二週間ほど前まで普通に在学していたのだ。
それがあれよあれよという間にこんなことになってしまうなどと、一体誰に想像できたというのだろう。
ふと、視線を船首、更にその先へと向けた。
標高一六〇〇メートルの休火山と、その中腹から麓に広がる建造物の数々。レグリス山の東側に展開する街、アルサフォルド。
大陸で最も高所にある街として名が通っていて、街の山側に当たる部分が居住区、麓側に当たる部分が商店や仕事場という風に分かれている。
旅人は基本的に麓側しか利用しない。そのため揉め事の類も麓側に集中している。
飛空挺の発着場は山側にあるが、飛空挺なんて富裕層しか利用しないし、発着場から直接麓側までロープウェイが通っており、わざわざ居住区を通る必要はない。
それは幼女とて例外ではなかったが、問題なのは麓の方。幼女はこれからそこで必要な物資を調達しないといけないのだが。
「……治安が悪いんでしだっけ」
麓側は常に人で溢れ返っており、当然治安が悪い。特に彼女の場合は、小柄な幼女の一人旅とあって目を付けられやすい立場にあるのは明白だった。
(チンピラくらい何人集まろうとものの数ではないのですけど……)
所詮は魔法一つ使えない一般人。魔法学校でもエリートだった幼女に敵う通りはない。だがだからと言って余計なトラブルを背負い込むのも望むところではない。何か対策を講じる必要があった。
『只今よりおよそ三〇分で、客船ヴァルカシオンは目的地であるアルサフォルドに到着します。お客様はどうかお忘れ物の無きよう今一度確認をよろしくお願いいします』
船内放送が聞こえた。
これからの旅に必要な物の多くはアルサフォルドで調達する予定で、持ち込んだ荷物は限られているが、放送で言っているように一応確認はしておくべきか。
「それから対策も考えておく必要もあるのです……。妾と、あの権杖の、ね」
勅命について思う事はあれど、命令を遂行しなければならないことにかわりはない。
幼女は手摺からよっこらと身を離すと、のろくさと船内の自室へと向かうのであった。