本当の悪魔
「はぁ、嫌になっちゃうわ」
女子大生の美希は、薄暗い部屋で一人ため息をついた。
「願い事かい?」突然部屋の隅から男の声がした。
美希は驚いて振り向き、甲高い叫び声をあげた。部屋の隅の何もない暗闇からブラックスーツの男が現れたのだ。
「何、あんた⁉︎ 誰よ⁉︎どっから来たのよ⁉」美希は叫んだ。
「そんな取り乱さないでくれ」男が落ち着き払った声で言う。
「取り乱すに決まってるじゃないの! あんた馬鹿⁉︎ 誰よあんた⁉︎」美希は恐怖で気も狂わんばかりだった。ついこないだの、あるアイドルがストーカーに包丁でさされ、重傷を負った事件が美希の頭をよぎった。私もそう言う目にあわされるかもしれない、と美希は思った。
「いいか、俺は殺人鬼でも強姦魔でもない。お前に危害を加えるつもりは全くない」
「はあ⁉︎ じゃあ何なのよあんたは⁉︎」
「俺は悪魔だ」男は美希の目をまっすぐ見ながら言った。落ち着き払った声だった。
「はあ⁉︎ 悪魔? あんた気でも狂ったんじゃないの?」
「まあ、確かにそう思われても仕方がない。じゃあ私が悪魔だという証拠を見せようか」そう言うと男は少し前かがみになり、突然獣のように唸り始めた。すると驚いたことに、男の皮膚がどす黒い紫色に変わり、頭からは鋭いツノが生えて来た。美希は恐ろしくて逃げたかったが、恐怖と驚きのあまり体が動かなかった。
「どうだ、これで信じてくれたか」男は顔をあげた。赤い目が光り、鋭く尖った犬歯は岩をも砕けそうだった。
美希が唖然として何も言わずにいると、再び男は蹲り、唸りながら元の姿へと戻っていった。
「あんたなんなのよ」暫くしてようやく美希は声をだした。
「だから言っただろう。悪魔だと」
「じゃあなんで、悪魔がここにいるわけ? 私の魂を奪うつもりなの?」美希が叫ぶ。
悪魔は首を振った。「それはよくある勘違いだ。私達悪魔は直接人間の魂を奪うことはできない。それができたらとっくにやっているさ」悪魔は肩をすくめる。「私がここに現れたのはただ、君の溜息が聞こえたからさ」
「溜息? それがあんたに何の関係があるって言うの!」
「私達も元を辿れば天使と起源は同じなのでね。君の悩みを解決してあげようとここにきたんだ」悪魔は不気味に笑った。
「悩み? でも、あんたは悪魔でしょ⁉︎ そんな奴のこと信用できないわ!」
「まあまて、確かに私は悪魔だ。悪魔は人を幸せにすることはできないが、人を絶望させることなら容易くできる」そこでまた男は、にっと笑った。「君の悩みは恐らくライバルの女の子のことだろう? 同じサークルの、雪さん、だったっけ」
美希はようやく男の言わんとすることが飲み込めてきた。
「そこでだ、もし、君が望むなら……」
「雪を不幸にさせてくれる」
「そうだ」
「へえ、面白そうじゃないの」美希はまだこの男を信用していなかったが、何よりもライバルのことで頭を悩ませていたため、男の提案を受け入れる事に決めた。「ただ、私がそうお願いしたって誰にもばれないようにしなさいよ」
「ああ。自然災害。事故。病気。絶対に他人の仕業だと分からないようにするさ」そう言って男は三度目のあの不気味な笑顔を顔に浮かべ、闇の中へ消えてった。
悪魔の言ったことは本当だった。雪はその後、美希が想像していたよりもはるかに不幸な目にあった。
雪の父親がギャンブルにはまり、一家は多額の負債を抱えることになってしまった。一家で夜逃げをしている最中に、三人とも突然飛び出してきたトラックに轢かれてしまった。美希が伝え聞いた話によると、家族は即死、雪は唯一生き残ったものの、もう二度と自分の足で立つ事は出来ないらしい。さらに悪いことに、病院の検査中に若い研修医が誤って高濃度の消毒液を雪にかけてしまい、角膜が焼けただれて雪は失明した。立ち上がる足も導く光も失った雪は絶望して、心を閉ざしもう誰とも口を聞いていないらしい。
「どうだ、これがお前の望んだ事だ」再び悪魔が美希の部屋に現れた。
「ええ! 私が想像していた以上よ! 素晴らしいわ!」美希は悪魔に駆け寄った。大きな目を爛々と輝かせて喜んでいる。「特に雪の目が潰された事を聞いた時、私つい飛び跳ねちゃって! あの女、私が好きな男と話しているときいつも話に入ってきて、そいつを横取りするの。その時に私に向ける目の憎たらしさったら……。『ほら、私の方があなたよりも魅力的なのよ。こいつを見てみなさい。あなたと話しているときより楽しそうでしょう』って目で語ってくるのよ。思い出すだけでもはらわたが煮えくり返るわ。もうあの憎たらしい目を見る事はないと思うと心が踊るわ! 本当にありがとう!」
散々雪の悪口を吐き散らした後、美希はふと時計に目をやった。「ああ、もうこんな時間。今から雪のお見舞いに行って、どんな醜い姿になったか見てきてやるの。さて、どんな言葉を囁いてあげましょうかね……。じゃあ、とにかく私は行くね! 本当にありがとう! またいつか同じような事お願いするかも!」そう言って美希は出ていった。
一人取り残された男はため息をついた。
「やれやれ、あまりにも行き過ぎた不幸を見せつけてやれば、罪悪感と後悔から自ら命を絶つと考えたのだがな……。以前人間の男で試したときはうまくいったのだが、まさか喜ぶとは……。いくらライバルとはいえ、自分の願いで人があれほど不幸な目にあったのだぞ。良く平気でいられるな。考えられない。どうやら本物の悪魔というのは、女の嫉妬かもしれない」男は頭を振った。