二試合目 (下)
目の前には白銀のライトエフェクトを纏った大剣。後ろには不動の壁。左右に逃げても高速剣術を併用した高速【リーパー】で背後から貫かれて終わりだ。まさに八方塞がり。打つ手が無い。
(首、頭、心臓、腕、脚、どこを狙う!?)
胸の下で心臓が激しく拍動し、拡大する瞳孔に視界が揺れる。
「《クランズ》選手、至近距離からの【リーパー】!!! ここで決めるつもりだッッッ!!!!」
そんなアナウンスの声は、迫り来る剣で頭がいっぱいのハバトの耳には全く届いていない。
(一撃で決めるなら頭か心臓か。どっちだ? どっちを攻撃してくる!?)
どちらを攻撃してもハバトのHPは確実に五割を切り、負けてしまうだろう。
(くそッ! ここでやられるのか!?)
思考を圧迫する緊張を歯を食いしばって押さえ込み、脳裏にここまでの試合を走馬燈のように想起させる。
ほとんど会話の交わされなかった戦いの中、クランズは何を語った? 攻撃の順に現れる彼の癖は? 何かヒントとなるものはなかったか?
意識だけが加速され、視界が相対的に速度を落としていく中、ハバトはふとクランズの言葉を思い返す。
『ならば俺も全力で行こうではないかッ!』
全力。
彼は確かに全力で行くと言った。だとするならば、
(狙うは心臓じゃなくて頭!!!)
心臓とは異なり頭部を破壊された場合、残存HPに関わらずアバターは活動を止め、試合続行不可能となる。何としてでも避けなければならない。しかし敵は高速剣術を重ね掛けした高速【リーパー】を使うだろう。避けられるのか? それを。
クランズは勝利を確信した表情で、白銀に輝くバスターソードを目にも留まらぬ速さで突き出した。
直後。
バシャンと消滅エフェクトが鮮血のように飛び散り、轟音と共にバスターソードが突き刺さった。【速歩】で体勢を崩し、左に傾けたハバトの頭の横に。
ただし、そこに右の外耳はなかった。
パラパラとバトルリング外壁の破片が地面に落ちる。
極限の緊張状態を乗り越え、緩もうとする気持ちの手綱を引っ張りながら、
「さ・・・」
とハバトは唇を震わせた。そして、目を見開くクランズに向けて叫ぶ。
「最後まで全力でいてくれてッ、ありがとうッッッ!!!」
バンッ!!
ハバトはバスターソードの刀身に手を当て、そして少し刃に肩を食い込ませる。
「【加熱】!!」
バスターソードの幅広の刀身が赤色のライトエフェクトに包まれた。
アビリティ【加熱】
触れている素材の温度をムラなく瞬時に数百度まで上昇させる。ちょっと時間をかければ千度近くまで加熱することも出来る。
「熱ッ!」
クランズは反射的に柄から手を離した。HPゲージの下に一瞬だけ火傷マーカーが点灯する。
「からの、【アイス】!!」
ここで、ようやく指輪を使う。座金に嵌まる青い魔鉱石が空気に溶け、代わりに白いライトエフェクトが冷気のように溢れ出す。あまりの冷たさに若干HPゲージが削れる。
「《ハバト》選手、間一髪助かりました!! そしてずっと放ったらかしだった指輪のマジックスキルを解放!! 反撃開始かッ!?」
とアナウンスが叫んだ直後。
ギギギッ!!
クランズの剣から軋むような耳障りな音が、響く。
「貴様、何をした!?」
今すぐにでも愛剣を手に取りたいが、熱いのを警戒して触れられないクランズはハバトを睨みつけることしかできない。
ハバトは乾いた唇を舌で舐めて湿らせ、ニヤリと笑う。
「『冷熱衝撃』って知ってるか?」
眉根を寄せ、表情を険しくするクランズ。観衆の大部分もそうだろう。
ハバトのすぐ脇に突き刺さっている大剣はまだ耳障りな音が発している。
「金属の片面を急冷または急熱すると、温度差に比例した体積変化が起こる。これが短時間で起こることで、金属はまるで大きな力で殴られたかのような強い衝撃を受けるんだ。その結果、金属は曲がり、最悪・・・」
バギンッッッ!!!
会場に剣の断末魔が響いた。
「・・・破断する」
「何ぃッ!? 《クランズ》選手のバスターソードが、折れたあああ!!!」
壁に突き刺さったバスターソードは刀身の一部を壁に残したまま、ガランゴロンと空虚な音を立てて地面に転がる。そしてハバトの左腕と同じく赤いガラス片となって弾け飛んだ。
今回は一旦何百度まで熱してから氷点下まで急冷した事。それにバスターソードに重心調整のための意図的な密度のばらつきがあった事が功を奏し、剣が「破断」までに至った。
「いや、もうホント壊すにはもったいない代物だったけどな」
愛剣を失った事に呆然としていたクランズはその言葉にハッと気づく。試合前のハバトの言葉。
『もうホント……にはもったいないくらいだよ』
(試合前のあれは、そういう意味だったのか)
そしてそれをきっかけに、次々とクランズの頭の中で線が繋がって行く。
(序盤で私を煽り、片腕を犠牲に私を油断させる。そして壁際まで誘導し、剣を壁に突き立てさせ、完全に静止したところを狙って武器破壊を仕掛ける。こいつ、ここまでの流れを全て予想していたのか)
いや、とクランズはハバトの左腕を切った際に、彼の左手から指輪が落ちたのを思い出す。
(もし全て読んでいたのだとすれば、切られる予定の左手に指輪をつけているはずがない……いや、これも違うな。おそらく、もともと真剣白刃取りのように刀身を両手で挟んで剣を破壊するつもりだったのだ)
クランズは思考を進める。
(その上で、片腕が切り落とされるような事態が生じても武器破壊の流れに持ち込めるように、私を煽って油断させておいた。というところか)
しかし、まだ一つ、大きな疑問が残っている。
「何故、最後、俺が頭を狙うと分かった?」
その質問にハバトは苦笑する。
「あれは信頼だよ」
「信頼?」
「そう、お前が最後まで全力でかかってきてくれると信じていたから。そしてお前が最後まで全力でかかったきたから起きた、マグレだよ」
「・・・・・」
クランズは黙ってしまった。
「さぁて」
ハバトは壁から背を離し、手の中で金槌を回しながらクランズに歩み寄る。
左腕を失い、スキルも効かず、判定の優位もなく、壁の隅に追いやられた鍛治師はここで逆転を成す。
「最終ラウンドと行こうか!」
と。
勢い付いた所でクランズが両手を挙げた。
「俺の負けだ」
「は?」
「バスターソードを破壊されてしまったら俺は何も出来ん」
クランズは自分の体に視線を落とした。それにつられてハバトも彼の体を見た。
防具は金属の胸当てと肘膝を覆うサポーターのみ。その装備はとても武器を持つ相手と戦う時のそれではない。
「……分かった。お前がそれでいいなら『宣言』しろ」
その言葉にクランズはその骨張った厳つい顔にふと笑みを浮かべた。
「ありがとう。機会があれば、お互い万全の装備で勝負しよう」
「もう【リーパー】はごめんだぜ」
「ははは……『降参』だ」
システムが『宣言』を受理し、南ブロック第二十九会場第二試合はハバトの勝利で終わった。
しかし、金槌を腰のホルスターに収め、転移門をくぐるハバトの表情は厳しかった。
**
「お疲れ様です」
第二試合を終えて、壁のあちこちにひびの入った控え室に戻ると、大会の運営の担当するNPCから労いの言葉を受け取った。
「ありがとうございます」
ハバトはそう返して、壁際に据えられているベンチに座る。座面のカバーは破けていて、中から黄ばんだクッションがはみ出ている。試合中は操作できなかったコンソールを鈴のような効果音と共に開き、回復ポーションを実体化させた。
目の前のアバターは人間が操作していないと分かっていても粗野な態度は取れないのがハバトだった。
NPCと出会うと、いつもならそういう倫理というか礼儀に関する問いに思考が傾くのだが、今回は別のことに意識が向いていた。
控え室の外から何やら人が争う声が聞こえているのだ。
「何か、あったんですか?」
ハバトはポーション瓶の中の青い液体を流し込んでから、NPCに問いかける。吐き出された息にハッカに近い、爽やかな芳香を感じた。
「申し訳ございません。どうやらとあるプレイヤーがハバト様に用があると言って、控え室前の警備担当と争っているそうでして」
「そうなんですか」
二試合目こそ半分HPを削れば勝負が決まるが、トーナメントを勝ち進んでいくと決着条件はどんどん厳しい物になり、HP全損までに至る。すると試合が終わった直後の残存HPの少ないプレイヤーを狙った|PK《Player Kill》が起こるのだ。HPがゼロになったプレイヤーは自分のセーブポイントで蘇生し、またこの会場に戻ってこなければならない。試合開始時間に大幅に遅れれば不戦敗扱いとなる。
セーブポイントをイベント会場にすれば良いではないか。控え室の出入りをシステムの方で選手に限定すれば良いではないか。という反論はやはりプレイヤー側から挙がったが、運営はルールを改変しなかった。ただ警備員を置いただけである。
このゲーム、実際に剣を一から叩いて作らせたり、こうして控え室の出入りを限定しなかったりするなど、妙なところで現実性に拘るのだ。言い方を変えれば、ゲーム内でのプレイヤーの裁量の余地を大きくしているのだが、有難迷惑である場合が多い。
そして、ハバトが三本目のポーションを飲み切り、左腕と右の外耳が回復させた時、
バコンッ!!
と控え室のぼろい扉が開き、一人の女性プレイヤーが凄い剣幕で控え室に乗り込んでくる。あのぉ、廊下に麻痺状態で倒れてる警備NPCは一体誰が・・・。
彼女は控え室に入るや否やヒステリックな調子を帯びたキーの高い声で怒鳴った。
「あんた! 私の最っ高傑作になんてことしてくれたのよ!」
その一言で彼女の正体と怒りの原因が分かってしまう。
ハバトはベンチから立ち上がり、
「あ、あれは確かに申し訳なかった! けど戦闘に使う以上、ああなる事も許容す」
ハバトの弁明なぞハナから聞く気がないのか、彼女はつかつかとハバトに歩み寄ると、彼の腰のホルスターから金槌を引き抜いた。鍛冶スキルをフルコンプして最上位鍛冶師の称号を得た時のボーナスレアアイテムを。
そして彼女はその両端を持ち、柄の中央部を自分の膝に当てると・・・
「あんたの金槌なんか、こうしてやる!」
ボキンッ!!
力を加えて金槌を折った。折りやがった。
「あああああ!!!!」
ハバトは彼女の手から金槌をひったくった。見ると金槌は柄と頭の接合部分でバッキリ折れてしまっている。このゲームで一二を争う耐久値を持つ金槌があっさりと折られてしまっていた。
「俺の、俺の相棒がぁ・・・」
その場で崩れ落ちるハバトを横目にフンッと鼻で笑い、彼女は控え室を出て行った。
こわごわとハバトに近づくNPCが、何とも言えない笑みを浮かべて、腫れ物に触るように言った。
「心中、お察しします」
「てめぇはAIだろ」
この時ばかりは、ハバトはNPCに粗野な言葉を浴びせた。
次話は3/3の午後7時頃に投下します